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3月18~24日「2012反核アジア・フォーラム」に参加して [反原発]

 原発を廃止しよう!
 
反核バタアン運動(NFBM):ミッチー・チャン


120326 NNAFエミリ ミッチ.jpg

 「2012反核アジア・フォーラム:以下NNAF」が、3月18~24日から韓国で開催され参加しました。韓国で開催された「核産業サミット」に合わせて、人々活動であるNNAFを開催すること自体、すでに抗議の声明なのです。フィリピンから、私(ミッチー)が招待されました。とともに「反核バタアン運動:以下NFBM」は地元の代表としてエミリーを送りました。

 福島事故の余波において、各国は核政策を再評価してきました。そして、アジアの人びと、世界中の人々は、既存の原発の廃止、新規建設計画の破棄を要求しました。原発廃止を決めた国があります。しかし、韓国政府は反対方向に向かっています。価値ある教訓として受けとるよりもむしろ、韓国政府は福島事故を原発海外輸出のいい機会としてみなし、核エネルギー利用計画を確定させ、推進しています。「核安全サミット2012」は、特に、原発輸出を拡大する機会として利用しました。

 日本政府も同じではないでしょうか。福島原発であれほどの大事故を起こしながら、いまだに原発推進をやめようとしていません。再稼働を画策しています。
 このような動きを阻止するために、アジア各地の反原発活動家たちは、地元の人たちと固く結びつき反対するイベントを、韓国で準備しました。これは韓国政府の核政策に強く反対するイベントであるとともに、アジアの人びとだけでなく世界中からの反核、原発廃止の声なのです。

 3月18~24日「2012反核アジア・フォーラム」に参加して
 
反核バタアン運動(NFBM)エミリー・ファヤルド


 私(エミリー)とミッチーは、3月18~24日の6日間、韓国で開催された「2012反核アジア・フォーラムNNAF“No Nukes Asia Forum 2012”」に参加し、活動しました。私にとって、この訪問は、「核のない世界を実現する」という目標にむけ、自身の確信をより強い確固たるものにしました。アジアの異なった国々の人たちの経験や展望を交換し交流し、私たちは多くのものを学び、また獲得しました。

 1)2012反核アジア・フォーラムの活動
 第一日目(3月19日)に、ミッチーが記者会見で話しましたし、セジョン・センター前の反核宣言週間集会では演説しました。
 また、同じ日、サムチェオク(Samcheok)市のサンナエドン・カトリック教会での地元の人々との交流で、私はフィリピンにおけるバタアン原発反対の闘い、その経験を説明しました。
 韓国政府は、サムチェオク市に原発建設を予定していました。サムチェオク市の反核公園には、原発建設を中止させた勝利のモニュメントがあります。2000年にサムチェオク市民は、韓国政府と闘い原発建設を阻止したのです。反原発バタアン運動のように、サムチェオク市民は大きな集会、抗議運動を組織しました。もちろん市民は、地元で反核団体を組織しました。私たちはその事務所で、朝食をいただきました。

 原発建設を阻止した市民の皆さんに敬意を表します。私たちは、デアハクロ公園で集会を開催しました。そこで反原発キャンペーンをリードしているカトリック教会の多くの聖職者に会いました。ここでは反原発活動のためであれば、教会設備を自由に使うことができます。反原発運動は市民生活に根付いているのです。
 また、ヨンドク行政区でも私たちは集会を催しまし、また教会ホール内で地元の人々と会談しました。 聖職者は、私たちを歓迎してくれました。  

 三日目(3月21日)、釜山市で私たちは記者会見し、釜山国際展示場(BEXCO)前で、「環太平洋地域原子力会議」に対する抗議集会を行いました。その日「環太平洋地域原子力会議」は、この会場(BEXCO)をおさえていました。

 四日目(3月22日)、ソウルに戻り、ソガン(Sogang)大学で、「核安全保障サミット」に対抗した「国際会議」を開催しました。そこで私たちは、一人の旧友、ジョセフ・ガーソンに会いました。彼は、米国の核兵器使用の即刻停止、「核のない世界」のための核政策と挑戦を話し合う米国委員会のメンバーです。
 この国際会議で、ミッチーが「福島原発災害後のバタアン原発反対運動とフィリピン情勢について」報告しました。
 また、福島から参加した日本人グループは、「福島原発事故と原発のないアジア」について発言しました。

 五日目(3月23日)、私たちは、原発と原子力産業推進する「原子力産業サミット」に抗議するため、サミット会場であるインターコンチネンタルホテル前でデモと集会、記者会見を行う予定でした。しかし、集会もホテル前での記者会見も、できませんでした。というのは韓国警察が地下鉄駅で私たちを阻止し、会議に行くのを許さなかったからです。少し交渉しましたが、警察は私たちの通行を許しません。周りには、活動を取材するため多くのメディアがいましたので、急遽その場で「記者会見」することにしました。警察がこの「記者会見」を止めようとしたので、警察との間で「小さな闘争」を経験しました。多くの韓国市民がその場を通り過ぎて行きましたが、私たちが何のために闘っているか、見つめ、理解してくれました。市民の多くは、しぐさで私たちを支持するサインを送ってくれました。もっともなかには、私たちにむかって怒鳴りピケラインを破ろうとする者もいました。しかし、そのような否定的な人より、ポジティブ支持がずっと多かったのです。
 地下鉄内の集会と記者会見では、私にも発言の機会があり、原発建設・原発輸出の停止を訴え、そのうえで非核アジア、「核のない世界」をつくろうと呼びかけました。
 韓国の警察は、奇妙なこともしました。集会の後警察は、私たちに昼食を振る舞ったのです。集会がすんだあと遅れてきたジョセフ・ガーソンもそのおこぼれにあずかりました。

 午後に、私たちは「2012反核アジア・フォーラム声明」を承認して、採択しました。声明では、福島事故の被害の実情について触れました、同時に、この時点でさえ日本政府が、世界の平和と安全、人類の生存に反し、いまだに核技術や核兵器の輸出をしようとしていることを批判しました。また、タイ、インドネシア、フィリピンの3カ国は、核計画・核政策の廃止にいては、3カ国とも同じ状況下にあります。どの国もフィリピンと同じように、各国の核開発を進めてきたのです。また、日本グループは、福島犠牲者の支援と、既存の原発と核開発計画の廃止を呼びかけました。
 全体として上記の声明は、世界中の人々に、「核のない世界」のために団結すること、世界中のそれぞれの国においてすべての原発計画、原発推進政策に対し慎重になること、停止することを呼びかけています。また、原発と核武器を使い続けることを批判し、福島事故の後でさえ、韓国政府のようにいまだ多くの政府が、福島やチェルノブイリの教訓を学ぶことなく、核技術を利用し輸出し、利益を上げることを望んでいる現実を指摘しました。

 「公正なエネルギーのための行動(The Energy Justice Actions)」の後、議論し最終的な声明とする予定であり、私たちに送られてくることになっています。入手次第その写しを送ります。

120326 NNAFの行動で.jpg


 2)韓国政府の神経質なまでの対応

 私たちの韓国入国には、困難が伴いました。というのは、私たちの滞在中や出国した一日後に、韓国政府や進側による三つの原子力会議、サミットが行われたからです。
 韓国政府は、原発推進の国際会議を失敗させないため、神経質と言えるほどの対応をしました。私たちを推進派の会議やサミットの会場に近づけさせませんでしたし、NNAF事務局長の佐藤さんを入国させませんでした。

 ●3月18日にはじまった「環太平洋地域核会議(釜山)」:
 二年ごとに環太平洋諸国で順に開催される「核エンジニア原子力産業相互会議」。
 原子力産業の会議、および各国学術団体を含むアメリカの原子力学会(ANS)によって組織されています。アカデミックなセミナーや、原子力産業展示を行います。
 ●3月23日:「原子力産業サミット(ソウル)」 これは「ソウル核安全保障サミット2012」公式の特別イベントであり、主催者は、韓国水力原子力社です。世界における原子力産業代表者会議です。

 ●3月26日:「ソウル核安全保障サミット2012」
 サミットは、核テロの脅威に対する連携施策、核物質の不法輸送防止と関連施設や核物質の保護に携わってきました。
 しかしながら、福島原発事故や提案されている原子力平和的利用のための地域協力という新しい課題において、範囲は核安全保障から核安全まで拡大されることになっています。
 主催国である韓国政府、韓国の原子力産業は、サミットを原発輸出促進のよい機会としてとらえている点に、特に留意しなければなりません。
 彼らは、サミットと平行し、原子力産業サミットを開くために、世界中から招待された原子力産業CEOたちなのです。そのうえ、環太平洋核会議も主に原子力産業に支えられた開催されることになっており、その結果、韓国ソウルのサミット周辺に、世界の主要な原子力産業の代表者がほとんど集まっていたことになります。

 入国トラブル
 入国の際に私たちは、ソウルにおける「公正エネルギーアクション」という団体の招待で国際会議に参加するために招待されたビザを示しました。仁川国際空港の入国審査では、私たちはスタディツアーに参加するために来たと申告したところ、入国許可されました。他の国から参加人たちも同じように、または観光目的だと申告しました。しかし、日本から参加した佐藤さんは入国できませんでした。おそらく彼は「2012反核アジア・フォーラム』事務局長であることは事前に知られていたからでしょう。不当なことです。佐藤さんは、空港で入国拒否され、一晩中空港に留め置かれ、翌朝、日本に送り返されました。佐藤夫人だけは入国でき、活動に参加しました。彼女はたまたま別の飛行機で来たため入国できたようなのです。

 韓国の緊迫した政治情勢
 韓国では、4月11日には、国会議員総選挙があり、12月19日には大統領選挙があります。今年は、議会と大統領選挙で結着がつきます。今回、原子力エネルギー問題は、主要な論争点となるでしょう。

 皆さんに感謝
 私が「2012反核アジア・フォーラム」に参加するに当たり、みなさんから支援いただきました。感謝します。私にとってはすばらしい経験でした。核問題に対する私の理解を一層深めることができました。日本と同じようにソウルも交通費や食費が高いことにあらためて気づきました。
 どうもありがとう。私のレポートに疑問の点があれば、遠慮なくお尋ねください。(3月28日記)
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健康調査データを隠す国と福島県 [反原発]

 山田真医師(小児科医)講演
 
2012年4月7日、杉並区商工会館


 山田真医師(小児科医)の講演を聞きました。その要旨を紹介します。
―ーー----------------

 私は、ひと月に一度くらいのペースで福島に行っております。なるべく最新の状況を報告します。

 福島の「ふんいき」
 今、福島に行くと、空気が重いのです。街自体は見かけ上「平穏」な感じなのですが、「誰も信用できない」というか、「あきらめている」という感じがあります。これはなんだろうかと思います。
 国も県も何もしません。自分たちで守るしかないが、やることの規模がすごく大きいので、人手もいれば、お金もいる、いろんなことが必要なわけで、困惑している状態です。
 例えば、福島市だけに限って住民にやるべきことを実施するとしても、ものすごい費用がかかります。

 福島市渡利地区
 2月の相談会で、渡利地区に住むおじいさんが来られて、「毎日測定している家のなかの線量が一番大きい値で30μシーベルト/hくらいある」と言われました。家の外ではありません、一日のうち何時間も過ごす場所です。東京と比較すれば、50倍以上の値です。「小さな孫と暮らしているが、自分に甲斐性が無くて引っ越すこともできない」と嘆かれました。被害者なのに自分を責められるのです。

 渡利地区は飯館村の西北に接しており、雨が降るたびに放射能が上流から流れてきて、除染しても除染前にすぐ戻ってしまいます。除染が無効なのです。しかし渡利地区は汚染地域・避難地域に指定されていません。人口が多いにもかかわらず、福島市内だからではないでしょうか。福島市は県庁所在地であるので、渡利地区が汚染地区、避難地域に指定されるのを、国、県や市の幹部が決して認めません。「福島市の一部が汚染地域となれば、莫大な費用がかかる、そんなことは絶対にしない」。これが、国の方針であり、東電の方針です。ですから、いま必死に渡利を抑え込んでいる状況だと思います。

 渡利地区が、汚染地区・避難地域と認められず、「人の住めるところだ」とされている間は、もちろん、茨城も宮城も東京も千葉も、絶対に汚染が問題とされることはありません。
 そのような意味では、福島市、福島県を何とかしない限りは私たち全体が何ともならない、福島でものが言えない状況があるとすれば他の地域でももっとものが言えない状況となる、そう考えなくてはなりません。

 国や県はデータを公表しない!
 3月11日事故後の対応においては、政府や東電、原発推進の人たちにとって、「福島では大変成功している」、「隠しきれている」と評価していると思います。
 チェルノブイリ事故が起きた時、私たちはソ連が共産主義国であるので、国が事実を隠し情報統制している、そのため事実がつかめないと思っていましたし、住民が抑えつけられたのではないか、と思うこともありました。
 しかし、チェルノブイリ当時のソ連よりも、福島事故の日本政府のほうがずっとひどい状態です。
 旧ソ連からの学者が来てくれて、シンポジウムを開催しますが、日本側から何の報告もできません。国や県が、いろんな検診し調査しましたが、データが一切公表されないからです。東電もデータを公表しませんが、ひどいのは東電だけではありません。
 国や県が福島の子供たちの甲状腺検査を実施しましたが、「いくつか異常値が出たけれども、全部心配のない異常であった」と勝手に報告しました。検査を受けた本人にはエコーのデータなどはかえってきません。データがあれば、私たちのあいだの専門家にもう一度見てもらって、所見を述べることもできます。医療の世界でいうセカンドオピニオンです。

 当集会資料に一例として添付されている「内部被曝評価報告書」を見ますと、セシウムの検出に詳しい方ならお分かりでしょうが、「検出限界」が400ベクレルの条件で測定しています。南相馬で、東大グループが内部被曝を測定した時に、約20~40ベクレルで「要注意」の結果が出ました。しかし、400ベクレルの検出限界だと20ベクレルとか40ベクレルの測定値はほとんど信頼に足る数値が出てきません。測れない装置を使っているわけではないでしょうが、極めて不適切なやり方をしています。意図的としか思えません。こんな検査をして、「一生に受ける推定線量」を、この例では「0.520シーベルト以下」だと、はっきり結果を出しています。どういう解析・計算経過で0.520シーベルト以下なのか、データも根拠も示されていません。

 食品の放射線測定においても、暫定基準値以下の場合、測定結果は「ゼロ」、もしくは「検出せず」として表示し、数値を残しません。「使えないデータ」を測定しているとしか言いようがありません。「問題ない」という結論を述べるために手の込んだことをしています。やっていることは問題点だらけです、…こんな話をしているときりがありません。

 「結論ありき」の健康調査
 福島市内の子供たちに「ガラスバッヂ」をつけさせて、線量を3か月間測って、その3か月間を年に換算して、「線量はたいしたことはない」結論を明確に出しました。
 子供たちの首にぶら下げている「ガラスバッヂ」は、夜は外して寝ていたとか、いろいろ問題がありますが、最大の問題は2011年9月から3か月間測り、その結果から3月11日直後もその値と同じだと仮定して、計算していることです。保護者たちは、3月11日以降の1週間、あるいは2週間で、かなり被曝したのではないかと心配しています。
 そんな心配は無視して、「問題ない数字」を勝手に出し「心配ない」という結論だけが強調されるのです。こんなことが何度も何度も繰り返しやられてきました。

 「県民調査」でも同じことが・・・
 事故直後に、浪江、双葉、大熊などの近隣地域が主に「県民調査」なる60ページにもわたる調査表が配られました。この時もどうやって計算したか不明ですが、勝手に線量を計算し、「大丈夫だ」という「返事」が帰ってきました。

 誰が隠しているのか?
 チェルノブイリでは、「調査に入るのが遅かったために被害が漏れてしまい、情報統制に一部失敗した」と言われています。日本の重松逸造という悪名高い公衆衛生学者が団長になり国際調査団を形成し調査に入り、「チェルノブイリの被害はたいしたことはない」と報告しました。しかし、調査がかなり遅かったので、被害状況がかなり漏れてしまいました。そのため例えば甲状腺癌については、事故の影響があったと認めざるを得ませんでした。だから、「事故が再び起きたら、早くから隠さなければならない」と原発を推進する政府、企業、学者たちは思っていたのではないでしょうか。それからすると福島事故処理では完全に成功しつつあります」。

 過去にも同じようなことが・・・
 「これから福島をどうするか?」と考えた時に、やはり歴史をたどるしかありません。もともと原発は、原爆開発にはじまり、政治家が国策として強引に推進し、電力会社はもうかるシステムをつくりあげ荷担し、学者も荷担しました。
 チェルノブイリ事故調査団長・重松逸造は、原爆の被害者調査にかかわりました。米国とも協力しました。「原爆被爆者の範囲」を狭い範囲に限定しましたし、内部被曝や低線量被曝は、まったく問題にさえしませんでした。そうして被害を「最小限に抑え込み」ました。そんなことを重松のような学者は繰り返しやってきました。
 「どのように抑え込もうとしているのか」を考えた時に、広島長崎で行ってきたこと、ビキニ被爆後の対応、東海村事故でやってきたことを見ればわかります。現在、福島で行われているのは、その延長線上にあります。

 被害者はずっと抑え込まれてきました。今福島のたくさんの人たちが同じ事態に当面し、抑え込まれようとしています。被害者を押さえつけ泣かせてきた歴史を繰り返してはなりません。

 誰が何のために、抑えつけようとしているのか?
 「とにかく大丈夫だった」、「被害はなかった」と言わなければならないのは、国であり東電です。「被害者への補償」を「大きな痛手」と考えています。補償を最小限にするために「被害はない、問題ない」と宣伝し続ける、さまざまな「健康調査」、「健康診断」を実施するが、最初から「被害がない」結論を出すのを予定されています。
 「そんなことができるのか?」という疑問をお持ちかもしれません。はっきり言いましょう、「できますし、やられています」。その証拠は、データを決して公表しないことに現れています。

 歴史は繰り返す?
 広島では、2㎞の線を引き、2㎞以内は被爆者で、その外は非被爆者としました。「被爆者」と「健康な人」を比較しいろんなデータの取得、解析をしますが、広島では2㎞以内にいた人と2㎞外にいた人とを比較しました。だから、データがすごくゆがんでいるのです。通常であれば、もっと遠くの、原爆の影響を受けない地域の人と比較しなければなりません。
 広島では、被曝直後に放射線線量を測っていませんでした。1945年9月の半ばに「枕崎台風」が襲い、かなり放射能が洗い散らされてしまったわけですが、その後に測定し、「残留した放射能は微量である」と発表しました。
 福島で起きていることとよく似ていると思いませんか? 「歴史は繰り返す」のです。

 東海村事故でも同じことが…
 東海村事故について触れますと、当時290人の近隣の人たちが一応「被曝者」ということで、この時空間線量は測らずに、体内ナトリウム量から被曝線量を推定し、一番多い人で40数ミリシーベルトとしました。他方「50ミリシーベルトまでは健康被害はない」との基準を持ち出し、「被害者なし」と事故調査委員会が決定しました。
 実際には、そのあと裁判で争った人もいますが、敗訴しました。ほとんど世間に知られることもなく、抑えつけられました。東海村事故では、高線量被曝した人が3人いて2人が亡くなったことはよく知られていますが、近隣に住んでいた人たちがどうなったかは、事故調査委員会によって完全に隠された状態になっています。この時も、勝手に「50ミリシーベルト以下は健康被害なし」と決められ、「健康診断もする必要がない」と事故調査委委員会は言いました。しかし、毎年その人たちの健康診断は行っています。これについては、「本当はやる必要はないが、住民に不安に思う人がいるので、解消するために実施している」と説明しています。どこかで聞いたような話ですね。
 福島でもまったく同じです。「健康被害はない」とずっと言ってきましたが、「健康調査をやる」ことになり、ある新聞記者が山下俊一のところに行き「なぜやるのか?」と聞いたところ、「本当はやらなくてもいいが、不安に思っている人がいるので解消するためにやる」と言いました。「国や東電には責任はないが、住民が要望するので」と何かしら住民の責任であるかのように言っています。
 実施する前から「健康被害はない」という結論を出すことも決まっているわけです。

 悪い奴ほど…
 福島の健康診断全体は、元締めは山下俊一という長崎から福島に来て、福島医大の副学長になっている悪名高き人物です。でも本当のところ、彼はピエロの役割を果たしているのであって、もっと悪い奴は背後にいます。3月11日以降にTVに出てきた学者たち、いろんなデタラメを言いましたが、ああいう役をやらされたのです。東電にしたって、社長が出てきて説明すべきなのに出てきません。後で「デタラメを言った」などと文句を言われる担当者は、そういう役目を負わされているのです。山下俊一などもそうで、後ろには、長崎で言えば長瀧重信とか、もう亡くなってしまいましたが重松逸造とか、もっと悪い奴がいます。そういう人たちが糸を引いているのです。
 山下俊一はずっと「健康被害はない」とか、「福島はこれで何もしないで有名になった」とか、「笑っている人は放射能の影響を受けにくい」とか、散々いろんなことを言ってきました。例えピエロでもそんな人間を許すわけにはいきません。同時に背後にいる悪い奴らの責任を追及しなければなりません。

 嘘に慣れてしまった?
 私たちも、国や県の嘘の説明に慣れてしまったところもあります。福島の人たちは特にそうなのではないでしょうか、国や県が実際に何かやると、かえってやらないほうがよかったことが多い、そうなると要求もしなくなる人も出てきます。責任を迫るとか、実施しろ!とか要求することにも疲れてきます。
 国や県がやる健康診断などは、予測した通りでたいしたことはやらないのがわかってきます。そうすると、自分たちの健康は自主的に自分たちで守らなきゃならないところへ追い込まれます。しかし、自分たちの力だけやはりでは守れません。
 福島で相変わらず学校給食なども福島の食材が多く使われていますし、保育所なども安全な食材を他から取り寄せて使うことができません。官僚や自治体職員は、自分の責任を追及されないように、国や県の上司の顔色ばかり見ていて、住民のことを考えていません。「責任者の顔の見えない無責任体制」です。逆に「安全とか、安心を!」と言ったらパシングされます。

 だんだん変なことになっていて、「避難」という言葉がタブーのようになり、行政が「避難」と言わせない雰囲気もあります。住民にも避難できない人がたくさんいます。2月に行った時には「避難」という言葉が「保養」に変わっていました。

 子供たちの避難を!
 福島にいてできることは、子供たちを一時避難させることです。とにかく「放射能を新たに入れない」のが大事、また「人間の排泄能力がかなりある」ことがわかりました。1か月くらい福島を離れておればその間にかなりの量が排泄されます。
 ただ週末2日間とか、夏休み冬休みなどに1週間程度の転地保養では、体内セシウムは十分に排泄されません。
 2011年5月と7月に福島で10人の児童の尿中のセシウム量を測定しました。たった2ヶ月ですが、すでに福島を離れていた9名は30%から60%も体内セシウム量が減少し、福島に残っていた一人の子供だけは、セシウム量が増えていました。
 残酷な結果が出ました。「福島を離れれば減るが、残っていれば増える」結果が、たった10人の調査でもはっきりわかったのです。
 どうしても福島を離れられない、引っ越すことができない家族や子供たちはたくさんいます。どうするか。子供だけでも1か月の単位で、福島を離れることが有効です。そうすると学校の問題などが出てきます。北海道などの学校で「来てもいいよ」ところもあり、町と町で契約すれば、そういう対策もとることができます。一部でそういう計画がされています。国、県や自治体はこのような対策をすぐ行うべきです。

 何もしない県と国
 しかし、こういう対策についても、県も国も何も動きません。「避難」や「保養」は、「福島にいることが危険である」と認めることになるからです。「福島は安全で、今までも健康被害はない、これからもない」と主張するために、「何もしない」ことを徹底する。とても恐ろしいことです。
 そんなことは、チェルノブイリでもしてこなかった。チェルノブイリ事故後の対応よりも悪いのです。

 どうしたら被害の全貌がわかるのか?
 どうしたら被害の全貌がわかるのでしょうか? 医者からすれば、必要なのは疫学調査です。
 福島原発から何キロと特定し、高線量、中線量、低線量の地域で何万人という規模で調査して、データ間の差を比較することでしか、被害全貌はなかなかわかりません。一人一人を診察しても、放射能の影響があったかどうかを明確に示すことはできません。
 今、私のところは毎日のように、「自分で血液を採って甲状腺検査をしました」とか、「爪でセシウムを測った」とか相談されます。一人一人のデータを見ても、何も言えません。甲状腺検査で甲状腺ホルモンが低いデータが出たと持ってこられます。検査機関はたくさんあり、金儲けのためにやっているとしか思えないところもあります。「甲状腺ホルモンの出が少し悪い」という人は、世界中で何十億人もいます、特に、中年女性だと非常に多くなります。甲状腺ホルモンが低くてもほとんど何の症状もなく不自由はありません。症状が出てから治療するのが通常です。
 しかし、なかには放射線の影響による人が混じっている可能性はあります。しかし、特定の一人について、放射能の影響かどうかは、明確に指摘できません。
 癌でもそうです。私たちの悲観的な予想が当たってしまうなら、子供たちのなかで甲状腺癌が出てくるでしょう。そもそも甲状腺癌は非常に少なく、だいたい100万人に1人ぐらいしか発生しません。統計的に調査し多数発生してくれば、「原発事故の影響である」ことはすぐにわかります。しかし1人の子供が甲状腺癌になったとして、放射能の影響で癌になったかどうか、因果関係を証明するのは非常に難しいのです。
 補償する側、東電・政府は、どの個人も明確に因果関係が認められないから、全員放射線の影響がない、補償する責任はないと主張するでしょう。過去、広島や長崎、東海村事故で、そのように主張してきました。

 そのような意味では日本政府や福島県は事故直後から、データを採ることができたわけです。1年経ってしまいましたが、まだまだデータ取得は意味があります。
 ある物質が人間の体に影響しても1,2年では癌として発症しません。非常に早くて3年ですが、通常なら10年20年かかります。現在はまだ影響が出ていない時期であり、遅くはなったとはいえ、今からでも調べておけば後になって有効なデータになります。しかし、まったくそういう動きはありません。

 被爆者援護法に相当する法が必要
 被爆者援護法に相当する法的な整備が必要です。しかし、仮にその法ができ、かつ適用しようとした時に、誰が被害者かの特定が問題になるでしょう。広島・長崎の被爆者認定で問題になりました。多くの被爆者が認定制度に苦しみました。その時データがなければ、確かなことは言えません。今のところ、被害者が有効に使えるデータが全くありません。補償に関してはおそらく裁判だとか、直接交渉だとかになっても、データがなければどうしようもありません。したがって、将来の補償のことを考えると、被害者にとっては絶望的な状況にあります。
 事故直後に県民に対して行われた「実態調査」は、調査としては中身のないものですが、ただ、「あれに答えておれば一応将来被曝者としての証明になるかもしれない」。そういう意味では、書きたくない項目の並ぶ調査表でしたが、やっぱり書いておくべきではないか、と思いました。

 実際には、被害がどのくらいの範囲で出てくるのか不明です。福島だけではなく東京でも被害は出るかもしれません。もっと西でも出るかもしれません。食物による内部被ばくは全国的に流通していますから、可能性はあります。
 これから先、おそらく子供時代を送っている人たちが一番問題になってきますが、被害が出てきた時に、今私たちが何を準備しなければならないかを、みんなで考えて行動していかなければいけません。

 何ができるか?
 私は2011年6月から毎月のように福島に行っていますが、今年に入ってから福島に行くのがつらくなってきました。ほんとに何もできていないのです。「福島の子供たちを救おう」とスローガンを掲げ「健康相談会」をはじめましたが、私たちができているのは、福島の人たちが言いたい様々な怒りや悲しみのはけ口になっているのに過ぎないのではないかと思えて、気が重いのです。
 私はかつて、森永の砒素ミルクだとか水俣だとかにかかわってきました。普通ならこれだけのことが起きたら、東電前に座り込んで絶対に許さない状態になっていて不思議はありません。1年過ぎてなお東電の幹部は居座っていますし、責任を認め被害者に謝ってさえいません。東大やら全国の大学の学者たちが、自己発生直後からかなりのデタラメを言い続け、東電を擁護してきましたが、誰も失脚せず、むしろ逆にあの時頑張った人たちはけっこう出世してさえいます。
 福島があのままでも、他の地域が復興できるような幻想が振り撒かれています。福島を切り捨てて復興しようという姿は、かつて私たちが広島や長崎に被害を押しつける格好で日本が復興したとか、沖縄に基地を押しつけて切り捨てて私たちが何か安全なところで生活をしてきたのと同じことの繰り返しを、やろうとしているのです。
 みんなで福島のことを考えたいと思いますし、みなさん自身も、いろいろ個人的な不安をお持ちでしょうが、まず福島を何とかすることを最初において、さまざまな動きをしていただきたいと思います。

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アラブ世界とトルコ [世界の動き]

 アラブ世界の政治的変化が続いている。
 
 2008年前の循環において、欧米より新自由主義による近代化が、アラブ世界を一部をとらえた。2008恐慌は、その近代化した社会を揺り動かした。また同時にこの地域におけるアメリカの影響力後退も明らかになりつつある。そのような新しい条件下において、アラブ世界の再編がすすんでいる。
 イスラム世界に対する無根拠な宣伝や批判が、欧米日で広がっている。イスラム社会を一色で塗りつぶして理解する傾向が、われわれのあいだにもある。

 そのようななかで、最近のトルコの動きについて、興味深い報告がありそれを聞く機会があったので、以下に紹介する。なお、聞いた者がまとめたか限りの紹介であるので、文責は紹介者にある。(文責:林 信治)

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「トルコの視点」 
佐原徹哉氏(明大教授)

パレスチナ「土地の日」連帯集会、2012年3月31日、文京区区民センター


トルコとアラブ世界、パレスチナ問題
 トルコ人はトルコ語を話す。アラブ人はアラビア語を話す。オスマン帝国時代にアラブを支配してはいたが、必ずしもアラブ人に対する民族的な抑圧状態が続いていたわけではない。
 20世紀に入るとヨーロッパによる植民地支配という「転換」があった。トルコ人からすると「アラブはイギリスにそそのかされてアラブの大義を裏切ったから植民地化された、トルコはムスタファによって何とか踏ん張って植民地化の危機を乗り越えた。トルコとアラブは違う」という認識が存在する。
 パレスチナ問題もトルコではこれまで「遠い問題」だった。しかし、最近このような見方が変化しつつあり、イスラエル批判が高まっている。戦後ずっと、トルコは親米政権であり、イスラエルと友好的であったが、この3年くらいトルコ政府はイスラエルのパレスチナ政策を厳しく批判するようになった。

トルコ政治史の変化 
 2000年頃から、トルコ経済がよくなってきた。1950年代から80年代までは途上国とされてきたし、親米政権による「近代化」が進めば進むほど、トルコの人びとの暮らしは苦しくなっていた。
 2000年以前は、インフレがひどかった。高額紙幣が半年後、無価値になっていた。2000年以後、トルコリラの下落が止まり、通貨は安定した。中間層が成長してきたし、経済が改善している。アンカラやイスタンブール郊外に巨大なショッピングモールが目立ち、結構多くの人々が買い物をしているのを見ても、中間層が増大しているようであり、社会生活全般で、人々の生活がよくなっているように感じる。
 従来の貿易は、アメリカ依存であった。しかし最近では貿易相手国のトップはロシアに替わった。中国との貿易も増え、アラブ圏、中央アジアとの関係も拡大している。親米政権、米国依存のトルコから、全方位善隣外交のトルコに変わりつつある。それはトルコの自立化でもある。
 2002年、政治も変わった。総選挙で、イスラム主義の政党・公正発展党が過半数を獲得し、以後、安定政権を維持している。外交政策は、アメリカ一辺倒から、米政策に必ずしも従わなくなった。この地域におけるアメリカ、欧州の影響力の低下と相応している。

対米関係、対イスラエル関係の変化 
 第二次イラク戦争の時に、トルコはイラクに軍を送らなかった。最終的には一部使わせることになったけれども、トルコ国内の米軍基地をイラク派兵に使わせない態度を当初とった。イランとの関係改善も図り、善隣外交政策をすすめた。シリアとの関係も改善を進め、ビザなし渡航、関税なし貿易で、シリアを通じてアラブとの交易が拡大した。トルコ政府は、レバノンに仲介を試みてもいる。ガザ問題での対応でも従来の態度を変えた、などなど、これまでの反アラブ的政策を転換してきた。
 
