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トマ・ピケティ『21世紀の資本』の本物の毒は何か? [世界の動き]

 トマ・ピケティ『21世紀の資本』の毒

 
  
 トマ・ピケティの『21世紀の資本』が、世界中でよく売れている。ピケティ本人も来日し、NHKや新聞のインタビューに応じている。

 現代資本主義が不平等を拡大し、先進国などは格差社会に変容しており、社会の様相が大きく変化しつつある。税や相続の膨大な実証データを基に、「資本収益率(r)は経済成長率(g)を上回る」という結論を導き出したピケティの『21世紀の資本』は、多くの人々が格差に苦しんでいる事情から、格差社会の由来を説明していると受け入れられているようだ。『21世紀の資本』は、その問題意識の確かさ、膨大な統計データベースをもとに歴史的視野に立って資本主義の将来を見通そうと試みている面があり、極めて刺戟的だ。

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 1)トマ・ピケティ『21世紀の資本』の中心テーマ

 資本主義体制によって所得や富の不平等化が進めば、経済成長は今後どうなるか? 資本主義に未来はあるのか? と問うている。

 ピケティの目論見は、経済成長と所得分配の理論を統合しながら、分配の不平等の進行が経済成長にいかなる影響を及ぼすか、その論理を摘出することにある。そのために日本を含む主要国の資本ストック、産出量、所得分配、資本収益率、物価、相続遺産額などの200あまりの長期の年次データベースを作成した。

 2)資本・所得比率

 資本ストックと所得の比率を長期にわたって観測すると、例えばフランスや英国では18世紀から20世紀初頭までは、資本は所得の約7倍という安定して高い数値(=高搾取状態)が読み取れる。ところがこの資本・所得比率は、第一次世界大戦から第二次世界大戦後の「黄金時代」と呼ばれる1950年代までの約50年間に2か3倍程度に下落する。

 そしてその後、再び上昇しはじめ、21世紀の最初の10年で5倍近くに戻る。19世紀の「野蛮な資本主義」の時代とほぼ同じ水準に先祖返りしたことになる。

 1980年代に入ると、高額所得者の限界税率の引き下げ相続税の廃止や減税などによって金融資産を含む資本は再び増大過程に入る。資本・所得比率が高まれば、資本の収益率は低下するというのが経済の法則と言われてきた(クズネツォフの説)が、むしろ資本収益率は上昇し、労働所得のシェアは低下した。

 先進資本主義国の経済成長は総じて減速する中で、トップ高所得者層の所得シェア上昇が目立ち始める。膨大なデータから国ごとに高所得者のトップ1%。あるいは0.1%が全国民所得に占めるシェアを計算し、米国、英国、オーストラリア、ニュージーランドなどの英語圏では、80年代から所得と富の不平等化が進行していることを明らかにした。21世紀の経済は19世紀の「野蛮な資本主義」の時代に回帰したと、ピケティは論ずる。

 3)ピケティの政治的立場

 資本・所得比率が、第一次世界大戦から第二次世界大戦後の「黄金時代」と呼ばれる1950年代までの約50年間に2か3倍程度に低水準を示した理由を、ピケティは、戦争による物的資本の破壊、インフレによる金融資産の減価、国有化の進行による民間資本の減少、あるいは高額所得者の限界税率(最高税率)や相続税が高まったことが影響したと、説明している。

 明らかに、社会主義の存在が影響しているが、ピケティの政治的立場は、そのような説明を意識的に避けさせる。西ドイツの週35時間労働の実現は、隣に東ドイツがあったからであるのは明白だし、新自由主義が広がったのは、ソ連社会主義を解体させたのちであることも周知の事実である。ピケティは、触れない。
 こういうところはきわめて、政治的であり、非科学的である。
 あまりケチをつけないで先に進もう。

 4)資本主義に未来はない!

 資本主義は1%の富裕層以外の多くの人々に幸福な未来を約束しない。そして、資本主義には所得平等化をもたらすメカニズムは内包されていないと、刺戟的な結論を導き出すのである。これは決定的に重要な批判、結論だと思う。

 5)ピケティの処方箋、それは実現可能か?

 ピケティは、高すぎる金融業の資本収益率を低下させるためには、「グローバルな資本課税を強化すべきだ」という政策を提言する。しかし、「資本への課税は一国だけでは効果がない、国際的な政策協調がないと、課税逃避のため必ず資本流出が起こる」とし、その困難さにも触れている。

 彼の処方箋に現実性はないが、重要な点は、資本に対抗しうる存在は国家、または国家権力以外にないと、述べているところにある。
 資本には自身で解決する機能は内在していないので、国家が外から権力を持って取り締まるしか他に方法がないという結論の上で、処方箋を論じている。このこともまた極めて重要であろう。
 国家が資本主義を檻に入れて飼うことを提言しているに他ならない。民主主義という名の「檻」であり、「資本への累進課税」という「鞭」である。

 問題は、「グローバルな資本課税を強化すべき」国家が、金融資本の支配下にあるという現代の事態にある。それゆえ彼の処方箋は現実性を持たないのである。

 したがって、処方箋を現実的なものにするには、各国において同時に、1%の富裕層を排除した者たちが国家権力を握らなければならないということになる。もちろん彼は、そんな政治的変革の具体的な道筋までは検討していないし、言及していない。あるいは、意識的に触れていない。
 
 NHKや新聞のインタビュー、講演会での会場とのやり取りのなかでは、ピケティの本質的な提起には一切触れていなかった。しかし、ピケティの結論を突き詰めていけばこのような議論となるだろう。それが本質的な議論というものだ。
 マスメディアや学者が論じたがるそれ以外の細かい言及や指摘は、無駄話であり、おしゃべりだ。無視すればいい。  (文責:小林 治郎吉)



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