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安部公房『榎本武揚』を読む [読んだ本の感想]

安部公房『榎本武揚』を読む  1965年7月26日初版、中央公論社

 2017年10月6日、ある古書店で安部公房『榎本武揚』を見つけ買い求めた。すぐに読み終えた。ずいぶん前の作品であるが面白かったので評を書く。

1)きわめて独創的な才能

 豪快でユーモラスな表現、リズミカルでシャキッとした文体と日本語。それだけでも、めったにない、なかなかの才能と実力であると、あらためて思い知らせてくれる。
 明治維新という変動の時代を生きた榎本武揚が、いかに魅力的な人物であったかを、生き生きとした文体で描そうと試みた。
 
 文体だけにとどまらない。小説の構想は、極めて独創的である。そればかりではない、小説の構成もまたきわめて独創的であるし、野心的でさえある。読者をわくわくさせる。榎本武揚の思想と行動に、土方歳三の思想と行動を対抗させ、その奮闘でもって時代精神を描こうとした。忠節と転向として「対立」させて、表現している。しかもそこに、戦前に憲兵であった福地屋の主人の忠節と転向をも重ね合わせ、現代的課題として展開しようとしている。何という大胆さであるか。果たして、破綻せずに押しとおせるのだろうか?

 安部は何を描き出したのか?
 安部公房の描きだす榎本武揚は、むしろきわめて現代的な人物である。実にイキイキとしている。生きて眼前に存在する人物として思い浮かべることができる。安部公房の手腕である。もちろん、安部公房も、現代的に描き出す必要を見出したのであろう。
 どうしてなのか?

 安部公房は、執拗に『榎本武揚』に挑んでいる。それは当然のこと安部公房自身の現代に対する認識、批判が背景にある。1965年に書かれていることから、1965年当時の日本に対する批判も、当然のこと意識されているだろう。戦前の天皇制軍国主義日本に対する忠誠と戦後民主主義への「転向」の関係についての、安部公房の追究も重なっている。あるいは当時の共産党に対する忠誠とその批判をも視野に入っているかもしれない。

2)安倍公房は何を描き出したかったのか?

 安部公房は、何を書きたかったのだろうか。榎本の人物の大きさを描き出そうとしている。知の巨人であり、革命の実行者でさえある。現代においても、対置されるべき人物とその性質を、安部公房は提示したかったのだろうか? たぶんそうだろう。
 描き出された榎本武揚は現代に生きているがごとくイキイキとしている。土方歳三と対峙し、榎本武揚の大きさをさらに堂々と浮き上がらせている。叙述は、土方歳三の部下・浅井十三郎の考えと行動を通じて、榎本批判として叙述ははじめられる、しかし榎本武揚の「大きさ」が際立ってくる。

 土方歳三のあの変質的な執着は、徳川末期、滅びつつある封建制から生まれていると榎本に語らせている、その通り、適確な指摘である。土方歳三の駆使する「徳川への忠誠」は、崩壊を前にして自身の地位を守ることばかり考えている従来の武士たちへの批判であり告発であり、徳川体制内で土方が彼らを押しのけて成り上がっていく行動の指針である。しかし、徳川封建制はすでに崩れかかっていた。崩れかかっていたからこそ百姓の近藤勇や土方歳三が侍になれた。それ以前の盤石だった徳川の時代においては、近藤も土方も到底武士にはなれなかった。

 土方歳三の理念と行動は、徳川擁護を掲げているものの、あくまで建前で会って、徳川を擁護する道筋を通って土方が百姓から武士へ成り上がるところに重点があった。侍に成り上がることをそれ以外の思想、すなわち時代を変革するプランも理念も持ちあわせていなかった。世の中が見えていなかったのである。