 従来の親米政策、親イスラエル関係を変更したため、この10年間特に目立って対イスラエル関係は悪くなり、イスラエルはトルコの変化に苛立っている。
 イスラエルとの関係悪化は、2008年末はっきりしてきた。トルコ国営放送のドラマでイスラム教徒に対する迫害を描いたパレスチナ篇で、イスラエル兵がガザや西岸で行っていることをそのまま描いたところ、イスラエルがトルコ政府に正式に抗議した。しかし、トルコ政府は応じない。イスラエル外務副大臣が、駐イスラエルのトルコ大使を自分のオフィスに呼びつけ、その際、イスラエル外務副大臣が上から下に控えるトルコ大使に向かって抗議した。本来、二国関係は対等であり、トルコ大使は「対等な形式」で遇されなければならない。そのためトルコ政府が抗議した。

 ガザへの人道支援船問題が起きた。当初、イギリスの人道支援団体が2009年の暮れにトルコからトラックを手配して陸路から入れようとした。トルコのNGO組織も熱心に支援したが、イスラエルが邪魔をした。それで船でエジプトを中継したが、今度はエジプト政府が妨害する。それ以降、人道支援活動をトルコのモスリム系難民支援団体「人権と自由基金」が中心に担うようになり、2010年5月、海路で船団を組織した。ガザに入る前に公海上で、いきなりイスラエル空軍が何の予告もなく襲撃し、船団に下りてきて7名を虐殺し、27人を負傷させた。イスラエルは、例によって、「領海内に入った、警告目的で船に降り立ったら攻撃されたので正当防衛のため反撃した」とデタラメを並べて強弁している。
 トルコとイスラエル関係は悪化した。米・イスラエル・トルコの共同軍事演習は中止されたし、トルコ政府は、イスラエル軍機によるトルコ領内飛行を禁じた。

 
アラブ世界でトルコの権威が増す
 この政治的プロセスで、トルコ首相エルドリアンが、アラブ世界のなかで権威を増し、「英雄化」していく。アラブ世界はトルコに好感を持ち、友好関係が深まっていった。2011年のアラブ「民主化」過程でも、エルドリアン首相の発言が重視されていく。
 
 エルドリアンは公正発展党のリーダーであり、党はもともとイスラム主義者の政党である。現トルコ政権の対イスラエル政策は、かなり強行であり、ある意味「性根」が座っているように見える。国民も支持している。
 トルコ政治史が根本的に変わったと評価している。

政権党 公正発展党とは? 
 もともと、ムスタファ・ケマルによる共和人民党の一党独裁が長い期間、続いた。共和人民党は1950年に選挙で敗れ民主党が勝利した。1970年になると公正党が、80年代は祖国党が政権を担った。こうして1990年代の末まで、中道右派政権が政治を動かしてきたが、そのいずれの政権も、露骨にアメリカびいきであった。選挙で政権が変わっても親米政権のままであり、何も変わらなかった。経済政策、外交政策ともにアメリカに依存、もしくは隷従していた。
 
 2002年の選挙で、祖国党が敗れ、公正発展党が政権をとった。共和人民党、民主党もともに少数派に転落した。トルコでは10%以上得票なければ、議席を得ることができない。民主党、祖国党とも10%以上得票できなかった。次の選挙ではまたもとに戻ると思われていたが、2011年選挙でもともに数%しか取れなかった。共和人民党、民主党、祖国党などこれまでの政権党はほとんど政治的影響力を失い、2012年には祖国党は民主党に吸収された。親米政党が国会で議席を完全に失ったのである。

 公正発展党はイスラム主義ではあるが、かなり「穏健」な党であり、西欧的な経済発展や、近代的な原理、民主主義を取り入れており、いわゆる「イスラム原理主義」政党ではない。
 公正発展党は、2002年以降、「ムスリムでも経済を発展させることはできるし、外交も進めることはできる」実績を作り上げてきた。そのようなメッセージが国民のなかに広く肯定的に受け入れられてきたし、アラブ世界にも受け入れられてきた。

 従来のパレスチナ連帯は、これまで「反帝民族解放路線」か、または「イスラム主義、アラブ民族主義」の主張のいずれかであった。イスラムの民族主義とは、例えばアヤトラ・ホメイニの考え「アラブの土地が異教徒に支配されおり、ムスリムの手に取り戻さなければならない」というものである。
 公正発展党も、ほぼ同様に考えていると思われるが、この主張を「人権」という言葉で主張する。「モスリムであるため、人権侵害を受けている。この人権侵害を回復しなければならない」。欧米世界で受け入れられる論理で主張するところに特徴がある。そして、欧米の人権外交は「ムスリムの人権侵害を無視していて、ダブルスタンダートである」と批判する。
 2010年のガザ人道物資支援に対しても、公正発展党は、PLOやハマスの闘争には触れないで、抑圧されているムスリムへの人道支援を支持すると、同様のロジックで対応した。

 「スカーフ」問題 
 「スカーフ」問題が象徴している。トルコ政府・公正発展党は、「誰しも公の場でスカーフをかぶる権利を持っている」とする。すなわち、「かぶりたい者には、かぶる権利があるし、かぶりたくなければかぶらなくてよい」というもの。従来トルコでは、「公の場では法律でスカーフをかぶってはいけない」と決められていた。
 最近、フランス国内でフランス警察官が、スカーフを冠ったムスリム女性から、無理やり引きはがした事件が起き、フランスのサルコジはこれを擁護した。
 どちらが「民主主義的か」は比べるまでもなかろう。

 トルコ女性のスカーフ着用は、実際のところ減っている。一時、社会問題となったが、政府が「スカーフを着用する権利を認める」としたら、政治争点化しなくなり、鎮静化してしまった。暑いし臭いので、常に着用するものではない。
 イスラムへの弾圧や人権侵害に対する抗議、イスラムの自決権・人権の要求が、「スカーフ問題」として表れているのである。

2008恐慌、欧州経済危機とトルコ経済について
 トルコは、かつて2000年に恐慌を経験し、IMFの管理国家になった。ただし、2008年の世界恐慌、欧州危機の影響はほとんど受けなかった。
 むしろ逆に、欧州経済危機の時に欧州資本の一部がトルコに避難してきている。トルコ経済は、2009年は縮小したものの、2010,2011年は経済成長した。世界で2番目の成長であった。そのような意味では2008恐慌の影響が最も少なかった地域であり、経済であった。現在のところ、活発な資本の流入が、トルコ経済をけん引し、拡大基調にある。ただし、資本余剰もみえはじめ、最近は不動産投資が目立っている。バブル的な段階かもしれない。いずれにせよ、トルコ資本は蓄積も小さいので、当然のことトルコ経済がホットマネーに依存しているのは事実である。

「アラブの春」について
 欧米日のメディアは、独裁と反独裁、善と悪に、塗り固めて報道している。そこには欧米日政府の利害が表現されているのであって、惑わされてはならない。実状はそれほど単純ではないし、一様に表現できるものでもない。ただ、シリア・アサド政権打倒へすすむ可能性は否定できない。
 反独裁、民主化と言った時、トルコでは「軍、親米派、世俗主義」への批判となる。トルコ親米派は、とても腐敗した人たちで、公正発展党が、親米派に対する批判の根拠にしているのは事実である。ただし、公正発展党が腐敗していないという意味ではない。

現代におけるアラブ連帯、パレスチナ連帯 
 アラブ連帯、パレスチナ連帯の内容は、今日の政治的社会的関係のなかで変わってきている、そのなかで今後どのようにしていくかを考えなくてはならない。
 公正発展党の政策をすべて支持はできないが、この党の対応、トルコ政府の対応は、理性的であって、国民やアラブ世界からも好感をもって支持されており、今後、見守っていく必要がある。


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亀井文夫監督「世界は恐怖する」 [映画・演劇の感想]

亀井文夫監督「世界は恐怖する」

 亀井文夫監督「世界は恐怖する」(1957年制作)を見ました。
 当時は、米ソ英仏の大気中海中の核実験が頻繁に行われており、その実験による放射能の影響が世界中に広がっていた時代です。
 核実験停止が世界中の人々から叫ばれ、日本でも原水爆禁止運動が広がり、1963年には地下実験を除く「部分核実験停止条約」が締結されました。

 映画は、目には見えない放射線の恐怖を丁寧に説明しようとしています。
 「戦ふ兵隊」から予想した亀井文夫の「叙情」はまったくといっていいほど現れません。とことん科学的に厳密につくろうと決意し、ドキュメンタリー形式としたのでしょう。亀井文夫の特徴の一つなのでしょうか、実直な印象を受けます。
 現代でもなお「新しさ」をもった作品です。

 「摂取したセシウム137の70数%はすぐに排出されるが、20数%は体内に残り、内部被ばくをもたらす」ことを、動物実験の過程を丁寧に写し、証明して見せています。
 他方、福島原発事故後でもなお、「セシウム137を摂取しても、大部分は排出されるから、内部被ばくは問題ない」と堂々と発言している大学教授がいるのです。
 
 映画「世界は恐怖する」の制作協力に、多くの大学教員が名を連ね、各大学の研究室で放射線を測定する姿が映されます。夏なのでしょうか、研究室ではみんな肌着のまま仕事をしています。素人なのでよくわかりませんが、測定設備、測定器なども、現代にくらべると、はるかに貧弱に見えます。その測定する姿に、ある熱意を感じます。

 もちろん当時ではあっても、物理学や原子力工学に関係する当時のすべての学者・研究者が、映画製作に協力したのではないでしょう、協力した人だけが映画に登場しているのだろうと、想像します。

 その姿に「いまだとり立てていうほど特権的でない」、「民衆の生活といまだ遠くはなれていない」当時の大学と研究者の姿を見た気がしました。当時は大学教員、教授といえども、核兵器、放射能被害を告発する人たちが多くいたのでしょう。「集団的な熱意」を感じます、核兵器、核実験に対する批判、怒りが共有されていたことを画面から感じます。

 現代とは大違いです。3・11以後、テレビに登場し原子力を語る大学教授は、誰もが「問題ありません」とくり返し、原発と東電を擁護しました。堂々と嘘をつき通しました。この違いにもあらためて驚きながら観たのです。(文責:玉)

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被害者の逝去のお知らせ [フィリピン元「慰安婦」]

被害者の逝去のお知らせ

 旧日本軍によるフィリピン女性に対するの戦時性暴力被害者団体の一つであるマラヤロラズ、パンパンガ州マパニケ村を中心に組織されていますが、そのマラヤロラズのロラ3人が、最近になって逝去されました。以下の通りです。

 ロラ・レオノール・スマワンさん
 昨年暮れ、2011年12月18日、ロラ・レオノール・スマワンさんが亡くなりました。12月24日に埋葬されました。

 ロラ・ヴィクトリア・デラ・ペーニャさん
  今年2012年に入り、2月17日、ロラ・ヴィクトリア・デラ・ペーニャさんが亡くなりました。83歳。マラヤロラズ代表のロラ・リタさんの家のすぐ向かいに住んで、長く病床にありました。

 ロラ・ギレルマ・バリンギットさん
 ロラ・ギレルマ・バリンギットさんが3月に亡くなりました。

 マパニケのマラヤ・ロラズの生存者は44人となったようです。

 (フィリピンピースサイクル事務局:平田一郎)
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必然性において理解する [現代日本の世相]

 益川敏英の講演が、3月14日 読売新聞で紹介されていた。

 2月25日、ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「次世代へのメッセージ」が大阪・清風学園講堂で行われたという。そのなかで、益川敏英・京都産業大学教授(2008年ノーベル物理学賞受賞)の基調講演が、3月14日の読売新聞で紹介されていて、おもしろく読んだので、その一部を書き抜いてみた。

120321 3月14日読売新聞 益川敏英 (320x256).jpg

――――――――――――――――――
 
 「・・・・・科学がどういうものか説明するために、まず「自由」とは何か?というところからはじめたい。

 目の前に二つのレバーがあり、いずれかを引くと百万円が出てくるが、もう一方を引けば青酸ガスが出て、あなたは死ぬ。「どちらでも自由に、好きなほうを引いてください」と言われたとする。「自由に」と言うが、実はそこに自由はない。ただ偶然に身を任せているだけだ。

 自由とは「こうすればこうなる」という必然性を理解した上で、選択することだ。そして科学は、人類にこの必然性を教え、より多くの自由を「準備する」ものだと言えるだろう。

 ファーブルが「昆虫記」を記した当時、彼が住んでいた仏アビニョン地方では蚕の病気が流行し、主要産業の養蚕業が大打撃を受けていた。政府が派遣した対策団の団長は細菌学を確立したパスツールだった。

 ファーブルは、パスツールが蚕のことをまったく知らないことを知って落胆した。しかしパスツールは、昆虫に精通したファーブルがまったく手を打てなかった蚕の病気を鎮静化させた。

 この逸話から、科学というものの性格がわかる。ファーブルは現象的には非常に詳しいが、原理的なことを知らなかった。パスツールは病気が流行する原理を理解していたから、初めて見る蚕の病気にも焼却処分をするなど対処ができた。つまり、基礎的な科学には、より汎用性があるのだ。・・・・・・」

 そのあとで、「物事を現象的に理解するのではなく、原理にさかのぼって理解することが重要だ。」と述べて
いる。

ーーーーーーーーーーーーーーー

 益川敏英は確かに面白いことを言っている。
 まず、「自由」について言っていることは、適切であると思う。

 最近、ハーバードの何とかというインド系女性教授が「選択肢が多い社会が自由な社会だ」と述べている授業を、NHKの教育TV で、何回か見た。
 「選択肢を選ぶ」「自由」は、益川敏英の言うとおり、本物の自由ではない。単なる偶然である。あるいは、「にせもの」の、見せかけの自由である。ところが米国の一部の大学では、それが「自由」だとおおっぴらに言われている、ということもあるらしい。

 例えば、選挙のおりに「共和党」と「民主党」しかない。選んでいる選挙人のなかには、「自由」に選んでいると思っている人も、なかには幾人かいるだろう。
 先のハーバード教授は、「選択肢がないよりはあるほうが、自由であるのは確かだ」と言うだろう。何度も繰り返される「自由」についての薄っぺらな講釈だ。

 「選ばされている」というのが、適切かもしれない。そう思っている人もいるにちがいない。
 「自由」と言いながら、極限にまで切縮められた「自由」、贋物に転化している「自由」であろう。

 日本でも事情は、そんなに変わらない。自民党政権をやめ、民主党政権を選択してみたが、何も変わらない。民主党が変えられてしまって、実質何も変わらない。原発は再稼働されそうな状況だし、八ッ場ダムも再開する、消費税は上げられる、子ども手当は出ない・・・・。政権交代してみたら、本当の権力はどこにあるのか、が明らかになった。巨大な官僚機構、政治家、マスメディアそれらが一体となった本物の支配集団が、その姿の一端をあらわした。

 われわれの「自由」が、いつの間にか形式的なものに転化してしまっている。選挙権行使や、その結果としての政権交代さえも、無効にしてしまう「力」が存在し、働いている。

 われわれの「国民主権」は、自身の「自由」を全面的には発揮していない。益川の言うとおり、国民がわからすれば、「必然性を理解した上で、自由を行使しなければ、自由とは言えない」ということであれば、国民主権は、「こうすればこうなる」という理解力を獲得し、本当に変革するプランを見つけ、そうして自身の「自由」を行使しなければならない、ということになろう。

 なるほど、益川敏英の言っていることは、おもしろいし、刺戟的だ。

 それから、パスツールとファーブルの話もまたおもしろい。

 ファーブル「昆虫記」で、昆虫について「現象的には非常に詳しい」叙述をした。それはそれで、貴重で、立派な仕事ではある。しかし、「昆虫に精通したファーブルは蚕の病気に対しまったく手を打てなかった」。
 他方、「蚕のことを知らなかったが、病気が流行する原理を理解していたパスツールは、蚕の病気を鎮静化させた」のである。

 われわれは、おうおうにして「現象」にだまされ、引きずりまわされることが、多い。
 「事実だ、事実だ」と言いながら、本当のところ、自分に、あるいは自分の主張や利害に、都合のいい「事実」を集めて、自身の主張を押し通すことも、そういう人も実に多い。
 気づかずに、そんなことばかり言っている人も、なかにはいる。「事実だ」と言えば、「科学だ」と思い込んでいる人も多い、あるいは誤魔化すことができると考えている人もいる。

 「科学的な装い」をもって、自身の主張と利害を貫きとおすのである。戦後、アメリカから入ってきた実証主義は、その一つでもある。

 素人ながら想像するのだけれど、理論物理学などにおいては、様々な実験結果、実験事実に引きずりまわされることなく、それら結果や事実を必然性において理解することが、何よりも必要なのだろうなあ、などと思う。
 益川敏英は、研究生活のなかでそのような考えを身につけたのだろうか、それとも坂田昌一がそのように言っていて、薫陶を受けたのであるか。もちろん、どっちでも構わない。

 そのようなことは、決して物理学においてだけのことではないだろう。
 そういう力、そういうとらえ方を、私たち自身が身につけなくてはならない。日常生活において、社会生活において、身につけなければならない。

 というようなことを考えたりして、面白く刺戟的に、読んだ。(文責:小林 治郎吉)


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3・10 沖縄集会 真喜志好一氏の講演 [沖縄、基地反対]

 3・10 沖縄集会
 辺野古の基地建設を許さない!

 当日の集会に参加した。真喜志さんの講演は、辺野古アセスをめぐる戦いの経過と現状を詳細にまとめ、そこから今後の戦いの方向を提示するものだった。
 講演内容を、下記にまとめた。ただし、一部省略したし、話の前後を一部入れ替えたり、また勝手に小見出しをつけたりもした。したがって、当文書の文責は、文責者にある。(文責:林信治)

 講演:真喜志好一氏
 辺野古のアセス問題の現状と私たちの戦い

120310 3・10沖縄集会で講演する真喜志好一さん - (320x213).jpg
<講演する真喜志好一さん>

 今日は、4点について話します。
 1)環境アセス法について
 住民が戦うために活用する視点から法律をみる。
 2)オスプレイの配備について
 オスプレイ配備について、日本政府は米政府から正式に聞いていない、外交ルートを通じて問い合わせたが聞いていない、と隠し続けてきましたが、実は1996年、SACO合意のプロセスで米政府からオスプレイ配備を知らされています。そして日本政府は米側に「沖縄の人には黙っておいてほしい」と姑息なことをしています。その文書を届けた高見沢氏を、3月5日に証人訊問しました。
 3)ワンパッケージ論はまやかし
 「普天間と辺野古と切り離して対応する」という最近の日米両政府の動きが、みせかけであるという話。
 4)「評価書」に対し「厳しい知事意見」を出させよう!
 辺野古新基地建設の環境影響評価法に基づく評価書に対し、埋め立て免許を持つ県知事が意見を出しますが、「厳しい知事意見」を出させていく。環境影響評価法の力を借りて辺野古新基地建設をつぶしていく展望について、話をしたい。

 1)環境アセス法について
 
 「方法書」:まず、どのような事業をやり、事業の規模や事業のために環境の調べ方を書いた「方法書」を出し、住民の意見を聴取して調査し、予測し、評価する。
 「準備書」:それをまとめたのが「準備書」で、これを公告縦覧して住民に対する説明会を持ち、住民の意見を募っていく。
 「評価書」:さらにそれをまとめ「評価書」となる。

 いま出ているのはこの段階。「評価書」については住民の意見は言えず、知事だけが意見を言えることになっている。

 辺野古アセスは、すでにアセス法に反している

 そもそも、辺野古アセスはアセス法の精神に反する違法なものです。
 まず、調査そのものが環境に影響を与えるので、調査方法を決めたうえでなければ、できません。しかしすでに、「事前調査」を20億、30億円かけてやっています。
 それから、「方法書」には、どのような事業をするのか丁寧に書かなければなりませんが、書いていません。次から次へと環境への影響が大きくなるような、例えば、「埋め立てに使う土は沖縄近海の海砂を採取すること」を後で出してくる。こんな違反をたびたび繰り返してきました。
 「準備書」を出して住民意見を募ったあとは「評価書」にまとめますが、その前に政府は「アセスの調査とは別の調査だ」といって、辺野古の海の調査を続けています。ジュゴンを追い出す調査を続けていることになります。
 さらには最後の段階である「評価書」になって初めて、オスプレイ配備を記載しました。住民の意見が言えない段階になって、オスプレイ配備を発表してきたのです。

 評価書を出す意味:「犯す前に、犯しますよと言いますか?」

 「評価書」を出すにあたって、田中前防衛局長は実に「適確な表現」をしました。那覇市の居酒屋で、防衛局が呼びかけ県内外14社の報道陣が参加した懇談会で、「評価書」提出時期について一川防衛大臣(当時)の発言が明確でないことについて質問が出た時に、「これから犯す前に、犯しますよと言いますか?」と田中前防衛局長は言ったのです。
 琉球新報がすっぱ抜きました。田中発言は「『評価書』は、沖縄県民をだまし打ちするものですよ、提出時期を事前に明らかにすることは、犯す前に犯しますよ!ということです。提出時期は明確にしません」こんなふうに例えて言ったわけです。

 「評価書」の強行搬入

 その後、田中に替わった真部沖縄防衛局長(去年まで沖縄防衛局長をやっており再任)が、12月28日午前4時になって突然、県庁に「評価書」を搬入させた、無理やりの搬入ですね。搬入現場に、沖縄平和運動センター事務局長ヤマシロヒロユキさんが、何かおかしなことが起きそうだと車に待機しており、搬入現場に居合わせた。田中前防衛局長がレイプと例えた「評価書」提出を、真部防衛局長は実行したわけです。

 「強行搬入しなければならない「評価書」とは、そんなに悪いものなのか?」と、沖縄県民はあらためて気づかされたのです。
 
 12月27日には、県民会議としての組織的な座り込み行動は終了しましたが、12月28日未明、「評価書」置き去り事件を通して、住民が続々集まり、暮れの12月28日、29日、30日、31日、御用始めの1月4日まで、県庁に座り込みました。

 「評価書」の搬入について、琉球新報がクラサカヒデフミ千葉大学教授にインタビューしています。彼は環境庁職員の頃にアセス法を作ってきた担当者の一人でもあります。
 「本来であれば日米で合意する前に、国内法として環境影響評価法によるアセス手続きがあり、環境への影響を見なければ具体的には決められない。調査なしに軽々に日米合意はできないと言っておくべきだ。米国アセスメントの仕組みである国家環境政策法は必ず代替案を検討せよ!となっている。米国内では当たり前のことだ。辺野古の移設予定地は貴重な野生生物の住んでいるところだから、なおさらだ。」と真っ当なことを言っております。

 
 2)オスプレイ配備
 
 オスプレイは危険

 オスプレイはエンジンの向きが変わるので、これまでのヘリに比べてより危険です。
 「方法書」では「使用予定する航空機の種類を書かなくてはならない。」「準備書」では、「使用予定する航空機の種類、および数を書かなければいけない」と規定されています。
 しかし、「方法書」には、「米軍回転翼機(ヘリコプター)及び、短距離発着飛行機」としか書かれておらず、オスプレイ配備を隠しました。

 どうして隠すのでしょうか? オスプレイは危険であることを県民がよく知っているからです。例えば、CH53単発ヘリコプターは、ローターの真下に胴体があり重心は安定しています。CH46 は双発で重心の前後をローターで釣り上げます。しかし、オスプレイは翼の両端にエンジンがあり、左右のバランスとともに前後のバランスをとらなければなりません。91年の開発途上の事故の映像を示します。

 
 オスプレイ配備を知っていたが、書かなかった

 2012年1月6日に示された「評価書」で、初めてオスプレイ配備が記されました。初めて記した理由として、(防衛省は)「平成23年6月に米国防総省から、CH46機の後継機として沖縄配備が発表されたMV22オスプレイなので記入した」と言っています。しかし、これは嘘です。
 2006年6月の報道で、米四軍調整官のジョセフ・ウェーバーが、オスプレイの配備を記者会見ですでに語っています。少なくとも防衛省は、オスプレイ配備発言を米政府に確かめ2007年8月の「方法書」に書くべきでしたが、実際には嘘を書いた。「書かなかったのではなくて、嘘を書いた」。この事実を強調していく必要があります。
 「準備書」「方法書」は、特に「準備書」には、「想定されるものも含め具体的な機種、および台数を記入する」ことになっているのに、書かなかったのです。

 日本政府は、いつからオスプレイ配備を知っていたか?

 では、日本政府はオスプレイ配備をいつから知っていたか? 1996年から知っていた。
 私たちはアメリカでジュゴン訴訟を起こしました。ラムズフェルド国防長官と国防総省が被告となり、そのころラムズフェルドは沖縄に飛んで来て、「普天間は危険だ!辺野古は美しい海だ!」と発言しました。
 ジュゴン訴訟は、アメリカの国家歴史遺産保護法によるもので、この法律には「海外のいかなる文化財も米国は侵してはならない、合衆国がこの法律を侵した場合は、何人も合衆国を訴えることができる」と書かれています。訴えの内容は「ジュゴンは、日本の文化財保護法で天然記念物に指定されているので、海上基地建設にあたってジュゴンの保護策を示せ!」というもの。実際には、ジュゴン保護策とは基地建設は両立しませんから、つまりは建設するな!」と訴えているわけです。

 訴訟では、米政府が関与している事実を文書で示すため、証拠文書として1966年の米軍計画などを提出しました。これに対し米政府は、「1972年5月15日の施政権返還までは合衆国が沖縄で基地をつくり使って来たけれども、施政権返還以後は、日米地位協定によって日本政府が基地をつくのであるから、今回の訴訟は門前払いにせよ!」と言ってきました。さらに米政府は主張を補強するため、日本政府が隠し続けてきた日米協議文書を、ポロポロと裁判所に出してきたのです。それは私たちが、知りたくても知ることのできなかった文書でした。
 
 「陸上を飛ばない、だからV字型滑走路にした」と日本政府は言ってきましたが、米側は「停機飛行方式によるものだから、陸上部を飛ばないことはありえない」という文書も出てきました。
 私たちは、日本政府のずさんな環境アセスへの圧力として、ジュゴン訴訟が効いていると確信しました。

 高見沢文書

 そこに出てきたのが「高見沢文書」です。大事な文書です。
 1996年11月27日に在日米軍司令部から、アメリカ大使館、ハワイの太平洋司令官など4か所に送ったFaxであり、鑑文に「二枚目以降は日本政府からのinputである。最終ページは、オスプレイ問題の想定問答集だそうである。よろしく。」と書かれている。
 誰が持って来たのか? Mr. Takamizawa of JDA、防衛庁の高見沢が持ってきたと書かれている。この高見沢なる人物は、その当時防衛庁運用課長で、SACOのプロセス、議論に加わる立場にありました。2008年から2011年8月まで防衛省防衛政策局長。
 Q&A最終ページに、「那覇防衛施設局から沖縄県、および地元への説明のための13項目Q&A」が並んでおり、「沖縄のどこに配備するのか?」、「飛行パターンはどのようになるのか?」などの想定質問があって、最後に模範回答を示し、防衛庁としては米政府米軍に「回答は以下の内容に沿ったものが望ましい」と示しているのです。
 「海上施設は、現在普天間飛行場に配備されているヘリコプターの移転先として考えられたもので、海上施設はあくまでもヘリポートである」。「このように答えてくれ!オスプレイはあくまでも隠してくれ!」ということになります。

 オスプレイの飛行ルート、弾薬搭載エリア

 「オスプレイは、地形に沿っても飛行する」これは沖縄タイムスがハワイで行っているオスプレイ配備のためのアセスを追跡し調べてきたことです。
 高江のヘリパッドG19から、海辺にむかって「飛行ルート」なるものが示されています。この一帯は200mの断崖がずうっと続いていて、太平洋に落ち込んでいて、海に向かって切れた場所はここだけです。ゴムボートを移すなどの訓練をしている写真があります。
 弾薬搭載エリアと書かれています。弾薬搭載エリアとは、攻撃ヘリに機関銃弾やロケット弾などの爆発物を積み込むみ込む場所で、兵隊の作業場所、宿舎、事務所、民間の住宅からは、300m以上離さなければなりません。
 現在、普天間基地には弾薬搭載エリアはなく、嘉手納に行って弾薬を積み、久米島の鳥島まで飛び射撃訓練などをしているが、「辺野古に新基地をつくると嘉手納まで遠くなり独自に弾薬搭載エリアが必要になる」と書いています。
 今、沖縄の島の上は、弾薬を積んだ飛行機は飛んでいませんが、辺野古に弾薬搭載エリアをつくると、射撃訓練場まで弾薬を積んだ戦闘機が沖縄の島の上を飛ぶようになります。
 注意しなければいけないのは、こんなことは「方法書」には書いていません。後から出してきたものです。

 さらに「沖縄タイムス」が、ハワイで行ったオスプレイ配備のための環境アセスで、騒音は、「学校があるエリアは55dB以下から45dB 以下に騒音基準を落とせ」とされた。これを適用すれば「沖縄にはオスプレイは配備してはいけなくなる」。

 3)「辺野古・普天間パッケージをはずす」論のまやかし
 
 平安名さんが、アメリカの議会筋への取材で複数の関係者が「米議会は、辺野古新基地建設を断念する、あるいはしてもよい」と語った記事を書きました。「グアム移転と分離して、独自の編成にする」、「パッケージとされていたグアム移転と、米軍普天間基地の移設問題とを切り離す」。
 
 パッケージ論とは何か?

 1972年沖縄返還の密約を暴いた西山太吉さんをモデルにした小説の裁判シーンで、弁護士が「ワンパッケージとは、どういうことでしょうか?」と問うと、外交官・吉野文六と思われる人が、「外交交渉でよく使う。先方に対して譲歩を求めるために、これを譲る代わりにこれをよこせ!と、個々の問題を「ワンパッケージ」と称して、相手から有利な条件を獲得するための交渉の手段です。沖縄交渉でも「ワンパッケージ」と主張し盛んに抵抗したことがあります。」と言っている。つまり駆け引きに使うのが「パッケージ論」です。

 牧港基地、瑞慶覧基地の返還は?

 「日本政府がアメリカ政府に、普天間基地と関係なく、牧港、瑞慶覧の返還をしてくれよ」と言ったことになっている件について検証します。

 牧港基地、瑞慶覧基地はどうなっているか? 牧港補給基地は2006年5月1日のロードマップで、「全面的返還を検討することを合意」と書かれている。注意してください。「検討することを合意」です、「返還を合意」ではない。
 牧港補給基地エリアの港は、那覇市が計画立案管理しているのです。それを勝手に、米軍がかつてのベトナム戦争の頃、軍港をつくろうとした場所であり、現在もなお軍港計画は存在します。
 キャンプ瑞慶覧には、1958年に建設された海軍病院がすでに古くなり、新病院を移転建設させ、ほぼ完成しています。
 つまり、「牧港や瑞慶覧の返還」を日本政府が言ったのは、日本政府が在沖米軍基地の現状、米軍の計画を知らないで言ったのか、知っていながら沖縄県民をだます魂胆で言ったのか、いずれかです。いずれにしてもひどい話です。

 「グアム移転先行」のまやかし

 「審議官級協議をしたアメリカで」「グアム移転先行」の新聞記事が出てくる、審議官とは、課長と局長の間、あるいは局長の上くらい、いずれにせよ、決定権のないアメリカ政府の人間と日本政府官僚が「審議官級協議を行い、発表するときは、外務大臣や防衛大臣が発表する、権威づけする決まったことのように振る舞う」、「普天間はこのようになりますよ」という情報を防衛省が意図的に流す、こういう性格の情報です。
 8,000人グアムにいく予定だった海兵隊人数が4,700人になり、「グアム移転先行」なったと言います。4,700人とはどんな数字か? グアムに移転する経費の59%を日本政府が負担するという、8,000人行く予定に59%を掛けると、4,720人なる。
 つまり、米政府は予算を出すのを渋っており、日本政府の予算だけでどれくらい移転できるか、となると4,700人になる、こんなことで出てきた人数でしょう。それをわざわざ「グアム移転先行」などと情報を流して誤解を与えるようなことをする。何も変わっていません。
 何ら、パッケージをはずしたわけではありません。

 どんなふうにして基地ができたのだったか!

