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「脱成長経済論」を唱えることは、現実的か? [2008-9世界経済恐慌]

脱成長経済論」を唱えることは、現実的か

1)「脱成長経済論」
 わたしたちの持つべきビジョンとして、「脱成長経済論」が唱えられている。

 「…民主党は、めざすべき経済のビジョン(たとえば脱成長経済)を持っていないから、その時々の経済状況に振り回されるご都合主義的な経済政策を行わざるをえないだろう。…」(「総選挙・政権交代と新政権の行方」 2009年9月6日 白川真澄) 
つるたまさひで 「経済成長?!いる?いらない?」ピープルズプラン研究所 9月30日掲載「今月のお薦め」
 
2)選択は可能か?
 つるたまさひでさんは、「経済成長?!いる?いらない?」なる「問い」を書いている。
 そもそもこのように問うことは、経済成長は、人々のいる・いらないという希望や意思による選択によって実現できることが、当然の前提として成立していなければならない。残念ながら、この前提は成立していない。
 たとえば、現在、世界を経済危機が覆っているが、「経済危機は、いる?いらない?」と尋ねたら、ほとんどの人はいらないと答えるだろう。でも「いらない」と望んでも、バブルと破綻を繰り返してきたし、これからもなくなりそうにない。これと同じ。
 
3)「経済成長」が原因か?
 二つ目の問題は、「経済成長」が原因であるのか、という問題である。
 環境汚染や地球温暖化、エネルギー資源の枯渇、開発による伝統的社会の急速な破壊、また長時間労働など労働強化や派遣社員などの不安定短時間艇賃金労働の増大など、最近の世界は混乱をきわめている。「このままだと未来はない」と多くの人が感じている。その通りである。
 原因は「経済成長にある」と考える人が出てきても、何ら不思議はないし、「経済成長が原因である」と考えた人が、「脱成長経済論」を唱えたとしても不思議はない。このように考える人の気持ちはわかる。
 「経済成長が原因である」場合は、このような思考は有効であろう。
 ただ、はたして「経済成長」がその原因だろうか?
  
4)「原因が経済成長である」ととらえる「認識」は正しいか?
 確かに、「経済成長したから、環境が汚染された、地球が温暖化した」のは、経過の描写としては間違っていない。確かに同時に進行し出来した。

 たとえば、わたしのうちの近くに踏み切りがある。電車が通るたびに「カンカン」警音を鳴らす。そのあとに電車が通過する。同時に出来する。
 「カンカン鳴ると電車が通る、警戒音が列車通過の原因である、したがって警戒音を止めれば電車が止まる」と、もし考えたとしたら、とんでもない間違いだろう。同時に出来したからといって原因とは限らない。
 「経済成長」が原因であると、まったく証明していない。
 
5)資本の価値増殖運動こそ資本主義
 わたしたちの生きている現代は資本主義社会である。資本の活動が社会的活動の主要な根幹をなしている。資本は、その運動の衝動力を価値の自己増殖に置いている。資本は資本の増大を目的に運動している。たとえば、資本家は資本を投資する、すなわち、原料や設備費、労働力を購入し、生産を組織する。生産したあと市場で販売し、投下した資本以上の金額を得る。すなわちG→W→G'の運動をしており、回収した資本G'は、最初に投下する資本Gよりも、大きくなければならない、あるいはG’がGよりも極力大きくなるように、資本家は努力を集中している。GよりG'のほうが大きいことが、資本活動の原理であり、衝動力である。その結果たる「経済成長」を規定している。でなければ、資本家は生き残れない。価値増殖の努力、目的にしたがって、たとえば会社組織は活動している。資本家とは、自己増殖する資本の運動が人格化したものであろう。

 さて、資本家に対して、「経済成長?!いる?いらない?」と問うた時、彼はどのように答えるだろうか?予想される反応は「GよりG’を小さくしたら、儲からないない。投資する意味がない」ではないか。

 さてわたしたちの問いは、「資本の自己増殖運動を是認したうえで、経済成長を否認できるか?」である。もし可能なら、事は簡単である。説得する運動を行えばいい。ひとりひとり資本家を訪問し、「経済成長しなくても儲かります」と説得し、考えを変えてもらうのがいいと思う。
 「脱経済成長論」はこの資本活動の「衝動力」の否定なのだ。
 
6)「脱経済成長論」は資本の価値増殖運動と矛盾する
 わたしの考えを結論的に言っておこう。
 脱経済成長論は資本の価値増殖運動と相容れない。
 むしろ、現代世界の危機的状況、すなわち環境汚染や地球温暖化、エネルギー資源の枯渇、開発による伝統的社会の急速な破壊、また長時間労働など労働強化や派遣社員などの不安定短時間艇賃金労働の増大などは、きわめて単純化して言えば、資本の自己増殖運動がもたらしてきたものであって、すなわち上記の問いは、正確にいえば「資本主義、いる?いらない?」と問うべきであった。あるいは、「資本主義のシステムは、この危機を回避できるか?この先どうしようもないとしたら、このまま続ける、それともやめる?」このように問うべきであった。
 