 したがって、土方自身が、そして彼の理念と行動自体が、すでにアナクロニズムであった。徳川封建制は大きな社会的変動によって崩れかかっていた。薩摩も長州も、徳川打倒から近代的中央集権国家の建設を目指した。それまでの封建制を再建したのではない。したがって、土方や榎本に比べれば、とてつもない進歩であり、百姓や商人や下級武士など大多数の人びとの要求と希望を体現したのである。それは榎本の才能の大きさをも越えていた。もっともその近代中央集権国家は成立後、百姓や下級武士の要求を裏切ったのではあるが。

 百姓から侍になりたかった土方や近藤は、社会的に広範な支持を受ける時代的精神をその内に持っていなかった。それゆえ、彼らの理念と行動は社会的変革とはならなかった。革命的運動からは無縁であり、というより反革命勢力の手先、テロリストであった。滅びゆく人間であったし、滅ぶのは必然であった。このことを安部公房は、榎本武揚と対比して、見事に表現する。

3)安倍公房の目に映った榎本武揚

 他方、榎本武揚はどうか。
 榎本武揚は、見事に彫り上げられているか?
 土方ほど愚かではない。徳川の崩壊は必然と知っている。問題は、あるいは榎本の矛盾は、誰よりもよく歴史発展の方向を認識していながら、榎本自身の行動は運動の要素となりえなかったことである。

 安部公房は、榎本の「人物の大きさ」をあまりに強調する、時代を超えてさえ強調する。しかし、誰しも時代を超えることはできない。超えることができない榎本を描いていないところが、安部公房『榎本武揚』の欠点ではないかと思う。

 明治維新は、不完全な不徹底の民主主義革命である。榎本が西洋に遊学し学んだ新しい知識は貴重ではあるものの、幕府の役人である彼にとっては、徳川封建制を破壊する行動はとり得ず、革命において彼の知識は役立つ場所を得られなかった。得られなければいくら才能の大きさを誇ろうとも、意味はない。

 武闘派の新選組や彰義隊らを江戸から脱走させ、江戸を戦火から守ると同時に、武闘派を分散させ弱体化させたのが榎本の深謀遠慮であるかのように描くのは、単なる嘘である。
 「江戸を守るため、戦火を交えなかった」とは一つの口実であり、幕府旧勢力の一部が、何とか新政府の権力者の一員に加わりたい希望を表現している。守りたかったのは江戸ではなく、自身の地位であろう。勝海舟もその点は同じではないか。江戸で戦闘があったなら、幕府の旧権力機構はより徹底的に破壊しつくされただろう。そのことで明治新政府への権力移行は、ただスムーズに行われたろうし、変革はより徹底にしたものになったろう。

 明治維新のなかで、不徹底な、不完全な行動しかとれない榎本であったし、それは彼の立ち位置から来た。したがって、余るほどの新知識を身につけていたにもかかわらず、榎本の理念も行動もまっすぐに変革へと結びつかない。「知恵」があるように描くが、社会的実行と結びつかない、梃子を得ることができない「知恵」は、「知恵」ではない。「無用の人」、榎本武揚である。

 安部公房はこの点を知っていない、少なくともそのように見える。不思議なことである、また奇妙でもある。実に賢く才能のあふれる安部公房がこんなことに気づかないことがあるのか? きわめて残念に思うところである。

 榎本が「無用の人」に終わらざるを得ないのは、決して個人的性質からくるのではない。榎本の抱える時代的な矛盾に、安部公房は思い至らないようにみえるのである。
 しかし、想像するに、榎本武揚自身は、そのことを自覚していたのではないか。「無用の人」と何度も扱われ、そのたびに「悲しみ」を自覚しただろう。なぜその悲しみを描かないのか、「無用の人」榎本を描かないのか。
 
 徳川体制を徹底的に破壊すればするほど、変革は前に進む。それをまっすぐにできない榎本、そのような位置にいない榎本は、偉大な役割を果たすことはできない。立ち位置から、その歴史的役割は決まる。