 そもそも沖縄における基地は、どのようにしてできましたか? もともと日本軍がつくった基地を米軍が使い続けたのがほとんどですが、海兵隊は朝鮮戦争の後、1956年から57年にかけて日本の岐阜県などから移転しました。キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセン、北部訓練所も、1956年からです。普天間には、沖縄戦の前には飛行場はなく、米軍が上陸して戦闘が激しくなり、住民が避難していなくなったあとをブルドーザーで整地して住宅を、小学校をつぶし、畑も墓もつぶして、1945年普天間飛行場を建設しました。敗戦後、住民が収容所、避難先から帰ってみると、基地があり、仕方なく金網の周辺に住むか、割り当てられた居住区に住むことしかできませんでした。(にもかかわらず、普天間飛行場爆音訴訟のなかで、国側が主張したのは、「普天間飛行場があり危険だということを承知しながら、引っ越してきたのだから、被害者づらすることはない」という「危険源接近説」で、住民の主張を退けようとしました。)

 普天間飛行場を返せ!は、当然の要求であって、米軍が「普天間の代わりをよこせ!」というのは、そもそも「盗人猛々しい」ことなのです。
 しかも、普天間代替えどころか、3,000m滑走路2本、軍港建設まで要求しています。
 1966年に米海兵隊がつくった辺野古飛行場計画によると、3,000m滑走路2本、その後、SACO合意のあと1997年に米国防総省がつくった「辺野古海上基地」計画でも、「66年の計画と同じ」とされています。日本政府が示したのは、係船機能付き岸壁、米側の文書によると214m長の岸壁、規模の大きい軍港です。

 すでに辺野古の一部基地建設は進んでいる

 現在すでに、キャンプ・シュワブ内の飛行場区域に予定されている位置にある兵舎や倉庫、施設が、別の場所に移されどんどん建設されています。基地建設はすでに堂々と行われています。
 アセス法の定義で、環境影響評価は「事業の実施が環境に及ぼす影響とは、特定の目的のために行われる一連の土地の形状の変更、ならびに耕作、増改築をいう」。つまり、辺野古キャンプ・シュワブ内での兵舎建設は、代替飛行場をつくるために、土地の形状変更し兵舎施設の増改築をしているわけだから、アセス法上、環境への影響を調査後しかできないにもかかわらず、どんどん勝手に「違法行為」をしているわけです。

 4)「評価書」に対し「厳しい知事意見」を出させよう!
 
 評価書に対する県民の闘い

 「評価書」段階では「住民の意見は聞く必要がない」となっているシステムを説明しましたが、今回の環境アセスの「評価書」に対する沖縄県の審査のプロセスで、県当局と交渉し、住民意見を募集することになり、ネット上でも公募しましたし、住民意見を発表する場を審査会中につくりました。さらに審査会のプロセスで、20ページくらい答申案コピーを私たちにも、マスコミにも配布して、よりオープンに議論をしました。

 アセス答申

 アセスの答申の骨子は、「自然環境の保全を図ることは不可能」というものでした。
 答申案のなかには「環境の保全上問題があると考えられる」とあったのが、答申では、「環境の保全上重大な問題があると考えられ、・・・評価書で示された環境保全措置等では、事業実施区域の生活環境及び自然環境の保全を考えることは不可能と考えられる」という表現に変更され、より厳しい意見となりました。
 「方法書」「準備書」段階の知事意見の主だった内容を言いますと、
 ・「ジュゴンの複数年調査をやること」、
 ・「それから使用を予定する航空機の種類と数を書くこと」、
 ・「埋め立てによる潮流の変化予測をやること」です。

 「評価書」は問題だらけ

 「評価書」に対する「知事意見」でも、私たちは厳しい意見をだすように要求していきます。
 「評価書」の「第9章 総合評価」には、「完成以後、事後調査をしない項目」として、「大気、騒音、振動、低周波、水の汚れ、土砂による水の濁り、地下水、地形の変化、地質」などが書かれています。実質上、基地を建設してしまったとは「あとは野となれ、山となれ!」ということに他なりません。

 実際に「評価書」は問題だらけです。
 「評価書」は、分厚い上中下の三巻ですが、潮流変化の計算ができていないので、「水の汚れ、地形、海草、ジュゴンへの影響」などの考察が嘘になっています。大部分になってしまう。
 また飛行ルートに虚偽記載もありました。

 それから重要なのが、滑走路の長さ、これまで1,800mと表記していました(1,600mが滑走路でオーバーラン部が前後各100mあり、合計して1,800m)。ところが今回の「評価書」では「滑走路は1,200mであるが、オーバーラン部は滑走路と同一の荷重支持能力となるように建設する」としました。前後300mをオーバーラン部とし、滑走路長は1,200mであると。何となく滑走路が1,200mと短くなったという印象、誤解を与える表現です。何も変わりません、実に姑息なごまかしです。滑走路オーバーラン部は非常用なので、通常滑走路強度の半分程度でいいのですが、オーバーラン部も滑走路部と同一の強度とすると記載しています。そうすると、「南の浅い場所に滑走路をさらに伸ばしていくことを構想してる」と疑わなくてはなりません。

 2月20日に「知事意見」が出ましたが、答申案と比べてみると、より「厳しく」なっています。つまり、環境影響審査会の委員たちに、知事は諮問をし、学者たちが答申した。知事はそれを踏まえ意見を書いた。そうやって答申を厳しく出させた。そういう結果を獲得したのは、よかったと思います。
 みなさんの手元に配られていますが、沖縄県の環境政策課長が沖縄防衛局に行って、「知事意見」を提出している写真です。環境政策課長が片手で差しと出し、防衛局は両手でかしこまって受け取っている。
 琉球新報に紙面に「評価書」に対する厳しい「知事意見」が詳細に報道されています。意見書は全文掲載されました。
 
 虚偽記載をとがめる!

 沖縄県の環境影響評価条例57条「勧告、及び公表」というのがあり、「知事は、事業者が次のいずれかに該当するときは、当該事業者に対しその他の措置をとるべきことを勧告する」とあります。該当項目は「「方法書」、「準備書」、「評価書」、「事後調査報告書」その他、この条例に基づき作成する書類に、虚偽の事項を記載して送付し公告し、または縦覧に供した時」とあるのです。すなわち、虚偽の記載をしてはならないのです。

 そこで問題になるのが、「高見沢文書」です。

 この文書こそ、1996年当時日本政府がオスプレイ配備を知っていた証拠なのです。
 日本政府・防衛省は、オスプレイ配備を知らなくて記載しなかったのではなく、知っていたうえで「米軍回転翼機、および短距離離発着できる航空機機」と嘘を書いた、虚偽の記載をしたことを、私たちはちゃんと見抜かなければならないし、厳しく追及していかなければなりません。

 2008年10月、国会で山内徳信議員が高見沢氏に質問

 ジュゴン訴訟で在日米軍司令官が発行したいわゆる「高見沢文書」。沖縄県民への想定される質問に対する回答例が準備されていて、この文書について、2008年10月、参議院外交防衛委員会で、山内徳信議員が高見沢防衛施設局長に(当時)質問しました。

 山内「沖縄へのMV22オスプレイ配備に関する質問想定書という文書がありますが、その想定問答集をつくった記憶が、高見沢さんに今もあるかどうかお尋ねします。」
 高見沢証人が、「お答えします。オスプレイの問題につきましては、・・・」とだらだらと答えようとするのを、山内議員が「簡単に答えてください!記憶があるかどうかです」
 高見沢「はい、96年当時米国が具体的に沖縄に配備するという話が合ったわけではありませんけれども、その当時からオスプレイというのはすでに開発中でございまして非常にさまざまと議論がございました。」
 山内「簡単にやってください」
 高見沢「報道がございましたので、当然日米間で真剣なやり取りをしていたという記憶があります」
 わけのわからない答弁です、高見沢氏は何とか答えるのを避けようとしています。

 浜田防衛大臣は、米軍内部文書と答弁した。

 山内徳信議員が当時の浜田防衛大臣に、「大臣、こういう隠ぺい体質でいいんですか? お答えください」と聞いた。すると、浜田大臣は「当該資料は96年当時に、米側の視点で記述された米側内部の文書であります。防衛省としてはその内容についてコメントするのは適当ではないと考えているところであります。」
 浜田大臣は、米軍内部文書と証言した。本当に、米軍内部の文書であるかないかが一つの焦点になっています。

 3月5日、高見沢氏 尋問

 3月5日、「辺野古の環境アセスのやり直しを求める裁判」で、高見沢氏を証人尋問しました。琉球朝日放送で次のように報道しています。

 (アナウンサーA)「辺野古の環境アセスのやり直しを求める裁判のなかで、オスプレイ配備計画の日米合意を当初から知っていた当時の防衛庁の実務担当者が証人として出廷しました。」
 (アナウンサーB)「様々な不備が指摘されている今回のアセスですが、なかでもオスプレイの配備について、もしも国が意図的に隠していたとなれば、それは重大なアセス法違反になるわけです。その鍵を握っている証人の高見沢氏とは、・・・現在、防衛研究所所長を務め、県出身国会議員がたびたび追及してきた人物です。」
 山内徳信参議院議員「非常に読みづらいんですが、Mr. Takamizawaとなっております。こういうオスプレイ配備を伏せておいて、環境アセスの「方法書」から「準備書」には、まったくオスプレイのことを書いておりません。」
 高見沢「当時からオスプレイにつきましてはいろんな可能性が議論されていたことがございますので・・・」

 (アナウンサー)「1996年のSACO合意の直前、日米のワーキング・グループで日本政府がオスプレイをどう扱うか、アドバイスを求めていたことが文書で明らかになりました。そしてこれがSACOの最終報告の五日前、Mr. Takamizawaから在日米軍に渡されたと書かれているいわゆる「高見沢文書」、沖縄に説明するためのオスプレイ問答集までも検討されていました。オスプレイの騒音はどのくらいなのか? 1,500mの滑走路とはオスプレイの配備を想定しているのか? 海上施設は普天間飛行場の移転先として考えられたものなのであくまでもヘリポートである。SACO合意直前にここまで想定されながら、最終合意の発表にはオスプレイの「オの字」もありませんでした。」

 (アナウンサー)「1996年の普天間返還が決まった年に、ここまでオスプレイが語られていたことは驚きですよね。正式に発表されたのは、2011年です。アセス手続きが2007年にはじまって、「方法書」から「準備書」、「評価書」と去年12月の時点で提出されましたが、それを去年6月に(日本)政府は、アメリカ国防総省発表を受けて、正式な通知としています。ですから、「評価書」にしか間に合わなかったという立場をとっているわけです。
 でもこちらをご覧ください。2006年5月の時点で、沖縄に駐留するアメリカ軍のトップであるウェーバー四軍調整官が、次のように発表しています。
 ウェーバー四軍調整官「2014~2016年にはオスプレイを沖縄に配備する計画である」

 (アナウンサー)「はっきり配備すると言っています。それが2006年ならば、2007年からはじまったアセスの文書に記載されなければなりません(が記載されていません)。記載できたわけですよね。辺野古の海上闘争があったこの時期、そのずうっとさかのぼって、沖縄サミットからさらにさかのぼって、このアメリカ兵の(少女)暴行事件があった直後の、SACO合意の時点(1996年)で、高見沢さんは、この文書を書いているわけです。いわゆる高見沢文書と呼ばれている、いろんな問答集を書いています。そうしますと、この長い年表の15年間、沖縄県民はオスプレイ配備について、欺かれていたことになります。それを聞きたいので高見沢さんを証人として呼んだわけです。担当の山城記者に聞きます。山城さん、この証人について原告はかなり期待値も高かったですよね。」
 (山代記者)「そうですよね。裁判を始めてからずっとアセス手続きの不備を指摘しながら、国を相手に地道に裁判を続けてきましたから、なかでも一番大きなオスプレイの「後出し」については、一歩も引けない覚悟で臨んでいました。昨日の様子をご覧ください。」

 (真喜志さん)「在日米軍司令部に、沖縄の人にはオスプレイ配備は隠しておいてくれと言う趣旨の文書を持って行った人の尋問ですから、大変楽しみです。」

 加藤弁護士(辺野古の環境アセスのやり直しを求める裁判 弁護士)
 「国会でも、のらりくらりと対応してきた、それを市民の側が引きずり出して、法廷という真実を述べ証言するという場で明らかにさせている、ことは大きな意義があると思っています。」

 当日の尋問の様子(琉球朝日放送による)

 加藤弁護士「あなたはSACO合意の実務担当者でしたね。」
 高見沢「はい、私以外にもたくさんの人が関与していました。」
 加藤弁護士「SACO合意以前にオスプレイ配備について議論になっていたのは確かですね。」
 高見沢「議論の定義にはいろいろあるかと思います。」
 加藤弁護士「議論はあったけれども、最終合意ではオスプレイについて触れなかったということですか?」
 高見沢「少なくとも1996年当時、オスプレイは開発中で、どういった配備をするかという議論ではなかったと思います。」
 加藤弁護士「96年は開発段階だった。しかし、2005、2006年にはアメリカはオスプレイの量産体制に入りましたね。」
 高見沢「2005年9月からだったと思います。」
 加藤弁護士「それを方法書に記載しなかったのはなぜですか?」
 高見沢「直接担当ではないのでお話することはできません。」

 (山代記者)「昨日は、高見沢証人は、核心に迫るとこのように証言を避けていました。本人の名前が書かれたオスプレイのステイ問答集への関与については加藤弁護士が厳しく迫りました。」

 加藤弁護士「オスプレイの想定問答集をつくった記憶があるかないかについて、山内議員に対して、そういう議論をしていたと答えていますよね。」
 高見沢「そういう意味ではない」
 加藤「そう答えているじゃないですか」
 高見沢「国会の質問には、いつもそのまま答えるわけではないですから。」
 加藤「はぐらかす、ということですね。浜田大臣は、高見沢文書はアメリカの内部文書と答弁していますが、その通りですね。」
 高見沢「ちょっと、暑いのでクーラーが、・・・」
 加藤「この5枚はすべてアメリカ側の文書である、という認識でいいですね。」
 高見沢「その質問は、承認された尋問事項をはずれますので答えられません。」

 (山代記者)尋問が終わってから、高見沢さんに、「最初からオスプレイと書いていたほうがよかったではないですか?」と聞いてみましたけれども、回答せず、足早に帰っていきました。

 (加藤弁護士)「こういう日米の安全保障、防衛協力の問題になってくると、アセスの民主性がないがしろにされている、踏みにじられ台無しにされていることが明らかになったんではないでしょうか。」

 (山代記者)「昨日の高見沢証人の証言は、「さすがにそつがない官僚」という印象を受けました。住民の疑問にはできるだけこたえたいという誠意は感じられず、これでもまだ隠そうとする姿勢が、裁判官にどのように映ったかですね。やはり、もっと以前から情報を開示して民主的にアセスをすすめる道もあったのではないかという、疑問が残りました。」
 (アナウンサー)「それにしても、外交とか防衛の実務を担当する役人を、県民が追及していく今回の構図は、これまであまり見たことがなかったですね。」
 (山代記者)「そうですね。防衛の問題でアメリカ政府と交渉にあたる官僚は、少なくとも県民よりもアメリカの事情を優先してきたのは、高見沢さんだけに限らないんですが、彼の個性だけの問題だけではない(全体的な傾向であろう)か、と思います。こういう仕事が県民を苦しめるのではないでしょうか。住民から訴えられ、昨日のように「後から問われる」こういう構図自体、今までなかったものですね。そういう意味では画期的な出来事だと思いました。」
(以上:琉球朝日放送から)
ーーーーーーーーーーーー

 高見沢はなぜ答えられなかったのか?

 高見沢証人が「その質問は承認されました尋問事項を越えますので答えられません」と答弁した意味は「公務員には守秘義務がある」と言っているのです。今回の裁判の裁判長から防衛大臣に対して事前に、「防衛研究所長である高見沢を尋問するが、尋問できる範囲を示せ! どこからどこまでが守秘義務か?」と問い合わせをしていて、高見沢証人は、「そこから外れるので、答えられない」と言いたいのです。
 高見沢証人は、「高見沢文書」が米軍の内部文書であるかという質問に対しては、イエスかノーの二択の答えしかありません。

 「イエス」と答えると、「良心にしたがって真実を述べ、何事も隠さず偽りを述べないことを誓います」という裁判冒頭の宣誓に反してしまい、彼は偽証罪となる。
 「ノー」と言えば、「高見沢文書」は、日本側が作成したという本当のことを言うと、アセス手続き違反になる。アセスの「方法書」にも「準備書」にも書いてなかった、という虚偽記載となり、アセスが破綻していくことになる。

 高見沢氏は、「イエス」も「ノー」も答えられないわけで、結局彼は、証言を拒否したことになるわけです。
 証言拒否は、理屈の上で考えると高見沢文書=想定問答集を送ったことを自白しているようなものです。私たちはもっと声高に、どんどん言わなければならない、東京でも言ってほしい、国会でも追及してほしい。

 沖縄の運動の現場、アセスの戦い、アメリカでのジュゴン訴訟、今ひとつになって渦を巻きはじめた

 敵は日本政府である、官僚と政治家です。アセス手続き法が、実は私たち住民の側の武器にもなることを確認しながら、官僚の嘘、政治家の嘘を、許さない闘いをすすめていく。
 「埋め立てに関する知事意見」は、これから出てくるわけですが、見守りつつ、「厳しい知事意見」が出た時に、もはや海上基地構想は前には進めない!ゼロオプションを求めていくぞ! という世論もつくっていく。アメリカにもそれを伝えていく。そんなことができればと思います。沖縄の運動の現場でのこと、アセスをめぐる戦い、アメリカでのジュゴン訴訟、それらが今ひとつになって、渦を巻きはじめたと思います。
 頑張っていきましょう。


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3・10 沖縄集会 上原成信さんのあいさつ [沖縄、基地反対]

 3・10 沖縄集会
 3月10日19時~、東京仕事センターで、辺野古の基地建設を許さない!3・10集会があり、参加しました。上原成信さんのあいさつを紹介します。

 上原成信さん 一坪反戦地主会関東ブロック 代表してあいさつ
120310 挨拶する上原成信さん 一坪反戦地主関東ブロック - コピー (320x213).jpg
<「一坪反戦地主関東ブロック」を代表してあいさつする上原さん>

 皆さんこんばんは、お久しぶりの方も何人かいらっしゃりますけれども、顔はわかるけれども名前を思い出せない方が多くあって、失礼になるかもしれませんが、今日は一坪反戦地主会の代表ということで、主催者あいさつをやれということになりまして、挨拶します。

 一坪反戦地主の方が何人いらっしゃっているかわかりませんが、近頃、一坪反戦地主もだいぶ数が減っています。というのは、一坪反戦地主関東ブロックは、1983年6月23日に中野区の野方青年会館で結成大会をやりましたので、もう30年くらい経っています。30年もたつと、反戦意識に燃えていた青年も歳をとります。60歳だった人はもう、90歳になっていますからねぇ、だいぶ数も減っていて、私もそのうち消えていくでしょう。そんな段階です。

 話が横にそれるが、一坪地主が亡くなると防衛省が勝手に子供たちに相続手続きをやるんですよ。「なんで勝手にやるんだ!」と抗議します。「ちゃんと地主の意見を聞きなさい、子供たちは相談して、誰かに遺産相続をしようということになるかもしれない。」

 ただねぇ、遺産相続といっても、わたくしどもの持ち分は、私の場合で約60㎝平米くらいなんですよ。一坪地主とはいってはいるけれども、まあ座布団地主ですね。でもね、私どもは、資本主義社会で最も重要な所有権、土地の所有権を持って、国家がちゃんと登記して、権利を守ってくれることになっております。憲法にはっきりと書いてある通りです。私有財産制の世界はそうなっています。
 そのような点では、一坪地主は、非国民として登録されている一面と、憲法が私たちの権利を守ってくれるという両方の面があります。

 こんな話をしてもしようがありませんねぇ。今日の主催は、一坪反戦地主関東ブロックと辺野古実行委員会、これも七、八年なりますか、毎月防衛相省まえで、「辺野古の基地建設をやめろ! 高江のヘリパッドもつくるな!」と毎月やっております。海上で闘争があり櫓へみんなが陣取って戦った時には、毎週防衛庁の前でやっておりました。

 その甲斐あって、現在の日本政府はガタガタになってきておるし、アメリカ政府自身が、「もう辺野古はむりかなぁ」と言い出しております。アメリカも軍と議会とが対立して、金を抑えられた軍はなかなか動きにくいようなところも出てきました。

 わたしは、今ね、私どもの運動が山場にかかっておって、ここで私たちがしっかり押し切れば、アメリカは太平洋の向こうに行く。また日本の国は中国とことを構える必要はないわけで、なかよくやりましょう、貿易をしっかりやっておるわけですから、そういう世の中に持っていける。そこに私どもの一つの役割があると思いますので、しっかり頑張ってまいりましょう。

 これからのことを何か言わなくてはいけないかもしれませんが、司会の加藤さんが最近のことを言ってくれましたし、みなさん最近のことは十分ご存知だと思いますので、私が重ねてゴタゴタ言うことはないんで、今日は皆さん、真喜志さんがみんなさんにアピールしたいと来ています。彼の苦労話や手柄話をしっかり聞いたうえで、一緒に楽しい運動をやってまいりましょう。

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 比最高裁判事、比国会で弾劾! [フィリピン元「慰安婦」]

 比最高裁判事、比国会で弾劾!

 0)はじめに

 フィリピンでも、戦時性暴力被害者団体であるマラヤロラズが、「フィリピン政府は被害者の人権回復のために日本政府と交渉すべきである」ことを比最高裁に訴えました。しかし、韓国とは違って、棄却されました。しかしその棄却判決に当たり、最高裁判事が国際的な論文を出所も明記せず、判決文にコピーして使用しました。しかもその趣旨をまげて引用したのです。比最高裁の権威は地に落ちました。フィリピン大学法学部教授37名が連名でこの「剽窃」を批判する声明を出しました。しかし最高裁は判決を剽窃したカスティーリョ判事を擁護しました。そのことが比国会で問題になり、比国会で弾劾が行われています。公聴会の様子の報告が、カイサカ議長ヴァージニアさんから来ました。

 1)2月14日比議会公聴会 

 2011年2月14日に、比議会の公聴会が持たれ、更なる証拠を確認して提出するために、ロラたちが原告として召喚されました。

 最高裁判事マリアーノ・デル・カテーリョに対する弾劾告訴の件

 まず確認しなければならないのは、マラヤロラズが比最高裁に対して提起した比国外務大臣に対する職務執行義務確認訴訟において、最高裁判事マリアーノ・デル・カステーリョが判決を書くにあたり論文の「剽窃」を行ったという点です。

 政府の職務執行義務確認訴訟においてマラヤロラズが訴えたのは、心からの謝罪に値する戦時性暴力という悪行に対して、比政府が国民を代表して被害者たちが求める正義を実現するため、比政府が比外務省に(日本政府に要求交渉を)命令する職務執行義務の履行をすべきだということです。

 2)比最高裁の棄却理由

 比最高裁に対する訴えは、以下の理由で棄却されました。
 a)比政府はすでに1951年に賠償協定を日本政府との間で締結した。
 b)最高裁は、政策執行機関にのみ定められた政策執行以外に、命令する権限がない。
 c)ロラたちが訴えた内容の請求は、国際的な法理となっていない。

 以上の判決文を書く時に、最高裁判事マリアーノ・カスティーリョは、第二次大戦中の被害者の苦しみを実際には支持している国際的に認められた著作家、学識者であるエリス、フォックス、タムス等の著作から「剽窃」したのでした。

 「剽窃」であったという理由で、再審理の請求と、追加の再審理請求が起されました。

 追加の再審理請求では、私たちは、文字通りの言葉を直接コピー(即ち剽窃された)32箇所を判決文の中に指摘しました。国際的な著作者の著述のコピーを、カスティーリョ判事は、前置きも原典に対する引用紹介もなしに、使ったのです。

 このように、問題は単なる「剽窃」の問題だけではなく、これらの原典となった著作本旨の歪曲と論理的な結論を罠に陥れるものです。
 もしこれらの著作の真実の文脈で使用されるなら、最高裁は訴えを認めるべきということになるのです。

 3) 責任逃れする最高裁

 マラヤロラズを打ちのめした棄却判決のなかで、最高裁はロラたちの痛みと苦しみを感じ、分かち合っていると述べました。しかしそれは言葉だけでした。
 再度確認しますが、最高裁は法的な被害回復義務の責任を明確に回避したのです。

 最終的な審判者であり、最終的な正義の砦と呼ばれる最高裁に正義を与えるのを拒まれたら、一体ロラたちはどこに行けばいいのでしょうか?
 最高裁は最終的には、「一方で『剽窃』は存在するが誠意を持って書いたのだから、同じことだ」と語ったカスティーリョ判事を免罪しました。最高裁は欺いたり「剽窃」したりすることは、かまわないというのです。このような判断は、明らかに間違っています。

 前述したように、ロラたちは数人の議員と共に、弾劾訴追を訴えました。下院の法務委員会は、訴えは形式的にも実質的にも十分であると認めました。そして、2012年2月14日の審理においては、双方が更なる証拠が(もしあれば)述べる公聴会が開かれたのです。

 4)公聴会でのロラの発言をめぐって

 公聴会のなかでロラたちは、次のように質問されました。「あなたたちは、訴えを提出するなかで、本当は何を求めているのか?」
 ロラたちは答えました。「私たちの正義を求めているだけです」と。
 質問されたのは、判事を追い出したいのかどうかでした。ロラたちは「いいえ」と答えたのです。「判事は悪い行いを正すべきである」と言い直しました。

 ロラたちは後で、判事が自身の間違いを修正しないならば、同じ間違いが繰り返されるのを避けるために、彼が最高裁から追い出されるのは正当で、またふさわしいことであると、説明しました。
 その時、少なくとも 3人の議員が、質問の脈絡からでたロラたちの言葉の意味を問いただし、ロラたちが訴追の要であったカスティーリョ判事の罷免を、本当は望んではいないと、ねじまげて解釈しようとしたのです。

 弾劾訴追を上院に提出するに当たり、相当する証拠があるか、あるいは相当する事件かどうかを決める投票が、2012年2月20日に予定されています。

 連帯して、2012年2月24日
 カイサカ議長  バージニア・ラクサ・スアレス

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3/2 「慰安婦」問題の解決を求める集会 [元「慰安婦」問題]

 3.2院内集会&市民集会の報告

 日本軍「慰安婦」問題、
 日本政府は解決せよ!! 
 韓国政府との交渉に応じよ!

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

DSCN0565 (240x320).jpg

 昨年8月の韓国憲法裁判所の決定を受け、韓国政府は9月15日と11月15日の2度にわたり、日本政府に日本軍「慰安婦」問題にかかわる二国間協議を申し入れましたが、日本政府は拒否し続けています。12月14日には、ソウルの日本大使館前で20年間続けられてきた水曜デモが1000回目を迎え、韓国や日本、世界各地で様々な取り組みがおこなわれました。直後の12月18日の日韓首脳会談では李明博大統領が「慰安婦」問題の優先解決を求め、野田首相に強く迫りました。「慰安婦」問題解決のチャンスがおとずれているのです。しかし、日本政府は解決の意思を示さずごまかし続けています。

 韓国から韓国挺身隊問題対策協議会(以下:挺対協)の尹美香(ユン・ミヒャン)代表が来日し、3月2日、参議院議員会館での院内集会で、また夕方韓国YMCAでの市民集会で、水曜デモ1000回以降も活発に続けられている韓国での活動、韓国政府の積極的な対応や世論などについて報告しました。

 
主催:日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010
 
協力:戦時性暴力問題連絡協議会


 集会に参加しましたので、報告のまとめを下記に記します。(院内集会での発言と夕方の集会での発言との両方からまとめましたので、正確に発言の通りではありません。また小見出しを付けましたし、聞き漏らしたこともあるでしょうから、当文書の責任は文責者にあります。 文責:林 信治)

◆報告と行動提起
  尹美香(ユン・ミヒャン)韓国挺身隊問題対策協議会常任代表

 韓国政府の動き

 韓国政府は2005年に日韓条約交渉関連文書を全面的に公開して、「慰安婦」、原爆被害者、サハリン残留者の問題は解決していないという立場に転換しました。国連でもそのように演説しました。ところがこれまで韓国政府は、日本政府と交渉ではその立場を強く主張しませんでした。

 そこで私たち挺対協は、2006年に憲法裁判所に訴えました。判決が出るまで長い時間がかかってしまいましたが、昨年8月30日に韓国憲法裁判所は「韓国政府が日韓両政府の解釈の違いを放置していることは違憲である」という判決を出しました。

 他方、日本軍「慰安婦」被害者ハルモニたちと支援者は、この20年間、日本大使館前で「水曜デモ」を行い続けました。また世界中をまわって訴え、アジアと世界に人権のきづなを築いてきました。しかし、日本政府は、何の反応もしませんでした。話し合いをしても、「自分たちの聞きたい話のみを聞く」という姿勢でした。

 しかし、昨年一年間は、憲法裁判所の判決を機にこの運動が世界的に盛りあがり、政治的問題になりましたし、李明博大統領自身がこの問題に言及して、「経済問題よりもまず先にこの問題を解決するべきだ」と発言するまでになりました。

 昨日は、大韓独立万歳を叫んだ3・1独立運動 93周年の日でした。この日には必ず大統領が記念の演説を行います。歴代大統領は歴史問題については言及しましたが、昨日の李明博大統領のように、「慰安婦」問題の解決を演説で求めたのは、初めてでした。
 政治家・李明博大統領がこれまで言及しなかったのは、この問題について知らなかったから言わなかったのではありません、今回はどうしても言わなければならない、そういう政治的な状況にあることを認識したからだと思います。

 それを促したのが、まさしく昨年8月30日の韓国憲法裁判所の判決でした。
 「韓国政府が、「慰安婦」問題解決のために積極的に外交措置をとらないことは違憲である」という韓国憲法裁判所の判決は、「慰安婦」問題が今後どのような波紋を起こし、日韓のあいだで焦点になっていくか、ということを予見していました。

 12月14日「水曜デモ」1000回では、日本でもたくさんの連帯行動をとっていただきました。全世界9か国44都市で、「日本政府にたいして「慰安婦」問題を解決せよ!」という声があがりました。
 韓国の「水曜デモ」1000回集会には、韓国の政治家たち、与野党を問わず非常に大勢参加しました。また韓国では芸能人たちが、「ハルモニたちが1000回もデモを行っているのに、なぜ日本政府はこの問題を解決していないのか!」と声をあげました。

 憲法裁判所判決が出た後、もっともはやい動きをみせたのは韓国政府自身でした。挺対協では韓国政府の動きを、ずっとモニタリングしてきたのでよくわかります。
 韓国政府が最初に行ったのは、タスクフォースチームをつくり、さらに民間人を集めタクスフォースチームに対する諮問委員団をつくりました。この諮問委員団は、すでに日韓条約の仲裁委員会にまですすむ可能性を予見して、構成されています。

 韓国政府は9月15日と11月15日の2回にわたって日本政府に対して二国間協議を申し入れました。
 また韓国外交通商部長官が、みずから被害者に直接会いたいと申し出て、被害者との面談を実現しました。その面談では、言うまでもなく、ハルモニたちから長官が怒られるという状況になりました。そして、12月18日の日韓首脳会談では李明博大統領が、たいへん強い調子で「慰安婦」問題の解決を迫りました。そして昨日の3月1日、3・1節の大統領声明に至るわけです。

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<韓国・挺対協ユン・ミヒャン代表>

 韓国国会、政党の動き

 今、申し上げたのは韓国政府の動きです。韓国国会のほうも早い動きを見せています。まずまっさきにセヌリ党(現在はセヌリ党という名に改称した与党のハンナラ党)が、党内にタスクフォースチームをつくりました。チョン・モンジュン議員がこのタスクフォースチーム結成に積極的に尽力されました。1月30日には第一回タスクフォース会議が開かれ、私もそこへ参加しました。その時にチョン・モンジュン議員はこのように言いました。

 「憲法裁判所判決は、行政府に対してのみ責任を追及したものではない、それは立法府に対する責任追及でもあった。なぜ今まで国会が、政党が「慰安婦」問題解決のために積極的に動かなかったのか、という責任を問うたものでもあるのだ。今になってやっとセヌリ党(当時はまだハンナラ党)がやっとタスクフォースをつくったことに対して、被害者や国民に対して大変申し訳ない。そして4月の総選挙が終われば、韓国国会のなかに、日本軍「慰安婦」問題特別委員会を設置したい。」