7)「脱経済成長論」の脆さ、危うさ
 「経済成長」という何が原因であるか不明の言葉で表示したことにまず、間違いがあった。
 あるいは、資本の活動が原因であると述べるとケンがあるので、なんとなく全体を指している「経済成長」という言葉を使ってソフトに表現したことによって、正確さを失った。
 あるいはあいまいな「経済成長」という言葉ゆえに、受け取ったそれぞれの者が自分の都合よく原因を理解することを意図的に期待して使った論者のずるさに間違いがあった、というべきではなかろうか。
 どの場合も、客観的には違いはない。
 いずれも誤りである。

8)オールタナティブとは?
 現代社会の様々な問題、矛盾の原因が資本の活動にあるとしないで、そこを意図的にあいまいにして、はたしてオールタナティブが描けるのか?という疑問に行きつく。そのようなことでそもそもオールタナティブと名乗れるのだろうか?はたして学問的なのか、という疑問が生じる。

 そんなことは無理ではないかと疑っている。もちろん、それが可能であるとの科学的な、学問的な説明をわたしはいまだ見ていないからそのようにいっているだけで、説明され道理が通っておれば自分の考えを撤回する用意はある。
 わたしたちの持つべきビジョンとして主張される「脱成長経済論」は、経済学的ロマン主義であろうと判じている。(文責:治郎吉)
  

  
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コメント 4

つるたまさひで

読んで、丁寧な感想を書いていただいたことを感謝してます。

内容にについてのレスポンスはゆっくり書きたいと思っています。

ちょっとだけ書くと、
学問的じゃないことだけは確かです。

まず、書きたかったのは
経済成長至上主義ともいえるような話がいまだに大手を振って歩いていることへの疑問です。いつまでたっても「発展途上国」とかいう言葉はなくなりません。そこでいうときのDevelopmentの度合いはいつでもGDPの経済成長で計られています。

言いたかったことは、まず、その競争から降りようということです。
その先のことはわからにというのはレトリックではなく、本当にわからないんです。

というわけで、そのうちゆっくりレスポンスを書くつもりです。いつになるかわかりませんが。



by つるたまさひで (2009-10-11 03:52) 

つるたまさひで

追記
もとの記事の紹介してください(笑)。

URLは以下です。
経済成長?!いる?いらない?――その1
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/blog1/index.php?content_id=8

経済成長?!いる?いらない?――その2
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/blog1/index.php?content_id=9
by つるたまさひで (2009-10-11 03:59) 

tamashige

 早速コメントをいただきありがとうございます。
 もとの記事のURL紹介をしておりませんでいた。すみませんでした。
 お手数をかけすみません。ありがとうございます。

 さて、「脱経済成長論」は、わたしの不勉強のせいか、つるたさんの個人的見解かと当初うけとっておりましたが、どうもそうではないことがわかりました。ピープルズプランのいく人の方が、同じように唱えられていますね。

 山口響さんの論文についての感想をブログに書きましたので、参照いただければ幸いです。わたしの疑問をより理解いただけるのではないかと思います。

 追加してひとつだけ、
 わたしは、「学問的であればあるほど実践的である、実践的であればあるほど学問的である」ととらえています。
 「学問的でなくて」実践的ということはあり得ません。

 したがって、たとえば運動においては人をたくさん集めるためには少しくらい方便を用いてもかまわない、少々「学問的」でなくてもいい、などという考えがもしあるとすれば、それはやはり大きな間違いだと思うのです。つるたさんがそのように考えられたときめつけているわけではありません。
 
 例をあげましょう。わたしのまわりには、小泉や安倍内閣のおり、たとえば日の丸君が代など政府の反動的政策や主張がなされると、すぐファシズムだと危機をあおりたて警鐘を鳴らし人を集めようとするグループ、もしくは個人がいましたし、いまもいます。
 運動を盛り上げたりするには必要な面もあるという、気持はわからないではありませんが、やはりこれは方便の一種だろうと思うのです。もしくはファシズムが何かわかっていないことをも別の面から証明しているでしょう。いずれにしても、よくないと思うのです。

 このようなことは決して他人事ではありません。20年ほど前、Xデーと騒いだことがありました。菅孝行さんらが昭和天皇が死んだら戒厳令が敷かれて戦前のような支配体制になる、と騒ぎました。とにかく危機をあおって反天皇制の主張しようとしたのだろうとは思いますが、こういうのもやはりよくないと思うのです。
 日本資本主義とその支配体制の評価を、自立していない、あるいは危機に瀕した資本主義と間違って評価したため、Xデーを期に天皇制を利用して支配体制を再編するだろうと評価したことが背景にあります。結果として、まったく外れました。
  
 このようなことは、運動においてはなお、すなわちわたしたちの世界の認識・世界観と行動の指針は、きわめて「学問的」でなければならないことを意味しているとわたしは受け取っています。
  
 少し気になりましたので、しつこいようですが、追記します。
by tamashige (2009-10-17 10:58) 

つるたまさひで

tamashigeさん、丁寧なレスポンスどうもありがとうございます。
遅ればせながら、今日、読ませていただきました。

ぼくが書いた、tamashigeさんからのレスポンスへのレスポンスを掲載したので、お知らせさせていただきます。

URLは
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/blog1/index.php?content_id=10
となります。

by つるたまさひで (2009-11-08 00:13) 

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