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コストコは、時給1,250円以上、「同一賃金同一労働」 [現代日本の世相]

コストコは、時給1,250円以上、「同一賃金同一労働」

 10月16日の読売新聞で面白い記事を見つけた。
現場から」シリーズ3:「人材不足と時短 板挟み」

 以下に一部を抜粋する。
・・・・・・

 東海地方を地盤とする岐阜県羽島市のホームセンターでは、人材不足が常態化している。レジ打ちや品出しを担当するパート社員は10人以上足りず、残業や休日出勤をお願いしている。  採用担当者(56)は「地元の人材はどんどん『コストコ』に流れている」と嘆く。  2年前米国系スーパー「コストコ」が開業した。コストコは正社員と非正規社員の待遇に差がない「同一労働同一賃金」に近い賃金制度を採用する。全国一律で1,250円以上の時給を保証しており、岐阜県の最低賃金800円を大きく上回る。  ホームセンターは時給を100円上げたがそれでも300円以上の開きがある。
・・・・・・

 日本の労働者は非正規化が拡大し、賃金格差は開くばかり。非正規社員の賃金は30年間ほとんど上がってこなかった。ところが、記事にある通り、コストコが進出したことで一挙に時給が上がったという、「同一労働同一賃金」も実現しているという。

 政府は一応、「同一労働同一賃金」、「長時間労働の是正」を改革の柱に掲げてきたが、掲げるだけで一向に改善されてこなかった。

 「格差是正を!」、「最低賃金の引き上げを!」といくら要求しても、経営者や日本政府が何やら理由をつけて実行しなかったのに、コストコが進出してきて実現するとは「笑い話」のようだ。やればできるということじゃあないのか!

 この30年間、日本経済はほとんど成長していない。GDPは500兆円前後で変わらない。資本家は獲得した利益を国内に投資しない、内部留保を拡大し海外に投資する。日本経済の生産性は向上していない。労働生産性を先進国で比べてみれば、日本は下位に沈んでいる。低成長時代を見据えて、生産性向上に投資してこなかったからだ。低い賃金の非正規社員、パートを増やし、さらに正社員を含む全社員の労働時間を延長するという、目先の対処に終始し、前近代的で原始的な手法(=実質に賃金を削る)で利益を上げようとしてきたのだ。「非正規化」と「長時間労働」は日本経済の特徴になってしまった。労働分配率は下がりっぱなしだ。

 特に、サービス業での生産性はこの数十年低いままで、ほとんど改善していない。ただ、企業への忠誠と奉仕、サービス労働を求め、契約社員、派遣社員、パート社員、外国人研修生になどの低賃金不安定雇用の労働者を発明し置き換え、賃金全体を削って利益を上げることしかしてこなかった。おかげさまで日本の労働者全体の賃金水準は上がらず、だから消費は増えず、日本経済全体が縮んでしまった。

 そんなところへ、サービス業で高生産性を実現したコストコが進出してきたのだ。生産性が高いので、より高い賃金でも利益が出る。人手不足なので1,250円以上の時給で募集するから、人材はコストコに流れ、日本の経営者は嘆いてみせるだけだ。

 日本は少子高齢化が進み、すでに2002年から労働人口は減少に転じている。人手不足になるのは予測できるのに、ただより低い賃金の労働者層を生み出すことで対処してきたのだ。今更嘆いてどうするんだい。低賃金の労働者層を利用しなければ経営が立ち行かない企業は、廃業しなければならないということだろう。これまでのやり方は破綻するのは当たり前だし、廃業しないならやり方を改めるしかない。その際に、労働者の犠牲が大きくならないように救済は必要だ。
 
 一部のサービス業分野では生産性を上げた大企業しか生き残れなくなるかもしれない。しかし、「同一労働同一賃金」で最低賃金を大幅に上回る時給(1,250円以上)の企業の出現は、歓迎する。
「同一労働同一賃金」は確実に格差を縮小するからだ。

 ただ、労働者や労働組合が要求も運動もしないで、労働者にとっていい、時給が上がったり、「同一労働同一賃金」が実現するはずはない。コストコとて資本の論理で人手不足に対応してきただけなのだ。連合を含む労働組合は、今の人手不足の状況を有効に利用し、労働者の大幅賃上げ、特に「同一労働同一賃金」を実現するところに、その活動を集中すべきなのではないか。(文責:林 信治)




 
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安倍の後釜を狙う! [現代日本の世相]

国民は安倍に飽きた
安倍の後釜を狙う小池

 安倍首相は、「国難突破解散だ」と言って急遽解散し、事態の突破をはかった。実際のところ、国会が始まれば森友・加計問題が再燃する。官僚は官邸の顔色を見て仕事をしており腐敗が目立つ。他方、野党の選挙体制も小池新党の候補者も整っていない。今のうちに選挙だ!と考えたのだ。誰でもわかる。それを北朝鮮のせいにして国難選挙だと。
 読売世論調査(9月30日)で、安倍支持率は43%に下落、前回9月8~10日は50%だった。「北朝鮮の脅威」は賞味期限切れ、安倍首相人気が浮上することはもうないのではないか。
 
 それを感じ取った一人が小池だ。小池は、「安倍晋三」に飽きた国民に、頭のすげ替えをアピールしている。小池は、日本会議のメンバーだし、米国とも親和性が高い。希望の党には超保守の中山恭子や米国べったりの長島昭久も加わる。

 それにしても、この間の経過はあまりにも急だ。前原代表が民進党解体、希望の党への合流を決めてしまった。党首として背信行為だ。当選しか頭にない民進党議員たちが了承し、党解体があっけなく決まってしまった。日本の政党政治が、当選した議員たちの既得権益を守るために行われており、選挙民は無視されていることの一つの証左だ。

 ところが、小池は、9月29日で、合流する民進党出身者を、憲法改正、安保関連法推進の踏み絵を踏ませ、「排除する」というのだ。一連の動きは極めて巧妙な、民進党リベラル潰しだ。

 排除される議員らが枝野代表代行を押し上げ、10月2日「立憲民主党」結成表明となった。「自民党vs希望の党」の選挙が、「自民・公明vs希望vs立憲民主党・社民・共産」の三択に変わったのだ。

 憲法を守り、安保関連法反対の党ができたことは、対立が明確になって結果的にはよかった。早速、希望の党は、維新には対立候補を立てないが、立憲民主党には立てるとし、あくまでリベラル潰しを貫く右派政党であることを表明にした。

 一方、国民は自民党や「希望の党」の政策を支持しているわけでない。ただ日本の選挙民は、不満は充満しているが自分で候補者を生み出すことをせず、出てきた者を支持するだけの役割に甘んじている。

 サンダース米民主党大統領候補が善戦したのは、下部の党員・活動家が戸別訪問して回ったからだ。英労働党が健闘したのも、下部組織がサンダース陣営のやり方を取り入れ活動したからだ。日本の政党政治には、下部の活動はほとんど存在しない、選挙民は幼く、メディアの言うことに振り回される人気投票になっている。「不満」は充満しているが、一人一人は孤立したままだし、議論もしない。この状態を打開する人々の活動が拡大しない限り、選挙は自分たちのものにならない。(文責:林 信治 10月3日記)



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安倍首相とその周りは、こんな人たち [現代日本の世相]

安倍首相とその周りは、こんな人たち

 安倍政権が支配する現在の政府、官僚機構では、腐敗した政治家や官僚と手を組んだ一部の人間が国民の財産を不正、あるいは不公正な手段で手に入れて巨万の富を築いている。この「腐敗」の進行具合が相当ひどくなっている。国有地が格安の値段で学校法人に売却されても不思議ではない。

森友学園が買った用地は、近畿財務局から依頼された不動産鑑定士が更地価格を9億5600万円と算出。財務局は地下の廃材、生活ごみの撤去・処理費8億1900万円と撤去で事業が長期化する損失を差し引いた1億3400万円で、2016年6月に公共随意契約で森友学園へ売った。さらに国は除染費として森友学園に1億3200万円を支払い、結局実質200万円で売却した。9億5600億円相当の国有財産が実質ゼロ円で売却されるということは、通常ありえない。異常な政治的力が働いたとしか考えられない。
 では誰が影響を与えたか? 
 森友学園と緊密な関係がある安倍夫妻以外にない。
・安倍昭恵夫人が名誉校長、(事件発覚後の2017年2月24日に名誉校長を辞任)
・森友学園校が、安倍晋三記念学校になることについては、安倍昭恵夫人から、首相退任後の命名はOKと伝達。(昭恵夫人が講演で言及)
・安倍首相から小学校設立用に100万円寄付
・国有財産管理の責任者は理財局長。当時の理財局長は安倍首相と同郷の迫田理財局長。安倍政権になってからの抜擢。(以上、3月25日現在の情報)

 安倍政権になり、官庁の審議官以上の人事は内閣府が管理するようにしており、全官庁において安倍首相の意向を実施する人事体制ができあがっている。安倍首相とその周辺の意向を、事前に「忖度」して行動する官僚の態勢がすでにできている。今回は迫田理財局長がキーマンであろう。森友学園の事件から見えたのは、安倍政権の恐ろしい姿、腐敗ぶりだ。
 マスコミの報道は、森友学園の籠池理事長がいかにひどい人物であるかに集中している。そうではない。日本の全官庁が、その政策決定が法やルールを曲げ、単に安倍首相と周辺の意向で決定されているということ、腐敗に止めどがないこと、それこそが重要で、かつ危機的な問題だ。
 国を愛する気持ちを持っているのであれば、国有地を格安ではなく、標準価格よりも高い価格で買い国に貢献するとなるはずだが、国民には愛国心を説教するこの人たちは、愛国心を説教する自分たちだけ特別な存在であり、国から、国民の財産を略奪してもいい、と考える。(3月25日記)
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年金は富裕者の食い物か! [現代日本の世相]

年金は富裕者の食い物か!

               
 日本経済新聞(2月2日)は、日米首脳会談で安倍首相は米トランプ政権ににじり寄り、トランプ政権の政策の一つ、巨大なインフラ投資にGPIF資金を提案した、と報道した。 「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が米国のインフラ事業に投資することなどを通じ、米で数十万人の雇用創出につなげる」と報じ、国際的にも話題になった。GPIF資産、約130兆円のうち5%(6.5兆円)までを国外のインフラ・プロジェクトに使うというのだ。

 それに対し、GPIF髙橋則広理事長は次のようにコメントした。 「本日、一部報道機関より、当法人のインフラ投資を通じた経済協力に関する報道がなされておりますが、そのような事実はございません。GPIFは、インフラ投資を含め、専ら被保険者の利益のため、年金積立金を長期的な観点から運用しており、今後とも、その方針に変わりはありません。なお、政府からの指示によりその運用内容を変更することはありません。」

 安倍首相が、このような発言をしたのは初めてではない。2014年1月にスイスのダボスで開かれた世界経済フォーラムで安倍首相は「日本の資産運用も大きく変わるでしょう。1兆2000億ドルの運用資産をもつGPIF。そのポートフォリオの見直しをして、成長への投資に貢献します。」と宣言し、2014年10月にはGPIFの運用資産割合の変更を決定させた。国内債券を60%から35%に引き下げ、国内株式と外国株式を12%から25%に、外国債券を11%から15%へそれぞれ引き上げた。
 
 実際のところ、GPIFは資産約130兆円のうちの25%、約32.5兆円はすでに外国株式で運用している。髙橋理事長のコメントは、決して安倍首相の発言を拒否したのではない。政府の指示で投資先を決めるのではなく、「GPIFの意思」で投資先を選ぶのであり、結果的にそれがアメリカのインフラ投資になることもある、ということを言っているに過ぎない。
 
 特に国内株式、海外株式への資産運用をそれぞれ25%にしたことは問題だ。
 資産割合を変更した2014年以降から現在までは株価上昇の局面なので、国内外株式を50%に増やしたGPIFの総資産は増大してはいる。しかし、すでに2008-09サブプライム恐慌から景気拡大局面は8年を経過しており、次の恐慌が近い。

 アメリカでトラック運転士組合の年金が破綻状態だと伝えられている。ほかの年金のなかにも似たような危機的な状況の年金も多い。
 GPIFは、資産が巨大なこともあり機動的な資産運用はできないし、そもそも短期の売買の繰り返しはしない。「年金積立金を長期的な観点から運用」しているのである。
 ということは、急激な市場の変化の際に、ヘッジファンドなどの標的となり「売り」を仕かけられ、巨大な損の引き受け手となる可能性が大きいのだ。この場合、誰も責任を負わない。支給される年金額が減るだけだ。
 
 本来、年金はリタイアした後の庶民の生活を支えるものだが、実際はその資産を巨大企業や富裕層への投資へと流し込む仕組みが出来上がっている。構造的に国民の資産を利用する(=言葉は「運用」)仕組みができている。リスクのより多い資産への投資に踏み込んでいる。
 そればかりではない。安倍首相は年金を国民の資産だと思っていないのだろう。トランプ政権に対して、「アメリカへの投資資金は十分ありますよ」とささやき、自身の政治政策、「経済協力」に利用しているのだ。(3月19日記)
 
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新薬「オプジーボ」は「遠い夢の薬」 [現代日本の世相]

新薬オプジーボ、日本以外では「遠い夢の薬」

 読売新聞は、医療ルネサンス特集で5回にわたり新薬オプジーボについて記事を載せている。以下は1月9日の記事。

 ******
 2016年12月上旬、オーストリア・ウィーン、世界肺癌会議があり、日本の肺がん患者団体「ワンステップ」代表、長谷川一男さん(45)は、患者支援活動に贈られる「アドボカシー・アワード」の受賞式に出席した。
 長谷川さんには、世界各国から集まる患者たちに、ぜひ聞いてみたいことがあった。オプジーボをどう思っているのか―――。だがその問いは、肩すかしにあう。・・・・・・
 「オプジーボ」は超高額新薬である。こうした超高額薬を使える国は、日本以外ほとんどないという現実を改めて認識させられた。オプジーボの薬価は日本の2割から4割に抑えられているのに、それでも使うことができない。・・・・・・
 多くの国で、「オプジーボは」は「遠い夢の薬」だ。東欧の患者からは、「通常の抗がん剤」でさえ高価で満足に使えない」と聞いた。
 米国は無保険者が15%おり、莫大な医療費を自己負担できる患者は一部の富裕層に限られる。
 英国では、高額薬について、費用対効果の観点から国立医療技術評価機構(NICE)が、厳しい審査を行う。オプジーボが肺癌治療で公的医療制度の対象にするかどうかの結論はまだ出ていない。
 ・・・・・・

 海外でのオプジーボの薬価(100㎎の薬価、厚生労働省) 
   英国:約14万円、
   ドイツ:約20万円、
   米国:約30万円
   日本:約73万円、2017年2月から約36万円になる。それでも海外より高い。
 ****
 
 日本で開発された新薬「オプジーボ」が、これまでの抗がん剤とは異なり画期的な効果があったという肺がん患者の闘病記録などを含む読売新聞の特集記事を、この数日読んできた。

 また、新薬「オプジーボ」は、京都大学・本庶佑(ほんじょ・たすく)研究室が開発を牽引したこと、癌細胞のブレーキを解除して免疫を再活性化する仕組みの記事や、患者団体を結成し患者同士交流し励ましあいながら、癌と闘っている記事など、興味深く読んだ。

 ただ、1月9日の上記の記事を読み、医学や薬学上の問題ではない、ある意味より深刻な社会的要因を考えさせられた。

1)新薬「オプジーボ」は「遠い夢の薬」

 小野薬品工業の新薬「オプジーボ」が、肺癌にも効果があるということで、注目を浴びている。薬価が超高額であるとして官邸が介入し、100㎎あたり現状約73万円が、2017年2月から半額の36万円になるという。それでも超高額薬だ。患者によって異なるが、日本の場合、1か月治療すると約300万円、1年間だと約3,500万円かかる。大半は健康保険から支払われる。

 官邸が介入し半額に値下げしてもなお、海外での薬価よりも高いのは少々不思議だが、海外での価格も、けっして安いとはいえず、記事にある通り、富裕層以外には使えない高額薬なのだ。

 新薬が開発され効果があっても、高額な費用を患者が負担しない限り、実際の医療には使われないという事態が、私たちの生きる世界では「当たり前」となっている。資本が儲けることを通じて、あらゆる社会活動が行われる。「儲けること」が「治療」より優先されるという転倒した事態が起きている。

2)医療も薬も、儲ける手段!

 ここに、弱者である患者を切り捨てる世界的な社会構造が、透けて見える。
 科学者が研究し癌を撲滅する新薬を開発しても、製薬会社が莫大な富を得ることが優先される社会構造が確固たるものとして存在する。資本をもうけさせることを通じて、医療活動を含むあらゆる社会活動が行われるのが、資本主義社会。新自由主義の下で、資本の活動は規制という制限を次々に取っ払い、世界的な製薬会社がますます力を得て医療活動を支配する関係が広がりつつある。恐ろしいばかりだ。

3)日本の国民皆保険制度が狙われている!

 日本では、この超高額薬を使うことができる。国民皆保険制度によって、高額新薬も含む高額医療費の一部だけを負担すればいいからだ。日本の国民皆保険制度は世界に誇る優れた制度である。日本以外の国々の患者にとって、日本の国民皆保険は、夢のような制度なのだ。

 しかし、この保険制度は今、高額新薬を含む高額医療によって、破壊されかねない事態に直面している。

 日本以外の国では富裕層以外に高額新薬の費用を支払うことができないので、その人数は限られる。ところが、日本の国民皆保険制度は、制度がある限り支払うことができるので、世界の製薬資本にとっては、狙い撃ちする対象となる。日本の国民皆保険制度は、支払ってくれる「大きな財布」なのだ。

 日本の医療費を含む福祉予算は、年間40兆円を超えさらに増大している。財政的負担に耐えられなくなれば、破壊されてしまう。

 TPPには、世界的な製薬資本が利益を上げる権利を擁護する条項がある。TPPを推し進める安倍政権は、この優れた国民皆保険制度を護るつもりがない。極めて危険だ。

 癌で苦しむ患者を、さらに病気以上に社会的に苦しめることになる。(1月9日、記)



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?? 「9条は日本人がつくった」?? [現代日本の世相]

9条は日本人がつくった? 
だから押しつけ憲法ではない??

1)半藤一利「憲法9条は日本人がつくった」?