 セヌリ党(ハンナラ党)のチョン・モンジュン議員が「慰安婦」問題に対してこのように強い関心を持つのか、みなさん少し疑問なのではないでしょうか。
 チョン・モンジュン議員は90年代はじめに、日本人被害者としてはじめて名のりでた白田すずこさんの証言に触れて、そのなかの朝鮮人「慰安婦」についての証言について、韓国国会で質問をしたそうです。
 その後、チョン・モンジュン議員はアサン財団に関係が深い人ですが、この財団が被害者たちを南北雪解け時に金剛山観光に無料で招待してくれたり、95年以降は被害者たちは生涯、アサン財団の病院で、無料治療を受けられるような措置をとってくれたりしました。チョン・モンジュン議員は保守の与党保守系のハンナラ党所属であり、あまり広くそのことが注目されなかった事情があります。

 韓国の最も進歩的、革新的な政党である統合進歩党は、今年1月3日に日本の各党代表に対して、「この問題の立法解決をはかってほしい、また法的な賠償をするように日本政府に働きかけてほしい」という要請書を送りました。
 また2月27日、つい最近ですが、セヌリ党も党非常対策委員会の名前で日本の各政党に対して、「この問題の解決をはかってほしい」という要請書を提出しています。


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<少女像、ミニチュア>

 日本政府、日本大使館の対応

 韓国政府ではこのように外交通商部が動きをみせ、また韓国国会でも非常に積極的な動きをみせており、また国際的にも関心が高まっています。しかしながら、残念ながらもっともこの問題を深刻に受けとめ、もっとも活発に議論すべき日本国会ではほとんど議論がなされていません。また、対応がなされていません。韓国政府の二国間協議を求める要請にも、日本政府は全く応答せず、拒否をしている状況です。

 2月13日には、日本大使館の参事官が私たちの挺対協事務所を訪れました。野田首相が、「人道主義的な見地で知恵をしぼりたいと言ったことに関しては、日本政府として重く受け止めている」と言いながら、「現政府の状態においては、「アジア女性基金」以上の措置を出すことは難しい」とも言いました。

 「もしもこの問題が、日韓条約第3条に基づく仲裁委員会に持ち込まれたら、被害者たちはまず自らに賠償請求権があるということから証明をしなくてはならなくなるだろう。日本政府はこれまでに何度も文書調査を行ってきたが、政府・軍が強制連行したという証拠文書は見つからなかった。民間業者を周旋人として利用したという文書は見つかった。政府がそれを利用したという文書もあった。」つまり、「国の違法行為はなかった、したがって被害者たちに賠償を請求する権利はない、そのことが仲裁委員会で明らかになるだろう」ということを言いたいのだろうと思いました。みなさんそう思いませんか。私は言いました。「あなたの言っていることは安倍元首相が言ったこととまったくいっしょだ」と。

 2月29日、私が日本に来た日ですが、ソウルの日本大使館側が、ウスキケイコさんと一緒に被害者3人と日本大使館で会っています。私の知るところでは、ウスキケイコさんは「アジア女性基金」の後続措置を行う財団で活動していると聞いています。年に何度か韓国を訪問し、二、三人のハルモニを招いて一緒に食事したりして、そしてそれが日本政府によるILOへの報告書に書かれています。ILOへの報告書に書いて、日本政府としては「アジア女性基金」で措置を行ったし、その後も後続措置を行う財団をつくって、このようにハルモニたちの治癒のための活動、訪問活動、またハルモニたちと一緒に出かけるというそういった活動を行ったということなんです。

 2月29日、日本大使館での会合でどのようなことが話し合われたか、まだわかりません。日本大使館からの公式な話の内容を確認したいと試みていますが、まだ話はできていません。参加した被害者ハルモニから聞いたところによると、「日本政府がお金を準備したら、受け取るか?」と質問されたそうです。これが日本政府のやり方です、一つの顔です。

 ところで、みなさんは雑誌『WILL』を御存知でしょうか? 買う必要はありません、どんなことが書いてあるかは、わたしがこれから紹介します。表紙に、「売春婦を国民の代表に押し立てた韓国政府」と書かれています。書いたのはサンケイ・黒田韓国支局長です。
 その中身をみますと、「日本軍「慰安婦」被害者に対して韓国政府が保護するということ、また韓国社会が被害者たちを非常に尊重して、すごい存在であるかのように扱うこと自体が、たいへんおかしい、韓国社会が変な社会である」という内容が書かれていました。

 わたしはそれを見ながら、これは韓国社会をすごくほめている気がして、笑ってしまいました。性暴力被害者に対して、女性の人権を著しく侵害された被害者に対して、侵害した側の日本の雑誌が「売春婦」と呼び、また「国民として扱わず、表に出ないで後ろに下がっていてこそ、彼女たちをクローズアップさせないことこそが正常な国家のあり方だ」と、平気で雑誌に書いています。日本社会のもう一つの断面を目の当たりにして、わたしは韓国人女性としてだけではなく、一人の女性として、本当に憤りを感じました。これに対しては「強い対処」を行うことを決めています。
 こんな宣伝に対して、アジアの全被害者たち全員が連帯して対応すべきです。日本の右翼の宣伝を放置していたら、あるいは単に感覚的にだけ受け取っていたら、よけいにはびこっていくでしょう。
 韓国の場合は、権力に対して、権力寄りのメディアに対して、市民団体が非常に強力に反対の意思を表示します。挺対協も同様です。

 最近、インターネット上で「慰安婦」被害女性に対して「売春婦」呼ばわりしたネットユーザーを告訴しました。そのように大衆媒体のなかで私たちの声を反映させていくことも私たちの役割だと思っています。

 ところが日本では良心的な声が大衆的な媒体で扱われることがあまりないようなので、私たちの声が広がっていかない状況があるのではないでしょうか。みなさんはソーシャルネット活動をどれだけやっておられるでしょうか。韓国ではSNSをとおして権力に対する批判、また大衆メディアの間違いをただす活動を本当に活発に行っています。


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<集会の様子>

 今後の課題

 そろそろ時間もないので、残る課題について考えてみたいと思います。
 先ほど韓国・外交通商部がタスクフォースチームをつくり、その諮問委員団をつくるときに仲裁委員会に最終的に行くことまで念頭において諮問委員団を選んだことについて申し上げました。
 2月15日、わたしたちは外交通商部の前で、被害者ハルモニたち、挺対協の関係団体とともに、記者会見を行いました。

 外交通商部に対して、「日韓請求権協定の第三条に従って早く仲裁手続きに入ること、二国間協議を日本政府が引き続き拒否している段階で、これ以上法的責任の究明が遅れてはいない、時間がないのだ」ということを非常に強く要望しました。
 もっとも、仲裁に回すことに対して日本政府が拒否することは可能です。また、仲裁委員会に進んだ場合には、日韓の問題にとどまらず、すでに国際的な問題ですので、国際的な裁判の様相を呈することになるのではないかと思います。

 日本の官僚のなかには、仲裁委員会に持ち込むなら日本政府が絶対に勝つと言っている人もいます。しかし、国際的には、例えば国連でも、「「慰安婦」問題は日韓請求権協定のなかには含まれていない、解決していない」という勧告が出ていますし、このような重大な人権被害者の請求権を国家が消滅させることはできないことは、もはや明らかな事実だと思います。

 また、韓国政府が、日韓関連文書を全面的に公開し、自信を持って発表したのは、「日本軍「慰安婦」被害者たちの法的な権利は残っている、「慰安婦」問題に関しては、請求権協定の過程で言及されていない」という立場、主張に立ってのことでした。
 ところが、日本政府はいまだに日韓会談関連文書も秘密にして、公開していないではありませんか。(その主張に、政府自身が自信を持っていないからでしょうか。)

 ところが問題は、こんなことを繰り返していたら歳月が、いくらかかるかわからないということです。
 2010年に日本でも、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010がつくられて、日本全国で、また韓国でも、国際的にも、「日本政府は立法解決をする努力をせよ!」という声が高まりました。
 国家の責任を日本政府がきちんと認めて、公式に謝罪して、そのことを国民に対してきちんと公布して知らせて、アジアに対しても公布して、国際社会に対してもキチンと知らせる、そしてそのうえで法的な賠償を行うことが被害者たちの名誉を回復させることになります。
 そしてそれは日本国民の名誉を回復することになりますし、日本の右翼に対してきちんとした教訓を与えることになります。

 他のアジアの被害者の方たちも同じでしょうが、8月30日の憲法裁判所判決の後、韓国ではすでに6人の被害者ハルモニがなくなりました。

 ハルモニたちは、憲法裁判所の判決があった後、韓国政府が変わりつつあることを目の前で見ました。世界の人々の支持が広がっていると実感しました。また1000回の水曜デモで国際的にも熱い応援、連帯が寄せられていることを肌で感じて、非常に慰めを受けていると思います。キン・ボットンハルモニの言葉を引用して言うならば、「胸の中の大きな重いつかえが、スーッと抜けていくような感じがする」ということでした。
 今まできちんとした国民として扱われたことが一度もなかったのに、このように国民として外交的な保護を受けているということから、ハルモニたちが少しずつ自分たちの名誉が回復されているという実感を得ているのだと思います。

 私たちは運動の過程で変わりました。とともにハルモニたちも変わりました。ハルモニたちが社会に触れたからでしょう。世界が広がったのです。女性団体、労働組合、高校生、いろんな市民と知り合いになりました。それとともに今戦時下で被害を受けている女性たちの姿まで見えてきたのです。
 挺対協がすすめているのは、基地まわりの女性たちとの連帯です。ピョンテクに私たちと一緒に行ったのです。
 ハルモニは「あんたたち、口を閉ざしていても何も解決するわけではない。」ピョンテクの女性たちに言ったのです。そのピョンテクの女性たちが水曜デモに参加しました。20人の女性たちが参加しました。最初、ハルモニがそうであったように、みんな深々と帽子を冠って参加しましたが、次に参加した時には帽子をとっていました。
 水曜デモでは、「ピョンテクから来ているハルモニだ」とだけ言われました。演説初心者だったのでそれだけしか言えませんでしたが、参加者は理解しました。この女性たちも「慰安婦」ハルモニとつながることで、広い世界とつながったのです。

 そのようなハルモニたちがきたる3月8日、特別な記者会見を行う予定です。日本政府から賠償を勝ち取ることができたら、そのお金全額をコンゴで性的な暴力に会っている女性たちに寄付するという内容です。コンゴには性的暴力を受けたマシカさんという被害者がいて、自身が被害者でありながら、被害者たちを集めてその支援活動を行っています。マシカさんとその活動に賠償金の全額を寄付したい、彼女の活動を応援したいと言っています。
 このように被害者ハルモニたちの視野は広がり変わってきているのです。

 日本政府の対応を見ているとなかなか暗い気持ちになると思います。でも運動は最後まで、そして一生続けるものです。ですから疲れることなくこの社会を変えていくために、また日本の国会や政府を変えるためにいっしょに声を上げ続けていただくようにお願いします。そういった過程の一つ一つの瞬間が、ハルモニたちに元気を、勇気を、笑顔を与えることができると気づけば、みなさんもおそらく笑いながら、困難な環境のなかでも一つ一つ変化を起こしていくことができるのではないかと思います。
 頑張りましょう。

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バタアン労働組合連合の近況 [フィリピン労働運動]

 アンバ・バーラ(バタアン労働組合連合)のエミリーから、近況報告送られてきました。
 アンババーラ・スタッフも元気そうです。

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 <事務所前で、アンババーラ・スタッフ>

 バタアン労働組合連合の近況

 私(エミリー)はクリスマスの活動が終わったあとずっと故郷タルラックにいました。父は、私の息子に本当に会いたがっていましたが、かないませんでした。というのは息子はずっとマリベレスにいましたから。
 残念なことに私の田舎ではインターネット接続環境がよくありません。アンバ・バーラ(バタアン労働組合連合)のノートパソコンを持っていきましたが、メールを送ることはできませんでした。私はちょうど昨日(1月4日)、ここマリベレスに帰ってきました。

 以下にいくつか報告します。

 1.ペトロケミカル労働組合:
 ペトロケミカル労働組合は昨年7月に労働協約交渉を始めました。交渉は平和的に行われており、もう少しで終わりそうです。しかし経営者は最終的な問題で「労働協約締結」を拒否しています。

 たとえば、労資交渉で締結された労働協約に記されている3年間の賃金上昇、すなわち最初の年1000ペソ(日本円で約2000円)、2年目、3年目2000ペソの賃金上昇を、経営者は廃止しようとしています。12月の交渉で、経営者はすでに「賃金増加は認めない、もしくはすべての賃金増加が会社の財政状態に影響しない場合にとどめる条項」を労働協約に入れたがっていました。

 ペトロケミカル社は、イラン政府がオーナーです。 私たちは団体交渉において経営者が不誠実である理由で訴えを起こしました。この1月、労働組合員の何人かは全国調停委員会(NCMB)のオフィスで行われる公聴会に呼ばれるでしょう。

 2.シカップ
 シカップ(居住地域住民団体:以下SIKAP)は、議会決議を通じてマリベレス町役場とバターン州政府に認定されている「地域共同体組織」です。居住地域を基礎にした労働者と半労働者(定職がなく臨時の仕事をしている人たち)からなるSIKAPの主な要求は生活支援、福祉の拡充です。失業した労働者たちの生計支援、十分な医療、保険などは、町や地方政府行政の一部でもあるわけですから、この面から福祉行政拡充のために町や地方政府の予算を要求することができるのです。言い換えると、SIKAPのメンバーに利益をもたらすプロジェクト実施において私たちは地方政府単位のパートナーとなり得るのです。また、契約労働者たちの保護において、彼らもメンバーですので、契約労働者のために条例または決議を上げることが容易にできます。これは私たちにとって良い戦術です。
 SIKAPメンバーは増えつつあります、多くの人々が福祉拡充や保護を求めているのですから。ただし実際に要求を実現していくには時間がかかるでしょうし、容易ではありません。

 アンババーラのいくつかの労働組合は、今のところよい状態にあります。

 ここまでにします。
 新年おめでとうございます。カサナグの会のすべての会員ン皆さんに私たちの挨拶を送ります! 今年も私たちは、平和と平等のための闘いに強い気持ちをもって臨みます。

 連帯して、エミリー

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パルパランを告発せよ! [フィリピンで政治的暗殺が横行]

 フィリピンでは、労組活動家、ジャーナリスト、教会関係者などが、「オートバイに乗った二人組」によって暗殺(=フィリピンでは「超法規殺人」と呼ばれています)される事件が続いてきました。フィリピンの現状支配システムや支配層の意にそぐわないものは、直接的に暗殺してしまえ、ということがまかりとおって来たのです。

 アロヨ政権下でこの「超法規殺人」が増えました。軍が関与していることは公然の秘密です。
 「超法規殺人」そればかりではなく、軍が何人かを拉致し、拷問し、殺害した事件が何件もあり、その事実の一端が、最近に明らかになりつつあります。
 その実行者の一人、パルパラン元少将の告発が始まりました。

 アキノ政権がこの告発を最後までやりきるのか、国軍の腐敗をどこまで告発できるのか、注目されています。

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パルパランを告発し、「超法規殺人」犠牲者に正義を与えよ!

 メロ報告とオルストン報告を顧みる時だ!            
  KPD(民族民主主義のための運動)声明


 引退したホビト・パルパラン少将の名は、再び知れわたりました。以前のカダパン・エンペーノ事件で直接手を下した疑いがある上に、2006年6月26日拉致された二人のUP学生の違法な拘留の件で、起訴されたのはこの前の12月15日でした。

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<パルパラン元少将>

 進行中の公判を受けることをパルパラン元少将は拒絶しました。「法的手続き」と「法の支配」に対するパルパランの「根深い侮り」を、再び確認することができます。何しろ彼は「超法規殺人」(=暗殺)の執行者なのですから、法を侮るのは常識かもしれません。 彼の擁護者は、公正な裁判を求めています。 しかし、公判に応じるのを拒否して、どうして公正な裁判を行うことができるでしょうか?

 軍隊におけるパルパランの経歴は、左翼もしくはその疑いさえあれば、人々を抹殺し社会を「浄化する」「近道」(=暗殺、超法規的殺害)をとり、目に見えた「成果」、任務を達成した点に特徴があります。支配層にとって「有能な番犬」であると誇示しているかのようでした。
 彼の任務は、第204旅団のミンドロの指揮官(2001-2003)の時期、そしてサマールをベースにした第8歩兵師団の副地域司令官(2005年2月~8月)の時期、80年代後半の時期に、中央ルソンにおける段階的な締めつけキャンペーン中において、違法な逮捕、拷問と「超法規的殺害」を残しました。その後に、パルパランは『肉屋』の称号を得たのです。

 遅くても、しないよりはマシ

 カダパン・エンペーノ事件で司法省はパルパラン元少将を告訴しました。遅くてもしないよりはマシであり、歓迎します。しかし、それは「刑事免責の壁」に単なる「ピンホール」をつくったにすぎません。 パルパランが熱中していた「超法規的殺害」、「失踪と誘拐」の700以上の事件が他に存在します。その多くの事件はパルパランがノーザン・フィリピン(AFP)軍司令部司令官である間に起こりました。

 ノーザンノーザン・フィリピン(AFP)司令部におけるパルパランの任務遂行能力は、アロヨの対ゲリラ活動キャンペーン国家政策で鮮やかに例証されました。 彼が指揮を執っている間、人権侵害はイザベラ州、コンポステーラ・バレーと南部タガログ地域で起こりました。 任務を忠実に果たしたため、パルパランは2006年、The State of the Nation Address(SONA)の期間中にアロヨ大統領によってさえ称賛されました。

 悲しいことに、パルパランは発狂していたわけでありません。

 パルパランは、人権尊重、人権保護において「ひどい記録」を残し、軍の悪評を確立した執行者でありました。フィリピン支配層の忠実な有能な番犬であることを示し、自らの存在をアピールしたのです。すなわち、パルパランを雇った者たちが、その背後にいるのです。そのことも決して忘れてはなりません。

 国家機関、国軍が犯した殺害では、パルパラン以外にも手を下した者たちが存在します。いまだ告発されていない責任者たちが、国家安全部門に存在しかつ現在も勤務しています。法の支配と一般良識をまったくの無視する「無法」の「雰囲気」は、現在に至るまで、われわれ政府のなかに存在します。 制服を着たこれらの「肉屋」たちは、パルパランと同様に法廷で裁かれるに値します。

 「刑事免責の壁」、「不処罰の壁」の完全な解体こそ必要です。2006年メロ委員会報告書だけでなく、「超法規的、恣意的処刑に関する国連特別報告」フィリップ・アルストンによる2007年報告書に戻るべき時です。 当時でさえ、革新派や民主的な活動家の「超法規的殺害」、処刑が相次ぎ、責められるべき責任者としてパルパランは正確に指弾されていました。

 一般的にいって、政府内、軍内はびこる腐敗やアロヨによる選挙違反と司法制度の改革に対する「アキノ大統領の熱心さと情」は、人権侵害に関しては何も感じられません。過去の人権侵害被害者のために正義回復の歯車を回しはじめることができず、アキノ政府の軍隊は、人権を侵害し続けています。大統領の人権委員会が、2年後に人権計画実現を達成するには、程遠い状況です。

 パルパラン捕獲のぶら下がっている100万ペソの報酬でさえ、十分ではありません。

 パルパランを告発しても「刑事免責」で終わらせてしまうならば、内閣には警察と軍、他の法執行機関、その人材と職員を組織する力はないこと、それどころか内閣が「超法規的殺人」とその隠蔽に関与していることが直ちに明らかになるでしょう。最高裁判所長官レナート・コロナに対する弾劾訴訟を起こすうえでアキノ政府がどのように振る舞ったか、思い起こしてください。大統領自身が、人々の政府に対する不信に根拠があることを証明しました。 多分今は軍キャンプ内でパルパランを探す時でしょう。

 パルパラン事件の解決は、人権と民主主義遵守を公然と表明するアキノ大統領にとって、この先「政治的リトマス試験」となるでしょう。誰もが注目し、監視しています。誰もが見極めようとしています。
 人権侵害の他の被害者、犠牲者と遺族は、確かに報いを受けるに値します。

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「日本を捨てた男たち」 を読む [読んだ本の感想]

「日本を捨てた男たち」 を読む
 
水谷竹秀著 集英社 2011年11月30日発行

 
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 著者は日刊「まにら新聞」記者。取材に当たりマニラの日本大使館や近くの「結婚手続き代行事務所」を何度か訪れている。水谷記者を直接には知らないが「まにら新聞」は知っている、また日本大使館近くの様子や「結婚手続き代行事務所」の日本人スタッフを何人か知っている、そんな私たちにとっては、叙述の風景がいくつか目に浮かび何かしら近しい思いすら浮かぶ。

 本書はフィリピンの「困窮邦人」のレポートであり、現実を直視したリアルな叙述に特徴がある。フィリピンのことを語ると、つい何かしら面白おかしく伝えがちだし、聞く者に受け入れやすいようにある種のサービス精神を発揮してしまい表面づらの紹介に終わってしまうことも多々あるけれど、本書はそんな「甘さ」「いいかげんさ」を突き抜けている。

 「日本を捨てた男たち」は、フィリピンでホームレスになっている困窮邦人数人に対するインタビューをもとにしている。海外の困窮邦人の半数はフィリピンにいるそうで、「居やすい」らしい。著者は、フィリピン人が困窮邦人に親切に接する事例に突き当たる。どうしてだろうかと問いかける。この「秘密」を探ろうと書きはじめた。

 もっともホームレスになっている邦人であれば、インタビューしても本当のことを言うはずもない。仮に当人が本当のことを語ったとしても、真実とは限らない。著者もそのことはよく自覚していて、裏を取ろうと日本の親族を訪ねてもいる。親族の様子のほうが衝撃的なことさえある。この二つを合わせてはじめて日本を捨てフィリピンに逃げた男たちの実情が厚みと重みを持って現れてくる。

 フィリピン人はあっけらかんとしていてよくしゃべりよく笑いよく泣きよく怒る。考えてみればそのほうがむしろ当たり前だ。フィリピン人は人を「見かけ」や社会的地位で差別したり態度を変えたりしない。
 もっとも、フィリピンではすべてが理想的なのではない。ノープロブレムといいながら問題だらけだし、何度も手違いや失敗があってなかなか思う通りすすまない。決していいことばかりではない、それどころか貧困層が膨大に存在し、社会は問題だらけである。(著者はフィリピン社会とフィリピン人に対して好意的であってあまり批判的ではない。)

 その中で人々は生きている。何しろ失業者だらけなので失業しても人間関係を失うことはない。フィリピンの「密度の濃い」家族や人間関係は、そうでなければ生きてゆけない事情から来ている。また教会やNPOとかいろんな団体、人々の連合体が多い。もちろん人間関係があったって、貧困が解決できるわけではない。フィリピン人、フィリピン社会は決して「理想の姿」ではない。ただここでは孤立しない、人間が簡単に壊れない、居場所がなくなることはない、貧困に対抗して行く連合体がある、そう言っているのである。強引に解釈すれば、対抗する人々の連合体がなければ、人々はイキイキと生きていけない、当面する現状を認識し批判し告発できないと言っているようなのである。

 中高年の男が、小金さえあればフィリピンではチヤホヤされるのは「滑稽なこと」でもある、もちろん小金がなくなれば捨てられる。それはどこでも同じだ。ただ、日本の家族や人間関係を捨てフィリピン女性に「はまる」に至るのは、それまで居場所のなかった、あるいは希薄だったからでもある。
 日本ではずうっと「粗末に」扱われてきた、そもそもチヤホヤされたことさえなかった、濃密な人間関係を持ったことがなかった。処世上の表面的な関係は持ってきたものの、どんな人とも関係を持って何とかしていこうという経験はなかった。むしろ「余計な関係」はムダとして削ってきた。
 「人間関係は必要がないので捨ててしまったら、自分自身を失った、そしたら居場所もなくなっていた」のである。

 著者は「自己責任」ではなかろうか?と何度も問い返す。困窮邦人と接していると必ず投げかけられる言葉なのであろう。登場するホームレスの中には、到底誰も相手にしないだろうと思われる人物も確かにいる。ネットでこの本の評判をざっと見たが、「自己責任だ、甘えるな!」と困窮邦人個人と著者の同情的な態度を非難する論調ばかりだった。明らかに著者はそんな声を意識している。
 
 なぜ男たちは日本社会に居場所がないのか?
 日本では仕事を失うと、あるいは収入を失うと、人として扱われない現実が存在する、人間関係も同時に失う。現代日本社会では学校教育も、家族も地域社会も、よい学校大学を卒業し安定した職、収入・地位に就くことを目的としたシステムとして自発的に変化し、それ以外の機能はムリムダムラとしてそぎ落としてきた。そのことは他方で、仕事を失った時の手立ては準備されず、逆に失業者を排除する社会関係ができ上がることになった。別の言い方をすれば、対抗する人々の既存の連合体は力を失い消えていき、新しい連合体は形成されてこなかった。

 著者は、「日本を捨てた困窮邦人」は若年世代の「引きこもり」と同質の現象でもあると指摘する。生きにくい、息苦しさを感じている点では同じというのだ。適確な指摘だろう。最近は「外こもり」というのもあるらしい。日本でバイトして、その金で3カ月とか半年とかをタイで暮らす若者が存在するという。これも同質の現象だ。確かに世代が違う、女に入れあげるのも違う、しかし日本社会で生きる場所がないと感じるのは同じだ。自殺者が3万人を超える現状もおそらく同根の問題であろう。無縁社会は日本人すべての世代に(もちろん底辺の人々により強く)それぞれ確実に影響を及ぼしている。

 叙述はあくまでホームレス個々人の実情の描写であるのだけれど、同時に背後に広がる現代日本社会の特質、「厳しい現実の姿」を浮かび上がらせている。「男たちが日本で居場所をなくした」のは、実は現代日本社会の最近の変質にあるのではないかという論点を浮かび上がらせ、問題提起している。こういうところに本書の特徴が表れている。真面目な説得力のあるドキュメントとなっている。

 「日本を捨てた男たち」の叙述は、効率化を極め到達した日本社会の希薄な人間関係、人々の連合体の「貧困さ」を炙りだすに至っている。それゆえあるべき社会としてもっと人々のつながりのある、対抗的な連合体を幾層にも作り上げた社会へと変わる必要があることを提示しているようにも見える。(文責:児玉繁信)

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韓国挺対協の声明:日韓首脳会談で見せた日本政府の厚顔無恥 [元「慰安婦」問題]

 韓国挺身隊問題対策協議会の声明を紹介します。

 日本大使館前に「慰安婦」像が建設されたことに対し、野田総理は「平和の碑が建設されたことは残念なこと」だと指摘し、「大統領に撤去を求める」と発言した。
 道義にあわないのは、野田総理であり、日本政府である。

 これまで「慰安婦」問題を放置してきた日本政府の態度こそ、道義にあわない。

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日韓首脳会談で見せた日本政府の厚顔無恥

より多くの平和の碑が日本政府を糾弾するだろう
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<日本大使館前の少女像>

 18日、日韓首脳会談李明博大統領は日本の野田総理に日本軍「慰安婦」問題の解決を第一に求めた。李大統領は、前日大阪で開かれた同胞懇談会でも「『慰安婦』問題はどこまでも解決できる問題だと思う。この方々が生きている間に「慰安婦」問題を解決することが両国の未来に大きな助けとなるだろう」と語った。
 そして今日開かれた首脳会談で冒頭発言を通じ、「日韓両国は共同繁栄と歴代平和・安保のため真のパートナーにならなければならず、問題となっている軍「慰安婦」問題を優先的に解決するために、真の勇気を持たなければならない」と明らかにした。

 続けて「『慰安婦』問題は認識を変えればすぐにでも解決できる問題」であるとし、「両国間の懸案に助けとなるよう大局的見地で考えてほしい」と強調した。「生存する慰安婦ハルモニが80歳以上であり、数年たてば亡くなってしまう。生涯無念を抱いて生きてきた63名のハルモニが亡くなってしまえば、両国間に解決できなかった大きな課題として残ることになるだろう」と語った。

 野田総理が経済協定(EPA)問題を口にすると、「経済問題以前に過去懸案、軍「慰安婦」問題について話さなければならない」とし、「慰安婦」関連発言を会談の主内容とした。これはまさに、すでに遅くはあるが、先週開かれた第1000回の水曜デモと平和の碑建設を取り巻く国民の願いと意を汲みとり日本に向けたものだと思われる。

 しかし、やはり問題は野田総理であり日本政府であった。日本軍「慰安婦」問題解決を求める李大統領の発言に対し、「慰安婦」問題について「わが政府の法的立場はすでにご存じなので繰り返さない。人道主義的配慮で協力してきており、今後も人道主義的見地で考えていく」と明らかにした。結局法的には解決したという既存の立場から一歩も動かず、そのような意志もないことを再び確認することになった。そしてより驚愕したのは、野田総理が「平和の碑が建設されたことは残念なこと」だと指摘し、「実務次元の意見は伝えられたものと聞いており、大統領に撤去を求める」と発言したことだ。厚顔無恥が度を超えている。幸いにも李明博大統領はこのような野田総理の言葉に対し、「誠意ある措置がなければハルモニが亡くなるたびに第2第3の像が建てられるだろう」と応じており、日本政府は現実を直視しなければならないだろう。

 日本政府の無責任が生み出した日本軍「慰安婦」被害者の1000回の絶叫とそれによって建てられた平和の碑を、羞恥ではなくむしろ道義に合わない非常識的なものだと対峙する日本政府と保守メディアの姿から一切の良心を垣間見ることはできない。日本政府は、外交施設の前に平和の碑を建てたことがあってはならないことのように主張するが、日本軍「慰安婦」という歴史上類例のない残忍な戦争犯罪をしでかしながら、このような要求を続けるという厚かましさこそ史上類例のない驚くべき態度である。日本政府には、平和の碑撤去要求を撤回し、反省と謝罪の気持ちを込めて平和の碑の前にひざまずき謝罪することが求められている。

 日本政府に対し強力に要求する。日本政府は、今日の李明博大統領の要求をより厳重な韓国民の気持として受け取り、即刻日本軍「慰安婦」問題解決に立ち上がらなければならない。法的責任は解決したという理不尽な主張をやめ、被害者に対する心からの謝罪と国際法による明白な法的賠償など、問題解決のための立法的・行政的措置を迅速に取らなければならない。それがまさに日本政府が人道主義的観点ですべきことであり、これ以上責任を否認したり無視するならば日本政府がそれほど恐れ嫌がる平和の碑は有形無形を超え世界各地で日本政府の犯罪を糾弾する叫びを広げていくであろうし、決して歴史から忘れさられることはないだろう。

 挺対協は日本軍「慰安婦」問題解決のため第1000回にまで続いた水曜デモで宣言したように、世界の良心と手をつなぎ国際社会と協力して、日本軍「慰安婦」被害者の名誉と人権回復が完全になされ、このような犯罪が再び起こらないよう、より積極的に活動を繰り広げていくことだろう。

 
2011年12月18日

韓国挺身隊問題対策協議会
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戦時性暴力被害者に対する残虐行為は、補償されなくてはならない [フィリピン元「慰安婦」]

  
 水曜デモ1000回目アクション、世界デモの日に

 「慰安婦」と第2次大戦の他の犠牲者に対する残虐行為は、補償されなくてはならない!