 榎本が仮に、軍艦を引き連れて、官軍に寝返り、徳川体制破壊をより徹底的に実行すれば、明治政府内でより強力に変革を実行する権利を獲得するかもしれない。しかし、そのようになるには、理念と社会的運動が必要である。人々をとらえた運動なしに、一夜の裏切りで寝返っても、力にはならない。歴史は陰謀で動くものではない。榎本は背後に変革を求め支持する人々を組織しなかった。

 時代の要請は、個人の「知恵」の水準を越えている。「知恵」は個人の所有物でさえない。集団的社会的運動として、歴史的な役割を果たす。このような描写が、安部公房には欠けている、あくまでも「知の巨人」榎本である。非常に残念に思う。

 榎本武揚を「矛盾のなき人物」と描き出しているのであって、その限りでは偽りに転化しているであろう。榎本武揚は自分では解決しえない大きな矛盾を抱えている、にもかかわらず、安部公房の目はそこに向いていない。この点だけに限って言えば、「節穴」であったようにみえる。
 「無用の人」榎本武揚の悲しみを描いたならば、その人物像は、本当に大きな、時代的なものとなったろう。それを回避したから、「大きく」見せる工夫が必要となったろう。
 
 徳川に忠誠を誓う武士を集団で脱走させ、疲弊させ、蝦夷地にまで引き連れて、滅びやすくした、という安部公房の説明は、嘘だ。「偽り」そのものである。このような「知恵」を持つに人が、賢いのではない。そもそもそんなものは「知恵」ではない。あとからつくった「つくり話」である。ハッタリの一種で、人を驚かせるには役に立つだろう。一時は騙される者もいる、しかし、だまし続けることはできない。安部公房はだまし続けられると勘違いしたのだろうか。もしそうであれば、だまされているのは安倍公房自身である。
 
4)福地屋の主人の忠誠と転向

 安部公房は、榎本にみられる時代への忠誠と転向に、福地屋の主人の抱える「時代への忠誠」と重ねて描いている。ただ、この構成・構想は、大胆で魅力的であり、作者の才能の大きさを感じさせるが、残念なことに成功していない。

 厚岸に住む福地屋の主人は、戦前、憲兵であり、義弟を石原莞爾信奉者という理由で告発し死に至らしめた。本人は「時代に忠誠」を尽くしただけで悪意はないという、ただ敗戦により時代が変わり「忠誠」の中身が変わり、誠実に生きてきただけなのに非難されると嘆く。福地屋の主人は、その気持ちを徳川封建制から明治新政府へと時代が急激に変わったなかを取り残されて生きた土方歳三や榎本武揚の気持ちに重ねる。

 榎本武揚は、明治新政府に取りあげられ、のちにずいぶんと出世したことから、変節漢と非難される。土方歳三は、自身が「無用の人物」になっていることを薄々感じとりはしたが、『徳川への忠誠』なる理屈で生きるのを変えることはできなかった。福地屋の主人は、いずれに対しても自身の姿を重ねて、同情する。

 ただ、それが同情に落ちて、福地屋の主人の「時代への忠誠」、戦前と戦後のあいだの変革の意義をあいまいにするかのような取扱いに陥ってしまっているところは、はなはだよくない。
 それは、土方の「武士道」、「勇猛さ」に感心しているだけでは、戦前戦中の日本軍人の「玉砕精神」を褒め上げなくてはならなくなるのと似ている。また榎本の抱える時代的な矛盾を描きださない安部公房であれば、福地屋の主人の悔恨にただ同情するだけでなく擁護する方向へ傾いて終わるのは必然なのかもしれない。少し言い過ぎだとは思うが、榎本武揚を矛盾なき人物と描きだすことは、時代的精神から離反すること、行き過ぎた称揚に至るのであり、戦前に対する適切な批判に至らない結果をもたらしているようでさえあるのだ。