 半藤一利氏は2013年6月、「憲法9条は幣原喜重郎がマッカーサーに提案した」ことをもって、マッカーサーではなく日本人がつくったと指摘し、「押しつけ憲法だから改憲だ」という自民党の主張に反論している。半藤氏は『文藝春秋』編集長を務めた文芸評論家であるが、その戦争体験から、安倍政権の改憲の動きに反対している。
 護憲グループのなかには、この半藤氏の論拠、「押しつけではない、日本人がつくった」を利用しようとする人もいる。
 半藤によればその根拠は、マッカーサーは、「幣原が提案した」と語っており、幣原は、「自分がつくった」と語っていないものの、否定はしていないからだとしている。そして、幣原が9条を持ち出した背景は、1928年のパリ不戦条約の精神であろうという半藤の解釈を披歴している。不戦条約は、第一条において、国際紛争解決のための戦争の否定と国家の政策の手段としての戦争の放棄を宣言しており、調印に関わった幣原は、同条項の影響を強く受けていた、敗戦に際し「この精神を取り戻す」べきだと考えた幣原の提案に、マッカーサー氏は感動し、同意したという歴史解釈を披歴している。

2)「報道ステーション」で幣原説を報道

 テレビ朝日「報道ステーション」が2016年2月と5月の2回にわたって、憲法9条の発案者は当時の首相幣原喜重郎であるという説を取り上げ、半藤一利氏と同様に、「日本国憲法は日本人がつくった、押しつけ憲法ではない」と主張し、注目を集めた。
 根拠として、1957年に岸信介首相(当時)が作った憲法調査会の録音データの中に、幣原発案説を裏付ける証言があったと指摘した。第9条の発案者は?という質問に対して幣原自身が、「それは私であります。私がマッカーサー元帥に申上げ、第9条という条文になったんだ」と語っているという。
 さらに5月3日の放送では、幣原の盟友・大平駒槌が幣原から直接聞いた話を記録したノートでも、幣原がマッカーサーに提案したと書かれているという。

幣原喜重郎02.jpg
<幣原喜重郎>

3)幣原説は正しいか? 

 マッカーサーは、「幣原が提案した」と語っているが、マッカーサーの回顧録は後の時代から自身を正当化する発言や記述が指摘されており、「マッカーサーが語った」ことをそのまま根拠にすることはできない。マッカーサーは、憲法草案が発表された当時、占領軍が草案を起草した事実を、極東委員会に対しても、日本国民に対しても、隠さなければならない立場にあった。
 幣原は、個人として行動したのではない。1945年10月には首相となり、天皇の側近としてマッカーサーと交渉したのであって、幣原個人の考え(=9条)をマッカーサーに伝える立場になかったし、その権限も持っていなかった。幣原はこのとき、天皇への戦犯追及を絶対に阻止し、何としても天皇制を存続させようと交渉したし、そのためには東条と軍部のせいにして責任追及を乗りきろうとした。これは、天皇と幣原を含む側近グループの公式の政治的立場でもあった。このような歴史を忘れてはならない。憲法9条、すなわち旧日本軍の武装解除とこの先の戦争放棄、戦力の不保持は、1945年敗戦直後において天皇制存続のための条件であり、裕仁は天皇制維持のためこの条件を受け入れたのである。

 幣原が、パリ不戦条約の精神に感化されたとする半藤の解釈は、現実の政治を離れた牧歌的な歴史解釈である。
 しかも「憲法9条は日本人がつくった」と勝手に言い換えている。「日本人」ではない。マッカーサーと交渉したのは、東条のせいにして、天皇への戦犯追究を回避し天皇制を存続させようとした天皇と側近グループであると、正確に規定しなければならない。日本人とあいまいに書いてはならない。幣原にとって9条は目的ではなく、天皇制存続のための条件なのだ。それを取り違えてはならない。

 当時の内外の政治状況からすれば、憲法草案を、マッカーサー占領軍が起草したとするのは都合が悪い。日本側、すなわち当時マッカーサーと会見した数少ない日本人である幣原が提案したことにする必要があった。
 半藤の新しい解釈は、敗戦直後の、世界的な情勢の考察が欠けている。

4)敗戦直後、裕仁と天皇周辺のパワーエリートたちは、どのように振る舞ったか?

 敗戦直後、天皇周辺の権力者たちにとって、天皇への戦犯追及を避け、天皇制を維持することこそ、最重要な課題であった。それは裕仁本人の意思でもあった。東京大空襲などの日本人の戦災死、被害、原爆による民間人の大量死、被害などは、深刻だけれども、天皇と権力者は、戦争であれば避けることはできない犠牲であると考えており、それよりも重要なことは「国体護持=天皇制の存続」であった。ポツダム宣言を受け入れ降伏する際にも、敗戦直後においても、変わらなかった。

 そのために敗戦直後、天皇周辺がとった対応は、東条英機、軍にすべての責任を負わせて、天皇の戦犯追及から逃げおおせ、国体護持=天皇制の維持を目指した。裕仁は退位さえも拒否した。敗戦の1945年、裕仁と側近たちは、そのように対処することにしたし、実際に対処した。幣原はその政治的目的の中で動いている。(幣原説を唱える人は、幣原の個人的考えを実行したかのように描き出している、歴史家として失格である。)

 裕仁と天皇周辺の権力者たちは、敗戦から1945年末までに、マッカーサーと交渉し、天皇の戦犯追及をしないこと、天皇制維持の確約を得た。その結果が、日本国憲法でもあるのだ。天皇裕仁は、日本国憲法を受け入れ(=天皇制維持を約束されたも同然)、その際にマッカーサーに感謝を表明している。

 したがって、裕仁は「押しつけ憲法」などと現憲法を批判したことは一度もない。感謝して受け入れたのが歴史的事実である。そのことをまずきちんと確認してしておかなくてはならない。安倍晋三や自民党・日本会議の政治家たちは、現憲法を「押しつけ憲法」と非難しているが、天皇裕仁の意に反しているのである。

 日本国憲法をよく見なければならない。憲法9条はその前の1条から8条、すなわち天皇制維持と一体である。天皇制を象徴天皇制として維持したうえで、9条、すなわち戦争放棄と戦力不保持が述べられている。旧日本軍に責任を負わせて、日本軍は武装解除し、戦争放棄する。裕仁は責任を負わないで天皇制は維持する。武装解除した後、天皇制を共産主義の脅威から護るのは米軍と米政府ということになる、少なくとも裕仁はそのように認識した。そのためには米軍は日本にいてもらわなければならない。のちに裕仁は沖縄を米軍に差し出すのである。

 憲法9条を提起したのは幣原ではない。幣原には、平和主義や国民主権の思想はない。あったとしても、天皇を戦犯追及から守るため東条と軍び責任を負わせて武装解除させ、天皇制維持のための「方便」の一つである。そのためにマッカーサーとの間で打ち合わせた芝居であった。それ以上に評価してはならない。

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<マッカーサーと天皇裕仁、1945年9月27日 第一回会談>

5)マッカーサーとアメリカ政府は?

 マッカーサーとアメリカ政府にとって、重要だったのは、米国のイニシアティブで日本を占領支配し、アメリカの同盟国にすることだった。そこにソ連の影響を排除しなければならなかった。敗戦直後の世界情勢がそこに反映している。すでに対ソ戦は始まっていた。
 マッカーサーはあくまで「連合軍司令官」であり、形の上では極東委員会が日本の軍国主義・ファシズムを払拭し再出発させる責任を負っていた。極東委員会は、日本が二度と戦争を引き起こさないように、軍国主義、ファシズムの根源である軍の解体、天皇制・財閥の解体、地主制度の廃止・農地解放、日本社会の民主化、国民主権の国家として再出発することを要求していた。

 しかし、マッカーサーにとっては何よりも、ソ連やオーストラリアなど極東委員会が日本占領の方針・方向を決める前に、アメリカによる日本の再生、支配、占領の実績をつくってしまおうとした。極東委員会にイニシアティブをとらせないために、直前に急いで日本国憲法を制定させて、日本はすでに自力で民主化に踏み出した実績をつくり、極東委員会に「介入」させないようにした。その結果、米軍による日本の単独占領支配を実現し、そのことで後に日本をアメリカの同盟国にしたのである。アメリカ政府からするならば、これはマッカーサーの第一の「功績」である。

 マッカーサーは、軍に責任を負わせて解体しながら、日本の支配層と官僚、警察、司法などの支配機構をそのまま利用することにした。従来の支配機構を利用するには、その頂点たる天皇と天皇制を利用すべきと判断した。マッカーサーは実際にその通りに実行した。そして、日本国憲法はマッカーサーの構想とも矛盾していないのである。

 日本を朝鮮、台湾の背後に位置する対ソの根拠地にする、その占領支配をつくりあげていくうえで、既存の権力=天皇を利用することはマッカーサーにとってきわめて「合理的」であった。占領軍=米軍、米国への反発は、天皇の権威を利用し抑えることができた。占領軍の戦力さえ当初の予定より大幅に削減できた。

 マッカーサーにとって憲法9条は、日本軍を武装解除し、米軍が軍事支配するのだから、何ら問題はなかった。決してマッカーサーの「平和主義」「理想主義」を表現しているわけではない。

※「マッカーサーは9条を含む憲法をつくるとき、理想主義者になった。そのあと、普通の「常識」に戻った」。(ダグラス・ラミス『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』)。このように書いている人もいる。これもまた、牧歌的な,能天気な解釈だろう。
 マッカーシズムのあとに育ったアメリカ知識人に典型的に観察される歴史認識を欠いた解釈である。


6)日本国民にとっては? 


 日本国民は、日本国憲法を制定する過程でほとんど関与していない。そのイニシアティブをとってはいない。

 しかし、日本国憲法、憲法9条が公表された時、これを熱烈に歓迎し受け入れた。それはマッカーサーや天皇裕仁の意図を超えて、熱烈に歓迎し支持した。戦争の時代を過ごし、家族の誰かが戦死し、また空襲や原爆で多くの人々が死傷した。戦争中の窮乏生活は我慢がならなかった。そのような日本国民は、国民主権、平和主義の憲法を熱烈に歓迎し支持したのである。そのあとも日本国民の平和志向や平和運動は9条を護り続け、平和運動は護憲運動と一体化した。9条は、マッカーサー・米国政府や天皇の意図を超えて、日本国民に支持され、平和を希求し戦争被害・原爆被害を告発してきた歴史をつくり上げてきたし、憲法擁護運動は、戦後日本社会をつくりあげてきたのである。そのつくりあげられてきた戦後の歴史のなかに、私たちは生まれている。その現実を無視するわけにはいかない。

 ただ、9条を擁護する日本国民や平和運動は、9条と一体であった1~8条、すなわち天皇制条項への批判を、まったく不十分にしかしてこなかった。

 日本国憲法はそもそもその出発から、当時の歴史的な背景に規定された矛盾を抱えているのである。憲法の基調は、平和主義、国民主権、基本的人権の尊重であるが、平和主義や国民主権とは反対物である天皇によって象徴されている。天皇と天皇制は、天皇主権=独裁=民主主義の反対物であり、また戦争、特に明治以降の侵略戦争と結びついた「平和の反対物」である。そのようなもので新憲法を象徴する合理的な論理は存在しない。

 戦後日本社会では、この矛盾を批判すること、あるいは言及することさえも、多くの場合、避けてきた。憲法擁護の平和運動内でもほとんど触れてこなかった。マスメディアは絶対に触れない。天皇制批判にたいして、NHKは絶対にやらない。真実を明らかにする意志が欠けている、歴史認識の中で天皇制要因を、勝手に削除して報道するのが日本のジャーナリズムとなっている。

 国民の多くも触れない。平和運動団体の多くも触れない。明白に日本の平和運動の欠陥であるが、誰もそのことに触れようとしないで、「9条を守ろう」と、こう主張してきた。1~8条と、9条とを切り離して強調したり、主張しても何も問題ないという判断がそこに見える。もちろん、決して切り離すことはできない。

 日本国憲法、9条は、決して天から与えられたものではない。第二次世界大戦の結果、ファシズム、日本の軍国主義が敗北し、平和を希求する世界中の人たちの犠牲と戦いがあって、もたらされた。しかし、戦争で多大な犠牲を強いられたもののファシズムや軍国主義と戦わなかった日本国民の多くにとっては、日本国憲法、9条はまるで天から授かったもののように思えたし、未だに思っている。

 裕仁は新憲法制定に際し、マッカーサーに感謝を表明している。天皇制を存続させてくれたからだ。裕仁が感謝して受け入れたことから、憲法は押しつけ憲法ではないと言えよう。しかしそのことは、「押しつけかどうか」が本質的な問題ではないことも同時には示している。

 また、日本国民は、憲法起草の段階ではとんど関与していないが、草案が公表された時、日本国民はこれを熱烈に支持した。国民が支持し受け入れた時点で、押しつけ憲法ではないし、押しつけは問題にならない。それで十分なのだ。「押しつけ憲法ではない」と主張するために、そもそも幣原説は不要なのだ。

 憲法9条を擁護するためなら、どのような理論も解釈も利用すべきという御都合主義、プラグマティズムは感心しない。「幣原が9条を提案した」という説が、自民党や右翼の「押しつけ憲法」だから改憲という主張への反論になると考えるのは、あまりにも政治的に幼いであろう。

 半藤氏や「幣原説」を唱える人たちが、改憲に反対していることは尊重し敬意を表するが、御都合主義の歴史解釈や説明には賛成できない。

 日本国民ではなく、幣原喜重郎(=天皇の側近であり天皇の政治的意思を実行した敗戦直後のパワーエリート)が、自分が提案したと書き残したから、「押しつけ憲法ではない」と言えるのではないのだ。そのことをよく弁えておかなければならない。

 私たちは憲法を擁護する、憲法の基調が、平和主義であり、国民主権であり、基本的人権の尊重しているからである。(文責:児玉繁信)

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安倍政治とは何か? [現代日本の世相]

安倍政治とは何か?

1)安倍一強体制の確立

 安倍一強体制はどうやって作り出されたのか。小選挙区制を利用した自公両党と安倍政権が大いに活用した結果が、自民一強、安倍一強をつくり出した。
 選挙における公認権は官邸が握り、政党交付金は自民党総裁に権力が集中する。従来の派閥は力を失ってしまった。その結果官邸がすべて支配する政治となった。安倍首相周辺の少数政治家と官僚に権力が集中している。
安倍政権は、さらに大手マスメディアを政権運営の装置として支配下に入れて、国民を情報コントロールしている。

2)自民党は典型的な右派政党になった

 安倍政権は典型的な右派政権になった。
 対外的には、タカ派の主張を行い、ナショナリズムの強調し、過去の侵略戦争を正当化する歴史修正主義を掲げ、軍事力で相手を抑えつける=積極的平和主義を唱えている。第二次世界大戦の結果、決定した国境線の変更を、日本政府は主張している。海外からは、極めて危険な右派政権と見なされている。
 国内的には、平等よりも、競争と自助努力を優先する。成長戦略は、労働法制の規制緩和と法人税減税である。

 これまでの自民党、すなわち1955年体制時代から続いてきた自民党は、典型的な包括政党であって、イデオロギー的に言えば右から中道の考え方まで併存してきた。その「併存」は、経済成長の上での利害調整で可能となった。

 1992年のバブル崩壊以降、日本経済は低迷しもはや高度成長は見込めない。そのため自民党政権は、新自由主義、格差拡大で利益を確保する路線に切り替え、イデオロギー的には右一色になった、ということである。

3)代議制民主主義の機能不全

 今回の国会包囲デモが拡大・持続したことは、国民の政治意識の高まりを反映したと言える。しかも、国会や政党・議員への不信感を訴える主張が多かった。国民の多数が納得しないなかで与党は、立法作業を強行した。
 一方、国会包囲デモの声を代表する政党・議員がいなかったし、国会の審議は国民の疑問に答えるものではなかったことも、明らかになった。現在の日本の代議制民主主義、政党と議員は、国民の声を反映しないシステムになってしまい、機能不全に陥っている。
 デモとして表現された国民の声は、安保法案成立以降、どのように継続した運動を組織するかが課題になっている。対抗運動は継続して初めて政治運動となることができる。

4)形骸化した国会審議

 国会審議、議員間討論がまったく低調であって、いかにもレベルが低いし、内容がない。どうでもいい形式へのこだわりがあり、審議は時間数だけで測られる。
 実際のところ、本会議は機能せず、委員会でほぼ審議が決着する。与党議員は官僚の事前調査に頼り切り、本会議ではほとんど何もしない。野党は、政府与党を質疑で追い詰めようとする、揚げ足取りをしようとする。その結果、行われるべき法案の逐条審議が行われない。
 結局、日程闘争と国対政治の裏交渉だけが大きな役割を果たして、形骸化した審議で終わる。

5)「新三本の矢」は、まやかし
 安倍内閣は、新三本の矢を発表した。「強い経済で名目GDP600兆円」、「子育て支援で出生率1.8」、「安心につながる社会保障で介護離職ゼロ」。

 一言で言えば、「新三本の矢」はまやかしである。実現するつもりもなければ、その根拠もない。口当たりのいい、ただの宣伝文句である。

 安保法案を成立させたので、安保から経済、国民生活向上に政策転換したかの如く装い、支持率回復を狙っているのだろう。

 第一に、これまでの三本の矢の評価がない。アベノミクスが掲げた、2%の物価上昇→賃金上昇→消費拡大というメカニズムは作用していない。特に賃金はほとんど上がっていない。金融緩和の出口戦略=財政赤字の処理は全く手つかずだ。企業は内部留保をため込むばかりで国内へ投資しない。新しい矢を放つなら、これまでの矢の行方を確かめてからにすべきだ。

 第二に、GDP600兆円を掲げたが、いつ、どのように達成するのかもなければ、時期の目標もない。実現は相当困難だがそのための手段は明示されていない。「3%成長を続ければ2020年度には実現できる」と官僚は説明するが、この20年間3%成長したことはない。ここ数年の潜在成長率は0.3~0.4%でしかない。

 第三に、出生率1.8は、結婚したい人がすべて結婚し、生みたい人がすべて生んだ場合の出生率なので、これまた実現はほとんど不可能である。支援制度なし目標だけ。
第四に、介護離職を防ぐには公的介護施策の充実が不可欠で、そのためにはより大きな財源が必要だが、そんな準備もない。これも掛け声だけ。

 「新三本の矢」は、実現の裏付けがまったくないし、安倍政権自体がその約束・目標を守るつもりがない。目くらましである。国民をバカにしている。(文責:林 信治)


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日本国債、格下げ [現代日本の世相]

日本国債、格下げ

 9月16日、スタンダード&プアーズ(S&P)は、日本国債を「AA-」から「Å+」に格下げした。

 日銀が国債を買い続ける現状では国債市場にほとんど影響しないが、日本国債を大量に抱える邦銀のドル資金調達金利は上昇し、資金調達がより困難になる。S&Pは、国債格下げと連動し、みずほ銀行や三井住友銀行も格下げした。

