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久しぶりに訪れたマリベレスの街 [フィリピン労働運動]

久しぶりに訪れたマリベレスの街

(アンバ・バーラ事務所まえで)

アンバ・バーラの事務所
一年半ぶりに訪れた。訪れたのは3月9日の昼間であった。外は暑かったが、この時期はまだしのぎやすい。一階は涼しく時折吹き入る風が心地よい。夜になると逆に二階が涼しく扇風機も要らない。おかげでよく眠ることができた。朝5時ごろから前の通りをトライシクルが走りはじめ急ににぎやかになる。早出の出勤時間だ。
昨年の台風で一階部分が1mの高さまで浸水し、壁に水の跡が残っていた。ちょうど台風の来る前にペンキを買ってきて塗りなおししたばかりだったそうだが、浸水で家具の扉などが壊れ部分的に取替えられていてちぐはぐな色合いになっていた。洪水のときには女性のスタッフが3人いただけで応援を呼ぶわけにもいかず、洗濯機は二階に持ち上げて避難したが、冷蔵庫は重くて持ち上げられなかった。それ以来冷蔵庫は単なるもの入れとTV 台の働きしかしていない。海からわずか50mしか離れていないにもかかわらず、1mの高さまで浸水するとは想像しにくい。海に流れていくだろうと思うのだが。台風と満潮が重なると浸水するんだという。

フィリピンでは政治的殺害が横行している。アロヨ政権になってすでに834人もの人権活動家、民主団体役員、農民団体リーダーたちが殺されている。その手口はほとんど同じで、バイクに乗った二人組が走ってきて銃で撃ち殺した後、すばやく逃亡するというもの。兵士であろうといわれている。事務所の前を二人組みの見知らぬ人物が何度かバイクで通り過ぎたことがある。
アンバ・バーラの事務所は殺風景ともいえるほど整理されていた。一階にはほとんど何も置かれていない。入り口の部屋に見慣れたアンバ・バーラの旗がある。1982年設立と書かれ、今から見れば素朴ともいえる表情の労働者の横顔が刺繍されている。ドアには鍵をかけるようにして誰でも入れないようにしている。鍵といってもドア枠に穴を開け太い釘を挿すだけの手製で、蹴破れば壊れる程度の代物。外から訪れる者は毎回ノックして誰か確認して始めてドアを開ける。
これまで玄関向かって右側の部屋は外から出入りする倉庫として使っていたが、コンクリートを塗りドアを封鎖し、内側の部屋とつなぐ構造に改築していた。これもなるべく外に出ないための事務所の改造であろう。
エミリーとクリスチャンは事務所には住んでいない。他のスタッフも夜はほとんど出歩かない。おかげで今回は市場の周りを1時間ほど歩いただけでそれ以外は事務所の中にずっといた。緊張した状況を感じとった。

ほほえましい話を一つ。クリスチャンのロマンスである。彼は29歳でトライシクルの運転手をしながらオルガナイザーとして働いている。生活費は自分ですべて稼いだうえでオルグ活動を行っている。オルガナイザーだがサラリーをもらってはいない。自分の考えと意思でやっているし、他の人もそうしているという。トライシクルやジプニーの運転手の組織化を担当している。中央ルソン地域にも出かけることが多く、今回のピースサイクルにも三日間同行してくれた。彼は率直な男で、私が事務所に泊めてもらうと言ったら、その間だけでも事務所での食事がよくなるので歓迎すると言った。彼はクラーク経済区スマートシーツ組合員と来年結婚するという。オルグでいろんなところへ出かけて知り合った。もちろん、クリスチャンから聞いた話なので、彼のプランは合意に達した話なのか心づもりなのかは定かではない。「実現するかどうかはわからない」とエミリーが横からコメント。
各地に活動が広がったからこんな話も出てくる。クリスチャンの心づもりはこんな話。結婚してもマリベレスとクラークでそれぞれ別に住む。彼女が仕事を持ち続けること、活動を続けることが何よりも大事だ。なぜならわれわれは独立した人格であって、それぞれの活動があって生活がある。自分は家事もするし。育児だってする。
いずれにせよ、最近聞かなかったほほえましい話だ。

ノエルさん宅訪問
アンバ・バーラ議長のノエルさん宅を訪問した。クリスチャンがトライシクルで案内してくれた。ノエルはフィルコリア労組副委員長だったが、2006年フィルコリア社が閉鎖されたため、それ以来フルタイムのオルガナイザーとして働いている。髪を伸ばしていたので若々しくなった。2005年8月には丸坊主にしていた。
ブロックを積み上げて壁にして屋根を葺いた平屋、借家ではなく持ち家だ。土曜日の10時前にうかがい、ココアをいただいた。奥さんのリリベットはちょうど洗濯をしていたから邪魔をした格好だ。ノエルが言うには、うちは誰が来ても歓迎する、いつでも人が来てくれるのが嬉しい。労働者が訪ねてくることもある。互いに家に行って話をする。フィリピンでは、比較的オープンで家の中に招き入れて話すのが好きだ。いろんな情報を入手したり相談したりする人間関係が成立している。失業しても孤立してはいない。そのなかでもノエルの家はみんなが集まってくる特別な家なのだそうだ。
ノエルの家の前もモーターバイクに乗った二人組みが何度か通りすぎて緊張したことが何度かあるという、それを笑い話にして話す。特に見知らぬ二人組みが来るといろんな人がメールで知らせてくれる。フィリピンは携帯メールが非常に広がっていて何でもメールで連絡する。組合会議も集会も皆メールで連絡する。ビラやチラシを撒くことはほとんどない。

マリベレスの街
マリベレスの町はほとんど変わっていない。町の中心にある市場もそのままだし、市場の野菜や肉、魚、果物などもそのままだ。変わったことといえばバタアン死の行進0km地点近くに、ファーストフードのジョリビーが開店したことくらいだ。ここでは立派なレストランである。四、五年前に市場の雑貨部門が火事になって、川沿いに臨時のマーケットができたが、すでにもう定着していて臨時の建物がだんだん建て増しされ、後から店を開く者もいて、市場が徐々に拡大し橋の上にまで伸びている。もうしばらくすると橋の片側を完全に占領するだろう。品物は中国製の衣料品、靴、日用雑貨品、携帯電話、CDなどでとにかく安い。
ここマリベレスの街には10万人近くの人が暮らす。にぎやかさは工場の二交替にあわせてのそれであって、サービス業によってではない。何度も訪れているので懐かしい気持ちさえ持つ。


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