5)見上げた才能

 というような根本的な不満もあるけれど、構想通り、押し切って書き上げる才能と実力は、見上げたものである。表現もユーモアがあって、しゃれている。例えの文句が、リズミカルで具合がいい。美しく力強い日本語をつくりだしている。
 「歴史物」でありながら、時代的であり現代的だ。生きて再現されている。小説には時代を再現して目の前に突き出して見せる、小説でこのような表現や描写が可能なのだ、こんな可能性があるんだと、あらためて教えてくれる。読んだ後もなお興奮が残っている。(文責:児玉繁信)




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金石範の話を聞く [読んだ本の感想]

金石範『火山島』出版・復刊 記念シンポジウム

 11月8日(日)、成蹊大学で、金石範『火山島』出版・復刊記念シンポジウムがあった。『火山島』は、1948年済州島で起きた四・三事件を描いた小説である。約20年かけて1997年に完結した。

 2015年に『火山島』全巻の韓国語訳が初めて出版されたという。韓国の人たちは、『火山島』をどのように読むのだろうか? 

 当日、翻訳者である金煥基(東国大学日本学研究所長)さんが挨拶した。日本でもオンデマンドではあるが、岩波書店から『火山島』が復刊される。韓国語出版と復刊、そして金石範90歳、それらをすべて記念したシンポジウムである。
 金石範さんも出席し挨拶した。

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<挨拶する金石範>
 
 2015年10月16日、韓国・朴政権は金石範の入国を拒否したという。その理由は、2015年4月、「済州四・三平和財団」平和賞の初代受賞者に選ばれた金石範が、授賞式で事件当時の政権を批判したことが関係している。済州島で住民を虐殺した警察や政府関係者の人的な関係、および政策を引き継ぐ保守勢力がいまだに朴政権の一部を構成し、影響力を持っているからだ。
 現在もなお、金石範と作品『火山島』は、韓国社会に全面的に受け入れられておらず、したがって「歴史の空白」を埋めるべく闘っているのである。

 4人のパネラーがそれぞれ報告した。
 あるパネラーが、金石範の『火山島』は、歴史の空白を文学が埋めたと指摘した。まったくその通りである。済州島四・三事件を金石範は、政権によって隠蔽され、歴史資料もなく、現地取材に訪れることもできないなか、書き継いできた。小説『火山島』を追いかけるように、2003年盧武鉉政権になってやっと真相究明、済州島四・三事件が何だったかを、振り返る事業がはじまっている。

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<11月8日、金石範『火山島』シンポジウム 於 成蹊大学>

 当日のパネラーの一人によれば、金石範の作品は、「『日本文学』ではなくて、『日本語文学』と呼び直すべき」(鶴見俊輔)なのだそうだ。楕円の新たな軌跡をなぞり、楕円をあらためて説明しなおそうとするかのようで(花田清輝、『楕円の思想』)、どうでもいいことを論じているのではないかと思えることもあった。

 そのなかで、金石範の話が印象に残った。パネラーたちの報告の後、立って挨拶した。「90歳を祝われるのは嫌だ、しかし、『火山島』が韓国語で出版されたこと、復刊もされること、今日も多くの方に参加いただいたことに感謝する」と語ったうえで、金石範の挨拶は沖縄・辺野古の話になった。

 三、四日まえ(11月6日?) 沖縄・辺野古で新基地建設に反対し資材搬入を阻止するため座り込んでいる人たちを、警察がごぼう抜きにするに場面を見た、しかも沖縄県警察ではなくて、警視庁から派遣された200名の警官だった。本土から派遣された警察官が、基地に反対する沖縄の人々を排除する、弾圧する。金石範は、これを見て済州島の四・三事件を思い浮かべたのだという。済州島へも本土から来た警察や右翼集団が済州島の人々を虐殺した。その光景を思い浮かべたという。
 「侵略」そのものではないか。「侵略」と呼ばなくてはならないのではないか、という。

 金石範は続けてこう語った。「歴史書によれば、明治になった後、『琉球処分』があったとしている。しかし『処分』はおかしかろう。『処分』とは、汚いものをゴミ箱に捨てる、不要なものを処理するという意味ではないか! 日本政府の琉球支配確立に当たって、反対する沖縄の人々を抑えつけ、無理やり言うことを聞かせた歴史的事件を、『処分』という言葉で表現するのはおかしい、『琉球侵略』、『沖縄侵略』と呼ぶべきだ」

 さすがに文学者ではないか! 何と言葉を大切にすることだろう!