 安倍政権は、「アベノミクス新3本の矢」を発表したが、そこには「財政再建」、「増税」、「歳出削減」の文字はなかった。
 かつての10%、20%の高成長が続けば、財政は容易に再建されるだろう。しかし、そのようなことはありえない。財務官僚には、いまだに高成長の発想が抜けていない。「新三本の矢」は、「3%成長」を前提にしている。しかし、現時点での日本の成長率はわずか0.3%なのである。

 財政官僚の頭のなかは、「もはや、増税や歳出削減というまっとうは手段での財政再建はあきらめた。成長夢物語にすがるしかない」という事なのだろう。(日経新聞10月22日)

 法人税を増税するつもりはない。むしろ減税しようとしている。高額所得者への累進課税を強化するつもりもない。結局、成長戦略への夢物語に希望をつなぎつつ、財政再建は放置し、日銀が国債を買い続ける状況から抜け出せなくなるのだろう。その悪無限的地獄へ、一日ごとに嵌まり込みつつある。

 そして最終的には日本国民がその債務を背負うことになる。国民皆保険制度、医療制度、年金制度は崩壊する、すでに減らされた教育・福祉予算はさらに減らされる。日本のグローバル企業や資産家ではなく、日本国民が債務を背負う。
 ギリシャ国民は年金が削られ、窮乏生活を強いられている。しかし、ギリシャの大手海運業者は通常に業務をこなし収益を得ている。
 そのため、日本政府が財政破綻した後、犠牲になるのは日本国民であって、日本全体ではない。ギリシャ国民の姿は、近い将来の日本国民の姿なのである。(文責:林信治)

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違憲を承知で安保法案を成立させる安倍政権 [現代日本の世相]

違憲を承知で安保法案を成立させる安倍政権
武力で世界を支配する米国とともに、日本はリトル・アメリカをめざす
 
 安倍政権は「安全保障関連法案」を強引に成立させようとしている。この法案が違憲なのは安倍首相、政府は、百も承知だ。憲法など無視しようと考えている。それはアメリカ好戦派の世界戦略への服従でもある。安倍は中国との対立と戦争を夢想している

 言うまでもなく、この法案はアメリカとの「集団的自衛権」と結びついているが、「自衛」とか「防衛」が目的ではない。アメリカが侵略し、反撃されたら攻撃を受けたことになり、日本も侵略戦争へ参加することになる。

 しかも最近のアメリカの戦争は常に侵略が目的であり、国連さえ無視した単独行動が目立つ。
ロシアを屈服させるため、ウクライナで国内戦をしかけ、EUへのガスパイプラインを抑えようとした。
 2003年にイラクへ攻め込む際、アメリカ政府が「大量破壊兵器」という大嘘をついて攻撃を正当化した。
 
 こういう小型のアメリカになることを、日本の未来像として描いているのが安倍政権だ。

 このやり方は、大手マスメディアを使った大規模な「偽情報」の流布が必ず伴う。マスメディアを統制し、国民に情報を隠し、何も知らない考えない国民につくり変えることが必要となる。アメリカ政府は侵略を正当化するため、配下のメディア(事実上、西側の全有力メディア)を使って偽情報を宣伝、偽旗作戦も行う。

 日本政府には、そうした宣伝や工作を見抜く意志も力もなく、たとえ見抜いたとしてもアメリカ政府に従うままだ。アメリカとの「集団的自衛権」とは米侵略戦争への荷担にほかならず、日本を破壊と殺戮の共犯者にし、世界で孤立する。

 米国の次のターゲットは中国、東アジアにある。ここで日本をどのように利用するかが米戦略である。中国と日本を対峙させ疲弊させ、そこに米国の出番をつくろうというアメリカ政府、ネオコンの戦略である。アメリカ政府、ネオコンが日本を守るなどというのは妄想以外の何物でもない。
 しかし安倍首相は、その妄想にただひたすらすがりつこうとしているように見える。

 6月1日、安倍晋三首相は官邸記者クラブのキャップとの懇親会で安保法制は「南シナ海の中国が相手」だと口にしたという。日本のマスメディアは、このような危険を一切報じない。安倍政権は中国との戦争を想定しているが、これは20年以上前から練られたネオコンの世界戦略でもある。

 AIIB(アジアインフラ投資銀行)に次いで、BRICSは新開発銀行(NDB)を始動させる。中国の提示した現代版シルクロードのプランは、東アジアから欧州を結ぶ大経済圏の構想であり、次の時代の発展の姿を示して見せた。

 そのような構想の提示は、実際にはこれまで米国が占めてきた地位に中国が取って替わることであり、アメリカの支配層は危機感を抱いているはずだ。この中国に協調するのではなく、米国と一体になって対抗しようとするのが安倍の安保法制であり、TPPであり、歴史修正主義であり、沖縄辺野古新基地建設である。安倍政権のこれらの路線は表裏一体だ。

 安倍政権は、東アジアにおける危険性を高める大きな要因になるし、すでになっている。(7月21日記)

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現代日本の「じぶん褒め」症候群 [現代日本の世相]

現代日本の「じぶん褒め」症候群

 TV番組で、「じぶん褒め」が目立つ。いずれも外国人を登場させ、コメントさせる。
「世界が驚いたニッポン!スゴ~イデスネ!視察団」
「YOUは何しに日本へ!」
 日本と日本人に対する根拠のないプライドを煽る。

 日本経済が低迷という「失われた20年」を経験し、中国にGDP第2位の地位を奪われた。しかもその差は広がる一方。「中国の台頭と発展の現実を決して認めたくない」という政治路線を実行しているのが、安倍政権の面々である。

 他方、格差社会となり多数の貧困化した日本人にとっても、「自尊心を満たす」「じぶん褒め」が心地いいのかもしれない。一瞬でも、苦しい現実を無視し忘れることができる。

 「日本の技術力は優れている? 日本人の仕事は丁寧だ?・・・・・」と繰り返す。
 福島原発の汚染水漏れに対する対策こそ、日本の技術力を示している。「溝を掘って土手を少し高くして汚染水の流出を止めます」とイケシャアシャアと東京電力は報告する。
 この仕事は、優れた日本の技術力かい? 日本的に丁寧かい?

 外交といえば米国の意向ばかり気にし、先進国とばかり付き合い、中国やアジア諸国に向いていない。ASEAN諸国は、アジアインフラ投資銀行(AIIB)に参加しない日本政府に失望し、「化石化した日本」と呼んでいる。
 AIIBによる開発は新たな問題を引き起こすだろうが、現時点で明確なのは、中国や東アジアと友好関係を築くことが友好と平和への道であり、TPPに加盟し米国への依存を深めるのが戦争への道である。

 「自尊」、「じぶん褒め」は、現代世界政治から孤立する日本と日本人の現実からの逃避でもある。現実を見ないで、「心地いい」言葉だけを耳に入れたがる。大手マスメディア、新聞、週刊誌は自尊心をくすぐる「心地よい」報道しかしない。本当のことを報道しない。あるいは嫌中・嫌韓の報道しかしない。さらに一部は、歴史修正主義、復古主義につながっている。
 
 現代日本の「じぶん褒め」症候群は、日本人が全体的に愚かになりつつある一つの現象ではないか。究極の「じぶん褒め」は、国際聯盟脱退であり、戦争中の大本営発表であった。ゆっくりとその状態に近づいていると感じるのは、私だけだろうか。

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新国立競技場は何の象徴か? [現代日本の世相]

新国立競技場は何の象徴か?

 ギリシャ危機はどこから始まったか?
 現在、財政問題で西側の食い物になっているギリシャでも2004年にオリンピックが開催された。この時期に、ギリシャ財政を破綻させる動きが水面下で進んでいた。
 ギリシャはユーロ圏へ入るのだが、財政面で条件がクリアされていなかった。そこで登場するのがアメリカの大手投資会社のゴールドマン・サックス。2001年にギリシャが通貨をユーロに切り替えた際、財政状況の悪さを隠す手法をギリシャ政府に教授した。

 ギリシャがEUに加盟しユーロの信認を手にして、欧州資本やギリシャ資本、ギリシャ政府は、観光業や不動産業、サービス業で巨大な投資を実施した。開発ブームが起きた。その象徴はアテネ五輪だった。

 オリンピックが終わった2006年、ギリシャの債務が膨らんだ。そこで、隠していた悪い財政状況がバレてしまい、ギリシャ危機ははじまった。あるいは、意図的に暴露し、その機会に儲けた輩もいる。

 今やバブルは崩壊し、ギリシャ政府はEU、EMB、IMFから債務返還を求められる待ったなしの状況下で、年金の削減、教育福祉予算の削減を主内容とする緊縮政策=新自由主義政策の実施を迫られている。相手の資金がショートした時に、新自由主義政策を呑ませる。あくまで「ギリシャ政府の選択」の形をとる。なんせ、民主主義国家のやることだから。

 ギリシャの年金受給者は、265万人、人口の四分の一。ギリシャ最大労組調査によると、一人当たり年金受給額は、2009年1,350ユーロ、2014年は800ユーロへとすでに4割近く削られている。毎月の給付総額は20億ユーロ。これをさらに削る。
 EU、ECB、IMFは、自分たちの手は汚さずに、ギリシャ政府に年金を削らせる。ギリシャ国民の批判が、IMF、EU、ECBに向かないようにしたい。

 ギリシャ政府は、法人税を上げ、企業の社会保障の負担を重くし年金制度を維持しようと主張したが、IMFは「成長を妨げる」との理由で認めなかった。ギリシャ政府に「新自由主義」政策を押しつけているのである。

新国立競技場 (320x176).jpg

 さて、2020年に東京オリンピックの会場になる新国立競技場が問題になっている。1,300億円と言われた工費が2,520億円に膨らみ、このまま進めば4,000億円になるのか、5,000億円になるのか、誰にもわからない。「オリンピックを口実にこの際、大儲けしちゃおう!」という輩が安倍政権の周囲に、しかも中枢に確実に存在する。予算が足りなければ、国債を発行すればいいと考えている。それだけ国民の負担は膨らむ。

 これは、どこかの国と似ていないか? そうだ!ギリシャだ。
 例えば、インフレとなるだけで、日本政府の財政破綻はこの先修復できそうにないと評価さてしまう事態に陥りかねない。そうなれば、日本国債は暴落を始める。
 そのあとは、永年にわたって闘って勝ちとってきた年金制度、福祉教育予算、医療制度、国民皆保険制度は、ギリシャのようにほんの短期間で破壊されてしまうことになる。
 新国立競技場が、その象徴とならないことをただひたすらに祈る。

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安倍首相の岸コンプレックス [現代日本の世相]

安倍首相の岸コンプレックス

 4月29日の米議会での安倍演説で驚かされたのは、冒頭で祖父である岸信介の名前をあげ、「民主主義の原則と理想を確信していた」元首相と紹介したことだ。あらためて、安倍首相の本心がどこにあるかを確信させられた瞬間でもあった。
 安倍首相を突き動かしているのは、もっぱら岸信介へのコンプレックスである。父親の安倍晋太郎の名前など出ない。もっぱら、岸信介である。異常なくらいだ。結局それは、安倍首相の歴史観・国家間と結びついている。
 岸信介は、軍部と結びついた革新官僚のトップであり、満州国をつくった実務者である。東條内閣の一員として大東亜戦争を指導した責任者である。戦後、GHQは岸を極東裁判にかけ、戦争犯罪人、A級戦犯の一人として巣鴨プリズンに3年間放り込んだ。
 岸信介を尊敬する安倍首相は、満州国建設を中国侵略と思っておらず、大東亜戦争を「尊い戦争」と考えている。しかも大切な祖父を危うく戦犯で絞首刑にしようとした極東裁判なんか、間違っていると確信している。
 その岸を「民主主義の原則と理想」を尊重した日本の首相と、安倍首相は米議会演説で紹介したのである。きわめて理解しがたいのであるが、彼の語る「民主主義の原則と理想」は、侵略戦争を否定し、極東裁判を否認する立場と矛盾しない。

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経団連に愛国心教育を! [現代日本の世相]

巨大企業は法人税を払え!

経団連に愛国心教育を!

 日本の財政赤字は、巨大企業が法人税を払っていないことと、富裕層が所得税を払っていないことによる。その責任を頬被りし、消費税増税で国民に負担を押しつけた。

 安倍政権は2015年から法人税減税を開始し数年以内に20%台に引き下げる方針を表明した。2014年法人税(法定正味税率=国税の法人税、地方税の法人住民税、法人事業税の合計:東京都の場合)は、35.64%まで下がっている。

 しかし、巨大企業は35.64%も払っていない。「受取配当金を課税対象外とする制度」、「優遇措置」、「会計操作で課税所得を低く抑える」、「タックスヘイブンの利用」などなど、さまざまな手法を使い課税を逃れている。富岡幸雄が『税金を払わない巨大企業』(2014年9月)で、巨大企業ほど、いかに狡猾に税逃れをしているか、指摘している。

150129 富岡幸雄 税金を払わない巨大企業 (199x320).jpg


 法定正味税率さえ払っていないのに、経団連は「日本の法人税は高い、下げろ!」と言い続けている。麻生太郎財務相が1月5日、「君らは守銭奴か!」と言い放った非難の言葉は、ぴったり当たっている。

 近年の日本社会は異常に変化してきた。日本の経営者の意識は大幅にアメリカナイズされた。「税はコストだから、安ければ安いほどいい、自分の企業が儲かれば政府財政や日本経済がどうなっても構わない」こういう考えが蔓延し、巨大企業の社会的責任感はどこかへ消えた。

 政府が財政赤字となり、1000兆円を超える債務残高が積みあがったのは、巨大企業、100億円以上の富裕層が、税逃れしてきたからだ。

 かつて2007年に日本経団連(御手洗富士夫会長、現在は名誉会長)は、「希望の国、日本」(御手洗ビジョン)を発表した。そのなかで、「愛国心教育」の必要性を明記している。

 ずるをして、税逃れして、国などこれぽっちも愛してこなかった連中が、国民に対しては「愛国心を持て!」と教育するというのだ。何という、人を馬鹿にした話だろう。

 経団連経営者、巨大企業の経営者にこそ、愛国心教育が必要である。国家財政の危機状況下にあっても、課税取得を減らすための優遇措置、制度を国に認めさせ、「優秀」な会計専門家を雇い税逃れし、なおかつ法人税引き下げを要求し続けている。

 巨大企業の経営者こそ、まったく「国を愛し」ていないことが明白だ。「愛国心、愛情と責任感と気概をもって国を支え守る気概」を叩き込む必要があるのは、御手洗名誉会長を含む日本経団連の面々ではないか!
  
 「国民に愛国心を持て!」と説教するのだから、少なくとも、自らすすんで法人税を、所得税を払う、巨大企業の経営者、富裕者でなければならないのではないか。 
 とにかくちゃんと払え!  (文責:林 信治)


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アベノミクスは早急に転換せよ! [現代日本の世相]

アベノミクスは早急に転換せよ!

 1)アベノミクスの息切れ

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 アベノミクスは、大胆な金融緩和、財政出動、成長戦略の「3本の矢」と説明されている。
 そのプランは、日銀による異次元の金融緩和により、円安に導き輸出拡大と、デフレ脱却、2%インフレ目標を実現し、個人貯蓄・企業貯蓄を投資に導き、日本経済を活性化させ、その恩恵の上に賃上げし、消費を拡大し、好循環の経済成長に導くというもの。

 金融緩和により円安と株高は実現したが、国内生産能力の低下から輸出は増えず、逆に貿易赤字が拡大し定着した。輸出企業中心に業績は急改善し最高益を上げているが、企業は国内に投資せず、もっぱら海外市場への投資、M&Aに振り向け、企業内貯蓄を増やしている。国内投資をしないため、経済成長率は上がらない。

 賃上げは、大企業中心に2%賃上げが予定されているが、2014年4月の消費税税3%増を補うものではない。しかも、賃上げは、多くの派遣やパートなど不安定雇用労働者には及ばない。円安による輸入物価上昇と消費増税は、家計の実質所得をすでに損なっている。雇用者全体の報酬改善につながっていないのが実情である。
 したがって、上場企業の業績改善、内部留保増大は、家計部門の実質購買力を犠牲にし、所得移転しただけである。
 
 円安・株高によって、一部企業の収益は増大したが、国民は貧しいままである。その現実を多くの国民は実感しつつある。

 アベノミクス第2,3の矢は、歴代政権が行ってきた政策の焼き直し

 第2の矢は、財政出動であり、災害復興を含め支出したが、ゼネコンや東京電力を救う資金となり、その効果は一過性であり、日本経済の古い体質を延命した。社会インフラ整備は、生産性向上や利便性向上のために行われるべきだが、費用・便益の十分な比較考量なく、既存の受益者への配分のために繰り返されてきた。

 第3の矢は、成長戦略と称しているが、評価するほどの中身はない。言及されているのは「労働規制の撤廃」、「法人税減税」などの反労働者政策であって、日本をいっそう格差社会にし、企業を成長させるもの。

 「15年3月期に上場企業の多くが最高益を上げそう」なのは、日本経済の一部を反映しているだけで、一国全体の姿を映す鏡にはなっていない。多くの普通の日本人が貧しくなったし、未だその過程は続いている。
 これは、アベノミクスの本質的性格である。

 2)アベノミクスの先に何が待っているか?