  カイサカ声明
  2011年12月14日

111214 マニラ 腰にまきつけたポスター ○ (480x360).jpg

 フィリピンの女性団体であるカイサカは、1944年11月23日にマパニケ惨劇の犠牲者の闘いを支持してきました。カイサカは12月14日韓国水曜デモ1000回目アクションに加わり、フィリピン人元「慰安婦」、さらに「慰安婦」に限らない戦時性暴力被害者の正義回復を日本政府に要求します。

 日本軍性的奴隷制度の犠牲者のため国際的に協働し連帯した「マニラでの水曜デモ1000回アクション」は、韓国ハルモニ(おばあさん)の「水曜デモ1000回目アクション」と同時に行われます。第2次大戦中に日本帝国軍隊によって組織的な行われた性的虐待を告発し、ハルモニと支援者は1992年1月8日から毎週水曜日正午にソウル・日本大使館前で抗議行動をはじめました。そしてハルモニ(今では平均年齢は85才)は19回の韓国の厳しい冬を越しながらなお、冬以上に冷たい韓国政府と韓国社会の冷遇に勇敢に立ち向かってきました。

 健康が悪化し手足が弱くなっているにもかかわらず、水曜デモを継続してきた韓国人元「慰安婦」のゆるぎない意志への賞賛だけは確実に広がっています。ハルモニの存在と行動は人権の象徴です、世界中の多くの人々の支持と尊敬を得ました。人々の支持と尊敬こそが価値ある真の勝利です。私たちはハルモニの不屈の精神をたたえ、かつともにありたいと願います。

 1991年最初に勇敢に名乗り出て、性奴隷として耐えた苦しみを全世界に語った韓国のハルモニに、私たちは心から敬意を表します。半世紀の間秘めてきた「恥」と苦悩を表明することで激しい汚名を浴びせられる事態にも直面しました。しかし人権回復を願う気持ちはこれにまさりました。ヒューマニズムは名乗り出たハルモニに姿を変えて私たちの前に現れてきたのです。フィリピン人元「慰安婦」、「慰安婦」に限らない戦時性暴力被害者たちをも、奮起させて励ましました。多くのフィリピン女性が名乗り出て歴史の事実を語りました。

 私たちは今日この共同したアクションに加わります。中国、台湾、韓国、北朝鮮、東ティモール、インドネシア、およびフィリピンの犠牲者による日本政府に対する公式謝罪と補償を求める声に、私たちも加わります。

 私たちは特にフィリピンルソン島「マパニケ包囲戦」犠牲者への一層の注意をうながします。 2000年「女性国際戦争犯罪法廷」では、示されたドキュメンタリーならびに供述証拠によってマパニケ村でなされた残虐行為が明らかにされました。日本軍は迫撃砲で村を攻撃し、マパニケ小学校校庭で集めたすべての女性の前で、男たちを逮捕し拷問し大虐殺しました。そして村全体から略奪し女たちをレイプしました。

 日本政府は、これら事実をまだ公式に認めておらず、謝罪していません。犠牲者に補償してもいません。

 「慰安婦」問題について、韓国憲法裁判所の違憲判決以降の韓国政府の要請に対する日本政府の対応には、まったく誠意がありません。日本政府は過去の「暗い戦争記録」の処理において事実を明らかにし補償を求めてきたすべての被害者の声を、これまでずうっと無視してきました。現在もなおその態度は変わりません。

 日本政府の声明がその「不誠実さ」をよく表しています。「日韓の戦時補償問題は1951年の平和条約と1965年の韓国との基本関係条約で、完全に、ようやく解決された」、「それ以上は歴史の「汚物」であり、受け入れがたい」というのです。

 日本政府は明確に謝罪し補償しなければなりません。謝罪と補償こそが今後二度と同じ過ちは犯さない、人権侵害はしないと公式に宣言することであり、そのことで初めて各国からの信頼と尊敬を勝ちとることができるのです。日本政府は、言葉だけではない戦争放棄に基づいた真の平和体制を公式に保障し、そのための行動を開始しなければなりません。
 連絡先:Contact Person: Atty Virginia Suarez-Pinlac: #09298127864

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マニラでも、韓国水曜デモ1000回アクション  [フィリピン元「慰安婦」]

マニラで、韓国水曜デモ1000回アクション

 12月14日、被害者団体マラヤロラズと支援者が、日本大使館に抗議

 UCAニューズの伝える12月14日のマニラでの「水曜デモ1000回アクション」の様子です。
 ucanews.com Asia Desk, Bangkok and John Francis Lagman, Manila

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 『慰安婦』たちの最後の抗議
 多くは年老い病気のため、日本政府の謝罪を要求し続けることができない!
 
 第二次世界大戦の間に彼女らに対してなされた残虐行為に謝罪を求め、韓国の『慰安婦』と支持者が、ソウルの日本大使館の前で、毎週行ってきた抗議が今日12月14日、1,000回目を迎えました。
 韓国の被害者たちの行動に連帯して、性的に虐待された女性たちはマニラを含むアジアの都市で、「水曜デモ1000回アクション」に加わりました。そこで、日本帝国陸軍による残虐行為を非難し、日本政府が過去の誤りを認め正すよう要求し、被害者と支持者がデモを行いました。
 韓国の被害者たちは、今では80歳後半と90歳台であって、続けるにはあまりに老いています。被害者たちがほぼ20年間定期的に続けてきた毎週水曜日の抗議を続けられなくなりつつあります。

 「この問題を解決するために、私たちは日本大使館前に出かけて行って、戦わなければなりません」と、パク(87歳)さんは、韓国ヘラルド紙に話しました。
 「私が日本大使館前に出かけて抗議するのは、それが問題解決の唯一の方法であるからです。日本政府は公式に謝罪して、生存者に賠償金を与える必要があります。多くの日本人もこの問題を解決すべきだと語っています。しかし日本政府が拒絶しています。」

 弁護士ヴァージニア・ピンラック(女性団体カイサカ議長)によれば、フィリピンにはおよそ2,000人の戦時性暴力被害者がいます。

 「私たちの多くは、現在病気になっています。元気な者はほんの少数です」と、被害者の一人である81才のイザベリータ・ヴィヌヤ(Isabelita Vinuya)さんは語りました。ヴィヌヤさんは、マニラでの集会で12人の被害者と100人以上の支持者を代表し抗議しました。

 「日本軍兵士は私の両親と兄弟を殺して、家を燃やし、財産を略奪しました。そして私たちをレイプしました。本当に惨めでした」と、ヴィヌヤさんは言いました。
 1943年に、13才のヴィヌヤとパンパンガ地方マパニケの約100人の若い女性は、日本軍駐屯地に拘留され、その夜強姦されました。
 「私たちには、食事もありませんでした。一滴の飲み水さえも与えられませんでした。一部の女性は、精神的なショックから正気でなくなりました、のちに彼女らは死にました」と、彼女は思い出しながら語りました。 「とてもひどく傷つけられました。私たちはみんな怖くて、空腹で、無力でした。」

 「慰安婦」システムは、日本政府が関与した「組織的で計画的な犯罪」であったことを、日本軍による性奴隷制度のための韓国女性会議は、韓国ヘラルド紙に示しました。
 公認記録によると、日本の占有された領域からの50,000-200,000人の女性が、性的な奴隷制度を強いられました。
 韓国と他のアジア諸国からの若い女性は、日本軍の前線へ輸送されたと、レポートにはありました。その場所は、中国、フィリピン、台湾のような場所であり、そこでと彼女たちは一日につき最高40回も強姦されました、そればかりではなく、飢えて、叩かれて、拷問されました。妊娠したのがわかれば強制的に中絶させられました。

 今日12月14日、いくつかの都市で抗議行動が行われましたが、日本大使館からは少しの反応もありませんでした。

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 下記の写真は、現地から(支援団体カイサカ)直接、送られてきたものです。
 当日の様子を伝えています。

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<被害者団体マラヤロラズを先頭に日本大使館に向かって行進する、真ん中はマラヤロラズ代表リタさん>


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 <日本大使館前のデモ参加者>



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 <日本大使館、正門前に立つ被害者たち>


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 <日本政府に対し公式謝罪と補償を求める抗議声明を読み上げるリタ代表>


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 <垂れ幕には、「今こそ謝罪を! 第二次大戦中の日本軍による性的暴力被害者に正義を!」と書かれている>

111214 CIMG1230 女性団体カイサカ議長ヴァージーさん (640x480) (480x360).jpg
 <挨拶する女性団体カイサカ代表ヴァージーさん>


111214 CIMG1215 挨拶するチェスター ScrapVFAスポークスマン (640x480) (480x360).jpg
 <挨拶するScrap VFAスポークスマン、チェスターさん>



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 <日本大使館前に立つ被害者たち(マラヤロラズのメンバー)>


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 <日本大使館前での抗議集会、参加者とともに>



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現代自動車は恥を知れ! [世界の動き]

 現代自動車は恥を知れ!
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   カイサカ声明2011年11月12日

 2011年6月からこの5ヵ月の間、韓国・家族・男女平等省の外に、一人の女性が不当解雇に抗議の座り込みを行ってきました。韓国の最大手自動車メーカー・現代自動車社における度重なる性的な嫌がらせを行った雇用者と会社へ反抗した報いとして不当解雇されたことに対する抗議の座り込みでした。

 朴さんは、アサン(韓国では半年ごとに更新される契約労働で)14年間、現代自動車工場で働いてきました。 無力の契約労働者がだまされた典型的なケースで、朴さんが工場長の虐待に対して頼るものがないので、抵抗して経済に困る事態に直面するよりは、横暴を受け入れると考え、工場長は彼女の不安定な地位を利用しました。この男は、誰と仕事をしているかまったくわかっていなかったです。

 2009年4月のはじめ、工場長は時間外に朴さんを呼び出し、朴さんが工場長の命令に従わないと、攻撃的な言葉を投げつけ、セックスを強要し脅しました。 工場長が職場で体に強制的にさわった直後、朴さんは同僚に虐待を訴えました。 申し立てが広がり、企業が状況をかぎつけたとき、朴さんは仕事から3ヵ月賃金削減と6ヵ月出勤停止で罰されました。朴さんの虐待者がメンバーである会社の特別委員会が朴さんは会社の評判を「傷つけた」と決定し、彼女は最終的に解雇されました。

 ああいや、それだけではありませんでした。
 直後に、朴さんは工場に対し女性一人用の抗議テントを準備しましたが、会社から攻撃されて強制的にテントを張った場所から追い出されました。それで朴さんは法的措置をとり、人権韓国全国委員会を通して彼女の不当解雇を訴えて、主張通り当件を性的いやがらせと認定させ、現代自動車に損害賠償するよう命令を勝ち取りました。しかし現代自動車は委員会の調査結果を無視しました。また韓国政府は会社に責任があるとみなすことを拒否しています。

 最小限の正義のための朴さんの闘争は長い、難しい闘いであることがわかっています。韓国政府が現代自動車から注文を受けている事実があり彼女を抑えつけるのですが、朴さんはこの不当な扱いを拒否しました。資本主義的暴力に立ち向かう朴さんの表明は、 虐待的な雇い主に立ち向かうすべての女性労働者に勇気と粘り強さを与えるものです。

 カイサカは、工場長の行為も、現代自動車経営者の行為も、ともに糾弾します。私たちは朴さんのケースが契約労働者の弱い立場に光を当てていると思っています。 契約労働者化は性的いやがらせを過少報告してしまうことになりますし、職場での虐待に対して女性を保護するための苦労の上獲得した法律を元に戻してしまうのです。

 朴さんは、会社に対抗して立っている最前線で「ただ一人の女性」というだけではありません、それ以上です。 彼女は、資本主義的家長制度に対する私たちすべての女性労働者の闘いを体現しています。

 朴さん支持の国際的な抗議は、力が持続しているということを証明します。 より多くの力が、数字以上あります。当声明は彼女とすべての韓国の女性労働者に対する私たちの支持の正式な表明であるとともに、この声明を通じて私たちは支持の声を届けまた広めます。




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フィリピン航空労働者を支持する! [フィリピン労働運動]

 1998年、フィリピン航空(PAL)で1243人もの大規模解雇があり、労働者の戦いにより最高裁で解雇無効の判決を得たにもかかわらず、職場復帰は13年間にわたって実行されてきませんでした。

 それどころか驚くべきことに2011年9月13日、フィリピン最高裁は、かつての判決を破棄してしまいました。
 その理由は、フィリピン航空の所有者、ルシオ・タンが裏で手を回したからです。ルシオ・タンはフィリピン最高裁までも自分の手の内に取り込んでいるのです。
 あきれるような事態が起きています。
 「フィリピン航空をボイコットしよう! 最高裁を乗っ取ってしまえ!」と主張しているカイサカの声明を、以下に紹介します。

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 フィリピン航空をボイコットしよう!
 最高裁を乗っ取ってしまえ!

 
2011年10月25日


 カイサカ声明

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 2011年9月13日のフィリピン最高裁の判決破棄を糾弾する!

 2年前、フィリピンの最高裁判所は、1998年のフィリピン航空(PAL)客室乗務員1,423人の大規模解雇を違法であると宣言しました。客室乗務員・スチュワードからなるフィリピン航空客室乗務員・スチュワード協会(FASAP)に代表されるフィリピン航空労働者たちは、正義を勝ち取ったにもかかわらず、13年間にわたってその正義は実行されませんでした。影の大物ルシオ・タンの弁護士、エストレリート・メンドーサによる最高裁判所への明らかにされていない手紙によって、先例のない、疑わしい方向へと転換させはじめたのです。2011年9月13日、かつてすべての未払い賃金を支払ったうえで1,423人の労働者全員の職場復帰を命令したフィリピン航空に対して、最高裁判所は最終的にかつ行政上、当判決を破棄してしまいました。

 ルシオ・タンは、一度ではなく三度にもわたり、きっぱりと最高裁判所判決を見事に逆転させました。 ありのままに言いましょう。ルシオ・タンは、この国で最高裁判所を私有化しました。人は、葉巻をいじりながら自身の「魔法」をくすくす笑う彼の姿を、思い描くことができます。

 彼の意志表明は、高くなった眉というよりそっけないその上下動でなされました。ルシオ・タンは、フィリピンで二番目の大金持ちであり、フォーブス誌に登場した 2011年世界の億万長者のあいだで、フィリピンから選ばれたわずか4人のうちの1人でもあります。 しかしながら、タンは「人間の姿をした悪魔」とも呼ばれてきました。
 ほぼ半世紀の間、仲良しのフェルディナンド・マルコスからはじまり、ビジネスを優先するための扱いと産業に対する彼の完全な支配を確実にするために、タンは政府のほとんどすべての政治的有力者を買収し、政治的影響力を確保しました。 彼が政治家に資金を提供することは、国境の向こうでも熱心に行われました。 本当のところ、11月4日はグアムにおけるルシオ・タンの日です。

 自分たちを組織する権利と雇い主と団体交渉を行う権利は、フィリピンの憲法に書かれています。2011年9月28日に、延期されていた約2,600人の従業員のレイオフ再開に対して、非番のフィリピン航空労働者協会(以下:PALEA)メンバーは、「すべての抗議者の母」運動を開始しました。

 その後、航空会社は従業員との交渉を拒否し、元労働者へいやがらせするため退職手当支給を保留しています。メディアとノイノイ・アキノ大統領はともに、フィリピン航空労働者協会(PALEA)に対する敵意から、よりうるさく騒ぎたてるようになりました。今日、フィリピン航空の強要により、マニラ空港のあるパサイ市法廷は、労働者による空港区域の平和的な占領を止めるために、組合に対する禁止命令を出しました 。
 フィリピン航空労働者協会(PALEA)は、フィリピンの寡頭政治、帝国主義の後援者、本質的に反労働者的な資本主義体制そのものに対する闘いにおいて、すべてのフィリピンの労働者を代表しているのです。 正義のためのフィリピン航空労働者協会(PALEA)の果てしなく骨の折れる争いを終えるには、その負担を負わなくてはなりません。 カイサカはフィリピン航空労働者協会(PALEA)を支持します、とともに当事件の最高裁判所上訴の訴えを支持します。

 フィリピン航空でも契約労働者化を導入
 さらにカイサカは、違法であるフィリピン航空契約労働化計画を非難します。契約労働化は、より高い賃金、より安全な労働条件、両性の平等を獲得した労働者をいためつけるために使われる攻撃にほかなりません。契約労働化は、まともな生活を確保する女性の努力を妨害します。特にサービス産業に従事する女性労働者にとって大変な問題です。そこでは統計的にみて多くの女性が働いています。

 契約労働化は、女性を売春や生き残るため他の不安定な手段に押し込みます。契約労働化は、生活のすべての範囲において女性が最も低い、窮地に陥ったままの状態となる環境をつくりだします。

 顧客にとっても、契約労働化はフィリピン航空の乗客の安全を危うくし能率が悪い状態をもたらすでしょう。フィリピン航空は女性従業員に対して飛行中の経験と技術的なノウハウよりも、身体的な容貌を優先させる差別的な政策を持ち続けています。 すべての女性客室乗務員は40歳で退職を強いられ、出産のために自身の休暇を使わなければならず、また出産後職場復帰するにはある一定の「セクシーさ」を保持していなければならないのです。
 あなたにとって緊急着陸の際、モデルがいるのと、安全プロがいるのとでは、どちらがいいですか?

 ルシオ・タンは、腐敗の権化です。ルシオ・タンと彼が属する1%は、フィリピンにおける法律制度を企業のものに変えてしまいました。 彼は1%であり、超過利益の名において、99%の権利と尊厳を踏みつけているのです。
 99%の一部として、カイサカはフィリピン航空労働者協会を支持し、女性と労働者に対し「司法」システムを都合よく操作するのをやめるよう要求します。切り札は、彼ルシオ・タンの手でなく私たちの手にあるのです。

 カイサカは、国内外で、すべてのフィリピン人に呼びかけます。フィリピン航空労働者協会と連帯し、フィリピン航空をボイコットするように、呼びかけます。

 労働者の権利は、女性の権利だ!
 契約労働をやめてしまえ!
 反女性、反フィリピン航空労働者の態度をとるな!

<追記>
・フィリピン航空客室乗務員・スチュワード協会(FASAP:The Flight Attendants’ and Stewards’ Association of the Philippines)、・フィリピン航空労働者協会 (PALEA:Philippine Airlines Employee Association) は、ともに労働者の団体です。

 フィリピンでは労働組合は労働雇用省に申請し、構成する全労働者で選挙(組合代表選挙)し、過半数を得て初めて労働組合として認められます。(日本であれば、法律的には一人でも労働組合に加入したことを宣言すれば労働組合への加入は認められます。) フィリピンにおける労働組合認定のプロセス、すなわち労働組合の結成・申請・登録・認定までには、数年にわたる長い期間がかかります。経営者側の妨害によってつぶされる場合も多くあります。労働組合認定されていなければ、経営者側は交渉する必要はありません。
 最近は契約労働者の導入によって、これまででも困難だった労働組合認定は、ほとんど不可能になりつつあります。

 上記の二団体とも、「労働組合」ではなくて「協会(Association)」と称しているのは、労働者団体としての登録を労働雇用省に申請しながらも、いまだ組合代表選挙を実施していない状態にあるからと推定されます。


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ギブン・グレイス・セバニコに正義を! [フィリピンの政治経済状況]

 ギブン・グレイス・セバニコに正義を!
 暴力行為によるすべての女性犠牲者に正義を!

 緊急リリース
 2011年10月14日
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 カイサカは、フィリピン・ロスバノス大学学生、ギブン・グレイス・セバニコ(Given Grace Cebanico)さんに対するレイプと殺害を非難します。ギブン・グレイス・セバニコさんは、2011年10月11日火曜日の朝にフィリピン・ロスバノス大学キャンパスの高水位運河に捨てられましたが、その前に縛られ、テープで固定され、レイプされそして撃ち殺されていました。ギブンさんは、3週間弱前に19回目の誕生日を迎えたばかりでした。

 ギブンさんの残忍な殺害の動機はまだ公式に認定されていませんでしたが、the Scene of Crime Operatives (SOCO)当局は予備証拠から即時の実行を示していると報告しています。

 様式化され計算された性的暴行の性質は、フィリピン女性が当面しているジェンダー問題におけるさまざまな要因の絡まった脆弱さを浮かびあがらせます。フィリピンでは、女性に対する暴力は、どこでもいつでもどんな女性にも起こり得るのです。特に経済的に疎外されている人たちには余計そのような傾向があります。
 
 カイサカは、女性に対する暴力行為を犯す人々が免責され続けている現状を非難します、そしてギブンさんと彼女の家族のために正義を要求します。実際のところ、カイサカは、国の労働力輸出政策によってフィリピン人の人間性が奪われ商品に変換されており、そのことがフィリピン女性に対する暴力を広範囲に広める風潮を準備していると指摘します。

 ギブンさんは、名門大学のコンピューター・サイエンスを学ぶ、明るい優秀な学生でありましたが、その命は痛々しいほど短く切り取られました。 彼女の死は悲劇です、激しい憤りを禁じえません。私たちは、女性がさらされるすべての形式の暴力に対する妥協しない立場をとります、そのために、裁判制度および国家は、すべてのフィリピン女性が十分な支持を要望できる手段としてみなさなければなりません。

 今こそ、ギブンさんに正義を!
 女性に対する暴力行為を無視する風潮を終わりにしよう!
 今こそ、女性の権利を全面的に保護しよう!
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米比相互防衛条約を廃止しよう! [フィリピンの政治経済状況]

 1992年、フィリピンから米軍基地を撤去させました。9月16日はその20周年でした。
 クラーク空軍基地、スービック海軍基地を撤去させ、現在ではクラーク、スービックとも特別経済区となり、多くの外国資本企業が進出し操業しています。
 しかし、米比軍相互訪問協定(VFA)および米比相互防衛条約(MDT)を根拠に、現在でも米軍が自由にフィリピン国内に駐留し、軍事行動を行っています。
 フィリピンでは、米比軍相互訪問協定(VFA)、米比相互防衛条約(MDT)の廃棄を求め、平和団体が活動しています。
 「Scrap VFA運動」の声明を以下に紹介します。


 米比相互防衛条約を廃止しよう!
 米比軍相互訪問協定を破棄しよう!
 
November 24, 2011

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 スービック海軍基地撤去19周年のこの日、VFA(米比軍相互訪問協定:Visiting Forces Agreement)廃棄のため共闘する40以上の組織の連合は、VFA廃棄だけでなく1951年の米比相互防衛条約(以下:MDT)も終わらせるという要求を強調し、「ジョギングによる抗議運動」をはじめました。

 「私たちは1992年に米軍基地を最終的に閉鎖することに成功し、外国基地と軍隊を領域から締め出す条項を憲法に入れました。しかし、米軍はこの10年間ここフィリピンに居座りました。米国政府とフィリピン政府は、米比相互防衛条約がその根拠であると主張しています。 したがって、私たちは米比相互防衛条約を廃止しなければなりません。」
 これは、KPD事務局長であり、スクラップVFA運動のスポークスマン1人、チェスター・アンパロの声明です。
 この連合のメンバーたちは、基地を撤去させた「素晴らしき12人の上院議員」を顕彰することで、基地条約の拒否から20周年であったこの前の9月16日を祝いました。
 「基地条約を拒絶し、1992年に最終的に米軍基地を閉じたことは、我が国の歴史の重大なエピソードでした。 私たちは、フィリピンの主権を主張し実現できることを証明しました。この時だけは、私たちの領土で米軍が訓練を行うことにノーと言いました。ベトナムで村ごと虐殺し、1990‐1991年のイラクではほとんどすべてを破壊した殺害機械の開発、戦争資材の備蓄にも、私たちはノーと言いました。」と、アンパロはさらに説明しました。

 アンパロによると、「米軍隊の活動すべき次の舞台はアジア太平洋である」とヒラリー・クリントン米国務長官がすでに発表しており、したがってこの問題は政府からの緊急の積極的な返答を必要としています。 KPDと「スクラップVFA!運動」はフィリピンが、米国の戦いの駒にもなっているだけでなく、本格的な戦争の土俵になることを、警告します。

 「ジョギング抗議運動」は、ラジャ・スライマン公園から米国大使館の前まで行います。グループは垂れ幕を広げ、「米軍は出ていけ! 米比相互防衛条約を廃棄しよう! VFAを終わらせよう!」と訴えます。

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We are the 99% [2008-9世界経済恐慌]

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 フィリピンの友人のFace book に張り付けてあったポスターを転載します。

 それから、このポスターのためにつくったのかとさえ思われる詩の一節を下記に引用します。
 随分古い詩です、……

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あたらしい歌、もっとすてきな歌を、
おお友よ、ぼくはきみたちに作ってやろう!
ぼくらはこの地上で、かならず
天国をつくりだ出そう。

ぼくらは地上で幸福になろう、
もう飢えて悩むのをやめよう。
働き者の手が獲得したものを、
なまけものの腹に飽食させてはならない。

この下界には、すべての人の子のために
十分なパンができるのだ、
ばらもミルテも、美も快楽も、
甘えんどうも、そのとおりだ。

    Heinrich Heine 『ドイツ・冬物語』(1844年)第一章第十一節、(訳:井上正蔵) 

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ユーロ危機 収束せず! [2008-9世界経済恐慌]

 ユーロ危機 収束せず!

   世界経済危機への導火線となるか!

 1)欧州危機は、深く 長い!

 2011年11月現在、欧州の経済危機が収束しない
 収束しないどころか、世界経済危機への導火線に転化しつつある情勢だ。

 8月以降この3か月間、欧州債務問題が時間とともに少しもよくならず、逆に悪化する情勢が続いている。何か「実体経済」に大きな変化があったわけではない。欧州債務の「大きさ」が少しずつ見えてきた途端、その「あまりの大きさ」に驚き、信用不安が広がりつつある。

 ギリシャを筆頭にPIIGSの重債務国で財政悪化、深刻化を見て、あるいは予想して、国債価格が下落し利回りの急上昇、高止まりとなっている。
 ギリシャ問題がすぐに解決すると思っている市場参加者はすでにほとんどいない。というより、ギリシャ国債10年物利回りは20数%を超えており、近い将来のデフォルトは確実となった。焦点はギリシャからイタリアに移った。イタリア国債価格の下落と国債利回りの急上昇、7%を超える高止まりがその深刻さを表現している。さらにスペイン、そしてフランスへと広がり、確実に欧州全体をとらえつつある。

 現在は、爆発=デフォルトをいかに抑えるか、にEU首脳は努力を集中しているように見える。一つ抑えても、今度は抑えたことが別の爆発の要因に転化するという「もぐらたたき」状態になっている。

 仮に爆発をおさえたとしても、すなわちソフトランディングしたとしても、そのあと欧州経済には10年単位の長い期間にわたる停滞の時期が待っている。なぜ長い停滞期が続くのか?

 「バブル崩壊以後の日本経済」のたどってきた道を思い起こしてみればいい。日本経済の場合は、傷んだ金融機関・銀行資本に公的資金を注入し、政府は財政赤字とはなった。そのことで国債利回りも2%から4%(1995年)にまで上昇したけれども、国債価格の大幅な下落、あるいはデフォルト懸念による更なる危機の展開・深化までには至らなかった。その程度で済んだ。その程度で済んだといえどもバブル崩壊以後20年間にわたって日本経済は停滞の時期を経ているのである。

 今回の欧州危機は、90年代日本経済を襲った危機よりも、「より深く、より長い」のである。そのうち、「大きさ」が徐々に姿を現してくるだろう。
 欧州危機はあまりに深刻である。その危機からの回復には長い期間がかかるだろう。いくら少なくみても10年はかかるだろうし、さらに時間を要する可能性が高い。

 2)第一のトリガー、ギリシャ国債、イタリア国債

 爆発=デフォルトをいかに抑えるか、にEU首脳は努力を集中している。やっているのは対症療法に過ぎない
 必死に抑えようとしている「爆発とそのトリガー」について描写してみよう。もちろん、「トリガー」は「トリガー」であって、経済危機の原因ではないし、爆発を抑えることが解決策なのではないことは、先に指摘しておこう。

 さて、今回の欧州債務危機は、ギリシャ政府の資金繰り悪化から国債の支払い不能(デフォルト)に陥るのではないか、との強い疑念が起点となっている。
 ギリシャを起点としてPIIGS諸国の国債価格下落が進み、保有銀行の有価証券評価損が大幅に増加している。そのため、欧州系銀行のドル資金調達が難しくなっている。
 それゆえ現在では、ギリシャ国債のデフォルト懸念と並行して、スペイン、イタリア、フランスの国債価格の下落から、国債を大量保有している欧米の金融機関の負債が大きくなることで、トリガーは幾筋にも広がっている。

 すでに、欧州を中心に銀行の資産劣化も表面化しつつある。時間の経過とともに、不良債権が次々に姿を現して来て、資産劣化は大きくなり、さらに他の各銀行をとらえており、危機はより深く、また範囲を広げつつある。信用不安が広がり資金調達がままならず、欧州金融システムの一部に機能不全が生じている。その影響は、大きさにおいて、範囲においてすでに欧州にとどまらない。

 ベルギー・仏系銀行デクシアが破綻に追い込まれた。今年7月に結果が発表されたばかりのストレステストにデクシアは合格していた。このストレステストは、金融当局者によれば「より厳密に、厳しく」行われた。にもかかわらず、いとも簡単に破綻した。ストレステストそのものが信認を失っており、市場は欧州系銀行の正確な不良債権額と現在の真正な自己資本比率を知りたがっている。国債価格の下落、住宅価格の下落によって不良債権は今もなお拡大し続けており、だれもその正確な額を知ることはできない。疑心は広がりつつある。疑心とともに、不良債権額も増大しつつある。

 このような光景をわれわれはかつて見たことがある。バブル崩壊後の日本経済の姿である。日本の金融機関・銀行の抱える不良債権は、発表のたびに拡大していった。「いったいいくら不良債権を抱えているのだ!」と非難を浴びせながら、公的資金を何度も増額・追加して注入していった。誰もがイライラし、非難を浴びせた。最終的に今日では、GNPの200%に及ぶ国債などの政府債務として積みあがっている。

 10月末EUは、当面の解決策に合意した。
 A)銀行自身による資本増強
 B)監督している政府による公的資金注入、
 C)欧州金融安定ファシリティー(EFSF)による公的資金注入
という3段階の資本増強策を示した。

 日本の不良債権処理の混迷を見てきた経験から見ても、予想される対応策ではあろう。というか、欧州バブルをもたらしたそもそもの「過度の借り入れや貸し出し、過度の支出以上のさらに上回る資金の大量投入、大量貸出し」(10月24日、ローレンス・H・サマーズ前米財務長官)してしまう以外に、危機の爆発を抑える方策は考えられないのである。恐慌から脱出するのに、さらなる大きな恐慌を準備することによって、恐慌から脱出する手段をよりなくしていくことによって、脱出しようとするのである。しかし、問題はそれでうまくいく保証はどこにもない。

 A) 金融機関が自己資本の拡充を求められるということは、欧州金融機関の間では「投資資金の回収」や「貸しはがし」、「貸し渋り」が起きるということを意味するし、すでに起きている。「投資資金の回収」や「貸しはがし」は、景気を確実に冷やす要因として働く。バブル崩壊後の日本で経験済みのことでもある。金融機関の「投資資金の回収」や「貸しはがし」によって各企業は、業績は問題ないのに資金を調達できないため、投資機会を失うことが一般的に起きる。あるいは、投資資金の強引な回収によって業績は黒字なのに倒産も起きうる。全体として、信用不安が広がり投資は急速に冷え経済を一層減速させる。そのことは金融機関の財務を悪くし、さらなる自己資本の拡充が必要となる。「負のスパイラル」である。

 B) 10月23日のEU首脳会議で、欧州系銀行の資本増強については大筋合意した。しかし、ドイツや北欧諸国など一部を除いてユーロ圏各国の財政悪化が顕著になっており、公的財政資金による銀行への資本注入は、欧州各国の一段の財政悪化を招くことになる。
 仮に公的資金による欧州系銀行の増資が可能になっても、公的資金を出すことで各国政府では一層の財政悪化が進みその国の格付けが下がることになれば国債価格は暴落し、信用不安は鎮静化するどころか、収拾のメドが立たない事態に直面するリスクが高まる。そうすると銀行の保有している国債が、ほかの国債も含めてさらに値下がりし、金融機関の含み損が拡大し、更なる自己資本の拡充が必要となってくる事態を招きかねない。ここででも「負のスパイラル」である。すなわち、欧州系銀行の資本増強自体が、別のトリガーに転化する可能性が生まれてくるのである。何をやっているのかわからない。でもやらないと当面の爆発は防げない。

 C) 欧州金融安定ファシリティー(EFSF)による公的資金注入においても同様である。欧州系銀行の自己資本増強の原資をどこに求めるのか、という点で独仏両国の対立は相当に深い。
 フランスがEFSFを銀行化し、欧州中銀(ECB)から資金を借り入れて、欧州系銀行の自己資本注入を容易にしようとしたのも、フランスの置かれたより厳しい現実を何とか乗り越えようという意図があるからだ。フランスの国債利回りはすでにじわじわと上昇している。しかし、ドイツは強硬に反対した。EFSFの融資や資本注入がうまく機能せず、損失が膨らめば、融資したECBの損失も拡大し、ECBの信認失墜から欧州のインフレが猛威を振るう事態を懸念するとメルケル首相は表明している。
 ECBの毀損した自己資本を増強する際に、まとまった規模の資金を出せる国はドイツ以外にない。最終的に欧州系銀行の損失の大部分をドイツの財政資金で賄うという未来が来ることをメルケル首相は拒否した。仏・サルコジ大統領は、「そんな悠長に事を構えている事態ではない、危機はすぐそこにまで来ている」と叫ぶ。フランスの銀行はギリシャ、イタリア、スペインの国債を大量に保有しており、自身の財務がすでに相当傷んでいる。