 『火山島』出版・復刊記念のシンポジウムでの自身の挨拶に、沖縄の辺野古基地反対を語る、反対する人々に自身の気持ちを重ねて語る。この作家はどこまでも現実を生きる作家だ、金石範の特質が如実に示されているのではないか、そのように思って聞いたし、あらためて感心もしたのである。 (文責:児玉 繁信)



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宮部みゆきは退化している [読んだ本の感想]

  
 宮部みゆき『名もなき毒』文庫本を見かけたので、買い求めて読んだ。つまらなかった。宮部みゆきは退化している。明らかに退化している。
  
 1)推理小説の効用

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 日本で作家として食えるのは「推理小説」作家だけ、だからそこらじゅう推理小説作家だらけ。TV のスイッチを入れると、必ず「殺人事件」が起きて、善人で有能な刑事や警察が、あるいは賢い探偵がこれを解決する。
 このワンパターンの何度も何度も使い古しの筋立て。しかし他方で、現代日本社会は、驚くべきほど、殺人の少ない社会なのだ。であれば小説家は、驚くべきほど殺人の少ない現代日本社会の現状を描写し、その秘密を明らかにすることこそが、仕事であるはず。なのに、仮想の推理小説の世界では、ワンパターンの殺人事件が毎日起こり、気まぐれな「謎解き?」して見せる。
 3万人以上の自殺や「いじめ」は、現代日本の「殺人事件」であるのに、推理小説家は少しも反応しない。その理由を、原因を、なぜ推理しない!

 殺人事件に対する「人工的な恐怖」や「ワンパターンの批判」を毎日刷り込めば、警察のイメージアップになるだろうし、警察予算を確保するのに都合よくなる、その予算で生きている人たちの生活を安定させるという実際の効用がある。被害遺族の報復感情をあおり、さらには死刑制度維持にも効用がある。

 リアリティのない作り物の「殺人事件」とそのイメージをまき散らし、鮮やかに推理し解決するのが現代社会における「賢い」人物と描き出される。事件の解決、トリックの解明を通じた知恵比べが繰り広げられ、それが「エンターテイメント」なのだそうだ。

 むしろ「エンターテイメント」となっているのがより根本的な要因である。TVドラマや推理小説でブームを作りだすことで、TV局は「エンターテイメント」商売が成り立つ。現行の警察や検察システムを擁護するうえでも都合がいい。これら関係者の集団、「原子力ムラ」と少し似た「ムラ」が存立している。

 そんな事情はこの20年30年変化していない。

 2)宮城みゆきの登場は衝撃的だった 

 さて、そんなところに宮部みゆきは登場した。衝撃的でさえあった。
 日本では推理小説家しか食えない、したがって比較的多く存在する。そうするとなかに「社会派」が生まれる、「宮部みゆきの登場」はこういうことなのだろうと推定した。
 『火車』なぞは、実に面白かった。弁護士事務所に事務員として働いていた宮部みゆきは、多数のカード破産、サラ金破産の事例を目の前で見てきた。現実の観察から出発した。それは当時の日本社会の描写であり、描写はそのまま告発となり批判となった。

 さて、宮部みゆきはその後どのような作品を書いたか。
 破産の事例に詳しかった宮部も、売れてしまったら現実の日本社会と接する場を失ったらしく、それに代わる取材を怠けたらしく、ネタ切れが徐々に明らかになってきた。のちに書かれた作品をざっと見てそのように感じる。でも、腕力があるので、宮部は書くことができる、そしてたくさん書いた。