 日本経済の実力は、潜在成長率の低さで表現される。2010―12年度の潜在成長率は、日銀によると0%の前半台、すなわち0.3‐0.4%程度まで低下している。
 成長率は、「労働者数」、「資本投入」、「生産性向上」で測られるが、10―12年度の潜在成長率(0.3%)の寄与度を分解すると、労働投入が-0.4ポイント、資本投入が+0.1ポイント、全要素生産性(TFP)が+0.6ポイントとなる。

 労働力減少が始まってすでに15年以上の経ち、企業は国内市場に投資せず、民間純資本ストックも09年度以降、まったく増えていない。生産性向上のための大規模な資本投資は行われておらず、生産性も大きく上昇していない。
 ただ、ここへきて降ってわいてきた原油安が、日本経済に有利な要因として働きはするだろう。アベノミクスの破綻が、一時的に延長されるということだろうか。
 劇的に潜在成長率を改善させる方法は存在しないし、潜在成長率が高まっていく状況にはない。

 円安になっても輸出が増えなかったのは、企業が国内投資せず国内生産能力が低下したからだ。13年度以降、民間純資本ストックは増えておらず、日本資本は日本市場に投資する行動をとっていない。国内では軽自動車しか売れず、新車開発において「Ignore Japan、日本市場は無視」と公言している自動車会社の対応が、現在の事態を象徴的に表現している。

 いずれ民間純投資もプラスに転じ民間純資本ストックも増加してくるというアベノミクスのシナリオは、少しも現実のものとなっていない。

 それどころか、潜在成長率はいずれ明確なマイナス領域に入って行く。国民純貯蓄は09年度以降、ほぼゼロまで低下している。一国全体の資本蓄積そのものが止まり、さらに低下し、そのこと自体が民間純投資の制約となり、潜在成長率がマイナスになるだろう。そうなると、「将来の税収では、公的債務は返済不能」であることが広く市場に意識される。

 そのあと劇的な変化が生じるのではないか。
 巨額の公的債務を抱えるなかで、財政・金融政策によりデフレ脱却を目指せば、インフレ率が上昇しても、国債利払い急増を避けるため長期金利上昇を回避せねばならず、ゼロ金利政策や長期国債の大量購入をやめられなくなる。その時期も長くはもたない。

 最終的には、インフレによって公的債務の圧縮を図るところにすすむ。そこはバブルの崩壊とスタグフレーションの長い時期、ギリシャ危機のような人々にとっては苦難の長い時期が待っている。これがアベノミクスの帰結であろう。その前に転換しなければならない。

 3)安倍政治が経済を縛る

 安倍政権には、肝心のグローバル市場戦略が欠けている。中国をはじめアジアの成長力を目いっぱい取り込まない限り、成長はおぼつかない。にもかかわらず、政権の登場以来、歴史問題、「慰安婦」問題をめぐり、周辺諸国と友好的な関係を形成できない事態が続いている。他方、米国主導のブロック経済・TPP加入すれば、米国依存は一層深まりそうである。

 日本のパワーエリートは、米国権力には従わざるを得ないものの、いまだに敗戦の事実を受けいれられないでおり、中国、韓国やアジア諸国を見下している。それが日本を孤立させ、衰退に導く。

 4)アベノミクスに転換迫る

 世界金融危機の後、先進各国で、「労働分配率の低下、資本分配率の上昇」に対する政治的な反発が広がっているものの、政治を転換させる運動にまでには至っていない。先進国のなかでも安倍政権は、成長戦略では法人税の実効税率引き下げ、ホワイトカラーエグゼンプションの一部導入など、企業の資本収益率の上昇を促す施策を打ち出し、明確に資本側に立った政策を掲げている。

 それ以上に、異次元緩和を止めなければならない。日銀は10月31日の追加緩和によって長期金利が急騰する前に、市中発行額の9割に達する長期国債の購入を開始した。本格的な金融抑圧が始まったと言える。

 これまで以上に財政膨張への歯止めが利かなくなる。十分な財源もなく法人税減税が検討され、消費税増税先送りにもかかわらず、増税を財源に予定していた新規の社会保障関連支出の大半は実行される。既存の社会保障関連支出と共に、日銀が国債購入でファイナンスすることになる。継続コストはまったく感じられないから、強い常習性を持ち、必要な時に止められない。

 アベノミクスを早急に転換しなければならない。また、安倍政権は退場してもらわなければならない。  (文責:小林 治郎吉)
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姑息なやり方の見本――厚生労働省2014年賃上げ調査 [現代日本の世相]

姑息なやり方の見本

1)厚生労働省が2014年賃上げ調査を発表

 厚生労働省が12月18日にまとめた賃金に関する調査によると、「2014年の一人平均の賃上げ額は前年より879円多い、月額5,254円だった」と発表した。「率にすると1.8%の賃上げで上昇幅、上昇率ともに比較できる1999年意向で最高になった」(日経新聞12月19日による)としている。
 この調査報告を、TV、新聞ともにそのまま報じた。

 ただ、この調査は、あくまで100人以上の企業についての賃金改定の状況である。100人未満の中小企業は含まれていない、当然のこと賃上げ額は大企業よりも低いことは容易に推定できるが、いくらかはわからない。

2)定期昇給とベースアップを合計した金額を賃上げとして発表

 
 それ以上に問題なのは、発表した月額5,254円の賃上げ額は、定期昇給とベースアップを合計した金額であることだ。厚生労働省は、定期昇給分とベースアップ分のそれぞれの額、または割合を示さないで、定期昇給とベースアップの合計額を「賃上げ額」とした。誤解が生まれるように発表し、TVも新聞もその事実を指摘もしないで誤解を生むように報道した。
 
 定期昇給は、30歳の人が31歳になる1年間で、賃金―年齢カーブにしたがって、上がる昇給である。1年経てば、賃金の高い59歳の人は60歳になり退職し、会社は18,9歳または22、23歳の賃金の低い新卒者を採用する。したがって、30歳の人が31歳になって定期昇給したとしても、会社が支出する賃金総額は、年齢構成が同じであれば、変わらないのである。そのため、賃上げ額として定期昇給分を含めて表示するなら、正確な賃上げ額がわからなくなる。全体としてみれば、勤労者全世帯の収入は定期昇給があっても必ずしも増えたことにならない。
 ただしくは、ベースアップ分を調査し示さなければならない。このようなことは常識である。

 厚生労働省は当然のことそのような常識を知ったうえで、合計金額を賃上げ額として発表した。しかも定期昇給分とベースアップ分のそれぞれの額、または割合を示さなかった。賃上げ率は実際より「高い数字」になる。報告を受け取った者が、誤解するしかないように発表した。
 明らかに意図してやっている。これこそ姑息なやり方の見本というものだ。
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三氏のノーベル賞受賞と中村教授の米国籍取得 [現代日本の世相]

三氏のノーベル賞受賞と中村教授の米国籍取得

 青色発光ダイオードで、赤崎勇・名城大教授(85歳)、天野浩・名古屋大学教授(54歳)、中村修二・カルフォルニア大学教授(60歳)の三氏がノーベル賞を受賞した。

 「三名の日本人のノーベル賞受賞」と騒いでいるが、中村修二氏は米国籍を取得している。正確に言えば、二人の日本人と、一人の米国籍日本人の受賞ということになる。ここ20数年の日本経済は停滞し相対的な地位は低下しており、国際社会のなかでの日本の政治的地位はアメリカべったりのためほとんど重視されていない。日本の国際的地位は低下した。そのようなことを日本社会と日本人は、うすうす自覚しているのであるが、現実を正視したくない気持ちもある。

 日本社会と日本人にとって、ノーベル賞受賞は、何かしら勇気づけるニュース、かつてのプライドを思い起こさせるニュースであり、歓迎するのかもしれない。むしろ、マスメディアはその勇気づけやプライドをくすぐる報道を心がけている。だから報道の目的から外れる中村修二氏の米国籍取得は、とりたてて言及されていない。

 中村修二教授によれば、米国籍取得の理由は、米国では国防総省からの研究費支給、援助額が多く、その獲得のためには米国籍が必要だったと説明した。
 中村教授の米国籍取得理由は、その説明通りなのだろう。そのことを問題にしたいわけではない。

 あらためて注目したいのは、米国では国防総省が関与する研究がいかに多いかということである。開発のめどがたちビジネスになれば、その技術とビジネスは軍産複合体に、売り渡される。軍産複合体にとっては利益を生み出す源泉になる。こういう仕組みが、きっちり機能しているアメリカ社会の現実が、中村修二氏受賞のなかで垣間見えたということである。

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マッチポンプというのだろうか? [現代日本の世相]

マッチポンプというのだろうか?

 安倍首相は、11月9日~17日にかけて、北京、ミャンマー、オーストラリアで開催されたAPEC首脳会議,ASEAN関連首脳会議及びG20首脳会合に参加した。
 この一連の訪問のなかで、何とか形だけではあったものの日中首脳会談はできた。しかし、日韓首脳会談は調整がつかず、できなかった。

 ただ、安倍首相と朴大統領は、会議のあいまに短い会話を交わした。
 11月21日の日経新聞は、「ミャンマーで朴は「韓中日の首脳会談を希望する」と踏み込んだ発言をし、慰安婦問題へのこだわりを安倍に直接伝えた」。他方、「安倍は嫌韓感情が高まる日本の厳しい事情を朴に語った」と報じている。
 また、朴大統領は安倍首相に慰安婦問題の解決を直接伝えたことをもって、達成感のにじむ満足げな表情をし、韓国政府筋は「慰安婦問題の前進は首脳合意だ」と意気込んだ一方で、日本外務省幹部は、「三カ国会談は歴史や領土を議題としない枠組みだ」と予防線を張った、とも報じている。

 いずれにせよ、「慰安婦」問題での対立こそ日韓首脳会談が開催できない最大の要因であることは間違いない。あらためて確認したことになる。であれば、首脳会談が開催されるにはいまだ道は遠いということのようだ。

 その安倍・朴会話のなかで「安倍は嫌韓感情が高まる日本の厳しい事情を朴に語った」という報道を見て、あきれてしまった。

 嫌韓感情を煽ってきたのは、安倍政権そのものだ。
 97年2月に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(2004年2月に「若手」を削除する名称変更)を結成した時から、一貫して「慰安婦」は強制連行ではないから軍・政府に責任はないと歴史をねじまげてきたのは安倍自身である。最近は、権力にすり寄ってくるメディアやネットを通じて、さらに一大キャンペーンを行い、嫌韓感情を煽ってきたのであって、責任は安倍と彼の復古主義にある。

 こういうのをマッチポンプというのだろうか?
 マッチで火をつけてまわって、そのあとポンプで消す、あるいは消すポーズをする。
 よく堂々とこのような発言ができるものだと思う。平気でこのような発言ができる人物だということ、彼の精神構造にあらためて驚いている。
 「安倍の二枚舌」と言ってきたが、そんな批判ではまだ言い足りない気持ちになる。(文責:林信治)

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なぜ、突然の解散選挙か! 「今なら勝てる」 [現代日本の世相]

 なぜか、突然の解散選挙
 「今のうちなら選挙に勝てる! 解散しちゃえ!」(シンゾー)

11月19日TBS .jpg

 1)安倍の都合で衆院解散総選挙

 安倍晋三首相は11月18日夜、21日に衆院解散に踏み切る意向を表明した。首相は争点として、消費増税を1年半先送りする判断の是非を衆院選で問うと語った。
 安倍晋三の言葉を翻訳すると「やばい! 日本経済は景気後退期に入った、アベノミクスはすでに賞味期限切れとなった。今のうちに選挙すれば勝てる。解散しちゃえ!」。
 このように安倍首相が判断したということだ。この先、日本経済はよくなる見込みはない、悪くなるしかない。選挙するなら今のうち。
 それ以上に、衆院解散総選挙の理由はない。

 2)政府のチョウチン持ち、マスメディア

 「解散総選挙」について大手マスメディアの報道は、「大義なき選挙」と論評し、あたかも批判的なポーズをとって見せている。現代日本における政治的争点を、すなわち「大義」をねじまげてきたメディアがそのように言う。
 大手メディア、特に全国紙は、安倍政権に対する根本的な批判をしたことはない、各社横並びで同じ報道、官僚の誘導する秩序だった政権に都合のいい報道しかしてこなかった。
 わたしは、琉球新報や沖縄タイムズの立派な報道を知っているから、全国紙がどんなにひどいかも知っている。沖縄県民の要求に沿った新聞が確かに存在するのに、日本国民の生活と要求に沿った全国紙がなぜ存在しないのか、不思議に思うとともに、怒りさえ覚える。
 安倍政権は何が問題なのか? 日本の行く末にとって何が最も重要な問題なのか? マスメディアはこれまで報道したことがあるか? 国民の目をふさぎ、逸らしてきたではないか? 安倍政権の意向をうかがうだけで、決定的な問題に対する国民が判断するための資料や事実を明らかにしようとはせず、政権の都合のいいように世論を誘導してきたのではないか。
 他方、安倍の復古主義政治路線に反するメディアには、集中攻撃した。朝日非難キャンペーンだ。そのおかげで、より一層各社を委縮させ、横並びで同じ報道、政権と官僚の顔色をうかがう報道になった。
 
 3)本当の争点は何か?

 消費税増税先送りは、はたして争点か? そんなことはないだろう。すくなくとも、小消費税増税中止だ。
 それだけではない。日本社会の進むべき道すじを考える時、本当の争点は、以下の問題だろう。
 
「原発再稼働へと勝手に導いている。これを止めるか否か?」

 ○「消費税増税、法人税減税の動きをやめること、日本を格差社会にしたのに、さらに格差を拡大するのか、これを止めるか否か?」
 
「集団的自衛権行使を閣議決定し、自衛隊を海外で米軍のために戦わせる。この危険な戦争の途に進むのか、止めるのか?」

 ○「秘密保護法で政府が情報を国民に隠す、これを止めるか否か?」

 ○「TPPで日本の主権を喪失させる、これを止めるか否か?」

 少し考えれば、安倍政権になって日本が大きく道を踏み外したことは明らかだ。これを止めなければならない。だから上記問題が衆議院選挙の争点にならなければならない。しかし、奇妙かつ不思議なことに、争点にさえなっていない。

 4)えらぶべき政策を掲げる政党がない

 日本社会の進むべき道すじを考え、争点を示し、しっかりとした対案を提示する野党がほとんど存在しない。
 民主党、公明党、維新の会、次世代の党などは、上記の問題に対案を持っているか? 争点にもしていなければ、対案も持っていない。主張や政策が安倍政権とそんなに違わない。どうしたら政権につけるか、閣僚に加えてもらえるか、そんな事ばかり考えている政治家と政党ばかりが目立つ。そんなものが果たして野党だろうか? 
 日本の政党は、胴体が一つで、頭がいくつかに別れている怪物に過ぎない。どれを選んでも結局は同じになる。これが現代日本の「民主主義」議会制度である。政権の都合のいい結果になるように、官僚が操り、メディアが道を掃き清める。そんなシステムがしっかりと確立してきた。いまや完成形に近づきつつある。現代日本の政治手法の特徴だ。そうして国民は自身の選挙行為で、同じ支配者を選ぶところに誘導される。
 安倍政権は、官僚とメディアを使ってつくりあげた虚構の政権であるという、ウォルフレンの描写はまったく適確だ。

 5)争点なき選挙で、国民は何を選ぶか?

 国民の声を代表しない政治家や政党が多数を占める「民主主義」とは、何だろう。
 日本の民主主義は、すでに機能不全に陥っているというしかない。政治家、官僚とマスメディアによる情報コントロール支配システム(その背後に企業、資本がいるが)の問題点を認識し、これに打撃を与える運動、選挙でなければならない。
 沖縄知事選で、辺野古新基地建設反対を掲げ、翁長候補が当選した。しかし、自民党だけでなく、民主党、公明党、維新の会、次世代の党などは、沖縄県民の声を聞こうとしなかった。選挙結果に沖縄県民の意志が示されても、少しも呼応せず無視している。国民の声に呼応しようとしない、これが日本の政党政治、代議制民主主義の現実なのだ。
 このような制度上の問題点は、わたしは根本的な欠陥だと思うが、衆議院選挙で問題にもされない、指摘・批判もされないとするなら、本当におかしいと思う。(11月21日記)

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朝日叩き、吉田所長の死の利用の仕方 [現代日本の世相]

朝日叩きと吉田所長の死の利用の仕方

 「慰安婦」問題についての最近の朝日新聞叩きは、本当にひどい。産経や読売はすでに新聞とは言えない。時の権力者にすり寄って、権力者の意向をうかがうチョウチン持ちの記事ばかりだ。

 日露戦争の折に、新聞『萬潮報(よろずちょうほう)』は当初、非戦論を唱えていた。しかし、日本社会が開戦に傾くにつれ、社主・黒岩涙香は政府や他の新聞社の批判に耐えかね、黒岩自身と『萬潮報』は主戦論に転じた。主戦論に転じた『萬潮報』は、発行部数が二倍になったそうである。( 他方、非戦論を固持した幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三らは退社し、『平民新聞』を起こした。)

 週刊誌、週刊現代、ポスト、新潮、文春のどれをとっても、「慰安婦」はいなかった記事が毎週繰り返されるし、嫌韓、謙中の記事があふれている。安倍政権に競って自分から寄り添い、売上を増やそうとする。最近その程度が特にひどい。人権意識の欠けた記事は、日本社会をすでに大きく変えてしまっている。

 広島市北部の土砂災害地域の何軒かの留守宅に泥棒が入った。ネットでは、「その犯人は朝鮮人・韓国人だ」、「自警団をつくって警備しよう」、「警備に出かけたら目のつりあがった人物を見かけたがあれは韓国人に違いない」・・・・そんな書き込みがあふれている。

 関東大震災が起きた時、軍や警察が煽った事実もあるものの、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」、「朝鮮人が暴動を起こした」というデマがあふれるなか、普通の一般市民が朝鮮人虐殺した。その情況と驚くほどよく似ているのではないか。背筋が寒くなる。
 人権意識の欠けた、平気で人種差別を煽る、そんな社会に現代日本は急速に変わりつつある。第一の責任は、日本政府にあり、さらに太鼓持ちのマスメディアにある。

吉田調書の利用

 それから、福島第一原発元所長・吉田昌郎の「聞き取り調書」の朝日新聞報道記事をめぐっても朝日は叩かれている。

 原発が爆発する危険な状態になった時、吉田所長が運転にかかわる職員以外にあくまで放射線の少ない地域へ退避するよう命じたが、職員らは吉田所長の意図に反して福島第二原発にまで退避してしまった。この事実を、職務命令違反があったと報じた朝日新聞に、批判が集中している。吉田所長はのちに調書で、事故時は混乱していて退避場所を明確に指示しなかった、考えてみれば避難先として確かに福島第二は適切であったと述べている。
 朝日叩きキャンペーンが準備されており、取りあげられたというのが真相だろう。

 吉田調書をそもそも公表しようとしなかった政府こそまず批判されなくてはならない。政府は、みずからと東電が批判されるのを恐れたのだ。
 吉田調書以外に公表していない事実、資料は、政府内にも東電内部にも山ほどある。そのことをまず批判しなければならないだろう。
 朝日叩きは、目くらましとして利用されている。
 この政権の意図を理解した大手マスメディアは、自発的に朝日叩きに加わり、国民の目をそらさせている。

 調書を読む限り、徹底して批判されなくてはならないのは「東電」であるのは明らかだ。事故が起きて慌てふためいている姿がありありで、事故への対応態勢が全くできていない。今後のためにも、これら政府や東電の対応への批判こそ、マスメディアがまず問題にしなければならないことだ。朝日叩きで、国民の目を意図的に逸らせてはならない。
 
 ちなみに、吉田昌郎所長は食道癌で亡くなった。事故発生の半年後、2011年11月24日に入院し、2013年7月9日、58歳歿。東京電力によると被曝線量は累計約70ミリシーベルト。
 しかし吉田の食道がんは放射線による癌とは認められていない。したがって労働災害とはされていない。米山公啓・聖マリアンナ医科大学医学部第二内科元助教授は「職責からくる極度のストレスが癌の原因ではないか」と指摘しているという。あきれてモノが言えない! 本当に、そう思っているのか! 