 10月23日のEU首脳会議で、欧州系銀行の資本増強については大筋合意し、必要な資金額は1,000億─1,100億ユーロになるとの見通しがEU関係者から出ている。国際通貨基金(IMF)はすでに2,000億ユーロ規模の増資が必要との見解を示している。

 それであっても、「とりあえずの爆発は抑えられるかもしれないが、最終的にそれでは収束しはしない」というのが市場の認識である。確かにその通りだろう。

 ユーロ圏17カ国は、EFSFの融資可能額を2,520億ユーロから4,400億ユーロに拡大することに合意し、各国議会の同意もスロバキアを最後として何とか取り付けた。ギリシャ国債の50─60%のヘアカット(債務元本の削減)が実行され、欧州系銀行の自己資本の目減りがあっても、EFSF資金を活用すれば、何とか対応可能という計算だったはずだ。

 ところが、市場は「ギリシャのヘアカットは近い」とみて、イタリアやスペインなどでも同じことが起きると連想し、イタリアやスペインの国債が売られた。価格は下がり利回りは上がった。
 ギリシャ2年債利回りは100%を超え、イタリア国債の年利率は7%を超えた。イタリアとスペインの国債発行残高が合計2.1兆ユーロを超している現実では、4,400億ユーロのEFSFの処理能力を突破しているのは明らかだ。

 事態はすでにより深刻な次の局面に移行してしまった。「ギリシャ危機を押さえつければ危機は収まる」事態はすでに過ぎ去った。イタリアやスペイン国債の下落による瓦落を恐れなくてはならなくなったのである。

 国債を保有する銀行の資産劣化が進み、自己資本不足に陥り、市場での資本調達が困難であるため、さらなる公的資金によるさらなる資本増強の必要性が生じている。

 EU首脳会議で、その路線が承認されるところまできた。しかし、問題は公的資金注入の規模である。底なしに公的資金を注入することはできない。更なる国家財政の悪化をもたらし、国債価格の暴落をもたらすからだ。したがって、中国や新興国、中東諸国、日本、米国からの、あるいはIMFからの資本調達を求めている。しかし、だれが他人のために資金を提供するか。資本主義はそんなシステムではない。「国際協力、協調」と言っているから少しくらいは出すにしても、必要な額には遠く及ばないのも明らかだ。
 IMFはEFSFを強化するのを決定し、4,000億ユーロ準備するという。しかし、 EUはさらに資金を拡充する必要があるし、世界からの支援を必要としている。1兆ユーロまで拡充を決めたが、誰が出すのか決まっていない。

 金融危機への対策として国家財政への損の付け替えによって対処した。しかし今度は国家財政悪化によって国債価格の暴落の恐れが生じ、そのことで国債を大量に抱える金融機関、銀行経営が行き詰まろうとしている。銀行の自己資本を公的資金で補填しても、問題の解決になっていない。対策にならないことが、明らかになりつつある。
 EUの当面の解決策、A),B),C)は、事態の進展によっては、危機ぼっ発の要因に転化しかねない事態になっている。

 3)第二のトリガー、CDS 

 それ以外にも別のルートを通じた爆発の可能性も迫りつつある
 EUでは公的資金の投入を決め、必死になって金融機関の破綻、デフォルトを防ごうとしている。しかし、個々の金融機関は自身が助かろうとしているだけで、欧州経済危機の爆発を防ごうと行動しているわけではない。例えばヘッジファンドなどは、国債価格の乱高下の機会をとらえて儲けようと行動している。アジア通貨危機の時には意図的に売りを仕掛けてバーツなどの通貨暴落を誘い、その機会をとらえて儲けた。現時点は、国債CDSトリガー発動の可能性が現実のものになりかねない情勢なのである。

 クレジット・デフォルト・スワップ(以下:CDS)は企業や国などの信用リスクを対象とした取引で、CDSの買い手は売り手に対してプレミアム(保険料)を支払い、対象となる企業や国が債務不履行を起こした場合に、買い手は売り手から保証金を受け取る。したがって、CDSを持っておれば、保有する国債価格が下落しても損にはならない。だから、CDSを持っておれば、安心して国債のカラ売りを仕掛け暴落した後で買戻し儲けるのである。すなわち一方では必死に金融機関の破綻、デフォルトを防ごうとし、他方では意図的に破綻させようとしているのである。
 これとて資本主義のもとでは正常な資本活動であって、資本主義は本性からしてこの無政府性を克服できないし、むしろ前提にしているのである。

 そのことは、CDSを売った金融機関が大損をするのであり、それが危機のトリガーになるのだ。
 現在、ギリシャ国債のデフォルトはほぼ避けようがなくなりつつある。

 ギリシャ向け第2次支援策で民間負担を増加した場合、CDSの請求権が発動されるかどうかという金融システムにかかわる問題がまだ不透明で、それに対する方策も依然としてはっきりしない。
 
 仮に、ギリシャ向け民間債務を50─60%カットした場合、CDSを売った金融機関は買った金融機関からの請求に対して、支払い義務が生じる可能性が高まる。その規模は、市場ではギリシャ国債だけで1兆ユーロを超すCDSが発行されており、CDSトリガーが引かれた後の金融市場の動向は予断を許さない緊迫した事態になる。CDSを売った金融機関の中には、米系金融機関も含まれており、欧州債務危機の影響が、大西洋の西側に向かって広がる。
 また、欧州当局の根回しによってギリシャ国債のCDSトリガーを引かないことで全取引関係者の合意が形成された場合、今度は他の重債務国やその他の国の国債CDSの機能が発揮されないという思惑を生むことになりかねない。その場合は、逆にイタリアやスペインの国債価格下落という展開もありうる。まさにモグラたたきである。

 どのような方策をとっても、事態はなかなかよくならないのである。

 欧州ソブリン危機が招いたCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)問題が米銀のバランスシートに破壊的な影響力を与える可能性が現実のものとなりつつある。一部の米銀はギリシャ国債のCDSの売り手になっていると見られ、いずれギリシャが破綻した場合には、米銀に莫大な資金負担が発生し、3年前の危機を再現しかねない。

 米MFグローバル・ホールディングスは10月31日、ニューヨーク州マンハッタンの裁判所に連邦破産法11条の適用を申請した。ユーロ圏債券への投資に社運を賭けたことが裏目に出た。欧州ソブリン債への積極投資で痛手を受けた。米MFグローバル・ホールディングスの破産は、米金融機関・銀行資本の明日の姿となりかねない。

 これらの要因はすでに予想されており、米国では金融機関の不良債権問題の深刻化が進んでいる。米銀行、米金融機関の株価が下落しつつある。
 これらのことは、米国がこの先量的緩和を通じた金融緩和を推し進めざるを得ない要因として働くことになる。

4)EU首脳、米政府首脳、IMF は何をやっているのか?

 やっていることは、上記の通り、当面の爆発の防止である。それも対症療法的に、モグラたたきを繰り返している。別の言い方をすれば、将来への「繰り延べ」である。それ以上のことはしていない。
 今回の2008恐慌、世界的経済危機をもたらした金融資本のグローバル化そのものを、変革しようとは決してしていない。目の前の爆発をとりあえず防止し、ただ繰り延べしようとしているだけである。
 グローバル化した金融資本は、貪欲に利益を求めて徘徊する。これをとどめよう、あるいは変革しようとは決してしていないのである。

 それは資本主義そのものの欠陥である。
 資本主義の順直な発展が、瞬時にして世界を移動するグローバル化した金融資本の支配に至ることを描き出すのが経済学の課題であり使命であろう。

 (※:「脱経済成長論」など事態の推移を真面目に見つめようとしていない、チャチな観念だけでできあがっている。反資本主義と自称しているものの、実のところPro-Capitalismである。)

5)公的資金の注入は金融資本の救済であり、国民は救済しない

 欧州各国は、2008年9月のリーマンショック以降、傷んだ金融機関へ公的資金を注入し救ってきた。金融資本・銀行がバブル経済に乗って「過度の借り入れ」や「貸し出し」、「過度の支出」によって利益を上げようと行動したが、バブル崩壊、経済危機に遭遇し莫大な損を被った。その「損」があまりにも大きいため、「大きすぎてつぶせない」と言って、国家財政の損に付け替えた。「民間の需要不足」を国債発行による公的需要に置き換え、当面の経済的痛みを「緩和」してきたと言う。いわば「損」を各国政府の財政に移し替えてきた。それ以外にとる「手」はないと言うのだが、果たしてそんな方策をとってよかったのか、何のために誰を救ったのか。無駄ではなかったのかという疑念がわき起こってくる。

 民間や巨大金融機関・銀行の「損」を国家財政に付け替え、当面の爆発を抑えてきた。そのことによって、「損」の支払いはこの先おもに国民が負担することを意味する。民間の「損」を、公的な「損」に姿を変え、そのことで、損を支払う者がすり替えられた。

 損を抱えた国家財政は、この先ずうっと緊縮財政でやらざるを得なくなる。年金を切り下げ福祉・教育予算を削減し、消費税を引き上げる。その限りでは国家財政は、1%の損を、99%の損にすり替えて、人民から徴収する機構として機能している。

 EUはギリシャ支援に際して、ギリシャ政府に緊縮財政を強要したし、ギリシャ国民に窮乏生活の受け入れを強要した。年金を切り下げ、教育福祉予算の削減を無理やり飲ませようとしている。確かにギリシャ政府は国債を償還するためには資金を得なければならない。でなければ当面の資金がなく、公務員の給与さえ支払うことができない。まるでギリシャ国民に罪があるかのように大手マスメディアは非難キャンペーンを流した。

 しかしこれは物事の一面である。別の一面も見なくてはならない。誰がギリシャ国債を保有しているかを考慮しなければならない。フランス銀行もドイツ銀行も大量のギリシャ国債を保有している。EUのギリシャ支援策は、自分たちを救うのが目的である、自国の金融資本、金融システムを守るのがその目的である。

 なぜこのような不当なことが、堂々と行われるのか!
 1%を守ることを前提にするなら、こんな処方箋しか出てこないのである。
 金融資本主義は人々に輝く未来を約束しない。統合したEUは一挙に市場を拡大し2000年以降急速に経済発展をした。恩恵は主に1%が得た、金融資本・銀行資本が得た。しかし、2008世界恐慌が到来するや、統合したEUを守るために各国は財政赤字削減を強行的に実施しなければならないという。負担は99%が負う。年金制度の破壊、医療制度、教育制度の破壊を予定している。これまでの文明を100年は後戻りさせる。
  
 これでは、格差はますます拡大する。高揚期に1%は資産を増大させる。恐慌を経て99%に犠牲を負わせる。経済循環の各局面でますます格差が拡大することを意味している。その結果、どのような社会になるのかは明白である。

 統合したEUは何を守ろうとしているのか。
 ギリシャでは生活破壊に耐えかねて反政府デモが続いている。ギリシャ国民の姿は近い未来の欧州人の姿でもある。1%を守るために、欧州経済が回復するまで、国家財政に付け替えられた損を返すまで、欧州人の多くは窮乏の生活に耐えなければならないのである。

 グローバル化した金融資本の支配維持のうえにEUは未来を描き出すことができない。もちろんそれはEUだけではない。 
 ユーロ危機は、ユーロにとどまらない。最終的に米国を襲うだろう。その過程は、今のところ、「ゆっくりと」(というのはリーマンショックに比べて)進んでいるように見える。(文責:小林 治郎吉)

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12月14日 世界同時行動に向けて フィリピンでの取り組み [フィリピン元「慰安婦」]

 12月14日 世界同時行動に向けて フィリピンでの取り組み
 

 12月14日、「慰安婦」問題の解決を求める世界同時行動が、日本、韓国、アジア各国、欧米で予定されています。多くの女性団体、人権団体が行動への参加を表明しています。
 フィリピンでも12月14日に向けたフォーラム、各行動が計画されています。その一部を紹介します。
 
 「カイサカ」とは、フィリピンの女性団体の一つです。
 「マラヤロラズ」とは、フィリピンの戦時性暴力被害者団体の一つです。
―――――――――――――――

 「第1000回の水曜日」と呼ばれる韓国元「慰安婦」被害者と支援者による日本大使館前の水曜デモが2011年12月14日、1000回目を迎えます。2011年12月14日の国際的な同時共同行動の呼びかけに賛同し、カイサカは以下の活動を行います。

 2011年11月19日
 カイサカは、マラヤロラズの闘いならびに従軍「慰安婦」の窮境を含む第2次大戦暴力の他の犠牲者の闘いの円卓会議を持ちます。これは、闘いを広げる活動です。
 討論者は、マラヤロラズのリーダー、 カイサカのヴァージニア・ラクサ-スアレス弁護士です。
 スーザン・マクレランドが、私たちのこの円卓会議の議論に加わります。 スーザンは何度か受賞したことのある雑誌と本のライターで、トロントとスコットランドに拠点を置いています。 彼女の雑誌記事は、カナダで、ならびにロンドンとニューヨークで権威あるほぼすべての出版物でフィーチャーされました。スーザンの最初の著書は、「シエラレオネからの少女の記録」であり、現在30カ国以上で出版されています。 作家としての彼女の関心は、主に女性と子供たちの人権、戦争の影響、貧困、病気と環境に関してあり、またこれらすべての相互関連からくる諸問題にあります。2005年から、彼女はいくつかの記事、多数の特集記事執筆、調査報道と本を書き、2つの評判が高いアムネスティ・インターナショナル・メディア賞を含む賞を獲得しました。

 2011年11月23日
 マパニケ虐殺67周年を記念し、慰霊祭が持たれます。この日に間に合うように慰霊碑の周りの整備を行っています。

 2011年11月25日
 午前8時の~午前11時、カイサカは戦争と軍国主義の問題を掲げ、「女性の大衆行動ための世界行進」に、加わります。
 午後4時~午後6時に、フィリピン大学法学部カレッジで持たれるパブリック・フォーラムがあり、カイサカのヴァージニア・ラクサ・スアレス弁護士が、 フィリピン、韓国とアジアの他の地域における第2次大戦時の暴力に焦点をあて、アジアにおける戦争と軍国主義化について報告します。

 2011年12月10日
 国際人権デーを祝い、カイサカは日本兵によって犯された第2次大戦中の戦争犯罪被害者の闘いに焦点をあて、動員行動を行います。

 2011年12月14日
 カイサカとマラヤロラズは、日本大使館前で抗議集会を開きます。

 すべてのこれらの日には、カイサカは、プレス声明とプレス・リリースを発行します。

 アキノ大統領は約束を守れ!

 私たちは昨日、大統領オフィスから、マラヤロラズの事由をアキノ大統領が代表し、日本政府に補償を求め行動を起こすことを要求した2011年8月5日の私たちの手紙を、支持する通知を受け取りました。このようなことをあなたがたに知らせることができうれしく思います。

 私たちは、すぐに以下のことを求め、前述の手紙に返事を出します。
 A) アキノ大統領との謁見を求めます。
 B) ロラたちの正義を日本政府に要求する際に、アキノ大統領にロラたちを代表するよう要求します。
 C) アキノ大統領に財政援助と医療援助をロラに提供するよう要求します。
 D) マパニケを記念するこの期間に、日本帝国軍隊に対して戦ったフィリピン人の名誉をたたえ、「赤い家」またはマパニケ慰霊碑を、歴史上の記念すべき場所として取り扱うように、アキノ大統領に要求します。

 団結において、
 ヴァージニア・ラクサ・スアレス
 カイサカ議長

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 追記:
「マラヤロラズ」とマパニケ虐殺のこと
 1944年11月23日、旧日本軍((第二戦車師団 師団長:岩仲義治中将)がフィリピン、パンパンガ州カンダバ市マパニケ村の住民をマパニケ小学校に集め、男たちを虐殺し、火にかけました。女たちは日本軍が駐屯地していた地主の家「バハイナプラ(=赤い家)」に集められ、レイプされました。
 虐殺された男たちの遺骨は、のちにまとめて集められ、マパニケ小学校の一角に埋葬されました。現在、その上にHOLY ANGEL UNIVERSITYの寄付による慰霊碑が建てられています。現在もなお、慰霊碑の下にマパニケの男たちの骨があります。マパニケ村の被害者たちを近年、学生を含む多くの日本人が訪れ、被害の事実・実態を学んでいます。
 マパニケの戦時性暴力被害を受けた女性たちが「マラヤロラズ」に参集し、日本政府の公式謝罪と補償を要求しています。
 今年の11月23日にも慰霊祭があり、急遽、慰霊碑を整備することになりました。屋根とベンチを設置すると聞いています。整備のための費用として、すでに拠金を呼びかけています。これまでカサナグの会として連帯支援してきました。皆さんのご協力をお願いします。
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ウォール街占拠運動― やっと発見された人々の連合体 [世界の動き]

 ウォール街占拠運動― 
  
    やっと発見された人々の連合体

 1)ウォール街占拠運動は、アメリカでは久々の左派の大衆運動
 ウォール街占拠運動は、アメリカでは久々の左派の大衆運動であって、2000年ワシントンでのIMF会議、1999年WTOシアトル会議での反グローバリゼイションデモ以来である。それらはしかし局地的、短期間であった。今回のウォール街占拠運動は全米に広がり、さらに全世界に広がろうとしている。しかも2か月継続している。
 今までの大衆運動とはまったく異なる新しい特徴、数々の「魅力」を備えている。
 運営の仕方、人々の集まり方に特徴がある。ウェブサイトを利用した直接民主主義、現代の状況に見合うように自主的な自発的な人々の参加を可能にした人々の自由な連合体、アソシエイションではなかろうか。マルクスのいう批判的アソシエイションの一つの姿を示しているだろう。

 またその批判の内容も、注目に値する。
 9月29日採択されたニューヨーク市民総会(フリーダム公園)の第一「公式」声明
"Declaration of the Occupation of New York City"
 http://nycga.cc/2011/09/30/declaration-of-the-occupation-of-new-york-city/]にその主張は明確に表現されている。
 アメリカと世界の富が1%の人たちに握られていること、この富の偏在こそ、あるいは富の偏在をもたらす現代の社会関係こそ問題であるとし、その変革を主張している。至極まっとうな、まっすぐな要求、声、叫びである。

 同時に、企業と企業活動が、現代における反社会的な存在であると明確に告発している。
 「…民主主義的政府の正当な権力は人民に由来するが、企業は誰に同意を求めることもなく人民や地球から富を簒奪しており、民主主義のプロセスが経済権力によって決定されている間はいかなる真の民主主義も実現不可能であるという現実を認識している。」

 「人民よりも自分たちの利益を、公正よりも利己的な関心を、平等よりも抑圧を優先するさまざまな企業が私たちの政府を動かしているこのとき、あなた方に呼びかけている。私たちは…ここに平和的に集まっており、それは私たちの権利である。」という現状認識を示している。
 世界の99%の人たちは、「…世界の企業勢力によって不当な扱いを受けている」こと、何よりも利益実現を追求する企業活動が、富を簒奪し政府を動かし、人民の権利を踏みにじっていることを、驚くほど率直に告発している。

 2)ウォール街占拠運動はどのように運営され、支持され、広がったのか?
 自主的自発的な人々の連合体として運営されているウォール街占拠運動の実態が伝えられている。批判的アソシエイションの姿をネットから拾ってみよう。(肥田美佐子のNYリポート、鈴木頌さんのブログなどから転載)

 ◇自主的自発的な人々の連合体として運営されているウォール街占拠運動
 「…平和的な運動姿勢や民主的な横並び組織運営法、独自のウェブサイトでデモの様子をライブストリーミング配信したりソーシャルメディアを駆使したりするデジタル・コミュニケーション戦略にある。同運動には、自発的にまとめ役を買って出る若者はいるが、縦並び的な「リーダー」はいない。公園に寝泊りする参加者同士のいさかいなどを解決する「調停員」もいる。一日に2回、各2時間ずつ開かれる「総会」で予定などを討議する。当局が拡声器の使用を禁じたため、決定事項を仲間に大声で伝言していく「人間拡声器」の手法も編み出した。…」(10月11日ウォール・ストリート・ジャーナル肥田美佐子のNYリポート)

 ◇市民の支持を受け、増え続ける多様な参加者
 「さまざまな人種、性別、政治理念を持った人々による指導者のいない抵抗運動」
 「…これまで反グローバリゼーション運動などは、さほど市民からの共感を得られなかったが、今回は、ストレートな主張と若者の熱意が、長引く景気低迷に疲れた市民の心を打った…」
 「…組織はかなり確立されてきて おり、合議を導く「ファシリテーター班」、救急箱を持って歩く「医療班」、食料の寄付や調達を仕切る「フード班」がある。なかでも、メディア班は重要な役割を果たしている。広場の真ん中に発電機を備え、常に数人がパソコンに向かい、合議やデモの様子をほぼ24時間オンライ ンの動画で流すほか、ツイッターやウェブサイトの更新から、警察の暴力を撮影したビデオを動画共有サイト「ユーチューブ」に貼付ける作業をしている。」(10月11日肥田美佐子のNYリポート)

 ◇運動の始まり、全米各地への広がり
 7月13日 カナダのエコ・グループがウォール街での平和的なデモ運動を提案。これにニューヨークの若者グループが合流。カナダのバンクーバーにある環境問題を扱う雑誌「アドバスターズ」の編集者カレ・ラースンが、「9月17日にウォール街を占領しよう」との呼びかけを発表した。
 8月23日 ハッカー集団「アノニマス」がこれに賛同し抗議運動への参加を呼びかける。
 9月17日 最初の占拠運動、ウォール街占拠行動がはじまり、推定1,000人が集まる。「われわれは99%だ。強欲で腐敗した1%にはもう我慢できない」がメインスローガンとなる。デモで掲げられたプラカードの内容
  ①政府による金融機関救済への批判 
  ②富裕層への優遇措置への批判
  ③「グラス・スティーガル法」の改正による金融規制の強化
  ④高頻度取引の規制>

 9月18日 広場で「総会」が開かれる。5時間にわたる討論の後、翌日からウォール街でデモを展開することを決定。逮捕につながるような行為はせず、ウォール街の通行人を妨害しないなど平和的民主的な行動をとることを満場一致で承認。
 9月19日 広場に残った青年ら500人がニューヨーク証券取引所前を練り歩く。行動は午前9時半の株式市場 取引開始時と、午後4時の取引終了時の2回。段ボールのプラカードや太鼓・ラッパを持って歩道を歩くだけ。その後この行動が日課として定着する。
 9月19日 カレントテレビがデモを取材。以後カレントテレビは連日抗議行動を報道。取材に当たったオルバーマン記者は、「なぜ主なニュース番組でこの抗議運動が取り上げられないのか? もしこれが茶会運動だったら、主要メディアは毎日トップで取り上げているだろう」と批判した。
 9月22日 黒人人権運動のグループによる2千人のデモがウォール街占拠運動に合流
 9月23日 米Yahoo! 抗議行動のサイト名(occupywallst.org)をふくむメイルをブロッキング。ヤフーは事実を認めたうえで、スパムフィルターの誤動作によるものだとし謝罪。
 9月24日 最初の衝突 80名が逮捕、週末に合わせ全米から参加者が結集。警察は「住宅地区への行進でいくつかの通りが混乱した」ことを理由に大量逮捕に乗り出す。この取締りで80人が逮捕された。
 9月24日 弾圧の模様がインターネット上でアップロードされ、「若い女性が警察官に催涙スプレーをかけられる」場面が注目を集める。
 9月24日 100人近い逮捕者、1,000人あまりの新手の参加者が自発的にデモ行進を敢行。このデモ隊がニューヨーク市警と衝突し、100人近い逮捕者が出たという経過のようだ。
 9月25日 「アノニマス」がYOUTUBEに動画をアップロード。警察に対し「36時間以内に残虐行為があれば、ニューヨーク市警をインターネット上から消去する」との“脅迫”を発表する。
 9月26日 占拠運動、催涙スプレー事件の当該警察官の収監と警察委員長の辞任を要求。この日の夕方、映画監督マイケル・ムーアがリバティ・プラザで演説を行う。またチョムスキーが運動を強く支持するとのメッセージを発表。
 9月28日 全米運輸労組(チームスター)に属するニューヨーク運輸業労働組合が占拠運動の支援を決議する。
 9月30日 AFL‐CIOのリチャード・トラムカ会長、「労働組合は全国レベル、地方レベルの双方で『ウォール街占拠』に参加している」と発言。
 10月02日 グーグルとツイッターが、ウォール街での抗議行動に関する記事の検閲に踏み切る。
 10月03日 ニューヨーク市中央労働組合評議会の呼びかけで、全米運輸労組ローカル、介護・看護労働者労組、全米鉄鋼労組、教員連盟、米国通信労働者組合がシティーホールに結集。占拠運動の支援策を協議。
 10月05日 ALF・CIOのトラムカ議長、「ウォール街に説明責任と雇用創出を求める彼らの決意を支持する」と表明。「若者の行動を横取りするつもりはない」、「われわれは全米でデモ参加者を支援し、今後も互いに協力し合っていく」と述べる。ALF・CIO(米労働総同盟産別会議)はアメリカ最大の労働センターで、1,220万人の組合員を組織する。
 10月05日 占拠運動への連帯デモ行進。参加者は1万ないし2万人規模と推定される。ズコッティ公園(自由広場)を出発し、約1キロ北の連邦ビル前まで鐘や太鼓を鳴らして「ウォール街を占拠せよ」などと訴えながら行進した。
 10月07日 AFL・CIO、占拠運動を支持することを決定。傘下の地方公務員組合連合(AFSCME)と通信労組(CWA)、合同運輸労組(ATU)、全米看護師組合(NNU)の4労組もデモに加わり始めるAFL・CIO自体が変化した。看護婦や教師やトラック運転手などの周辺産業労働者がAFL・CIOを支える時代…。
 10月11日 「ボストンのダウンタウンでも、バンク・オブ・アメリカ前に約3,000人が集結した。ほかにも、ハワイからロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ、ミネアポリス、フィラデルフィア、オーランド、ワシントンDCまで、優に100カ所を超える全米の都市で同様のデモが進行中だ。」(肥田美佐子のNYリポート)
 10月12日 ロスアンゼルス市議会、「オキュパイ・ロスアンゼルス」運動を支持するとした決議を全会一致で可決。市議会による公的な支持の表明は初めて。
 10月17日 NYタイムズにクルーグマンが寄稿。「ウォール街の反応は“軽蔑した無視”から“泣き言”に変わりつつある。彼らの怒りは数百万の米国人の心を揺り動かしつつある。ウォール街の泣き言は、少しも不思議ではない」と述べる。

 3)何が画期的なのか? 
 注目すべき点がみられる。下記にまとめてみよう。

 一つ目の理由は、2008年恐慌後のアメリカ社会の荒廃がある。米国人の多くが、彼らの表現によれば「99%」が、恐慌による損失を負わされ、その生活条件を悪化させている。失業は広がり、住宅を失った人たちも多い。公園に寝泊りすることもいとわず、運動に参加する人々が多数存在する社会になったのである。背景にはアメリカ社会全体を覆う貧困の広がり、格差社会化がある。

 二つ目の理由は、その主張である。
 9月29日採択されたニューヨーク市民総会(フリーダム公園)の第一「公式」声明は、このグループの公式文書であるが、立派な内容である。
 「企業は…人民や地球から富を簒奪しており、経済権力によって民主主義のプロセスが決定されている間は、いかなる真の民主主義の実現も不可能である」と激しく現代の資本活動、経済システムを批判している。その事態に抗議し、「自分たちと隣人の権利を守らねばならず、平和的に集会を開く権利を行使し、公共の空間を占拠し、私たちが直面している問題に対処するプロセスを作り出し、すべての人々に届く全体的な解決策を作り出そう」と呼びかけている。

 三つの理由はウォール街占拠運動の進め方、組織の仕方の決定的な新しさがあることだ。広く開かれた自主的、自発的な連合体であるところにある。これがもっとも重要な特徴であろう。

 誰でも参加できるうえ、横並びで民主的平和的な組織運営がなされている。ウェブサイトを通じた情報の共有、毎日の発信がなされ、かつまたその情報は参加者だけでなく外に向かって、世界中に向かって開かれている。ウェブサイトを見て誰でも参加できるし、誰でも情報を共有できる。直接民主主義を、ネットを通じてより広範に、開かれたものとして実現しようと努力しているのがよくわかる。人々が孤立し分断されている現代の状況に相応したやり方であろう。人々の自由な参加を実現するため、自主的な自発的な連合体、アソシエイションを組織しようと苦心している。このような人々の連合体、アソシエイションこそが、もっとも重要なことであるし、この先世界の人々にとって見習うべき一つの発見された姿、連合体となるだろう。

 さらにいくつかの注目すべき特徴がある。
 一つは、運動の継続性を保持していることである。
 「…平和的に集会を開く権利を行使し、公共の空間を占拠し、私たちが直面している問題に対処するプロセスを作り出し、すべての人々に届く全体的な解決策を作り出そう。」(9月29日ニューヨーク市民総会(フリーダム公園)の第一「公式」声明)
 
 「占拠」の意味は、運動を継続させ拡大させることにある。一日限りの行動、結集ではなく、毎日活動する態勢を取り、運動の継続性を実現した。当初、呼びかけに応じたメンバーは公園に寝泊まりし、毎日総会が開かれ、決定事項が伝達され、デモに出かける。警察の弾圧、逮捕があれば即時にウェブサイトで報告し訴える。毎日これを繰り返し、そうして次々に多くの新しい参加者を迎え入れてきた。「平和的に集会を開く権利を行使し、公共の空間を占拠」する意味は、要求を訴え続け、継続的な活動をするところにある。継続したことで、様々な個人、団体の共感を獲得し徐々に、そして一挙に広がっていった。

 既存の大手マスメディアを信頼しない、頼らない、依存しないことも、特徴の一つである。大手マスメディアが「経済権力」の支配下にあることをよく知ったうえで対応している。それに代わる手段としてウェブサイトで世界中に発信した。大手マスメディアに頼れば、彼らの機嫌をうかがい、検閲を受けることを受け入れなくてはならなくなる。当初からこれを拒否して出発した。
 ヤフーやグーグルも占拠運動の発信を検閲したり、ブロッキングしようとした。占拠運動に参加する「ハッカー集団」とともにこの妨害を打ち破った。

 大手マスメディアばかりではなく、既存の政治勢力の中で活動することも選択していない。直接民主主義の考え方が貫いている。オバマ選出時の大衆的な運動が二大政党の手のひらの上で踊らされたことへの反省と批判がある。

 これまでの既存の政治勢力は、米社会の貧困化を告発する力にならなかった。二大政党制、共和党は論外としても、民主党でも現状のままでは受け皿にならないと判断している。三年前、オバマを大統領に送り出したのは、アメリカ社会の下からの新たな大衆運動であった。あの時はとにかく共和党を政権から引きずりおろさなければならなかった。
 しかし三年の経過を経て、自分たちが選出したオバマはあてにはならないことが判明した。ある意味では裏切られたと身に染みて認識した。「代表を送り出すだけではだめだ」。直接行動によって、常に圧力をかけ続けなければ、送り出した代表は変質する。直接民主主義をとっているのは、そのような反省、あるいは批判に基づいているのではなかろうか。
 何事も現実に対する「徹底した批判」から、新しい運動、新しい力は生まれてくるものなのだろう。

 4)私たちにとっての教訓

 ウォール街占拠運動は、インターネット駆使した情報の共有・発信、直接民主主義的な組織運営など、参加者に「外」に対しても開かれている自発的自主的な連合体であるところに大きな特徴がある。これまでにない魅力的な、私たちが学ばなくてはならない新しい特徴である。インターネットの技術にも習熟しなければならないし、「ハッカー集団」も呼びこみ、グーグルやヤフーのブロッキングに対抗する手段を身につけなければならない。

 今後、現代世界における大衆的な運動は、「上から指令的な運営」という組織運営のやり方から、より自主的な自発的な参加を保障する連合体に変わらなければならないことを示唆しているようだ。
 ウェブサイトを駆使して、情報の共有・発信などを可能にしたし、それらは開放的であって、誰にでも共有できる。警察による弾圧の映像も即事に世界に向かって発信することで、自分たちの運動の正当性を主張し、弾圧者を告発した。主張の発信においても、大手のマスメディアに頼らない運動を構築した。

 「上から指令的な運営」方式をとってきた既存の政党や労働組合は、1%の富裕者が経済権力を握った現代のシステムの下では、自分たちが99%の多数者であるにもかかわらず、民主主義を実現する力を持つことがまったく不十分にしかできない。個人や労働組合は、分断され孤立させられ階層化され、1%の富裕者が経済権力を握った現代のシステムに対抗できていない。この事態を覆すため、人々を再結集する運動の形態、スタイルに新しく生まれ変わらなければならない。

 新自由主義の下で個人が分断され孤立化し、人々は分断され、労働組合も分断され、これに対抗できてこなかったことが、支持や影響力を失ってきた最大の理由の一つである。
 大手マスメディアによる報道を期待すれば、マスメディアの顔色をうかがわなければならなくなる。

 5)今後どうなるか?