 「超能力者が社会的に受け入れられない悩み」だとかを書いた、作者が自分の観察をそのまま述べるために安易に、実際には絶対に存在しない中性的な少年による語り口でもって舞台回しをしてしまった。そんな少年など存在しない。はては時代物、こんなものに方向転換してしまった。腕力があるからとって、使い道を誤ってしまってはいけない。
 
 こんなテーマだと「観察」や「取材」しなくとも書くことはできるからというのが、私の見立てだ。「見立て」が当たっているかどうか以前に、つまらない、こんなもの読みたくもない。「エンターテイメント」だといって、喜んで読む人もいるらしい。
 
 通常、人は職業を持ち働いていろんな人々と社会関係を結び、その中で生きている、自己を実現し、同時に社会の一端をつくりあげていく。さらに必要ならその関係を変えても行く、行こうとする、家族をつくり友人をつくりそうして自身をつくっていく、その過程における世の中の認識が「観察」であろう。それが小説を生み出す要因、衝動力である。宮部みゆきには、ほかにいろんな才能があふれるほどあるのだが、この要因が欠乏している。

 小説家は、書くだけで稼ぐようになれば、既存のエンターテイメント産業の枠に入れば、「営み」が希薄になる、現代の日本社会のなかで生きていない存在になってしまう。
 
 宮部みゆきの才能は、尋常ではないので、上記の「衝動力」がなくても、何かしら書くことはできるのだし、実際に書いてきた。筆力というか、腕力をもっているから、強引に書き進めていくことができたし、そして売れもした。でも同時に、現実社会の観察、生きた生活が、彼女の小説のなかから徐々に確実に消えて行った。
 叙述のテクニックは冴えたのかもしれないが、肝心の生きた現実生活が消えて行った。
 「こさえもの」なんぞ読みたくない、そんなもの読みたいとも思わない。遺伝子組み換えのまがい物食品のようなものだ。

 3)社会性を喪失した

 さて、「名もなき毒」を文庫で最近読んだのである。しばらくぶりに宮部みゆきの作品を読んだ。
 たしかに読みやすい文章、一気に読ませてしまうだけの筆力があるのは確かだ。ふつうこんな叙述はなかなかない。
 しかし、読んだ後に、何も残らない。こんな人間はいるのだろうか? いないだろうなぁ、つくりもんだなぁ、読みながら、常にそんな疑念が浮かんでくる。
 結局のところ、現実を観察していない。頭の中だけで書いている。それも材料は使い回し、材料は本当に貧しい、使い古したワンパターンばかり。一度使った死んだ材料の「現実」が繰り返される。生きていない、動いていない。

 現実こそが小説家の命である。
 「事実は小説より奇なり」という言葉は、人の認識や想像よりも現実生活のほうが何倍も複雑で豊かだという意味でもある。
 頭の中だけで、観念だけで、小説は書けない。宮部みゆきはそんなことに気がついていないのではないか、と疑ってしまう。
 宮部みゆきが気づいているかいないかにかかわらず、「そんなのではだめだ」という「厳しい判決」を、彼女の作品はすでに獲得している。
 やたら豊かな才能を持っていたのに、ただ浪費してきた、あの筆力、あの腕力はムダ使いされている。そして今ではほとんど「並みの推理小説家」になってしまった。世間の求める、推理小説市場の求める推理小説の書き手に仲間入りしてしまった。

 探偵や警察を通じて真実が明らかになるかのように描く、毒も何もあったものではない。警察におもねるように書く。その分だけ、「名もなき毒」などと大げさな名前をつけるまでになった。