 吉田所長の食道癌が労災でないなら、今後、東電社員が癌になったとして、誰が労災になるだろう。急性放射線障害を除けば、誰一人、労災にならないのではないか。ましてや子会社、下請社員の癌の労災などありない。
 東電社員は、この扱われ方をよく見ただろう。誰もが放射線の少ない本店勤務、原発以外の勤務場所を望むのではないか。放射線を浴びながら、決死の覚悟で事故原発の制御を行おうなどしようとしないのではないか。

 特攻隊員の死の扱われ方とよく似ている。
 みずからの命を犠牲にして働いた! 国のため、国民のため、犠牲となったと賞賛する。死者をほめたたえる、賞賛をあふれさせることで、事故の原因、責任追及を逸らさせる。死者をダシにして、本当に責任ある者が逃げおおせる。犠牲にさせた者、事故や戦争を止めなかった者の責任は、いつの間にか消えてしまう。目くらましの術だ。犠牲にされた特攻隊員、吉田所長は少しも尊重されていない。よく似た論理だ。(文責:林信治)

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「武器輸出三原則」を見直し、イスラエルに輸出するのか! [現代日本の世相]

「武器輸出三原則」を見直し
イスラエルに輸出するのか!

 2014年4月1日、日本政府は、「武器輸出三原則」を見直し、それに代わる「防衛装備移転三原則」閣議決定した。「武器」を「防衛装備」と言い換え、「禁輸」を「解禁」にしたのである。「平和貢献・国際協力の推進」、および、日本の「安全保障に資する場合」に防衛装備移転が認められるとしている。
 新原則では「国連安保理決議の違反国や紛争当事国には移転しない」とされているが、例えばイスラエルは「紛争当事国」に該当しないというのが、日本政府の認識である。3月14日、自民党本部で開かれた安全保障関連部会の合同会議では、政府担当者の口から、新原則ではイスラエルへの武器や関連技術の輸出が可能であるという見解が述べられている。

 イスラエルによるガザへの空爆や地上軍の侵攻、住民虐殺は、「紛争」ではないというのだ。
 「戦争に非ず、事変と称す」。かつて満州事変、支那事変と称して、宣戦布告せず事変(実際は戦争)をはじめた国があった。言い訳がよく似ているではないか!

 日本政府は、軍需産業の売上げに貢献し、世界の戦争を増やし不安定化するというなら、はっきりしている。だが、イスラエルへ武器を輸出し、パレスチナ人の殺戮に加担することが、「平和」と「安全保障」に貢献するという政府の日本語は、ごまかし以外のなにものでもない。(7月24日記)

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「沖縄密約」不開示が確定、 最高裁は存在する意味がない! [現代日本の世相]

「沖縄密約」不開示が確定――最高裁第二小法廷

 1)とんでもない判決!

 1972年の沖縄返還時に日米両政府が交わした「密約文書」を、西山太吉さんらが情報公開法に基づき開示を求めた訴訟に対し最高裁(第二小法廷 千葉勝美裁判長)は、7月14日、上告棄却の判決を出した。開示を認めなかった二審・東京高裁判決を支持し、原告側の上告を棄却し、原告側の敗訴が確定した。

 東京地裁一審(2010年4月)では、「文書の重要性は極めて高く、国が保有していると認定できる」とし、開示と賠償金支払いを命じた。
 東京高裁二審(2011年9月)は、密約文書が交わされたことを認めたにもかかわらず、「秘密裏に廃棄された可能性があり、国が保有していると認めるに足りる証拠がない」として不開示が妥当と判決していた。
 最高裁判決は、「沖縄返還の交渉過程で文書が作成されたとしても、不開示決定時点で国が保有していたとは推認できない」と結論づけた。最高裁第二小法廷の4人の裁判官の一致した判断であるという。一審、二審では文書が作成されたことは認めたが、最高裁は作成されたことも明確には触れなかった。
 最高裁判決は、政府・行政側が廃棄などを理由に不開示とした文書について市民の側に「存在」の立証責任を課したものとなる。政府が隠している文書の存在を市民の側が証明することはほとんど不可能である。しかも今回の判決は、文書は存在したとしても、のちに廃棄したとすれば開示しなくていいというものである。廃棄すれば、或いは廃棄したと言えば、開示しなくていいことになる。2001年の情報公開法施行前後に大量の行政文書が廃棄された前例もある。「廃棄」が不開示の理由に使われることになる。
 この判決によって、政府文書を、国民には隠し通し、政府・官僚の思うが儘に扱うことができることになる。官僚としては政府文書を自身の管理下に置くことが権限であると考えていて、こんな権限の拡大に一所懸命になる。

 2)司法がすすんで政府の意向を酌む

 最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長含む4名の判事)は、司法がすすんで政府の意向を酌む意志を表明した判決を書いたのだ。政府の受けはよくなるだろう。「司法が政府・行政をチェックする」ということなど、少しも考えていない。政府の意向、すなわち自身の出世ばかりを考え、上の意向をおもんばかる裁判官(ヒラメ裁判官)ばかりが増えているということだ。しかも、それが最高裁の判事たちだ。

 3)情報は国民の財産

 1972年に「沖縄密約」が作成されたことは、米国国立公文書館の文書公開によってすでに明らかになっている。開示された米国文書を元に西山太吉さんらが、「密約文書」の開示請求訴訟を起こしたのである。
 日本では、政府・行政文書は、各省庁の管理下にあり、官僚は自己の所有物と見なしていて、隠すも小出しにするも官僚の権限として扱われている。
 アメリカの例ばかりを出すのは気が引けるが、米国立公文書館は行政文書に対するすべての権限を保持している(とされる)。すなわちあらゆる行政文書を集める権限をもち、リストを作成し公開し、重要度を分類し公開の水準も決定する。そこに各省庁の意向が反映することはない。

 日本にも国立公文書館はあるが、名ばかりであって職員数は100人余りしかおらず、文書の保管や修復を主に行っているだけで、何の権限もない。各省庁が権限を持っている。各省庁から公文書館へ提出される文書は各省庁が決めるし、公開するかどうかも省庁が決める。

 HIV問題の時に、厚生省官僚が当初は存在しないと言っていた文書が、世論の批判、追及と、菅直人厚生大臣の姿勢もあり、存在を認めざるを得なくなったことがあった。あの「失態」は、日本政府の行政文書の管理の実態をよく表している。
 そもそも文書のリストさえ作成されておらず、何があるか、官僚にしかわからない。求められればその都度探す。都合が悪ければ存在しないと言い、相手国の開示により存在が確認されても後に廃棄したと言い、責任を逃れることができる。捜したが文書はないと答えたHIV問題の時の厚生労働省官僚は、後に何か罰せられたか? 偽装であり、背任にあたるが、少しも罰せられなかった。
 政府文書・行政文書は「国民の財産である」という考えがそこには存在しない。「官僚」は自身の地位と利益を保証するための私有物と見なしている。

 4)国民はないがしろにされている

 2013年に秘密保護法が制定され、今年末から施行される。ますます、政府・行政の情報や文書が国民の目から遠ざけられていって、政府や支配層に占有されることになる。政府・行政のチェックを果たす真の役割を、みずからすすんで放棄するような司法は、何の役にも立たない。

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在特会敗訴とネオウヨの実像 [現代日本の世相]

大阪高裁、在特会に1226万円損害賠償、京都朝鮮学校周囲での街宣行動禁止の一審判決支持

 2009年12月に起きた在特会による京都朝鮮第一初級学校襲撃事件の控訴審判決で、大阪高裁は7月8日、在特会に対し1226万円の損害賠償と朝鮮学校周辺での街宣活動の禁止を命じた京都地方裁判所の一審判決を支持し、在特会側の控訴を棄却した。

 高裁判決では、「国籍による区別」という在特会の主張を退け人種差別であると判断した、さらに、朝鮮学校行っている民族教育の意義を認め、より踏み込んだ判断をした。まともな判決である。

 ただし、未だ解決しているわけではない。子供のなかには「在特会」と聞いたら怯えたり、大きなマイク音に驚いたりする者が幾人かいて、治療・手当が必要だ。被害は救済されてはいないし、補償もされていない。

 日本国内ではヘイトスピーチが大っぴらに行われており、さらにはマスメディアがでたらめな嫌中国、嫌韓国宣伝を行い、安倍政権がそれを煽り利用している。一部の浦和サポーターが「Japanese Only」の垂れ幕を掲げたのも現代日本社会の一つの姿である。決して在特会だけの問題ではない。

 ネトウヨの実像

 また、7月4日付の栃木県・下野新聞によれば、ネット上で「朝鮮人を殺す」「虐殺する」と差別・脅迫の書き込みをしていたハンドルネーム「ヨーゲン」こと佐藤文平容疑者(57)が詐欺容疑で逮捕された。逮捕容疑は、転売が禁じられているソフトウエアの認証コード『プロダクトキー』を転売目的でMS者IDの交付を受けた疑い」

 この事件がネット上で高い関心を集めている。というのは、佐藤文平容疑者は、「ヨーゲン(@Yougen_Sato)」や「佐東幽玄(@H0TSTUF)」のハンドルネームを持つ、よく知られた「ネトウヨ」だったから。匿名で過激な中傷や悪意に満ちた差別を繰り返す「ネトウヨ」の実像が、今回明るみに出た。
 ヨーゲンは、Twitterで日課のように韓国人、朝鮮人、中国人に対する差別的言動を繰り返していた。「在日朝鮮人は密入国者だから本来人権などない。どんどん差別しろ。国連の人種差別撤廃条約の一条二項で国籍区別は人種差別に該当しない。と書かれてある。在日は韓国人だ! 出て行け! 特権階級! これ以上日本人を差別すると虐殺するぞ!」
 また、意見が異なる者に対しては、「お前、朝鮮人だろ!」「反日左翼」と呼んでレッテルを張り、議論しない、というよりできない。ヨーゲンだけではない「ネトウヨ」のワンパターンの反応だ。

 ヨーゲンにTwitter上で敵視・攻撃された一人がジャーナリストの安田浩一氏。在特会の闇を追ったルポ「ネットと愛国」などがある。安田氏はヨーゲンに罵倒されながらも対話を試み、ついには福島県いわき市にある佐藤容疑者の自宅を訪問までした。ヨーゲンは面会に応じず対話を拒否し、警察を呼んだ。
 安田氏は、「粗雑な言葉使い、稚拙な論理から若い人間だと思っていた」そうだが、実際には自分よりも年上の人物だったことに驚いたという。「普通の中年のおっさんが、『金持ちで会社を経営している』と虚勢をはっていた。彼はアパート暮らしで、10代の子どももいます。」「近隣でもあまり評判は良くなく、飲食店に来ていた韓国人女性客に暴言を吐くなどし、出入り禁止になった店もあります。彼は精神的に病んでいたのではないかとも思います。彼の日常は家に閉じこもりがちで、内実と言えばインチキ商売、朝から晩までネットに貼り付き、自分から見て弱い相手に対し執拗に戦いを繰り広げる毎日でした」(IWJから)

 ヨーゲンは、あくまで詐欺行為で逮捕されたのであって、差別や暴言、脅迫についての罪の代償は支払わされてはいない。そして彼と同様のふるまいにおよぶネトウヨは、まだまだ多数存在する。差別や脅迫がとがめられることなく、野放しにされ、被害者が救済も補償もされないような現状は、決して放置されてはならない。
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狭山事件50年、再審を! [現代日本の世相]

狭山事件の再審を!

 今年は狭山事件が起きて50年に当たる。5月13日(月)市ヶ谷アルカディアで、狭山事件の再審を求める集会に参加した。5月23日(木)には日比谷野音で不当逮捕50年集会がある。

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<5月13日(月)、市ヶ谷、アルカディアであいさつする石川一雄さん>

 狭山事件は現在、第三次の再審請求中。何としても再審を勝ちとること、再審にもちこめみ無罪を勝ちとる、これが現在の課題であり、石川一雄さんと私たちの願いだ。
 1974年9月に筆者は、狭山事件の集会に初めて参加し、「石川を返せ!」と叫んだ記憶がある。あれからでも40年ちかい。石川さんは74歳になった。逞しかった体も年相応に少しやせた。年月を感じないわけにはいかない。

 弁護団の請求により129点の検察証拠が開示された。これを裁判所がどう判断するか、再審請求のポイントだ。これまで検察は、持っている証拠を隠してきた。開示請求でジブシブ出してきているが、まだ全部出していない。

 いま、金聖雄監督による映画『見えない手錠をはずすまで』を作成中だそうで、2013秋には完成する。当日、予告編が上映された。なかなかよかった。
 朝もやのなか、入間川サイクリングロードを走る石川さんの姿がいい、仮出獄のまま狭山で暮らしている、結婚もした、家族や支援者と一緒に海水浴をたのしむシーンなどもある、石川さんにもささやかな暮らしができたのだということを知り、観ていて少しうれしくなる。

 といっても、あくまで無期懲役の仮出獄であって無罪ではない。当日も石川さんが、「長生きして無罪を勝ちとる」と決意表明した。無罪を勝ちとって初めて両親の墓に参るという一途な思いも披露した。そのことを目標に生きている。
 石川は無実だ! 狭山の再審を行え! (文責:児玉)

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安倍は、嘘とごまかしで、TPP参加を決めた [現代日本の世相]

 安倍は、嘘とごまかしで、TPP参加を決めた
 
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 3月15日安倍政権はTPP参加を表明した。

1)TPP、すでに交渉の余地はない

 3月4日〜13日のTPPシンガポール会議はすでに16回目であり、TPP交渉はほとんど終了し、10月に締結されるばかりだ。TPP交渉は参加表明をして初めて交渉に参加できる。日本政府のTPP交渉の初参加は2013年9月のみであって、最後の会議である。日本政府の言い分は受け入れられる余地はすでにない。
 3月11日、米国交渉担当官が他の10ヶ国の交渉官の前で、「日本はすでにTPP参加に合意した、カナダとメキシコが参加した時と同様に、すでに確定した項目について日本が要求したとしても、いかなる修正や文言の変更も認められないし、新たな提案もできない」と述べた。
 9月の交渉会合は、TPP交渉国首脳がAPEC首脳会議に集まって「交渉完了」の署名をする10月の直前である。しかも9月会合は、「議長国は米国のため、異論や再交渉の要求があっても、押さえつけることは可能だ」と米交渉担当官は放言している。
 日本は、TPPを一方的に受け入れるしかない。それが参加条件である。安倍はそのことをよく知っていて、日本の官僚もよく知っていて、にもかかわらず、国民にはそのことを一切告げないで、それ以上に騙して、参加表明した。

2) TPP会議の特徴は、徹底した秘密主義

 TPP交渉内容はメディアや市民には公表しない。日本政府も同様で、参加しなければ交渉内容を知ることはできない。他方、利益を得る米系大企業・米政府はその内容をよく知っているし、自身に都合の良いようにすでに決めてしまっている。秘密主義は、人々から批判が集中しまとまらないからである。TPPは利益を上げることに血眼になっている米系大企業たちの会議にほかならない。

3)TPPは自由貿易化でさえない

 アメリカ資本にとって都合の良い法制、取引条件の強要であって、決して「自由貿易化」ではない。自由貿易といいながら、都合のいい自分の商売の仕方、ルールの押しつけであり、米以外の資本に対してはさまざまな規制を設けて妨害してくる。他国には例外なき関税撤廃といい市場開放を強いながら、自分の国の資本には優遇措置を堂々と「わがまま」に主張をしている。「米国貿易緊急会議」(自由貿易推進の団体)のCalman Cohen氏は「日本が例外なしの関税撤廃に合意なら、参加を支持する」と発言している。

 TPPは米主導の対中国経済ブロックの形成を目的にしている。TPPには中国も韓国も参加しない。メリットはないばかりでなく、地域のブロック経済化さえ生じさせる。

4)安倍の二枚舌

 安倍首相は「聖域を設けない」ことを条件に参加を決めたが、その条件自体がウソだ。日本の参加条件は確保されない。安倍の言っていることやっていることは、まったく違う。「明白な嘘で騙す」のは安倍の政治手法である。そのウソに自民党は従っている。日本政府と官僚が知らないわけはない、官僚も知ったうえで、国民に対して「甘いウソ」を言って騙している。

5)TPP参加の理由は「安全保障」??

 TPP参加の理由として安倍は、「安全保障」だと語った。経済協定なのに、安倍政権にはこれが「安全保障」という説明になる。農業その他を切り捨て参加することを安倍自身が知っているから、このような「反論しにくい」、奇妙な言い訳を持ち出す。
 日中間の領土問題の対立によって、日本はより米の傘下に入る方向へとモメントが働き、TPP参加へと進んだ。あたかも誰かが仕組んだかのようである。安倍と日本政府、官僚はその動きを主導した。明らかに仕組んだ。

 米国商工会議所 副会長 Tami Overby氏は次のように語った。
 「日本のできるだけ早い参加を支援する。ただし、交渉の遅滞をもたらさないかぎり」、「日本と米国との間に、自動車、牛肉、保険分野での『信頼醸成措置』を取るという成果を見せなければならない」、「日本はすでに牛肉については成果を達成してくれた」、「韓米FTAを見習うべき」
 2月の安倍訪米時に、米牛肉輸入解禁を「おみやげ」として持って行った。「TPPに入る前に、言いなりになる証明を見せろ!」というわけで、安倍は米牛肉の輸入自由化を手土産に持参し、ご機嫌をうかがった。米牛肉解禁は、TPPに入るため必要な日本政府の一条件であった。

6)「日本の主張など、受け入れる余地などない」

 バーバラ・ワイゼル米主席交渉官は日本の代表団のいない会議で、日本政府の参加表明の前に、「日本政府は『牛肉、保険、自動車』を受け入れる」と語った。日本の主権などまったく無視されている。米政府・米企業の要求に日本政府は、差し出しっぱなしであり、まるで貢物をする奴隷政府である。
 日中の領土問題が紛糾すればことさら都合がいい、安全保障の問題で脅して、日本政府に呑ませるという構図だ。日本には本当に主権がない。安倍政権も日本の官僚たちも、特にひどい。米の意向をよく知ったうえで、すすんで主権を放棄し従っている、まさに「売国奴」である。米にへつらう官僚が、官僚機構の権力を握っているという構図だ。以前の、例えば高度経済成長時の官僚と比べても大きく変質した。

7)TPP参加に反対してきたJA、農民はどうなるのか?