 ◇自主的自発的な人々の連合体を作り上げた意義は大きい
 ウォール街占拠運動が、今後どのように発展するか、だれにもわからない。彼らの要求や主張が簡単に実現するとは思われないし、実現していく道筋も明らかになっているわけではない。この先いろんな問題が出てくるだろう。
 しかしだからと言って、要求や主張が簡単に実現するかしないかで、ウォール街占拠運動の画期的な意義が変わるものではない。
 現代社会への批判・変革のための自主的自発的な人々の連合体を作り上げた意義は大きい。条件に応じてその姿を変えながら、この連合体はこの先、人々の運動の進め方の大きなモデルになっていくだろう。

 ◇どのように影響力を獲得していくか?
 ウォール街占拠運動は、既存の政治勢力、民主党の中で活動し影響力を確保していくかどうかは、まだわからない。
 というより、民主党の中で活動するようになれば、ウォール街占拠運動はその自主性・自発性を失い、開かれた性格も失い、したがって影響力を失う可能性があることは、容易に想像できる。

 2008年オバマ大統領を生み出す過程で、オバマ支持運動は、インターネットを活用しこれまでとは違った広がりと支持を見せた。資金面でも小口献金ながらネットを通じた広範な人々から、巨額の献金を集めた。有権者の多くがこれまでとは違った、自分たちも大統領選出に積極的にかかわるという姿を見せた。これまでかかわりたくとも、そして積極的に参加しても、既存の二大政党によって支配層の手の上で踊らされてきた。二大政党制によって民衆が主権から遠ざけられている現実への批判、あるいは変革の行動が必要とされていた。

 これを打ち破ってオバマを大統領に送り出した。しかしオバマは大統領就任後、彼を押し上げたその大多数の支持者たち・支持運動から離れ、あるいは切り捨てた。オバマのとった政策は、既存の支配者と相いれる内容にトーンダウンしたし、登用したスタッフの顔ぶれを見ても既存の支配者から引き継いでいる。その上オバマは、2012大統領選には既存の政治勢力、資金力で大統領選に臨もうとしており、2008年の選挙で得た広範な「草の根」の支持は期待していない。あるいは草の根の支持はもはや得ることができないと自覚している。それはオバマが「幻想」を約束し、大統領になったからであり、オバマ自身もその事実を自覚しているからだし、二大政党制の枠組み内で政権運営することをあらかじめ選択したからだ。
 ウォール街占拠運動は、このようなアメリカ政治の現状、オバマ選出後の変革停滞に対する批判としても生まれたのであろう。

 ◇オバマ民主党は、ウォール街占拠デモ運動の受け皿にはならない
 共和党は、超高額所得者に対してのごくわずかな増税にすら反対している。
 民主党は、オバマ大統領が最近になって高額所得者への課税を訴えているものの、下院で共和党が多数を占めており、連邦議会で可決される可能性は皆無である。
 ウォール街占拠デモ運動にとって、民主党との関係が一つの焦点である。あまり民主党の党内政治に関与せず、独立性を保ったほうが影響力を持続できるであろうし、下からの広範な人々の連合体を維持発展させることこそ、重要である。

 民主党に関与し求めることは、民主党の左傾化であろうし、根本的な党の変革であろう。しかし、オバマが大統領になっても左傾化は進まなかった。苦い経験をしたばかりだし、これまで何度も裏切られてきた。そんなに容易ではない。下からの広範な人々の連合体が、より大きくなって初めて可能になるだろう。

 ウォール街占拠運動が民主党に厳しくないのは、共和党政治があまりにひどかったからであり、単に共和党よりマシだからであろう。よりマシ政府として彼らがオバマ政権を生んだからである。
 民主党が現在のままで、あるいは今のままのオバマ政権が、ウォール街占拠デモ運動の受け皿となることはありえない。

 ◇他方におけるティーパーティ運動右派の運動
 他方、上から組織された茶会運動、これも経済危機への不満、批判がベースにある。あるいは、アメリカの地位低下に対する不安が没落する米中産階級の一部をとらえている。日本で排外主義が、ある人々をとらえているのと似ている。インターネットで広がっている点も同様だ。

 ただその主張は、「政府の景気刺激策や皆保険制度を拒否するアメリカ独自の小さな政府実現を」主張しており、ほとんど現実性を持っていない。「小さな政府」と言いながら、2008年恐慌後、公的資金を注入し金融資本を救ったことは決して非難しない。「小さな政府」と言いながら、巨額の軍事費削減には言及しない。「小さな政府」実現の矛先は、国民皆保険制度への批判など事前に選別されているのであって、露骨に大資本、金融資本の利害を体現している。大手マスメディアは小さな茶会運動の集まりを、こぞって報道する。大手マスメディアが大資本、金融資本の持ち物だからである。

 これまでのアメリカ政治で存立してきた原理主義右翼による独自の主張は、そのほかの国々では決して受け入れられてはいない。いわば普遍的でない主張である。
 茶会運動は、既存政治勢力である共和党の中で活動し、強力な政治的影響力を発揮している。このような光景は「奇妙」でさえある。茶会運動とこの運動を利用して共和党内をリードし米国での世論を作り上げていく政治過程は、既存の支配機構を通じて米支配層が「民主主義」の形式的手続きを経て、米国政治を牛耳り、コントロールしているいくつも存在する、あるいは現れては消える政治的手法の一つであることを表現している。
 茶会運動は、2010年中間選挙でもその影響力の大きさを発揮したし、共和党大統領候補選出においてその帰趨を左右する存在であるのも確かだ。茶会運動というより、茶番運動と呼ばれるのにふさわしい。(文責:小林 治郎吉)

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カダフィ、即時処刑の意味 [世界の動き]

 1)リビア、カダフィ殺害

 10月20日リビア・シルテ郊外で、カダフィが殺害された。8月23日カダフィ政権打倒を掲げる国民評議会が首都トリポリを占領した時点で、カダフィ政権はすでにほぼ崩壊してはいた。ただカダフィ派との戦闘は続いていたから、カダフィの殺害で局面は変わり、戦闘は終了することになるだろう。
 国民評議会がほぼリビア全土を掌握し、新政権として発足することになる。

 2)カダフィはどのように殺されたか?

 ◇拘束のきっかけは空爆
 カダフィが拘束されたのは北中部シルトから西約3キロ付近。現場に入ったロイター通信の記者によると、6車線ある幹線道路から約20メートル外れた場所に、荷台に機関銃を備え付けた小型トラック15台が大破し焼け焦げた状態で放置されていた。
 周りには、狙いを外した爆弾がもたらす地面の穴などが見られず、北大西洋条約機構(NATO)による正確な空爆を受けた可能性が高い。NATOの空爆は、正確にカダフィを狙い撃ちした、あるいは居場所を知っていた可能性が高い。
 現場にいた国民評議会の兵士によると、カダフィは空爆を受けた後、近くの排水溝トンネルに逃げ込んだ。足と背中を負傷していた。(ロイター)

 ◇反カダフィ派の民兵軍による即時処刑
 反カダフィ派の民兵軍、国民評議会側の軍によって、排水溝に隠れていたカダフィはその場所を突き止められ、生きたまま捕えられた。NATOによる空爆と民兵による拘束は、連携した行動である。NATOはこのようなところまで関与している。
 カダフィは拘束直後、生存していた、にもかかわらず連行中に民兵によって腹、もしくは頭を撃たれ、殺害された。「死亡」と報道されているが、正しくは「即時処刑」である。無抵抗の状態での殺害が明確となれば、カダフィの「即時処刑」は国際法に抵触する。
 同国を暫定統治する国民評議会(NTC)のある高官は、「カダフィは連行される際に、(反カダフィ派の兵士に)殴られ、そして殺された」と話している。

 ジュネーブ条約では捕虜などに対する拷問や処刑を禁じており、OHCHRのルパート・コルビル報道官は「即時処刑はいかなる場合でも違法。戦闘中に死亡することとは異なる」と指摘している。
 NATOや国民評議会にとってカダフィの生存は都合が悪く、戦闘中に死んでもらう必要があった、しかし生きて捕えてしまった、そのため死んでもらったということであろうか。
 このようなところにも、新政権・国民評議会の特質があらわれているのではないだろうか。

 3)NATOの空爆は侵略である
 ◇NATOによる空爆出撃は、9,600回にも及んだ
 反カダフィ派への武力弾圧を続けたカダフィ派に対する軍事行動が始まったのは3月19日。NATOは3月31日に、米英仏軍が開始した軍事作戦の指揮権を米軍から引き継いだ。
 NATOの盟主、米国が後方支援に回ったため、英仏軍がNATOによる空爆を主導。空爆のための出撃回数は9,600回を超えた。尋常ではない。
 8月23日のカダフィ政権崩壊後も続けてきた軍事作戦は、1949年のNATO創設後初めて、米国ではなく英仏など欧州諸国が主導する形で実施され、反カダフィ派の地上部隊を空爆で支援してきた。NATOは新たな軍事介入の先例を作った

 ◇NATOによる空爆は侵略である
 「人権」擁護、アラブの民主化支援という名目による空爆は、カダフィ政権に対する一方的なかつ直接的な軍事介入であり、軍事侵略である。軍事介入によらない平和的解決、交渉こそ追求されなくてはならない。NATOは、そのような努力を一切行ってこなかった。このような行為は決して許されるものではない。

 同じ基準が適用されるのなら、この先欧米諸国にとって都合の悪い政府・政権は選別して、軍事介入、侵略できることになる。その名目は、「人権擁護」であり、「民主化」である。
 現時点において具体的現実的には、欧米はシリアへの軍事介入をン狙っている。アサド政権を打倒し、欧米諸国にとって都合のいい政権樹立を狙っている。
 打倒の対象は、選別されていて、「人権」が無視される社会、サウジややバーレーンは、親欧米の政府・政権であるから、事前に除外される。侵略国家イスラエルも除外される。

 リビアのカダフィ政権は親欧米の政権ではない、したがって適用される。石油資源を国有化してしまったカダフィ政権は打倒の対象である。打倒すれば、国民評議会が権力を握れば、石油を握る機会が訪れる。

 カダフィがいくら独裁政治を行ったからと言って、欧米資本がリビアの石油を支配する理由にはならない。

 リビアの最高指導者だったカダフィが、10月20日殺されたことで、3月末から北大西洋条約機構(NATO)が指揮する軍事作戦は終結するだろう。
 市民を守るなどという見え透いた口実でもって、NATOは数千人の市民を殺害した。
 国連(ONU)や、欧州連合(UE)などの組織が、いかにも戦争を計画し、実施してきた。この事実を忘れてはならない。人権の名によって侵略した。

 4)軍事介入・侵略以外に道はなかったのか?
 ベネズエラ大統領チャベスは、NATOなど外国軍の軍事介入を避けるために、カダフィ政権と、反政府派とのあいだを仲介する国際委員会を設置し、紛争の平和的解決をはかることを提案していた。ALBA外相会議はこの提案を支持することを決定した。委員会のメンバー、期間などは明らかではないが、ALBAはアラブ連盟(LA)、アフリカ諸国連合(UA)そのほかの諸国と協力し、委員会を形成することを考えた。
 チャベスは、この委員会に米国の元大統領である、ジミー・カーターを候補としてあげた。チャベスによると、2003年ベネズエラにおいて、反対派が石油生産などのストライキによる攻勢をかけたとき、カーター元大統領が仲介をおこなった。
 カダフィ政権は、チャベスとALBAの提案を受け入れた。リビアのモウサ・コウサ外相は、委員会の設置のために必要な措置が取られることを支持するという書簡を送っている。リビア反対派である国民評議会はこれを完全に拒否した。米国も平和のための国際委員会の派遣という提案を拒否した。
 アフリカ連合(UA)も同様の提案をしてきた。これも拒否された。

 米国もNATOも、そして国民評議会も、戦闘によるカダフィ政権の打倒をめざしたし、その点でまったく一致したのである。
 国民評議会が欧米の利害の代理人なのか、それとも国民評議会が自分の意志で尻尾を振っているのか、いずれ明らかになるだろう。リビアの石油が誰のものになるか!それを見届ければ明らかになるだろう。

 5)国民評議会とは何か?支持していいのか?
 ◇NATOの軍事介入を要請した国民評議会

 前述の通り、カダフィ政権は、チャベスとALBAの提案を受け入れた。リビア反対派である国民評議会はこれを完全に拒否した。そればかりかNATOの軍事介入を要請した。
 この事実は、国民評議会がいかにNATO諸国と近いかを示している。

 ◇国民評議会は誰の利益を体現しているのか?
 利益を巡って争い、 反カダフィ派同士の内輪もめ
 10月21日読売新聞によれば、「国民評議会はトリポリ制圧後、暫定政権の早期樹立を目指したが、シルテなどでカダフィ派の抵抗が続き、評議会内部の主導権争いも表面化。……ジブリル暫定首相は19日、「我々は戦闘から政治的な争いに入っている。新国家ができる前に起こってはいけないことだ」と述べ、暫定政府を巡る各派のポスト争いを批判、政争がもたらす混乱を批判した。評議会は当初、9月中にも暫定政権を発足させる予定だったが、閣僚ポストを巡る争いが激化し、延期を余儀なくされた。背景には、カダフィ政権打倒を巡る論功行賞の問題が、もともと根強かった地域・部族間の対立を増幅させたことがある。」と伝えている。

 国民評議会の政治理念が明確でない、そもそもリビア国民に対して新政権は何をするのか、どのようなリビアを建設するのか、そのプランも伝えられていない。地域・部族間の利害対立、閣僚ポスト争いは伝わってくる。政権打倒による利権獲得が、衝動力であるように見える。 

 6)リビアの石油は誰のものになるのか!
 9月21日国連総会で、ボリビア大統領エボ・モラレスは「リビアの石油は誰のものになるのであろうか。介入はカダフィや人民の罪でおこされたのではない。それはリビアの石油が原因であった。数年以内にリビアの石油が、いかなる国の手に渡ったかを、われわれは見ることができるであろうと」演説した。

 NATOの軍事介入の意味は何か?NATOの軍事介入を要請した国民評議会の性格は何か?
 これらはすべて、リビアの石油が誰のものになるかを見届けるならば、最終的に明らかになるだろう。
 カダフィは石油を国有化した。リビアのものにした。国有化は、米や英仏伊にとっては、敵視すべきとんでもない政策なのだ。

 この先石油が、軍事介入した米や仏、英、イタリアのものになったなら、この戦争の意味を、最終的にはっきりさせるだろう。カダフィの行った農地改革をどうするか、これも同じく見届けなければならない。

 「市民を守るなどという見え透いた口実でもって、NATOは数千人の市民を殺害した。アフリカ連合(UA)による建設的な提案を無視し、安保理の問題のある決議すら踏みにじった」。 国連も「国際的な平和を守れという要求、NATOの爆撃を即時中止させよという要求に答えることなく、侵略戦争の共犯者となった」。
 NATOがリビア爆撃の根拠にした国連決議は一方的である。「いかなるものも罪なき人々を殺害することを正当化することはできない」 (文責:林 信治)



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 ウォール街を占拠しよう! [2008-9世界経済恐慌]

 ウォール街を占拠しよう!

 自分たちのことを99%と呼んでいます。アメリカと世界の富が1%の人たちに握られていることを告発しています。
 富の偏在こそ、あるいは富の偏在をもたらす現代の社会関係こそ問題であると告発しています。そしてその変革を主張しています。
 至極まっとうな、まっすぐな要求、声、叫びではないでしょうか。
 以下の文章が友人から届きました。
_____________________________

 ニューヨーク市民総会(フリーダム公園)の第一「公式」声明

 [原文 "Declaration of the Occupation of New York City" http://nycga.cc/2011/09/30/declaration-of-the-occupation-of-new-york-city/]

 これは9月29日午後8時ごろに、「ウォールストリートを占拠せよ」の全メンバーの投票で、満場一致で採択された。これは私たちの最初の、公式発表用の文書である。私たちはこのほかに3つの声明を準備中であり、まもなく発表されるだろう。それは(1)諸要求の宣言、(2)連帯の原則、(3)あなたがた自身の「直接民主主義のための占拠グループ」を組織する方法についての文書である。

 ニューヨーク市の占拠の宣言

 私たちは、大きな不公正に対して感じていることを表現するために連帯して集まっているこの時、何が私たちを結集させたかを見失ってはならない。私たちは、世界の企業勢力によって不当な扱いを受けていると感じているすべての人々に、私たちがあなたがたの味方であることを知らせるためにこの声明を書いている。

 団結した1つの人民として、私たちは、人類の未来がその構成員たちの相互協力を必要としており、私たちのシステムは私たちの権利を守らなければならず、そのシステムが腐敗している時には、それぞれの個人こそが自分たちや隣人たちの権利を守らなければならず、民主主義的政府の正当な権力は人民に由来するが、企業は誰に同意を求めることもなく人民や地球から富を簒奪しており、民主主義のプロセスが経済権力によって決定されている間はいかなる真の民主主義も実現不可能であるという現実を認識している。

 私たちは、人民よりも自分たちの利益を、公正よりも利己的な関心を、平等よりも抑圧を優先するさまざまな企業が私たちの政府を動かしているこのとき、あなた方に呼びかけている。私たちは次のような事実を知らせるために、ここに平和的に集まっており、それは私たちの権利である。

 あの人たちは違法な差し押さえ手続きによって私たちの住宅を奪った。もともとの抵当権など持っていないにもかかわらずである。
 あの人たちは納税者のお金で救済され、免責され、今まで通り役員たちに法外なボーナスを与え続けている。
 あの人たちは職場の中に、年齢、皮膚の色、性別やジェンダー・アイデンティティー、性的指向をもとにした不平等と差別を永続化してきた。
 あの人たちは怠慢によって食糧供給を汚染し、独占化を通じて農業システムを崩壊させてきた。
 あの人たちは人間以外の無数の動物たちを苦しめ、閉じ込め、虐待することによって利益を上げ、そのことを隠してきた。
 あの人たちは従業員から、より有利な賃金やより安全な労働条件を求めて交渉する権利を奪おうとしつづけてきた。
 あの人たちは学生を教育のための何万ドルもの借金に縛り付けてきた。教育は人権であるにも関わらずである。
 あの人たちは継続的に労働者をアウトソーシング(外注化)し、それを梃子として労働者の健康保険や賃金を切り下げてきた。
 あの人たちは企業に人民と同等の権利を与えるように裁判所に圧力をかけてきた。いかなる刑事責任も社会的責任も負わせることなしにである。
 あの人たちは健康保険に関する契約を免れる方法を見つけるために、何百万ドルものお金を法律対策チームのために使っている。
 あの人たちは私たちの個人情報を商品として売っている。
 あの人たちは報道の自由を妨げるために軍隊や警察を使ってきた。
 あの人たちは利益追求のために、生命を危険にさらすような欠陥製品のリコールを意図的に拒否してきた。
 あの人たちは自分たちの政策が破滅的な結果をもたらし、現在ももたらし続けているにもかかわらず、いまだに経済政策を決定している。
 あの人たちは自分たちを規制する立場にある政治家たちに巨額の献金をしてきた。
 あの人たちは代替エネルギーへの移行を妨害し、私たちを引き続き石油に依存させようとしてきた。
 あの人たちは人々の生命を救うことができるジェネリック薬の普及を妨害しつづけている。これまでの投資を守るためと言っているが、それらはすでに莫大な利益を上げている。
 あの人たちは利益を守るために石油の漏出や、事故、不正経理、添加物を意図的に隠してきた。
 あの人たちはメディアの支配を通じて意図的に人々に誤った情報と恐怖を植え付けている。
 あの人たちは囚人を殺害するための民間契約を承認してきた。容疑についての重大な疑義が提示されている場合にさえである。
 あの人たちは国内でも国外でも植民地主義を永続化してきた。
 あの人たちは国外において、罪のない市民の拷問と殺害に関与してきた。
 あの人たちは政府からの調達契約を獲得するために、大量破壊兵器を生産し続けている。
 (・・・私たちの不満はこれに尽きるものではない)

 世界の人々へ

 ウォールストリートのリバティー広場を占拠している私たち、ニューヨーク市民総会はあなた方に、あなた方の力を行使することを促す。

 あなた方の平和的に集会を開く権利を行使し、公共の空間を占拠し、私たちが直面している問題に対処するプロセスを作り出し、すべての人々に届く全体的な解決策を作り出そう。

 直接民主主義の精神において行動を起こし、グループを形成しているすべてのコミュニティーに対して、私たちは提供可能なあらゆる支援、文書、およびすべての資材を提供する。私たちと共に、声を上げよう!



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フェリシダットさんの証言 [フィリピン元「慰安婦」]

 少し時間が経ってしまいましたが、フィリピン戦時性暴力被害者の一人であるフェリシダットさんが7月に来日された時にお聞きしたお話しを紹介します。
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 「女たちの戦争と平和資料館(wam)」の第9回特別展の開催にあわせて、フィリピン元「慰安婦」団体リラピリピーナから二人の女性、被害者の一人フェリシダット・デ・ロス・レイエス(82歳)さんと、コーディネイターであるリチェルダ・エクストラマドゥーレさんが来日し、7月2日オープニング・イベントが開催されました。

 来日に合わせ、7月3日三鷹で、「フィリピンから二人の女性を迎えて」―お話と映画上映―の会を持ちました。映画「カタローウガン!、ロラたちに正義を!」を上映し、そのあとフェリシダット・デ・ロス・レイエス(82歳)さんからお話を聞きました。紙面の都合から、レイエスさんの証言のみを紹介します。レイエスさんは、映画のなかでも証言されています。
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フェリシダット・レイエスさんの証言
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<7月3日、証言するフェリシダット・デ・ロス・レイエス(82歳)さん>

 私の名前は、フェリシダット・デ・ロス・レイエスです、女性団体ガブリエラ傘下、フィリピン元「慰安婦」被害者団体リラ・ピリピーナのメンバーです。私の生まれた場所はマスバテ、誕生日は1928年11月22日、82歳です。私の体験をお話しします。

 戦争前、私の家族はフィリピンのマスバテに住んでおり、父はドレスをつくる小さなビジネスをしていました。区役所から警察や軍隊の制服の注文を受けました。その時、マスバテのなかのミラグロス町に引っ越し、私はもうすでに14歳でしたが、小学校に入り一年生になりました。何度も小学校に入り直しており、何度か目の一年生でした。
 ミラグロス町にいた頃、戦争になるといううわさが広がりましたが、私の父は「おーっ、また戦争の話かい、ずーっと戦争の話ばかりだけど、まだ大丈夫よ。」と、ちょっとのんびり構えていました。でも、ある裁判官から「逃げた方がいい。あなたはバンカ(魚をとる小さい船)を持っているから、いつでも逃げられるように川そばの船に住んでいた方がいい。」と忠告されました。

 しばらくして、ミラグロスに日本軍がやって来ました。私たちの家族は服をつくっていましたので、その関係で知り合いがいて、いろんな人と一緒にミラグロス町から外へ逃げることになりました。真夜中に荷物・家財道具を持って逃げまわりました。途中、木の下で一晩過ごしたこともありました。明け方、布をテントのように張った仮の宿に泊まったりしました。そこはディナクリパン村でした。当時、私の家族はそれほど生活には困っていませんでした。父は農業もやっていましたから、食べ物もそんなには不自由していませんでした。

 日本軍はミラグロスへやって来て、ミラグロス小学校に駐屯しました。ミラグロス小学校は町で一番大きい建物で、日本軍が接収しました。いろいろ調べたのでしょう、何カ月かたって日本軍は他のいろんな場所にも駐屯してきました。
 私たちの逃亡先であるディナクリパン村にも、日本軍がやって来ました。日本軍から「ここは抗日ゲリラが多く戦闘の激しい地域だから、シビリアンであるあなたたちは前の住所であるミラグロス町に帰れ!」と言われました。
 私の父は、帰りたくなかったのです。そうすると日本軍から、「もし帰らなかったらあなたをゲリラとみなす。ミラグロスだと学校もある。帰ったら子供たちは学校へ行ける。帰れ!」と言われ、ほとんど強制的にミラグロスに戻りました。
 ミラグロス町に帰った時、私たちの家はすでに燃やされたあとでした。家財は壊され、家は焼かれ、豚小屋も豚も焼かれていて、家族みんな大変なショックを受けました。逃げた家族はゲリラ、もしくは支持者とみなされ、破壊されたのです。

 通常フィリピンの学校は9月から始まります。この時私は8月から学校に入りましたが、ずうっと1年生ばっかりだったので、今度は2年生に入ることになりました。クラスには30人いて、チェドロ先生でした。
 学校には日本人の先生がいました。ミラグロス小学校のなかに日本軍の駐屯地があり、いつも日本軍兵士がいました。そこから日本語を教えに日本人の先生が来ていました。
 そのうち日本軍の偉い人が来ることになり、ウエルカムパーティをやることになりました。先生から、私は日本語が上手であると選ばれて、歓迎会に出演することになったのです。日本人先生が歓迎会プログラムをつくり、日本語の歌「見よ!東海の空あけて」を覚えました。私の番号は7番でした。

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<フィリピン元「慰安婦」団体リラピリピーナのコーディネイターであるリチェルダ・エクストラマドゥーレさん>

 歓迎会は金曜日でした。三台のトラックがきて、日本軍兵士でいっぱいになりました。その時の私たちの気持ちはうれしかったのか、恐かったのかよくわからないような状態でした。
 歓迎会のはじめのうちは、日本兵はすごく優しかったし、そんなに問題はありせんでした。歓迎会で私は歌いました。
 そのあと一人の日本人兵士から、「ナンバー7!学校の裏に来い!」と呼ばれました。先生に聞くと、「他のクラスメートもいるから大丈夫、心配しないで行きなさい」と言われ、先生の言葉を信じて行ったのです。しかし行ってみると誰もいません。私は急に恐くなり、「皆のいるところに戻る」と抗議しました。すると突然二人の日本兵に手を引っ張られて連れて行かれてしまいました。
 向学心があって日本語がすこしできたばかりに、学校の先生から選ばれ、「日本軍兵士のところへ行きなさい」と言われました。送りだしたらレイプされるのは教師もうすうす知っていました。にもかかわらず、学校ぐるみで日本軍に協力し、その結果たくさんの少女たちが犠牲になったという事情もあったのです。

 日本兵に連れて行かれた時は、本当に恐かったのです。「なんで他の生徒がいないのか!」と必死で抗議しました。「とにかく、待て!」と言われました。しばらくたって暗くなった頃、5人の日本兵がやって来ました。一人は将校らしく立派な軍服を着ており、リーダーのように振る舞いました。残りの4人は普通の兵士で、私を部屋に連れ込みました。4人が私の手をつかんだ状態のまま、その将校によって足をけられ、平手打ちにされました。すごく恐い思いをしました。

 そしてその5人の兵士から私はレイプされました。セックスの経験は初めてでした。私はレイプの被害にあってとてもショックを受けました。

 最後の兵士がレイプした時に、外から笑う他の兵士たちの声が聞こえました。その時私はあらためて大変な屈辱を覚えました。動物か何かように扱われた、人間扱いされていない、と感じました。
 私は何度も「家に帰らせて!」と訴えました。しかし兵士たちは「もう暗いから」と言って結局、帰らせてくれません。朝になったら帰れるかと思いましたが、夜が明けても返してくれません。その日から毎晩、日本軍兵士たちにレイプされ続けました。食べ物をくれはしましたが、私はショック状態で食欲が全然ありませんでした。なにも食べられない状態が続きました。
 いつも外から日本軍兵士たちの笑い声が聞こえました。私は屈辱と不安でずうっと泣いていました。何日も泣いていると、とうとう涙が枯れて出なくなりました。食べ物はやはり食べられませんでしたが、コーヒーは飲みました。何日かをコーヒーだけで過ごしたのです。ある晩、隣の部屋から女性の泣き声が聞こえてきました。「誰かいる、私だけじゃない、他の人もレイプされている」と思いました。

 とても辛かったので、家に帰りたい気持がますます強くなり、いつも「帰りたい!」と大きな声をあげました。そのたびに「うるさい!」と怒られました。日本軍兵士のなかにはタガログ語を話す兵士もいたのです。「うるさくしたら、殺す!」と言われました。私は、むしろ「殺してくれ!」と叫びました。「何度もレイプされ続ける生活はつらくて、耐えられない気持ちがつのり、死んだ方がマシ」と思ったのです。
 部屋のドアは薄い鉄製(トタン?)の扉でした。私は「帰りたい!」と叫びながら何度も蹴りました。兵士から「ほんとにうるさい!殺すぞ!」と何度も言われました。

 ある夜、3人の日本軍兵士が入って来ました。しかし私は「いやだ!いやだ!」と叫びました。3人のうちの一人が私の身体に触った時、熱があることに気づきました。レイプをやめ外で話していました。
 しばらくして「もう、家に帰れ!」と言われたのです。私の体の異常に気づいたのでしょう。熱病か何かに感染していると誤解し、うつされると恐れたのかもしれません。家まで送ると言いましたが、私は「いやだ!ひとりで帰る」と強く断りました。だって恐いから、またレイプされるかもしれないと思ったからです。

 学校から家まで、身体がすごくつらくてやっとの思いで歩いて帰りました。ろくに食べていなかったので身体が衰弱していたのでしょう。家に帰る道には深い草むらがあり、誰かいるんじゃないか、また襲われるのではないかと、とても恐かった記憶があります。
 ミラグロス小学校から家までだいたい2km離れていました。家に帰った時に、家の前には誰もいませんでした。父は魚を獲りに出かけていました。そのうち姉妹たちをみつけましたが、泣いていて近づこうとしません。私は家に入りました。母がいました。母と抱き合って、私たちはずっと泣き続けました。
  しばらくして母に、「どうして父や家族は、私を連れ戻しに来なかったの!」と尋ねました。
 当時、日本軍のやることには逆らえなかったのです。父が私を連れ戻しに行くことは、危険な行為でした。殺されるかもしれなかったのです。そういう規則だと言われたそうです。父は危なくて来ることができませんでしたが、のちに父からはすまなかったと言われました。

 私の姉とカメラマンの仕事をしているその夫がフィルムを買いに行く途中、日本軍兵士に出会い、お辞儀しなさいと命令されましたが、恐かったからあまりうまくできませんでした。フィリピン人にはもともとお辞儀する習慣はありません。その「態度」だけで逮捕されて、姉の夫は太陽の下で拷問を受けました。同時に捕えられた姉は、区役所の建物に監禁されてレイプされました。姉は子供を産んだばかりでした。 
 姉の夫は、かわいそうにすぐ後、亡くなってしまいました。当初家族は、私には亡くなった理由を教えてくれませんでした。「どうして兄さんは死んでしまったの!」と聞いても、みんな何も言わず私には秘密にしていました。私を気遣ってくれていたのでしょう。しばらくしてやっと教えてくれました。姉がレイプされたことが、ショックで亡くなったと言うのです。それを聞いて私は涙が止まりませんでした。

 当時のミラグロス町は、日本軍にいつ捕まり監禁されレイプされるかわからない危険な状態でした。私も危ないから、父から「お兄さんの家に引っ越したほうがいい、そこの学校に行くこともできる」と言われました。

 そのあとで私は逃げるように違う村に引っ越ししました。その頃にもう戦争はほとんど終わっていました。私たち家族は逃げまわってきたので家も財産も失っており、家族の生活はまったくひどいみじめな状態になりました。

 そうして再びマスバテに引っ越しました。父はまた縫製の仕事をはじめました。私はマスバテで6年生まで学校に行きました。
110703 三鷹2233 アリソン・オパオンさん (489x640).jpg<当日、通訳をしてくださったアリソン・オパオンさん、歌も歌ってくださいました>