 名は大きくなったのかもしれないが、強烈な毒は消えてしまった宮部みゆき、いずれ名も消えてしまうことを恐れなければならない。

 当初、「推理小説に社会性を導入した」と感心し評価したが、今では撤回しなければならなくなった。もっとも「火車」に対する私の評価は変更するつもりはない、変質したのは、宮部みゆきである。

 量産されるのは「社会性を排除していった」宮部みゆきである。「社会性」などと固化した言葉でいうよりは、生きた人物の描写が消えて行ったというほうがより適切だろう。
 彼女はまだ若くてこれからも作品を書くだろうが、でもこのままであればどんなものが出てくるか、容易に想像できる。小説家・宮部みゆきはいるが、しかし衝撃を持って登場したあの宮部みゆきはすでに消えた。

 4)モデルがいなければ書けない作家に転向すべし
 
 宮部みゆきはモデルがいなくても書ける作家である、居なくても腕力で書いてしまう。現実生活を観察しないでも書いてしまう力がある。
 他方、世の中にはモデルがいなければ書けない作家もいる。二つのタイプがある。
 話は飛ぶが、『1846年のロシア文学概観』でべリンスキーが、トゥルゲーネフはモデルがいなければ書けない作家であるが、ゲルツェンはモデルがいなくても書ける作家であると評した。トゥルゲーネフは「猟人日記」を、ゲルツェン「誰の罪か?」を、この年発表した。
 この便宜的な分類を持ち出すのは、どちらかが優れている、と言いたいのではない。
 ただ宮部みゆきは、実在のモデルを観察して書くように、スタイルを変えなければならない。モデルがいなければ書けない作家に転向しなければ、先はない。

 さて、「名もなき毒」。この小説は、10年くらい前単行本で出た、最近文庫になったので読んだ。
 だから私のこのような評価は10年遅れている。すまないけれど、最近の作品をきちんと読んでいない。この10年前の作品に対する評価が現在もなお有効かどうかわからない。でも残念ながら、たぶん有効だと思っている。 (文責:児玉 繁信)
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「日本を捨てた男たち」 を読む [読んだ本の感想]

「日本を捨てた男たち」 を読む
 
水谷竹秀著 集英社 2011年11月30日発行

 
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 著者は日刊「まにら新聞」記者。取材に当たりマニラの日本大使館や近くの「結婚手続き代行事務所」を何度か訪れている。水谷記者を直接には知らないが「まにら新聞」は知っている、また日本大使館近くの様子や「結婚手続き代行事務所」の日本人スタッフを何人か知っている、そんな私たちにとっては、叙述の風景がいくつか目に浮かび何かしら近しい思いすら浮かぶ。

 本書はフィリピンの「困窮邦人」のレポートであり、現実を直視したリアルな叙述に特徴がある。フィリピンのことを語ると、つい何かしら面白おかしく伝えがちだし、聞く者に受け入れやすいようにある種のサービス精神を発揮してしまい表面づらの紹介に終わってしまうことも多々あるけれど、本書はそんな「甘さ」「いいかげんさ」を突き抜けている。

 「日本を捨てた男たち」は、フィリピンでホームレスになっている困窮邦人数人に対するインタビューをもとにしている。海外の困窮邦人の半数はフィリピンにいるそうで、「居やすい」らしい。著者は、フィリピン人が困窮邦人に親切に接する事例に突き当たる。どうしてだろうかと問いかける。この「秘密」を探ろうと書きはじめた。

 もっともホームレスになっている邦人であれば、インタビューしても本当のことを言うはずもない。仮に当人が本当のことを語ったとしても、真実とは限らない。著者もそのことはよく自覚していて、裏を取ろうと日本の親族を訪ねてもいる。親族の様子のほうが衝撃的なことさえある。この二つを合わせてはじめて日本を捨てフィリピンに逃げた男たちの実情が厚みと重みを持って現れてくる。