 以前の貿易交渉時と同じで、最後には条件を取って妥協に落ち着きそうである。表向きは反対してきたが、最終的には米、サトウキビで条件を付け妥協するのだろう。政府とJAの懇親会、買収の会合がすでに行われた。自民党は、条件的容認を決めた。自民党議員の多くは、先の選挙でTPP反対し当選したが、ここへきて裏切りへと転向しつつある。最終的には条件闘争になり、「呑む」。自民党のTPP反対派は、「まんまと一杯食わされた」と言いながら、「自分から一杯食って矛を収めた」ということだ。
 毎回見せる自民党議員、JA 幹部の姿である。今回も同じだった。
 自民党対策協議会の外で農協青年部が交渉参加反対を最後まで叫んだが、政府にも、自民党にも、JA 幹部にも、何重にも裏切られたということではないか。
 自民党も、JAも日本の農業、農民の将来など何も考えてはいない。日本の農業、農家は壊滅的な影響を受けるだろう。

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女子柔道暴力問題とAKBスキャンダル―――人権を考える [現代日本の世相]

 女子柔道暴力問題とAKBスキャンダル―――人権を考える

 人権感覚が欠如している全柔連
 柔道の女子日本代表の監督だった園田隆二氏が、全日本柔道連盟(全柔連)に進退伺いを提出し、代表監督を辞任した。
 昨年9月全柔連は、複数の女子選手から指導に当たって暴力を振るうとの告発を受けた。全柔連は、今年1月に問題の存在を認め、園田氏を「戒告」の処分としたが、同氏を女子代表の監督として続投させた。昨年9月の女子選手の告発から5か月経過した今年1月時点でもなお、「暴力問題は大きな問題ではない」と判断し、監督への「戒告」で幕引きを図り、園田氏を女子監督として留任させた。「体罰、暴力問題は、たいした問題ではない。よくあることだ」と全柔連が判断したことが明確にわかる。

 このような全柔連では、ラチがあかないと判断した選手たちがJOCに告発した。ここでやっと取りあげられて、園田隆二氏の代表監督辞任、上村春樹全柔連会長のJOC強化部長辞任へと進んだ(JOC委員は辞任していない)。
 女子選手たちは、実際に全柔連に申し出てもラチがあかなかったので、JOCへの告発行動をとったのである。女子選手たちの行動は、正当かつ当然の行為である。ラチがあかない理事や全柔連は、自身で解決できる体質ではないことを証明したので、相手にしても仕方がない、より上級機関に訴えるしかないのである。

 したがって、全柔連理事の全員が解任されなければならないほどの問題である。全柔連は、暴力事件を見のがし、それ以上に容認した。全柔連の伝統的な体質を示した。現在の全柔連の対応は、批判の「嵐」を何とか首をすくめてやり過ごし、園田監督の辞任、個人的な問題として終わらせたいように見える。

 問題はどこにあるか?
 「事実の有無にかかわらず、複数の女子選手から告発があった時点で、全柔連は組織として、事実として何があったのか、それがどの程度問題なのかについて、十分な調査と検討をすることが必要だった。」と指摘されている。

 確かにその通りである。しかしそれは問題を大きくしないために、ビジネスで言う「危機管理」のためにではない。
 問題解決の前提とされなくてはならないのは、暴力は人権侵害であり、犯罪であることだ。暴言も人格の否定である。女子柔道選手の人権が確保されているか、人格が認められているかである。ここのところを忘れて、問題が小さいうちに摘みとっておくべきであった、あるいは全柔連の権威が守られないとか、オリンピック招致に障害となるなどと心配するのは、問題をはき違えることになる。

 報道によると、監督やコーチらは、素手や棒、竹刀などで女子選手に暴行を加えただけでなく、「死ね」とか「お前なんか、柔道をやってなかったら、ただの豚だ」といった暴言を浴びせることがあったという。
 確かにTVで、園田監督が女子選手を足蹴にしている映像を見た。
 それ以上に、印象的だったのは、松本選手だったと思うがロンドンオリンピックで金メダル獲得の直後、園田監督が松本選手の頭を撫でた映像である。監督と選手の関係を示している、まるで大人と子供である、対等ではない、指導する者とされる者、指示する者と従う者の関係である。一人の人格として扱われていない、私なら頭を撫でられるのは嫌だし拒否する。
 暴力・暴言で指導し、勝ったら頭をなでる! 人格も人権も無視する指導? とにかく強くなって勝てばいい。

 これがスポーツである柔道の「指導」なら、誰しも失望するのではないか?世界で受け入れられないのではないか。
 
 スポーツではなく、「調教」ではないか。犬の調教とどこが違うのだろうか。「犬の調教」とはっきり違うことを示さなければ、柔道はスポーツと言えないのではないか。
 これこそが問題であって、改めなければならない点である。
 重要なことは、全柔連は今までの指導法・体質を間違いであると認め、すっぱりとやめると宣言し、改める態勢・施策をとることができるか?である。

 山下泰裕氏に見る全柔連理事の姿勢
 全柔連の理事の一人であり、選手時代に素晴らしい実績を持つ山下泰裕氏はこう述べている。
 「昨年10月初めに聞いたときは信じられなかった。園田は選手として頑張り屋だったし、指導者としても情熱はある。でも暴力は絶対に許されない。『やめろ』『まずいぞ』と周りが言える雰囲気がなかったことに問題がある」

 しかし、山下氏は全柔連理事であって傍観者ではない、当事者である。「やめろ」「まずいぞ」と言うべき「周り」の一人である。こんな傍観者のように言って、責任逃れしてはいけない。昨年10月の初めに聞いた段階で、事実の確認もせず、対応策も採っていなかったことは、理事として責任放棄である。それこそ「信じられない」くらいの無責任さだ。理事である資格はない。
 今後確実に改めることができるのか、と問いたい。「改める」というなら、何をどうするのか、組織としての態勢を示さなくてはならない。そうでなければ、「信じられない」。
 それができないのなら、山下氏の選手としての実績には敬意を表するが、理事は辞めなければならない。

 全柔連の本心は?
 推測するに、山下氏およびすべての全柔連理事は、現在でも「暴力は絶対許されない」と本心では思っていないのではないか。記者会見するときは、「暴力は許されない」と言わなければならないが、内部では「とにかく強くなりさえすればいい、熱心であれば暴力も許される、選手の人格尊重よりも強くなることが重要だ」という価値観がまかり通ってきたし、今もまかり通っているというのが実情であろう。

 山下理事が、「『まずいぞ』『やめろ』と周りが言うべきだった」という後悔は、問題が小さいうちにつぶしておけ、外に漏れて騒がれたら大変だぞ!という「処世術」として言っているようにしか聞こえない。
 おそらく「暴力・体罰は犯罪である、選手の人権侵害である、人格否定である、したがってやめなければならない」と認識しているからではなかろう。

 これまでの価値観、体質が、容易にあらためられるとは、到底信じがたい。全柔連は、神妙な態度をとっているが、「嵐」が吹き荒れるのをやり過ごす態度ではないか。
 全柔連が「反省」していることは、「問題が小さい時点で握りつぶしておかなかった」という「後悔」に過ぎないのではないか。

 たまたま知名度の高い山下氏の発言を見つけたので取り上げたが、もちろん、この告発を知っていた他の理事や幹部職員にも、同様の問題と責任がある。全柔連は、今年1月に問題の存在を認め、園田氏を「戒告」の処分としたが、同氏を女子代表の監督として続投を決定したのである。この時点でもなお、暴力問題が大きな問題ではないかのように考え、振る舞った。したがって、「人権意識が欠如している、あるいは薄弱である」ことはすでに行動で証明されている。
 全柔連の体質、考え方、事情、態勢は、一朝一夕に改まるとはとても思えない。

 女子柔道監督の暴行事件は、今後もまだ関心を集めて解決まで時間のかかりそうな問題になった。それはいいことである。少なくとも時間をかけ、大きく問題にしなければ、改善しない、根の深い問題だからである。
 現時点の問題は、果たして全柔連という組織が自己解決力を持っているか、である。持っていることを示さなければならない。でなければ再出発できない。自己解決システムを備えたことを、公然と示さなくてはならない。
 もしそれができないなら、解散し再組織するしかない。全柔連理事にその意思がないのなら、あるいは資質において疑わしいのなら、海外から指導者を呼んででも、再組織しなくてはならない。

 世間の柔道に対する支持が失われると心配する人がいる。失われるのが当たり前である。ただ明確にしておかなくてはならないのは、全柔連とその全理事の信頼が失われたのであってm選手への信頼が失われたわけではない。
 従来の全柔連への信頼は失われて当然であり、失われても構わない。
 選手の人格が認められ、人権が守られるように変わることこそが重要であって、これまでの柔道に対する人々の信頼が失われることを恐れてはならない。暴力・暴言を決して許さない柔道と全柔連、人格や人権を認めた柔道と全柔連を、新しく作り直すことだ。それ以外に信頼を取り戻すことはない。

 体罰肯定論も根強く存在する日本スポーツ界、日本社会
 ところで、スポーツや学習の指導における「体罰」をどう考えるか。スポーツの指導だけでなく、職場でも、体罰に近い事例や暴言などは現実に存在するし、上司によるそれについては「パワハラ」(パワーハラスメント)もある。体罰もパワハラも事実が認定された場合、法的には犯罪だ。(事実が認定されないように逃げる巧妙なやり方を追究する者さえいる。いじめ事件で校長や教育委員会が責任逃れするあの構図である。)

 問題は、これまでの日本のスポーツ指導では、体罰や暴言が「有効」であると信じられてきたし、実際にそのような指導を行ってきた。園田監督も暴力や暴言を受けながら柔道を学んできた、したがって、それ以外の柔道の指導の仕方を知らない。
 指導者と選手間には「上下関係」があって、一方的なコミュニケーション、指導者の指示が絶対的で選手は従順に従う関係しか存在しない。そのため「体罰やパワハラに近い指導の下で選手や社員が立派に育つ」と考えるスポーツ界、日本社会がそこに存在する。オリンピック日本代表の選手団のように、選手が「オリンピックう代表からら除外されたくない」と思うなら、指導者に逆らうことができない。

 日本では「強くなる、うまくなる」目的のためには、指導者に絶対的に従わなくてはならない。挨拶から態度まで、指導者に全人格的に従うことを表明しなければ、指導を受けられない実態が存在する。指導者は、人格にまで踏み込んで、指導に従順であることを求める。
 「全人格的に指導者に従うことを求める」のはきわめて日本的である。この関係の上に、暴力・体罰・暴言が横行する。暴力問題は決して容認できないが、これと表裏一体関係にある「全人格的に従うように求める」ことも同時に問題であり、改めなければならないと考える。
 
 元プロ野球投手の桑田真澄氏が言うとおり、「立場上、めったに反撃されない監督や上司や教師が体罰を手段として使うのは、何よりも「卑怯」だし、指導方法として有効でもない。
 しかし、このようでないスポーツの指導も存在する。桑田真澄氏の言うとおり、日本の指導者は精神論ばかりで、その一方で科学的なトレーニングの研究なども20年遅れている。さらに選手へ指示・命令するばかりで一方的なコミュニケーションしかない。欧米では、指導者と選手は対等な関係があって、選手個人の人格を認めたうえで、よく話し合って納得と説得の上に立って自主的に自発的に考え練習するようにするという。

 日本のスポーツの指導は、これまでのスタイルをあらため、変わらなくてはならない。

 AKB48 峯岸みなみの坊主頭
 一方、たまたま時期が同じなのでとりあげるが、AKB48の初期からのメンバーである峯岸みなみさんは、『週刊文春』(2月7日号)で、ダンサーでGENERATIONSのメンバーである白濱亜嵐さんの自宅に「お泊まり」したことの一部始終を報じられた。彼女はそれを受け、AKB48の「恋愛禁止」ルールを破ったことを反省するとして、ほぼ強制的に長かった髪を切って坊主頭にさせられ、動画サイトYouTubeでお詫びを述べる映像を流した。このような対応を取らせたのは、アイドル産業経営者の演出である。
 
 AKB48の「恋愛禁止」ルールが果たして、何の根拠があるのか? 仮に契約時にそのような項目があったとしても、有効なのか?

 明らかに無効である。
 確かに、病院や監獄では一部の基本的人権が制限されることはある。例えば、移動の自由や職業選択の自由などが制限されている。特別権力関係論である、しかし病院や監獄であっても、可能なかぎり人権を侵害しないように配慮し対処するのが最近の学説となっている。

 「恋愛禁止ルール」を本人が納得し契約したとしても、そのような契約は無効である。雇用者はこれを強要できない。さらに、契約違反?の罰則規定自体も無効であるし、それ以上に人権侵害である。だれしも坊主頭にさせることはできない。むしろ強要した者こそ、問題があり、犯罪が成立する可能性がある。

 ここにあるのは、女子柔道選手と同じように、AKBメンバー個々人の人格・人権の軽視、無視である。
 AKB48と 全柔連の違いは、アイドル雇用者の「危機管理」がしっかりしていて、早めに手を打ち、坊主頭に「自主的」にさせて謝罪させ、それを映像で流し「謝罪会見」をもAKBアイドル商売の一つにした。
 全柔連は、もたもたしたが、アイドル産業経営者はスマートに対応した。

 坊主頭での謝罪動画は強烈な印象を与えるものだった。「坊主頭で謝罪」は、あくまで峰岸みなみさん個人の自主的な行為と装っていたが、実際にはアイドル産業経営者が「坊主頭で謝罪」を強要したのであり、巧みに自身の責任を回避し、顔を隠したのである。それどころか「謝罪会見」を宣伝しアイドル商売で注目を集めた。

 そうやってAKB48というプロジェクト、商品の「質」を維持した。そこには人格も人権も無視されている。女子柔道の場合は、「強くなるためなら」と言って無視した。AKB48の場合は、「アイドルとして売るためなら」と言って無視した。よく似ていないか?

 人格無視、人権無視の日本社会の風潮は、女子柔道にも、アイドルにもあるということ。そして、もたもたしているのと、うまく立ち回り誤魔化しているのと二つあるということ。

 そのようにみると、契約社員も人格・人権を無視されて扱われているし、正社員だってそうかもしれない。現代日本には「ブラック企業」なるものが存在している。

 決して、女子柔道選手の問題だけではないとは思うが、しかしこの際女子柔道界だけでもまず、暴力・暴言、人格・人権無視の伝統的体質の撤廃を実現してもらいたい。


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森近運平 「父上は怒り玉ひぬ 我は泣きぬ さめて恋しき 故郷の夢」 [現代日本の世相]

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  <森近運平 NHKテレビより 2012年1月30日放送>

森近運平の生家跡を訪ねる

 2013年1月24日、岡山県井原市高屋町の森下運平生家跡を訪ねた。
 高屋町中心部から高屋川沿いに5,6キロメートル上流にすすみ田や家々が少なくなった山間に、生家跡はある。石碑のみで、すでに生家は残っていない。少し離れて西側の山際に森近一族の墓所がある。

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<墓所から高屋川下流側(南側)を望む、山の向こう側(下流側)に高屋の町はある>
 
 大逆事件(1910年)で幸徳秋水以下26名が逮捕され、12名が絞首刑にされた。処刑されたのは1911年1月24日、管野すがのみ25日。102年目に当たる。
 無期刑とされた12名の多くも獄中で死んでいる。

 刑死者12名の一人が森近運平、岡山県井原市高屋町(当時は、岡山県後月郡高屋村田口)の山里の農家に生まれた。日清、日露戦争の影響で困窮する農民の救済を志し、社会主義草創期を代表する先進的な業績を残した。だが、彼の足跡は30年で消された、とともにその後も「国賊」の烙印のため長く封じられてきた。
 戦後、「大逆事件」は天皇制国家が捏造した権力犯罪であることが明らかになった。しかし再審請求を高裁が1965年に棄却、最高裁も特別抗告を1967年に退けたままである。

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<獄中の歌 「父上は怒り玉ひぬ 我は泣きぬ さめて恋しき 故郷の夢」>

 高屋町の故郷には刑死50年後の1961年に建立された墓や顕彰碑が立つ。
 1961年に「森近運平之碑」(荒畑寒村書)が建立され、碑には運平が処刑前に獄中で残した歌が刻まれている。

「父上は怒り玉ひぬ 我は泣きぬ さめて恋しき 故郷の夢」   とし彦

 「とし彦」とは、堺利彦、彼の書である。

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<「森近運平之碑 寒村書」とある>

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<「とし彦」>

 大逆事件の刑死者たちは、処刑後、墓に葬ることも禁じられた。生家跡近く山際の墓所に墓を建立できたのは半世紀後の1961年。運平の墓には左右後ろの三面に、生い立ち、刑死、建立の経緯まで細かくびっしり碑銘が刻まれている。50年ぶりに建立されたこの墓には、遺族と「森近運平を語る会」の人々の思いも、ともに刻み込まれている。

 わずか30年の人生だが、その足跡は鮮烈である。岡山県庁時代の「産業組合手引」著述、日露戦争に対する反戦運動、「岡山いろは倶楽部」設立。さらに大阪平民社での「大阪平民新聞」発刊、体系的社会主義書とされる「社会主義綱要」著述、・・・・大変な活躍ぶりである。
 碑銘にはないが、片山潜や堺利彦らと国内初の合法社会主義政党「日本社会党」を結成、その際には幹事役も務めた。反戦平和、格差是正、女性解放などの活動の功績もある(田中伸尚『大逆事件』 岩波書店 2010年5月28日刊より)。

 幸徳や堺らは平民新聞で日露戦争反対を唱えた。運平も岡山県職員の時代に、吉備支所で日露戦争公債購入に反対する演説をし、「依願免官」に追い込まれている。
 天皇制政府が大逆事件を引き起こしたのは日韓併合と同じ1910年。日清、日露戦争を経て大陸進出を図り、侵略戦争による領土拡大を推し進める政府は、国内での思想弾圧を強める。戦争遂行体制の整備である。平民新聞は何度も発禁とされ、社会主義者たちは執拗に弾圧される。
 運平は事件前年の1909年には生活も活動も困窮し、社会主義活動の盟友・幸徳秋水と訣別し帰郷した。
 故郷では農学校で培った専門知識を生かし、最先端の温室栽培に挑戦。農業や農村生活の改善運動に励んだ。短い期間ではあったが、地元の人たちに確かな印象を残した。

 そのようななか、事件は起きた。いや、起きたのではない、天皇制政府が引き起こしたのである。思想や言論の弾圧のため、全国の社会主義者、無政府主義者を処刑することを目的として起こした権力犯罪であった。元老・山形有朋、桂太郎首相、平沼騏一郎司法省民刑局長らがシナリオを描き、実行した。

 運平を含む刑死者、逮捕者たちの潔白は、戦後の再審請求とともに深まった研究・調査により、捜査や裁判の不当性とともに、明らかにされた。だが前述のとおり、再審請求は高裁が1965年に棄却、最高裁も特別抗告を1967年に退けた。事件の本質を明らかにすることを、戦後日本の検察、裁判所は拒否した。既存の法秩序、支配秩序が乱れることを嫌い、権力による犯罪であること、冤罪であることを認めようとしなかった。「法の安定性を守る」という「理屈」である。したがって司法は現在もなお、権力が引き起こした犯罪、「大逆事件」に加担しつづけている。