 私は本当は先生になりたかったのです。戦争が終わったあとも勉強し先生になりたかったのです。しかし父は「家にはそんなお金はない」と、許してくれません。「それより服をつくる仕事を覚えろ!」と言われました。日本軍にレイプされ、私の人生は大きく狂わされました。それは大変な惨劇でしたが、それだけにとどまりませんでした。私の家族には日本軍に殺された者もいます。戦争で家族は財産を失いました。そのせいで私は上の学校に行くことはできず、すぐ働かなければなりませんでした。

 父の仕事を手伝い、そうして縫製の仕事をすることになりましたが、ただ、最初はどうやっていいかわかりませんでした。「いままで見ていなかったのか!」と父に怒られました。
 ちょうどその時ズボンを縫う急ぎの仕事が入り、「これをやれ!」と言われました。受取日になって、発注した人が来ましたが、できていませんでした。一日待ってもらい、その晩頑張ってやっと完成しました。そのようにして私は仕事を覚えました。
 
 これらは私のつらい、くらい経験です。決して死ぬまで忘れることはできません。最初は人前で話すことはできませんでした。すごく悲しいことですし、話し出すと私の気持ちも体もつらくなったのです。でも今はやっと皆さんに話すことができるようになりました。

 戦争の時はそれはそれは本当に大変でした。ろくに食べ物がありませんでした。たとえ目の前に食べ物があってもとにかく逃げまわらなければならず、食べるどころではなかったこともありました。家畜もいましたが、全部日本軍に押収されました。あの頃は本当につらかったのです。
 
 戦争の時に日本軍によって私のいとこの一人が殺され、叔父さんの一人も殺されました。私や姉はレイプされました。家族は財産を失い、ひどい生活を強いられました。戦争は本当によくありません。本当にやめなくてはなりません。そのために私たちは、団結して反対しなくてはなりません。

 日本軍が降伏した時、私の心の中には復讐心がありました。日本軍兵士からレイプされ大変な思いをしましたし生きる希望も失っていましたから、日本兵をひとりだけでもいいから殺し、自分も死にたいと思っていました。そんな精神状態でした。皆さんに、ご理解いただけるでしょうか。
 でも日本軍兵士も、戦争中にまたそのあとになっても、たくさん死にました。その姿もみました。かわいそうであるようにも思うようになりました。

 私にはつらい経験があります。でも私だけではありません。同じような被害を受けたロラがたくさんいます。そのことを決して忘れてほしくないのです。
 ロラたちのためにこの話を歴史の本に残し学んでほしいのです、ロラたちの正義を回復してもらいたいのです。そうして私たちのような女が二度と生まれないようにしてほしいのです。

 日本政府は被害の事実をようやく認めてはいますが、公的な謝罪も補償もしていません。私たちは望んでいるのは日本政府の公的な謝罪と補償です。
 私の話を聞いてくださり、ありがとうございました。

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「元「慰安婦」らの個人請求権放置は違憲」  [元「慰安婦」問題]

 「元「慰安婦」らの個人請求権放置は違憲」  韓国憲法裁判所 判決

 韓国憲法裁判所は8月30日、旧日本軍の元「慰安婦」の賠償請求権をめぐり、韓国政府が日本政府と交渉努力をしないのは違憲とする初めての判断を下した。元「慰安婦」被害者たちが違憲審査を申し立てていた。

 日韓両国政府は1965年の日韓基本条約締結の際の請求権協定で、韓国政府が植民地時代の請求権を放棄する代わりに、日本政府が経済協力資金を支払う形で決着を図った。

 韓国憲法裁判所は「協定に被害者(「慰安婦」)の賠償請求権が含まれているかをめぐり(日韓政府で)解釈の差があるので外交ルートを通じて解決しなければならない」として、韓国政府に外交努力を求めた。 

 韓国外交通商省の趙世暎東北アジア局長は9月1日、同国の憲法裁判所が、旧日本軍の元「慰安婦」の賠償請求権をめぐり韓国政府が日本政府との交渉努力をしないのは違憲との判断を出したことを受け、兼原信克駐韓公使を呼び、日本政府側の積極的な対応が必要との考えを伝えた。兼原公使は本国政府に報告すると答えた。

 植民地時代の請求権をめぐっては、両国政府は1965年の協定で韓国政府が請求権を放棄、日本政府が経済協力資金を支払う形で決着が図られた。日本政府は個人の賠償請求権についても決着済みとの立場である。
 これに対し、韓国・外交通商省省報道官は1日の記者会見で、「「慰安婦」問題は協定の対象に含まれず、日本政府が追加的な措置を取るべきだというのが韓国政府の一貫した立場だ」と述べた。 

 韓国政府、慰安婦問題で協議提案へ
 さらに、9月8日、韓国・外交通商省は日本の植民地時代に「慰安婦」にされた韓国人女性の問題について、近く日本政府に協議を始めるよう提案することを決めた。韓国政府当局者が明らかにした。
 
 元「慰安婦」たちの訴えを、韓国憲法裁判所が認めたことになる。韓国政府もその方向で交渉を始めると報じている。

――――――――――――――――――――――
 この判決に対する、元「慰安婦」たち被害者、韓国韓国挺身隊問題対策協議会、ナヌムの家などの連名による声明が出ているので、下記に紹介する。


 公 開 書 簡

 「日本軍『慰安婦』問題解決の努力なき国家不作為は憲法違反、被害者の基本権侵害」という憲法裁判所決定を厳重に受けとめ、迅速な外交的措置の履行を韓国政府に促す


 金星煥 外交通商部長官 殿

 2011年8月30日、憲法裁判所は、韓国政府が日本軍「慰安婦」被害者の賠償請求権に関し具体的解決のために努力していないことは被害者の基本権を侵害する違憲行為であるとの刮目すべき決定を宣告した。これは、去る2006年7月5日、当時存命していた日本軍「慰安婦」被害者109名が「日本政府に法的責任があるにも関わらず、外交通商部が韓日請求権協定の解釈と実施による紛争解決をおこなわないために、被害者の財産権、人間の尊厳と価値および幸福追求権、外交的保護権を侵害したもの」だとして訴えた憲法訴願審判請求(事件名:2006헌마788、大韓民国と日本国間の財産および請求権に関する問題の解決と経済協力に関する協定第3条不作為違憲確認)への宣告として、請求後およそ5年余りをかけて成し遂げられた。

 日本植民地時代に日本軍性奴隷として連行され残酷な人権侵害を経験した日本軍「慰安婦」被害者たちは、数十年にわたって日本政府を相手に困難な闘争を繰り広げてきた。自国民の被害を解決するために外交的努力を果たすべき責任がある韓国政府の対処が微温的かつ傍観的であるなか、被害者たちは日本の裁判所へと、国連へと、世界各国へと巡り歩き、日本政府に問題解決を促す活動を自らおこなってきた。1992年から約20年のあいだ街頭で毎週水曜日に、韓国政府による積極的対処を訴え、日本政府にたいし問題解決を促してきた。日本軍性奴隷制によって受けざるをえなかった苦痛と、解放後も続いた社会的無関心、冷遇そして韓国政府の無責任のなかで、被害者たちは二重三重の苦痛を受けなければならなかった。
 こうした被害者たちにとって、憲法訴願審判請求は韓国政府に積極的役割を果たすよう促す国民としての最後の手段だった。

 これについて憲法裁判所が、具体的解決努力をしなかった韓国政府にたいして、憲法に由来する作為義務に違反し被害者らの基本権を侵害したものとの判決を下したことは、日本軍「慰安婦」被害者と彼女たちを支援してきた多くの人々にとっての希望となった。

 その反面、すでに国際社会でも「世界に類例を見ない残忍な犯罪」だと糾明された日本軍「慰安婦」問題が、なぜ実際の被害当事国である韓国政府にかくも長いあいだ背を向けられてきたのかを考えると、その挫折と怒りの深さは測り知れないほどだ。

 被害者たちが日本軍「慰安婦」被害を自ら証言し、民間団体とともに世界各地で止むことなく訴えを続け、日本政府に向けて問題解決を直に要求してきたこの20年間の闘争に比して、外交通商部をはじめとする韓国政府が傾けてきた努力とは果たしていかなるものであったのかを、今回の憲法裁判所の決定を受けて真摯に重く省みることを願う。

 この間、日本軍「慰安婦」被害者たちは日本政府がその責任を果たすことを要求して、日本政府および国会の代表と面談し、日本の裁判所に謝罪と賠償請求の訴訟を提起してきたが、どれも判決は敗訴とされた。日本政府はこの過程で、韓日協定によって日本軍「慰安婦」問題についての賠償問題はすでに解決したという立場を一貫して主張してきた。それでも韓国政府はこれにたいし公開の反駁さえまともにおこなわず、沈黙することで結果的に日本の立場を幇助する事態を招いた。

 2005年、韓日協定文書の全面的な公開によって、日本軍「慰安婦」被害問題が協定に含まれておらず法的責任が残っているという事実を政府自らが確認し、それに伴って韓国政府の役割と義務も正式に確認された。以後、韓国政府は日本政府にたいして法的責任を追及しつづけていくという方針を明らかにし、これは国連人権機構および国際法律家協会などの意見に遅ればせながら足並みを揃える進展だと思われたため、被害者たちは再び韓国政府の努力を期待し新たな希望を抱いていた。

 しかしその期待が失望へと変わるのには、それほど長い時間はかからなかった。その後も韓国政府は、日本軍「慰安婦」問題解決および法的責任を追及する韓日間の外交的措置など、国家次元での努力を果たさなかった。結局、韓日協定文書公開から約1年後の2006年7月5日、高齢の被害者達が最後の期待を胸に憲法訴願審判請求訴訟をおこなうという事態にまで至ってしまった。
 8月30日の憲法裁判所の決定宣告がなされるまで待ち、この5年余りの時間が過ぎるあいだに、審判請求当時は109名だった請求人のうち48名が死亡し生存している請求人は61名だけとなった。

 韓日請求権協定によって日本軍「慰安婦」被害者たちの賠償請求権は消滅したという日本政府の主張にたいし正式に公開的に反駁し、外交的解決努力を傾ける責任が韓国政府にあることは紛れもない。憲法裁判所の判決で明らかにされているように、「外交通商部が紛争解決の手続きへと踏み出す義務は、日本軍により恣行された組織的かつ持続的な不法行為によって人間の尊厳と価値を深刻に毀損された自国民らが賠償請求権を実現できるよう協力し保護すべき憲法的要請によるもの」であるのは当然のことだ。したがって「その義務を履行しないことは憲法に違反するもの」であり「請求人らの基本権が重大に侵害される可能性がある」という判決を、外交通商部は真摯に受け止めるべきだろう。また、「『あらゆる請求権』という包括的な概念を用いてこの協定を締結した韓国政府にもその責任があるという点に注目するならば、その障害状態を除去する行為へと踏み出すべき具体的義務がある」との決定もやはり明確に注視すべきだろう。

 特に、日本軍「慰安婦」犯罪が有する人権蹂躙の深刻性と被害者たちに重ねて加えられている被害の持続性、被害者たちが高齢であることによる切迫性を考慮すれば、この事案は韓国政府がいかなる外交懸案よりも優先して解決すべき緊急懸案である。政府はこれ以上、高齢の被害者たちと関連民間諸団体に日本軍「慰安婦」問題解決のための努力を転嫁してはならない。

 よって私たちは外交通商部に要求する。憲法裁判所の判決を謙虚かつ重く受け止め、日本軍「慰安婦」被害者たちの名誉と人権回復のための政府の外交政策を計画し、日本政府にたいし問題解決を積極的に促し、日本の行政府と立法府を相手に実質的解決が可能となるあらゆる外交的活動を即刻履行せよ!

 2011年8月31日

 請求人:姜日出、吉元玉、金福童、朴玉善、李順徳、李容洙等、請求者61名
 韓国挺身隊問題対策協議会
 ナヌムの家
 挺身対ハルモニと共に行動する市民の会
 憲法訴願審判請求訴訟代理人 李錫兌、崔鳳泰弁護士等23名
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欧米金融危機の懸念から、世界経済危機の様相 [2008-9世界経済恐慌]

 欧米金融危機の懸念から、世界経済危機の様相 

ドルの低下は、米国の地位の低下

 この夏、世界経済危機は新たな、深刻な様相を呈している。

 1)米政府、10年間で2兆ドルの歳出削減 

 米連邦債務の上限引き上げ問題は、期限の8月2日に迫るなかでギリギリの決着にこぎ着け、デフォルト(債務不履行)の懸念はひとまず消えたことになった。しかし、その一方で、米国は今後10年間で2兆ドル規模の歳出削減を実施することになり、緊縮財政が義務付けられ、米政府当局者にとって選択肢はなくなった。景気高揚策としての財政政策を採ることはできなくなった。

 歳出削減額は米連邦債務の上限である14.3兆ドルと比較すれば約17%と、きわめて大きい。日本に当てはめれば一般会計予算の2年分、税収の4年分以上に相当する。
 米連邦債務の上限引き上げ問題で繰り返された2012年大統領選を想定した共和党からの攻撃に対し、オバマ政権・米政府は、対応能力の欠如を露呈し、世界の投資家を一斉に不安にさせた。

 2)スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が発表した米国債の格下げ

 8月5日、スタンダード&プアーズ(S&P)による米国債の格下げを受け、世界の投資家が一斉にリスク削減に動いた。担保価値の低下による半ば強制的なリスク削減に加え、投資家は格下げによる負の連鎖が今後も続くことを警戒している。
 S&Pは8月8日、米国債に続き、米政府系住宅金融機関(GSE)の連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)と連邦住宅抵当金庫(ファニーメイ)の長期格付けも一段階引き下げた。
 スタンダード&プアーズ(S&P)による米国債の格下げをきっかけとして、欧米債務問題の早期解決に対する悲観的見方の広がり、景気の二番底に対する懸念が広がり、投資家はリスク資産から一斉に資金を引き揚げ、欧米株安、世界同時株安となった。
 しかし、スタンダード&プアーズ(S&P)による米国債の格下げは、あくまで「きっかけ」であって原因ではない。たとえ格下げがなくとも、遅かれ早かれ債務問題への不安、金融不安から世界同時株安に至っただろう。

 3)8月の世界同時株安は、欧米債務問題・金融システム不安から来ている

 投資家心理悪化のきっかけとなったのは、5日スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)による米国債の格下げ、ユーロ圏の債務危機への懸念から、米経済の悪化が景気の二番底を招くとの懸念が広がり、これに追い打ちをかけた。
 8月8日、世界の株式市場は、欧州と米国の債務問題の早期解決に対する悲観的見方の広がりや、景気の二番底に対する懸念で急落した。主要7カ国(G7)の財務相・中央銀行総裁による声明も市場の鎮静化には至らなかった。
 8月19日現在、ダウ工業株30種は8月に入ってからは13.1%下落した。
 この日アジアから始まった株価の下落は欧州でも続き、米市場で一層加速。2008年12月1日以来の大幅な下落率となった。 
 世界の株式市場では、過去8日間の下落で3兆8000億ドル以上が失われ、行き場のなくなった資金はスイスフランと円、金に向かう展開となった。
 米株市場でバンク・オブ・アメリカが20%下落するなど金融株の下げが厳しい。米国では住宅、商業用地ともに価格が下げ止まらず、不良債権の処理は終わっていない。雇用も目立って改善せず、消費拡大は見込めそうもない。

 今回の世界株安は欧米債務問題に金融システム不安が複合的に絡んで起きている。抜本的な問題解決は期待できそうにない。
 世界の投資家は、いっせいにリスク回避し、リスク・ポジションの解消を続けている。新興国への投資も引き揚げざるを得なくなり、新興国株価も一斉に下落した。その結果、世界的な株安の連鎖が止まらない。

 4)ECBの国債購入の効果は一時的、G7声明の主要ターゲットは米欧短期金融市場

 米国債格下げは、住宅ローン担保証券(MBS)の信用にも影響し、MBSを担保にした短期資金のやり取りが円滑に進むのかはっきりしない。
 G7声明で「今後数週間緊密に連絡を取り、適切に対応し、金融市場の安定と流動性を確保するための行動を取る準備がある」としている主なターゲットは、ドル/円相場ではなく、まず第一に米短期金融市場、第二に欧州短期市場であろう。

 欧州では、ECBが行ったイタリア・スペイン国債の買い入れの規模は約20億ユーロ。両国の国債利回りは急低下し一定の効果はあった。ただフランス国債の保証コストとなるクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)は160ベーシスポイント(bp)に拡大し、過去最高水準となった。米格下げを受け、フランスなど他の最上級格付国が今後どれだけ格付けを維持できるか、懸念が広がった。
 
 イタリアの国債市場規模は大きく、ECBの動きは一時的な解決策にすぎない。ユーロ圏債務危機や景気への影響への政府の対応能力を疑問視する見方に押された。

 欧州中央銀行(ECB)はイタリアとスペインの国債購入に乗り出したものの、長期的な救済策への懸念の払しょくには至らなかった。
 要するに、ECBの国債購入の効果はあくまで一時的であって、期待した効果は生まなかったということになる。
 
 5)米政府にはすでに打開策がない

 米国では債務上限引き上げの前提として緊縮財政をコミットする政治決着をはかったため、財政面での景気刺激は不可能に近い。昨年発動された量的緩和第2弾(QE2)は世界的な資源価格、商品市況の高騰をもたらし、確かに米株価を高騰させた。しかし、それは副作用が大きかった。新興国では物価上昇が止まらない。アジアでは不動産価格の上昇を招き、ガソリン価格や食料品価格も高騰した。インフレ制御に苦しんでいる。そうした犠牲のもとで米国は株価を上昇させたが、その上昇分もすでに吹き飛んでいる。QE2の効果はその程度に限定的だった上に、いっそうの金融不安を呼び起こしてしまった。量的緩和第3弾(QE3)を発動する状況にはない。

 米国ではオバマ大統領が財政赤字に対する迅速な行動を呼びかけたが、税金に関する提案が野党共和党の反発を招いた。大統領は、米国債の格下げで財政赤字削減の緊急性が増したと強調し、議会の特別委員会が11月に提案する財政赤字削減策の内容の一部として、増税と社会保障プログラムの見直しを求めたが、共和党のベイナー下院議長はこれを拒否する姿勢を示した。

 市場では、欧米の政治面での障害が迅速な財政改革を阻むとの見方が広がっており、解決策の選択肢が限られて本格的な支援は期待できないとの悲観的見方が強い。「債務増大や景気減速の問題に米政府は対処できない」との判断が広がった。市場は単に米国景気を懸念しているのではなく、恐慌に陥った際の対応策がないことを懸念している

 2008世界恐慌以降、政府による大規模な経済対策が消費意欲を刺激し、雇用の悪化にかかわらず小売りだけが2008年恐慌前の水準を超えてきた。財政出動バブルと言っていい。そのうえでこの3年間で余分に増加した米政府債務は約3兆ドルで、小売売上高がかさ上げされた分の累積値を試算すると1.5兆ドルとなり、政府支出の約半分が消費に回った格好となっている。今後、緊縮財政が実施されれば、このかさ上げされた消費のかなりの部分が失われていくことになっていくであろう。

 ドルの低下は、米国の地位の低下

 米国の地位低下が顕著となり、基軸通貨国というよりは、西側の大国の1つに成り下がったという現実が大きい。米国内では大統領のリーダーシップが低下し、安全保障やG7の枠組みにおいても、米国主導で物事が決まらなくなっている。米国が作った格付けルールの中で、米国自身が格下げされ、座標軸の真ん中が無くなった。
 市場は、スタンダード&プアーズ(S&P)による米国債の格下げを、米国自身の格下げと受け取ったのである。
 世界経済の構造変化を感じさせる。

6)世界同時株安に具体策なし

 8月26日、米連邦準備理事会(FRB)バーナンキ議長は、量的緩和第3弾(QE3)実施を表明しなかった。たとえに今後追加してQE3が実施されたとしても、世界景気が急減速する事態を防ぐ特効薬にはならない。
 米国では景気減速懸念が強まる一方、政府債務上限問題で財政支出がしにくくなっており、追加金融緩和(QE3)しかとりあえず採る方法は残されていない。しかし、そのQE3が導入されたとしても資源価格・商品市況が活況となるだけであって、根本的な解決には至らない。それどころかいっそうのドル安円高へと導き、インフレの危険性も準備する。
 そうなれば、米市場の金融機能不全を材料にドル安と株安が進行するリスクが拡大するような事態を招くであろう。
 八方手詰まりの状況にある。

 今、市場が懸念を強めているのは、2008年8月の世界恐慌後の「バブル崩壊」を、財政・金融の“大盤振る舞い”で対処したものの、結果的に米国を中心に経済は健全化する方向に行かず、財政・金融政策の刺戟効果がなくなると、再び、低成長軌道に戻ってしまったのではないかという点である。

 3年前には米国はじめ欧州各国に財政出動の余力があったが、今はその余力がほとんどない。危機対応力の低下したG7各国が、これから来る景気後退リスクを乗り越える余力を残していないのである。
 具体策を持っていない。打開策がない。(文責:小林 治郎吉)
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ユーロ危機は繰り返す [2008-9世界経済恐慌]

 ユーロ危機は繰り返す

 ギリシャの大幅な債務超過に端を発した欧州ソブリン危機は、圏内の中核国であるイタリアやフランスにも飛び火し、欧州通貨統合の行方に暗い影を投げかけている。
 果たして危機終息の見通しはあるか。ユーロはドル、円とならぶ世界の通貨として市場の信認を回復できるか。
 
 1)ギリシャ危機は解決しない、ユーロ危機は繰り返される

 ギリシャ危機は債務の減免なしには解決しない、したがってユーロの危機は今後も繰り返される。7月に決まった追加支援によってもギリシャの債務問題は解決しなかった。

 「仮に金利が10%だとしても、(ギリシャは)15%程度の成長を毎年続けなくてはならず、GDP(国内総生産)の150%という債務は返せない。本質的な解決を避け、つぎはぎで対処しようとするので、いずれまた市場が荒れ、そのたびにイタリアやスペインに危機が飛び火するだろう。したがって、半年ごとに追加支援を繰り返し、問題の先送りをつづけるしかない状況にある。最終的には、債務の減免なしで解決は無理であろう。」(8月17日、国際通貨研究所の佐久間浩司・経済調査部長)。
 ギリシャ国債の価格は暴落し、金利は現在19%である。
 
 しかし、本当に問題なのは、たとえギリシャ危機が債務減免で解決したとしても、その分ユーロが債務・不良債権を抱え込むのであって、より大きなユーロ危機、ユーロ信用不安、金融機関の破綻を準備するのであり、その危機がもうすぐ先に、見えていることなのである。

 2)ギリシャ危機とは何か?

 ユーロは各国共通貨であるため、債務危機などの対外不均衡が生じた場合、ギリシャ貨幣を切り下げる為替調整機能が働かない。スペインやポルトガルも同様に、通貨が下落しないことで国際競争力を失ってしまった。さらに、2004年ごろからEUが東欧に拡大し、欧州企業の生産拠点がイベリア半島から東欧に移ってしまった。

 ギリシャでも同様の事態が繰り返された。2001年のユーロ加盟によって、実際には例えばドイツとギリシャ間には深刻な経済格差が存在するにもかかわらず、ユーロ圏であるということで、同じ通貨を共有した。強力な通貨を手にしたギリシャにおける資本調達環境は、一気に改善した。ギリシャの安価な労働力を目当てに活発な資本投資が行われ、経済は急拡大した。企業買収をおこない、生産を拡大した。いわば人為的に作り出された好条件によってバブル状態が生まれ、ギリシャ経済は急拡大した。バブルに浮かれて投資したのはギリシャ資本ばかりではない。欧州資本、特に金融資本が投資したのである。
 
 低利で調達できる資金は、ギリシャ資本主義の「高度化」に投資されることは少なかった。これまでの高金利から一挙に低金利になった。住宅需要は急速に増大し、多くの国民が住宅購入に走った。不動産、住宅への投機も同時に拡大した。多くの資金は、目先の利益を求めて不動産投資、住宅投資に流れ、住宅バブルに沸いた。欧州の金融機関はこの住宅バブルに多額の資本を投資した。

 しかし、ユーロ統合直後に生じた好条件はすぐに解消してしまった。ギリシャでの物価が上昇した、労働コストも上昇していった、そもそも低賃金を目当てに進出したから、他方で生産性の向上は遅れた。徐々に多くのメーカーがギリシャを離れ、アジアや東欧に拠点を移した。そうしてギリシャ経済が不調の兆候が出はじめたところへ、2008世界恐慌が襲った。ギリシャ経済は恐慌状態に陥り、多くのギリシャ企業が操業を停止し、逃亡し、破産した。
 不動産投資、住宅投資は焦げつきを見せはじめ、膨大な額の不良債権が姿を現し始めている。ギリシャの金融機関のみならず、欧州の銀行、金融機関はすでに膨大な不良債権を抱えている。

 他方、2009年10月に発足したパパンドレウ政権は前政権による統計数字の改ざんを暴露した。同年の財政赤字の対GDP比がそれまで公表されていた6%程度ではなく、12.7%に達していることが判明し、同国のずさんな財政実態への懸念が一気に金融市場を覆った。

 ギリシャ政府の財政破綻への懸念が拡大した、そして一挙にギリシャ国債の引き受け手がなくなり、ソブリン危機となったのである。

 住宅バブルがはじけ、企業が逃亡し、失業が増大したギリシャは、この財政危機を解決する力を失っている。財政収入が減少し、支出が増大するにもかかわらず、EUやIMFから財政再建を義務づけられた。ユーロ各国と国際通貨基金(IMF)による支援の条件として、 財政再建、すなわち、福祉予算・教育費、さらには年金を削り、公務員を削減することを求められている。

 ユーロ加盟国で初めてデフォルト(債務不履行)の瀬戸際まで追い込まれたギリシャは、欧州連合(EU)、国際通貨基金(IMF)などから第一次支援(2010年)、第二次支援(2011年)として、これまでに総額2,690億ユーロ(約30兆円)に及ぶ救済措置を受けている。第二次支援には、民間投資家の負担による債務軽減も盛り込まれた。
 その代償として、ギリシャ政府が対外公約したのは既得権益の切り捨てを含む抜本的な財政緊縮策である。そのツケは様々な形で市民生活に目に見える打撃を及ぼしている。

 3)ギリシャ危機はギリシャにとどまらない

 ギリシャ危機はギリシャにとどまらなかった。まっすぐにユーロ体制の危機へと進んだのである。ドイツを始めとするユーロ圏各国と国際通貨基金(IMF)による度重なる支援にもかかわらず、ギリシャ危機のマグマは衰えていない。むしろ、イタリア、スペイン、そしてフランスなど他の域内諸国に対する市場不安を誘発、単一通貨ユーロを足元から脅かし続けている。なぜならば、ギリシャに起きた住宅バブルは、同じように、東欧諸国でも、スペイン、イタリアでも同時に進行したてきたからである。そのバブルに欧州の主要な金融機関が投資し、莫大な不良債権を抱えているからである。ギリシャ危機は欧州バブル崩壊の先陣を切っているとみなしてさしつかえない。

 ユーロ体制は、「経済格差のある域内諸国間の亀裂」となって紛糾しはじめている。この亀裂は、修復可能なのか。欧州通貨統合の厳しい未来を暗示している。「ユーロ」は現在、最大の危機に直面している。
 「域内諸国間の亀裂」として現れているのは、欧州でのバブル崩壊、世界恐慌による損を誰が負担するのか、誰が没落するのか、をめぐった争いと見るのが、もっとも的確なのであろう。
   
 4)アイルランド、ポルトガル、スペイン、イタリアへの危機の転回、即ユーロの危機

 ギリシャと同様に大幅な財政赤字を抱えるアイルランド、ポルトガル、スペインの国債はすでに格下げされ、イタリアの国債も同様の不安にさらされている。
 さらに、8月半ばには、ドイツと並ぶユーロの牽引役であるフランスに対しても「トリプルA」格付けを失うのではないかという懸念が市場に拡大。サルコジ大統領が静養先の海辺から引き返して新たな財政緊縮策を取りまとめる事態となった。

 この余波で、こうした国々の国債を保有している欧州各国の銀行株が急落、フランスのソシエテ・ジェネラルが一時22%も下落するなど、リーマン・ショック以来ともいえる混乱が起きた。
 株価急落を阻止するため、フランスは8月12日、イタリア、ベルギー、スペインとともに金融株に対する空売り規制を導入。ドイツも欧州全体で株式、国債、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)に対するネーキッド・ショートセリング(現物手当てのない空売り)禁止を呼び掛けた。   

 さらに、欧州中央銀行(ECB)は8月15日、ユーロ参加国の国債を12日までの1週間に220億ユーロ(約2兆4000億円)買い入れたと発表した。これは昨年5月の買い入れ開始以来、1週間の購入額としては最大規模で、ソブリン危機拡大に対するECBの切迫感が浮き彫りになった。
 ギリシャ、アイルランド、ポルトガル、スペイン、イタリアの危機は、決して各国の孤立した危機ではなく、即ユーロの危機なのである。

 欧州を覆う投機マネーの動きや景況感の悪化の背景にあるのは、2008世界恐慌による金融危機、これに続く過剰生産恐慌に対し、各国政府は公的資金の注入し、とりあえず目の前に迫った恐慌の衝撃を緩和させた。そのことは、莫大な損を国家財政に付け替えただけであって、財政危機の顕在化によるソブリン危機へと爆発の「場所」、形態を変えただけであった。現在の過程は国債の価格低下、格下げから、信用不安へと進み、とくに財政基盤の弱いギリシャが、欧州を覆う投機マネーの攻撃を受けている。

 ギリシャ危機を抑えるには、ECBの追加支援、もしくは債務減免しかありえない。ECBはさらに各国の国債を購入せざるを得なくなるだろう。いずれにせよそのことは、不良債権をユーロが抱え込むこと、またもやより大きな損のつけかえであって、ユーロの財政基盤を弱くするだけである。しまいにはユーロ自身の信用不安を引き起こす。

 実際のところ、ユーロ危機こそ誰もが恐れている。ギリシャ「支援」とは、文字通り「弥縫策」である。モグラたたきのごとく次の犠牲を求めて、マネーは徘徊する。恐慌は2008年以降、「損のつけ替え」で爆発の機会を繰り延べされた。繰り延べは恐慌の爆発力をより高めたようである。いまや、恐慌による暴力的な調整しか選択はなくなりつつあるように見える。 

 欧州ソブリン危機の連鎖に加え、8月に入り欧州圏の景況も再び減速モードに入っている。欧州ばかりか世界同時株安、景気後退局面に入りつつある。
 ユーロ危機の拡大は、世界恐慌からの「回復過程」から明らかな減速モードに入ったことを表現している。世界恐慌からの「回復過程」は、本当の回復ではなく、財政危機を人質にした爆発までの時間稼ぎであったようである。

 欧州連合(EU)統計局が8月16日に発表した第2・四半期のユーロ圏域内総生産(GDP)は、ドイツの景気低迷やフランスのゼロ成長を反映し、市場予想より低い前期比0.2%、前年比1.7%の伸び(速報値)にとどまった。最大の押し下げ要因になったのは、貿易収支の悪化や消費の落ち込み、建設投資の不振で2009年第1・四半期以来の低成長となったドイツ経済の低迷である。

 このままユーロの信認維持は難しい状況にある。ユーロ各国間の対立はより深まり、ユーロ体制の動揺とひび割れを大きくしている。どう修復するか。圏内の亀裂が深まれば深まるほど、盟主を自任するドイツとフランスには、そうした難題が重くのしかかる。

 「ドイツとフランスは、共通通貨としてのユーロを強化し、一段と発展させる義務を絶対的に感じている。そのためにユーロ圏の金融・経済政策の連携強化が必要であることは明らかだ」。ドイツのメルケル首相は8月16日に行ったサルコジ仏大統領との独仏首脳会談の後、こう語って、ユーロ動揺への危機感をあらわにした。

 しかし、現状打開の決め手はない。恐慌が勃発しないように、その場限りの「弥縫策」をとり続けるしかない。2008年世界恐慌勃発時には、財政支援政策を実施する余地はあったが、2011年夏にはその余地はすでにない。それどころか、対処したことによってもたらされた財政危機が、今度は新たな引き金になりそうである。

 息を殺して、恐慌による暴力的な調整を待つばかりである。

 ユーロ危機は繰り返す。世界的な金融危機・金融恐慌として繰り返す。(文責:小林治郎吉)

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