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<森近運平の妻・繁と娘・菊代、 処刑後「たぶん繁子が生家に戻る直前に撮った母子別れの写真」(細井好氏)という。田中伸尚『大逆事件』より>

 処刑の三日前、1911年1月21日、妻・繁子に宛てた手紙からは、運平の「人物の大きさ」が読み取れる。(文末に掲載)

 自身が刑死することを知った運平が、妻や娘にたいする思いやりあふれる言葉を残している。「弱い女」の身である妻に幼い娘を遺して先に逝くことを詫びるかのように述べ、処刑後の遺族に対する迫害を予想したのだろう「胸の裂ける思がする」と記している。「事件の真相は後世の歴史家が明らかにして呉れる」と自身の信念の一端も記したうえで、7歳の娘・菊代には「お前のお父さんはもう帰らぬ。監獄で死ぬ事になった。其訳は大きくなったら知れる」と別れの言葉を残した。(田中伸尚『大逆事件』 岩波書店 2010年5月28日刊より、多くの叙述を引用させていただきました。)
 なかなかこのように書けるものではない。
 
 運平の処刑後、実家に戻った妻・繁は、わずか三年半のちの1914年夏に、娘・菊代は1927年5月30日、23歳で亡くなっている。

 田中伸尚氏は、著書『大逆事件』で、「運平のいう『後世の歴史家』とは、決して専門の研究者だけでなく、広く私たちの社会を指しているのだろう。」と書いている。まったくその通りである。田中伸尚氏の言うとおり、私たちは運平の言葉を一歩踏み込んで受け取らなければならない。
 司法はいまだ「大逆事件」の再審請求さえ拒否したまま放置している。そのような現代日本社会を生きる私たちは、「事件の真相を明らかにて呉れる」という運平の遺言に果たして応えていると言えるであろうか、そのように問わなくてはならない。

 生家跡や墓所に立つと、無実の罪で処刑された運平と、「国賊」の縁者として苦しんだ人らの無念さや怒り、悲哀が、季節の寂寥感とともに伝わる。

 運平の墓の前には、3mはあろうかという逞しい南天の樹が天にむかって奔放に伸びる。
     (文責:児玉繁信)


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<運平の墓の前にある南天>

1911年1月21日、運平から妻・繁への手紙

 「実に世に類なき裁判であった。判決を知った時、御身は狂せんばかりに嘆き悲しんだであろう。まことに思いやられる。それも無理はない。僕は死の宣告によって道徳的義務の荷をおろして安楽な眠りに入るのだが、御身と菊とはこれがために生涯の苦痛を受けねばならぬのである。御身は今まで僕のために苦労ばかりしてくれたのに僕は少しも報いることを得ず、弱い女に幼児を背負わして永久の眠りに就かねばならぬ。アア胸の裂ける思いがする。愛する我が妻よ、人間の寿命は測るべからざるものだ。蜂に刺されたり狂犬に咬まれたりして死ぬ人もある。山路で車から落ちて死ぬ人もある。不運と思うてあきらめてくれ。事件の真相は後世の歴史家が明らかにして呉れる。何卒心を平かにしておもむろに後事を図ってくれよ。(一部略)

 そして葡萄栽培や養鶏などで飾らず偽らず、自然を愛し、天地と親しみ、悠々としてその生を楽しみうるならば、またもって高尚な婦人の亀鑑とするに足ると思う。順境にいては人の力量は分からぬ。逆境に処して初めて知れるのだ。憂事のなおこの上につもれかし、限りある身の力ためさんという雄々しき決心をして、身体を大切にし健康を保ち父母に孝を尽くし菊を教育してくれ。これ実に御身の幸福のみでなく僕の名をも挙げるというものだ。

 菊に申し聞かす。お前は学校で甲ばかり貰うそうな。嬉しいよ。お前のお父さんはもう帰らぬ。監獄で死ぬ事になった。其訳は大きくなったら知れる。悲しいであろうがただ泣いたではつまらぬぞ。これからはおじさんをお父さんと思うて、よくその言いつけを守りよき人になってくれよ。大きくなったらお母さんを大切にしてあげることがお前の仕事であるぞ。
                        一月二一日記 」

‐‐‐‐‐‐
2013年5月8日追記

 簡潔で明確な、上記の手紙は、実質的に運平の「遺書」となった。運平本人は「遺書」と自覚していなかったかもしれない。獄中でまだたくさん書き残すべき多くのことがあったし、そのつもりであった。なにしろ、1911年1月18日に死刑判決が出され、わずか6日後の1月24日に執行されたのだ。

 「妻への手紙」では、運平の人柄の一端をうかがい知ることができる。

 「・・・そして葡萄栽培や養鶏などで飾らず偽らず、自然を愛し、天地と親しみ、悠々としてその生を楽しみうるならば・・・」と書いているのをみても、運平自身が「飾らず、偽らず」生きることを尊重していたと教えてくれる。
 「自然を愛し、天地と親しみ、悠々としてその生を楽しみうる・・・」という叙述も、運平の自然に対する、田畑に対する、農村での暮らしに対する考えでもあるのだろう。これから死刑に処されようようとする人物が、妻と子に対し、「生を楽しみうるならば・・・」と書くのである。

 また別の一節では、きわめて自然にかつ率直に「愛する我が妻よ!」と呼びかけている。 明治の男で、このように率直に「愛する我が妻よ!」と呼びかけた者が、果たして何人いたことだろう。そればかりではない、文面には妻を一個の自立した人として、対等に扱っていることもわかる。それも彼の社会主義思想の一部であったのだろう。この一点だけとってみても、彼が時代のはるか先端を歩んでいたと、うかがい知れる。

 森近運平と同時代人であるわが愛すべき石川啄木は、妻・節子が家出し実家に逃げた時、金田一京助を訪ねるなり、「嬶(かかあ)に逃げられあんした」と語ったという。啄木に比べてさえも、運平の自然で落ち着いた、先進的な考え方が読みとれるのではないだろうか。もっとも、啄木を悪く非難するつもりはない。「大逆事件」の内容と意味を、その起きたさなかに知ろうとつとめ、かつ批判的な考えを書き残した数少ない日本人、啄木である。

 草花の匂いのする社会主義思想家・森近運平、「遺書」だけ読んでも運平が、いかに魅力的な人物であったか、わかるのである。

 
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「アベノミクス」とは何か? [現代日本の世相]

「アベノミクス」とは何か?

 1)「アベノミクス」の効用、すでに賞味期限切れか!
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<安倍晋三自民党総裁、ロイター通信より>

 自民党総裁・安倍晋三が、日銀による国債の無制限買取、2-3%のインフレターゲットを打ち出した。自民党政権に交代し金融緩和がすすむと予想し、市場は1ドル82円台の円安、株価は9500円台(12月7日)に上昇した。
 自分の発言で為替と株価が動いたため、安倍は「アベノミクス」と称して得意気に金融緩和発言をくり返している。
 財政赤字は増大し続け、貿易赤字で経常収支黒字は激減し、GNPは下がり続けている。経済振興策(バラマキ策)を実施しようにも、すでに財政的余裕はない、国債はすでに増発した。「残っている経済施策は、日銀の金融緩和だ」ということらしい。

 「安倍政権になれば、金融緩和する、したがって円安になる、そうすると日本の輸出企業の収益が改善する」こういう「期待」で円安となり、海外投資家が日本株を買い株価上昇が起きた。もちろんその背景には、金融危機は少し遠のいたもののなかなか改善しないユーロ経済、少し改善の兆しは見えたもののまだまだ低調であるのに株価は回復している米経済を比べて、何よりも銀行・金融機関が不良債権を抱えていない日本経済、いずれ円安となると睨み投資する機運を探っていた海外投資資金の「志向」とたまたま時期が一致した安倍発言に反応し、海外投資資金が動いたのであった。安倍発言が原因ではない。

 ただ、「期待」のみで上昇した相場である。もうすでに「アベノミクス」は賞味期限が切れかかっている。その効果は、こののち期待できそうにない。

 2)日本経済停滞原因は「円高」ではない

 そもそも安倍の描くように「円安」に誘導すれば日本経済はすべて改善するわけではない。ただ「円高が問題だ!」と誰もが言って来たので、何が問題なのか冷静な判断・認識が欠けている状況にあると言える。

 ここ数年、日本経済の力は目に見えて後退している。その象徴は、電機産業だ。例え「円安」になったとしても電機産業は以前の地位を取り戻しはしない。ソニー、パナソニック、シャープ、NECなど軒並み赤字であり、売り上げを落している。サムソンやLG、台湾中国企業がその地位を奪っている。(日立や東芝などは強電関係に重点をシフトし黒字ではある。)大手ばかりではない。電子部品産業は競争力を失った。電気産業全体が、かつての繊維産業のような「構造不況業種」になりつつある。
 これらは「円安」に戻っても回復はしないだろう。決して電機産業だけではない。他の機械産業、製造業全般に言える傾向でもある。その兆候は、これら産業において国内新規投資は極めて少ないことに現れている。新規投資が小さければ近い将来の売上は獲得できない。そのような現状であると企業経営者たちは判断しているということだ。したがって、「円安」さえ解決すればすべてが改善するわけではない。

 3)安倍の政治手法

 金融政策をいじっただけで、現在の恐慌、日本経済の停滞が改善するわけではない。ただ日銀を非難して見せるのは、安倍の政治手法である。日銀も財務省も当惑しているだろう。日銀に金融政策を強要して自己は責任を負わない、非難しておけばいい、いろんなマスメディアやネット右翼などなんでも動員して。結果の責任は負わない。
 石原前都知事とよく似ている。「尖閣都有化」を宣言し、日中国交正常化40年を狙い通り、見事に壊した。自動車産業をはじめ多くの損を被った。日本経済そのものがおかげで停滞している。石原はその結果の責任は負わない。
 「拉致問題」の時と同じ手法である。「拉致問題が解決するまで、国交を回復するな!経済制裁しろ!」こういって、「威勢のいい言葉」だけで、国内政治をリードしたが、実際には何尾しなかった。外交交渉しなかったし、できなかった。「六か国協議に期待する」という「他人」に期待するしかないのだ。むしろ意図的に、事態を進展させなかったとさえいえる。はた迷惑な話だ。

 4)本当の危険は何か?

 くり返すが、日本経済がデフレなのは、過剰生産恐慌状態にあるからだ。デフレ状態にあるのは「結果」であって、「原因」ではない。これを金融緩和して人為的にインフレ状態に持っていこうということ自体すでにおかしいし、極めて危険な事態を引き起こしかねない。
 きわめて危険な事態とは何か?
 これまで日銀はすでに金融緩和してきた。その結果、市場にはカネ余り状態が生まれている。しかし、新規事業や新規生産になかなか投資されない。日本市場では金利は低くて投資資金を得やすいのに、投資先がないためにいくら緩和しても投資がすすまない状態が続いている。他方、すでに不動産、リートなどの価格は上昇しはじめた。「バブル」の傾向は部分的に表れている。さらに金融緩和したら、QE2のように新興国に資金は流れ、新興国インフレとバブルを引き起こすだろうが、さらに日本経済をインフレ、「バブル」へとすすめるだろう。バブルと恐慌をくり返すことになる。

 2-3%のインフレターゲットを実現するために「無制限に」国債の買い取りをすれば、特に危険な事態が生まれかねない。次のバブル崩壊=恐慌がどのような様相を呈するか、その爆発を大きくすることになることを言っている。
 2-3%のインフレターゲットを実現すれば、当然のこと金利も上昇する。10年物国債金利は現在0.7%だが、仮に金利が1%上昇すれば1200兆円の国債利払いは毎年12兆円増えることになる。3%上がれば36兆円。国家財政は破綻する。価格は下がり国債を大量に抱えている銀行は一挙に損を抱えて、このルートを通じて金融不安、信用不安・恐慌に行きつく。財政は破綻する。そのツケは最終的に国民に転嫁される。これまでの恐慌よりも財政赤字が溜まっている分だけ、恐慌時の爆発は大きい。国債下落を通じた全面的な金融恐慌を招くルートはすでに確立している。

 「期待」だけで円安・株高をもたらした「アベノミクス」は、すでにこの先の効力を使い切ってしまっており、賞味期限は切れている。これを強行すれば危険な事態へと至る。

 5)どうしてこんな声が出てくるのか?

 どうしてこんな発想が出てくるのか?目先の利益しか考えていないからだ。
 経済振興策は企業へのバラマキだった。バラマキを通じなければ、誰かを儲けさせなければ、復興も復旧さえもできないという構造・関係が相も変わらない。消費税増税も勤労者層からの国家への吸い上げであり、99%から1%への所得移転だ。
 金融緩和・インフレ策も、勤労者層の金融資産が目減りするのだから、同じように1%への所得移転策である。特に60歳以上の薄く広く持つ金融資産、それは社会福祉が貧困なのでため込んだ資産である。(もちろんすべての人が持っているわけではない。60歳以上の三分の一は、資産さえ持っていない。)多くは郵便貯金であり、「ゆうちょ」は国債を買っている。さらにはこれを吐きださせたい。インフレになり金利があがれば、貯金ばかりしておられず「運用」しなければならなくなる。「オレオレ詐欺」と発想はあまり変わらない。
 これを吐きださせて、日本経済を活性化させるという発想なのである。

 「目先の利益しか考えていない」のは、原発も同じで、「石油・天然ガス輸入が増え電力会社が赤字となり、電気料金が上がるので原発はやめられない、再稼働だ」という論理。先のことは何も考えていない。

 このような思考のなかに国民はどこにもいない。国民はいつの時も黙って犠牲を受ける対象として扱われている。
 国民にとって現在に危機が何からくるのか、何が問題なのか、どうすべきなのか、少しも明らかになっていない。

 12月16日の衆院選挙は、かろうじて原発推進か、反原発かの争点とはなった。争点ができたのはよかったが、それ以外は何の争点はない。
 まもなくその日を迎える。(文責:林信治)
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領土問題とナショナリズム――太田昌国氏の講演 [現代日本の世相]

 11月6日、国分寺自労政会館で、三多摩労争連主催、太田昌国さんによる講演『尖閣諸島・竹島問題から考える・・・・・領土問題とナショナリズム』があった。

 尖閣・竹島問題で、うんざりするほど新聞や週刊誌は「ナショナリズム」を一方的に煽っている、そのような報道ばかりが氾濫している。フツーの人の会話のなかにも、ナショナリズムが自然と語られ、中国や韓国にたいする「非難」の声が聞こえてくる。
 そのような状況をどう考え、どう対処して行ったらいいのか? 領土問題に対し原則的にどのように考え対処するべきか、ナショナリズムの氾濫にどう対抗して行ったらいいのか? きわめて重要な問題である。 
 そのような問題意識からすれば、太田昌国さんの講演は興味深い、時宜に適したものだった。
 理解した限りで下記にまとめた、小見出しも付けた。聞き漏らしもある。したがって、文責はまとめた者にある。

太田昌国 講演会 002 (320x198).jpg

ーーーーーーーーーーー
 『尖閣諸島・竹島・・・・・、領土問題とナショナリズム』  太田昌国
 
11月6日、国分寺労政会館


 1)「領土ナショナリズム」の蔓延――石原の尖閣都有化宣言

 4月16日、訪米中の石原都知事が尖閣諸島都有化宣言を行った。極右シンクタンクに招かれたときに「尖閣は、東京都が買い上げる!」と、発言したのである。
 明らかにこれが事件の「発端」である。しかし、多くのメディアは「石原の火遊び」を批判しない。外交権のない地方自治体の長が、尖閣都有化宣言を勝手に提起し外交関係に影響を及ぼすこと自体、とんでもない間違いであり、越権行為である。そのような権限はない。しかし、これを指摘し批判する報道はほとんどない。それどころか、逆に日本政府が引きずられ、野田首相は尖閣を国有化してしまった。これに、中国政府はきわめて激しく反発し批判し、日中関係の対立が続いている。

 日本では「石原批判の無さ」が一つの特徴になっている。背景に、「領土ナショナリズム」が広範に存在している。都が尖閣を購入すると呼びかけたら15億円も集まった。日本社会は、石原の尖閣都有化宣言を大衆的なレベルで支持する動きばかりが目立った。そのことは「領土ナショナリズム」が、日本社会全体に広がっていることをあらためて確認した。「異常」である、「危険性」を指摘する者はほとんどいない。一部インターネット上では、適切な批判も確かに存在する。しかし、その程度でしかない。

 「ナショナリズム」の高揚は、国のなかに多くの問題を抱えているときに、それから目をそらし、海外に敵をつくり、憎悪をあおり、扇動するものである。今回もそれだ。しかし、多くの政治家、安倍晋三自民党総裁や橋下大阪市長らが競って、そのような主張を煽っている。「領土ナショナリズム」が広がった日本では、そのような主張が票になる。

 これに対する「異論」が生まれていない、はっきりとした批判の声、運動が、潮流として生まれてこない。そのことに危機感を持つ。

 2)「拉致問題」時の情況との類似

 このような情況は、10年前の「拉致問題」の時と似ている。あの当時、「北朝鮮」との関係は、「拉致問題」一色に塗りつぶされた。家族会が「拉致問題の解決なしに国交正常化なし」と主張した。その主張はヒステリックに繰り返され、反論や批判を許さなかった。そのため、日朝間での正常な外交交渉ができなかったし、現在までもできていない。交渉なくて解決できるわけがない。

 外交関係を持ち、外交交渉をしなければ、何も解決することはできない。ヒステリックに叫ぶだけで、きわめて非現実的である。実際のところ、どのように解決するか?方針も方法もない。結果は、解決を放棄するものとなった。
 ただ、国内的には、内向きにヒステリックに叫ぶことで、支持を拡大した政治家・政党がある。まるで錬金術のように「拉致問題」を煽れば支持が集まる状況が生まれた。現代日本における政党政治パワーゲームの一つのスタイルである。

 歴史認識を拒否した新たな「ナショナリズム」が醸成され、他方、過去の侵略戦争を反省する声はかき消されてきた。

 「拉致問題」の解決に当たっても、過去の侵略の歴史も含めた歴史的な現実的な対応が必要である。しかし、家族会の言い分に従った日本政府の外交方針は、何の解決ももたらさなかった。10年間何も解決しなかった。

 3)日本国民のなかに広がる「被害者意識」

 日本国民のなかに「被害者意識」が新たに広がっている。それは歴史認識の欠如と裏表一体である。
 日本社会全体が被害者を装っている。そのような「被害者意識」は本当に正しいのか?

 現在の領土問題でも同じように被害者意識が煽られている。侵略した側が、なぜ被害者のようにふるまって、悪しざまに隣国に言うことができるのか。
 現代を生きる日本人全体に「歴史意識」が欠如している異常な情況が生まれている。問題が、完全にすり替えられている。日本政府・外務省、メディアすべて、歴史意識が欠如している。
 したがって、拉致問題と同じように、何も解決できない。
 
 むしろ、「拉致問題」も含め解決することが目的ではない。排外主義を煽って支持を得て政治における主導権を握ることが目的となっている。

 4)真の「領土問題」は、沖縄である

 「領土問題」でこれほど「関心」が高まっているのであれば、140万人もの人が住む「沖縄」をこそ問題にしなければならない。そのように考えなくてはならない。しかし、日本政府は、戦後一貫してこの「領土」を大切にしてこなかった。沖縄の扱いを見れば一目瞭然である。
 沖縄は、第二次世界大戦において、当時の天皇制政府の降伏の決断が遅れたため、大きな被害を被った。
 「領土ナショナリズム」を煽るマスメディアも政治家も、いまだ米軍基地に支配されている沖縄の問題をこそまず解決しなければならない。しかし、何もしない。

 石原都知事は、選挙前の公約に横田米軍基地返還を掲げた。この公約はどうなったのか? 米軍から横田を返還することこそ、まず必要ではないか! 横田を返還せずにおいて、尖閣都有化宣言など、問題のすり替えである。

 5)日本にとっての領土問題は1945年の敗戦処理から始まった

 日本にとっての領土問題は、1945年の敗戦処理から始まっている。連合国は、反ファシズムの戦争に勝利した。連合国は、43年11月27日には米華英によるカイロ宣言、1945年2月4日~11日には米ソ連英によるルタ協定を締結した。ヤルタ協定でソ連の対日参戦が約束された。
 1945年7月26日には、ポツダム宣言がなされた。カイロ宣言の履行である。

 日本が降伏する前に、連合国によって日本の領土が、すでに決められていた。これを承認し受け入れることが、日本の敗戦、降伏の意味だった。
 1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約が締結された。単独講和であり、安保条約の発効とセットだった。

 竹島・尖閣問題は、これら国際的な関係のなかでどう扱われてきたのか、をきちんと見なくてはならない。したがって、日本の近代史、その歴史認識、歴史評価を避けて通ることはできない。

 明治以降、遅れて出発した資本主義日本は、欧米列強に習い帝国主義的領土拡張をはじめた。1869年蝦夷地併合、1879年琉球処分、日清戦争、台湾領有、日露戦争、韓国併合、・・・・・これら帝国主義的な侵略と拡張の結果としての、1945年の敗戦であり、現在の国境の成立である。


  6)侵略者の身勝手な論理:「無主地先占」

 歴史認識として「領土問題」を考えなくてはならない。植民地支配と戦争の問題にかかわってくる。
 「無主地先占」の考え方は、ヨーロッパ列強が大航海時代に植民地を獲得してきた時代の、列強間のルールである。17世紀末から欧州で通用し出したルールであって、侵略者の身勝手な論理である。
 尖閣や竹島領有においても、「無主地先占」の考え方が出てきている。

 他方、第二次世界大戦が終わった後、民族自決、独立の考え方、植民地独立運動が生まれてきた。ある地域がどのような存在としてきたか、「無主地先占」と対立する考え方も生まれてきた。何よりもその地域にずっと住んできた「先住民」の権利がまず尊重されなくてはならない。「先住民の権利尊重」は、新たな、今日の視点である。

 領土問題は、歴史の流れのなかで、位置づけなければ、キチッと理解することはできない。「固有の領土」という言い方がすでに、「ナショナリズム」の表現となっている。

 竹島・尖閣を領有していった歴史的経緯は、明治以降の日本帝国主義の侵略、植民地拡大の動きのなかにある。
 1895年、尖閣を編入した。日清戦争に勝利した直後であり、翌年には台湾を編入している。
 1905年に竹島を編入した。すでに朝鮮李王朝に日本軍・日本政府の支配が入り込み、当時すでに、李王朝は外交権を失っていた。そのような時期に、竹島(独島)を編入した。5年後には、韓国を併合してしまう。

 7)領土問題/ナショナリズムを煽る動きは、アジアでの軍事的緊張を高めるだけだ

 石原知事による尖閣都有化宣言の後、野田政権は、尖閣を国有化してしまった。「国有化」の持つ大きな意味を野田政権はまったく理解していない。そのことで中国政府は大きく反発し、批判している。

 韓国政府・中国政府との対立拡大によって、日本政府は国際的により孤立し、いっそう米国政府に「頼らなければならない」政治状況に押しやられたように見える。それは日本の未来をよりあやういものにしている。

 現在におけるアメリカの軍事戦略は、アジア太平洋に軍事展開し、中国をどのように牽制するか? に一つの重点がある。2年後、オーストラリアに海兵隊基地を持つ、フィリピンに基地を戻したいと狙っている。
 米政府・米軍にとっての「尖閣問題」は、中国軍が太平洋へ出るのを封じ込めるうえで、重要な戦略地点である。

 日本政府は、沖縄に巨大な米軍を置いているのであり、その事実に頬かむりしておいて中国の軍事拡大を一方的に非難することはできない。また、米軍・韓国軍・自衛隊との大規模な軍事演習を行っており、「北」の軍事行動を非難することはできない。

 日本政府と日本社会は、なぜいつまでもアメリカに引き回されて、近隣諸国と対立を強いられ、近隣諸国と友好が実現できないのか、これはなぜか? を考えなくてはならない。

 「領土問題」はまるで外から持ち込まれた問題であるかのように考えがちだが、そうではない。日本社会の特質、外交政策と大きく関連している。
 現代の「領土問題」とナショナリズムは、日本政府と日本社会が世界で孤立するアメリカと軍事同盟を結び、友好関係、依存関係を深めていることと、明らかに関係している。米国は巨大な軍事力を背景に持っているがゆえに、軍事的緊張を高めることで、自国の利益を有利に追求する政策を採っている。日本政府はその戦略に乗っかり荷担する方向に、自国の利害の実現を見出そうとしている。このプラン、方向こそ、危ういのである。

 現代の日本社会における「ナショナリズム」が再生産される社会的要因、基盤が何であるかを冷静に見極め、これに対する批判を展開し批判的な社会的運動を組織することが重要である。(文責:林 信治)

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野田政権に明日はない [現代日本の世相]

野田政権に明日はない!

1)民主党党首選の結果は何を示すか?

 9月21日、民主党党首選で、野田が圧勝した。圧勝したわりに、元気はない。なぜならば、先が見えないからだ。
 党首選での野田の「圧勝」は、確固としたものではない。むしろ不安定な情況を反映している。民主党議員は様子見をしていて、勝ち馬に乗った。来る衆院選挙での浮動票がどこへ動くか、見極めることができない。そんななかで、固定票、すなわち民主党執行部を支える連合などの支持を得ることを考え、とりあえず「寄らば大樹の陰」としての執行部支持である、その結果、見かけ上雪崩を打ったかのような野田の過半数勝利である。すなわち、関心は次の選挙に向いていて、政治的理念などはどこかへ消えて行ってしまった議員が大勢を占めていることを示している。

 
2)民主党政権は政策実行の力を失った

 野田政権が官僚の操る政権であることはますます露わになるだろう。したがって、すぐさま支持を失うだろう。
 政治家は、使い捨ての時代に入った。松下政経塾出身の、軽い、能弁だが信念のない政治家が、一つのタイプとなった。何の当てにもならない、議員になりたいだけの俗物が大量に生産されてきた。したがって、大量に消費されるだけである。

 今回の民主当党首選では、鳩山由紀夫、菅直人、小沢一郎の名前が出なかった。外見上は「世代交代した」、あるいは「すでに出番は消えた」ということか。その通りではあるが、重要なのは別の側面、すなわち官僚がますます実権を握り、これら政治家を退場させた、世代交代させた、ことをみのがしてはならない。

 官僚にしてみれば、別に誰でもいい、官僚の描いた政策を実行し、責任は政治家に負ってもらう、自分たちは絶対に責任を負わない、政治家はどうせ使い捨てなのだから、ということなのだろう。

 民主党政権では、首相が交代するたびに、官僚支配が強まってきた。野田は、検察の協力を得て小沢を排除し、首相の地位を固めた。そのことは、消費税増税させ財務省の権限を強化し、経済産業省の原発現状維持を飲むことに他ならなかった。民主党は、そうして公約違反を重ねることになった。政策実行する力を投げ捨てた。

3)官僚はどのように支配権を獲得したか

 小沢を切ったのは、官僚の支持と協力によるものだ。小沢追放は官僚の利益でもあった。官僚支配打破を掲げた政権交代の頃は、官僚も緊張していたが、今では、落ち着いたもので、自分たちの地位が失われることはないと安心しきっている。

 民主党議員たちを分断し、誰が本当の権力者かを、思い知らせた。そのような意味ではすでに第一幕は終わった。官僚政治打破を掲げた政権交代は、より強固な官僚支配の政治に行きついたのである。
 今では、野田佳彦総理の鼻には鼻輪がついていて、鼻輪には紐がつながっており、紐の先は官僚がしっかりと握っている。権力は、官僚が握っている、そこに独占資本がつながっている、マスメディアも学者も群がっている。
 鳩山由紀夫、菅直人、小沢一郎の時代は、終わった。終わらせたのは野田ではない、官僚である、野田が首相でいられるのは、官僚が支持しているからに他ならない。

4)民主党は官僚の言いなりに、第二の自民党になった!

 政府の支出削減は一向に実施されない。官僚の既得権益を侵害することになるからである。それどころか消費税増税を決めた。財務省の権限を確保した。野田政権はすでに対抗する力を失っている。
 原発事故後も、「原子力ムラ」の支配構造は続いている、原発再稼働は「原子力ムラ」の言うとおりに従っている。この点でも、対抗する力を持っていない。節操もなければ改革する意思もすでに失せた。
 普天間返還に至っては、米国‐防衛省‐外務官僚の言うなりである。それどころか、オスプレイ配備を強行に推し進めている。
 すべての点において、政権交代した意味がなくなった。

5)民主党の存在意義が消えた

 このことは、民主党は、この先「消えるしかない」ことを意味している。死滅、あるいは雲散霧消へ向かって、一直線に進んでいると言っていい。
 衆議院選挙は、民主党有利の情勢ができるまで引き延ばすだろう、すなわち任期いっぱいまで引き延ばすことになるだろう。したがって、この先一年間で、政権交代した時に国民が民主党に寄せたような期待を再度抱くまでに、民主党あるいは野田政権がもう一度変わらなければならないが、すでに変わる力は失ってしまった。その可能性はすでに消えた。
 変わろうとするならば、既存の官僚支配とぶつかることになり、既存の政治勢力は支配しているマスメディアを動員し、既存の官僚機構を利用し、現状維持を固執するだろう、したがって、野田政権自体が存続できない。

 現状のまま官僚に鼻面を引きずり回される野田政権であれば、仮に衆院選挙まで政権を維持できても、次の選挙で大敗し、消えていくしかない。

 そのような情勢を民主党議員たちは敏感に感じとっている。この先民主党からの離党者が続出するだろう。民主党は政権交代時、衆院で300議席以上獲得し勝利したが、すでに70名以上離党した。あと9名離党すれば衆院での過半数を失う。そうすれば、内閣不信任が成立し、衆院解散・総選挙へとなだれ込むことになる。それは、民主党の大敗と分解、自公民の連立政権をもたらすだろう。

 次にできる政権は、民主党・自民党・公明党の連立政権であろう、あるいはそれまでに民主党は分解しているかもしれない。3党連立は当面の多数を確保するかもしれないが、命は短いだろう。なぜなら、何もかわらないからだ。
 政治的信条もなくただ当選することを狙う議員は、橋下維新にすり寄っていくだろうが、混乱させるだけで何も解決する力などないし、上記の官僚支配は変わらない。
 ただ、いずれにしても「先が見えない」、というより「先はない」。

6)反原発首相官邸包囲行動

 既存の政党、政治家はアテにならない。
 反原発で多くの人々が首相官邸包囲の直接行動に参加している。人びとの自主的、自発的行動がこの閉塞を打破するだろう。
 原発に賛成する議員は落せ! 国会議員には、この怒りを徹底的に思い知らせなくてはならない。
 新しい政治的運動こそ必要とされている。「能弁」でコロコロ主張を変える政治家には、もはや何も任せられない。そのような政治、そのような政党はもはや命を終えた。
 民主党政権はすでに交代させなくてはならないが、官僚支配を打破する交代を実現しなくてはならない。
 そのことの追究、模索は、人々があらゆる情報をネットなどを利用し即時に共有する直接的民主主義を実現した、自主的、自発的な直接行動の広がり、発展の先に、実現することができるだろう。(文責:林信治)

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必然性において理解する [現代日本の世相]

 益川敏英の講演が、3月14日 読売新聞で紹介されていた。

 2月25日、ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「次世代へのメッセージ」が大阪・清風学園講堂で行われたという。そのなかで、益川敏英・京都産業大学教授(2008年ノーベル物理学賞受賞)の基調講演が、3月14日の読売新聞で紹介されていて、おもしろく読んだので、その一部を書き抜いてみた。

120321 3月14日読売新聞 益川敏英 (320x256).jpg

――――――――――――――――――
 
 「・・・・・科学がどういうものか説明するために、まず「自由」とは何か?というところからはじめたい。

 目の前に二つのレバーがあり、いずれかを引くと百万円が出てくるが、もう一方を引けば青酸ガスが出て、あなたは死ぬ。「どちらでも自由に、好きなほうを引いてください」と言われたとする。「自由に」と言うが、実はそこに自由はない。ただ偶然に身を任せているだけだ。

 自由とは「こうすればこうなる」という必然性を理解した上で、選択することだ。そして科学は、人類にこの必然性を教え、より多くの自由を「準備する」ものだと言えるだろう。

 ファーブルが「昆虫記」を記した当時、彼が住んでいた仏アビニョン地方では蚕の病気が流行し、主要産業の養蚕業が大打撃を受けていた。政府が派遣した対策団の団長は細菌学を確立したパスツールだった。

 ファーブルは、パスツールが蚕のことをまったく知らないことを知って落胆した。しかしパスツールは、昆虫に精通したファーブルがまったく手を打てなかった蚕の病気を鎮静化させた。

 この逸話から、科学というものの性格がわかる。ファーブルは現象的には非常に詳しいが、原理的なことを知らなかった。パスツールは病気が流行する原理を理解していたから、初めて見る蚕の病気にも焼却処分をするなど対処ができた。つまり、基礎的な科学には、より汎用性があるのだ。・・・・・・」

 そのあとで、「物事を現象的に理解するのではなく、原理にさかのぼって理解することが重要だ。」と述べて
いる。

ーーーーーーーーーーーーーーー

 益川敏英は確かに面白いことを言っている。
 まず、「自由」について言っていることは、適切であると思う。

 最近、コロンビア大学のインド系女性のシーナ・アイエンガー教授が、「選択肢が多い社会が自由な社会だ」と述べている授業を、NHKのETV で、何回か見た。
 「選択肢を選ぶ」「自由」は、益川敏英の言うとおり、本物の自由ではない。単なる偶然である。あるいは、「にせもの」の、見せかけの自由である。ところが米国の一部の大学では、それが「自由」だとおおっぴらに言われている、ということもあるらしい。

 例えば、選挙のおりに「共和党」と「民主党」しかない。選んでいる選挙人のなかには、「自由」に選んでいると思っている人も、なかには幾人かいるだろう。
 先のコロンビア教授は、「選択肢がないよりはあるほうが、自由であるのは確かだ」と言うだろう。何度も繰り返される「自由」についての薄っぺらな講釈だ。

 「選ばされている」というのが、適切かもしれない。そう思っている人もいるにちがいない。
 「自由」と言いながら、極限にまで切縮められた「自由」、贋物に転化している「自由」であろう。

 日本でも事情は、そんなに変わらない。自民党政権をやめ、民主党政権を選択してみたが、何も変わらない。民主党が変えられてしまって、実質何も変わらない。原発は再稼働されそうな状況だし、八ッ場ダムも再開する、消費税は上げられる、子ども手当は出ない・・・・。政権交代してみたら、本当の権力はどこにあるのか、が明らかになった。巨大な官僚機構、政治家、マスメディアそれらが一体となった本物の支配集団が、その姿の一端をあらわした。

 われわれの「自由」が、いつの間にか形式的なものに転化してしまっている。選挙権行使や、その結果としての政権交代さえも、無効にしてしまう「力」が存在し、働いている。

 われわれの「国民主権」は、自身の「自由」を全面的には発揮していない。益川の言うとおり、国民がわからすれば、「必然性を理解した上で、自由を行使しなければ、自由とは言えない」ということであれば、国民主権は、「こうすればこうなる」という理解力を獲得し、本当に変革するプランを見つけ、そうして自身の「自由」を行使しなければならない、ということになろう。

 なるほど、益川敏英の言っていることは、おもしろいし、刺戟的だ。

 それから、パスツールとファーブルの話もまたおもしろい。

 ファーブル「昆虫記」で、昆虫について「現象的には非常に詳しい」叙述をした。それはそれで、貴重で、立派な仕事ではある。しかし、「昆虫に精通したファーブルは蚕の病気に対しまったく手を打てなかった」。
 他方、「蚕のことを知らなかったが、病気が流行する原理を理解していたパスツールは、蚕の病気を鎮静化させた」のである。

 われわれは、おうおうにして「現象」にだまされ、引きずりまわされることが、多い。
 「事実だ、事実だ」と言いながら、本当のところ、自分に、あるいは自分の主張や利害に、都合のいい「事実」を集めて、自身の主張を押し通すことも、そういう人も実に多い。
 気づかずに、そんなことばかり言っている人も、なかにはいる。「事実だ」と言えば、「科学だ」と思い込んでいる人も多い、あるいは誤魔化すことができると考えている人もいる。

 「科学的な装い」をもって、自身の主張と利害を貫きとおすのである。戦後、アメリカから入ってきた実証主義は、その一つでもある。

 素人ながら想像するのだけれど、理論物理学などにおいては、様々な実験結果、実験事実に引きずりまわされることなく、それら結果や事実を必然性において理解することが、何よりも必要なのだろうなあ、などと思う。
 益川敏英は、研究生活のなかでそのような考えを身につけたのだろうか、それとも坂田昌一がそのように言っていて、薫陶を受けたのであるか。もちろん、どっちでも構わない。

 そのようなことは、決して物理学においてだけのことではないだろう。
 そういう力、そういうとらえ方を、私たち自身が身につけなくてはならない。日常生活において、社会生活において、身につけなければならない。

 というようなことを考えたりして、面白く刺戟的に、読んだ。(文責:小林 治郎吉)

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