 フィリピン人はあっけらかんとしていてよくしゃべりよく笑いよく泣きよく怒る。考えてみればそのほうがむしろ当たり前だ。フィリピン人は人を「見かけ」や社会的地位で差別したり態度を変えたりしない。
 もっとも、フィリピンではすべてが理想的なのではない。ノープロブレムといいながら問題だらけだし、何度も手違いや失敗があってなかなか思う通りすすまない。決していいことばかりではない、それどころか貧困層が膨大に存在し、社会は問題だらけである。(著者はフィリピン社会とフィリピン人に対して好意的であってあまり批判的ではない。)

 その中で人々は生きている。何しろ失業者だらけなので失業しても人間関係を失うことはない。フィリピンの「密度の濃い」家族や人間関係は、そうでなければ生きてゆけない事情から来ている。また教会やNPOとかいろんな団体、人々の連合体が多い。もちろん人間関係があったって、貧困が解決できるわけではない。フィリピン人、フィリピン社会は決して「理想の姿」ではない。ただここでは孤立しない、人間が簡単に壊れない、居場所がなくなることはない、貧困に対抗して行く連合体がある、そう言っているのである。強引に解釈すれば、対抗する人々の連合体がなければ、人々はイキイキと生きていけない、当面する現状を認識し批判し告発できないと言っているようなのである。

 中高年の男が、小金さえあればフィリピンではチヤホヤされるのは「滑稽なこと」でもある、もちろん小金がなくなれば捨てられる。それはどこでも同じだ。ただ、日本の家族や人間関係を捨てフィリピン女性に「はまる」に至るのは、それまで居場所のなかった、あるいは希薄だったからでもある。
 日本ではずうっと「粗末に」扱われてきた、そもそもチヤホヤされたことさえなかった、濃密な人間関係を持ったことがなかった。処世上の表面的な関係は持ってきたものの、どんな人とも関係を持って何とかしていこうという経験はなかった。むしろ「余計な関係」はムダとして削ってきた。
 「人間関係は必要がないので捨ててしまったら、自分自身を失った、そしたら居場所もなくなっていた」のである。

 著者は「自己責任」ではなかろうか?と何度も問い返す。困窮邦人と接していると必ず投げかけられる言葉なのであろう。登場するホームレスの中には、到底誰も相手にしないだろうと思われる人物も確かにいる。ネットでこの本の評判をざっと見たが、「自己責任だ、甘えるな!」と困窮邦人個人と著者の同情的な態度を非難する論調ばかりだった。明らかに著者はそんな声を意識している。
 
 なぜ男たちは日本社会に居場所がないのか?
 日本では仕事を失うと、あるいは収入を失うと、人として扱われない現実が存在する、人間関係も同時に失う。現代日本社会では学校教育も、家族も地域社会も、よい学校大学を卒業し安定した職、収入・地位に就くことを目的としたシステムとして自発的に変化し、それ以外の機能はムリムダムラとしてそぎ落としてきた。そのことは他方で、仕事を失った時の手立ては準備されず、逆に失業者を排除する社会関係ができ上がることになった。別の言い方をすれば、対抗する人々の既存の連合体は力を失い消えていき、新しい連合体は形成されてこなかった。

 著者は、「日本を捨てた困窮邦人」は若年世代の「引きこもり」と同質の現象でもあると指摘する。生きにくい、息苦しさを感じている点では同じというのだ。適確な指摘だろう。最近は「外こもり」というのもあるらしい。日本でバイトして、その金で3カ月とか半年とかをタイで暮らす若者が存在するという。これも同質の現象だ。確かに世代が違う、女に入れあげるのも違う、しかし日本社会で生きる場所がないと感じるのは同じだ。自殺者が3万人を超える現状もおそらく同根の問題であろう。無縁社会は日本人すべての世代に(もちろん底辺の人々により強く)それぞれ確実に影響を及ぼしている。

 叙述はあくまでホームレス個々人の実情の描写であるのだけれど、同時に背後に広がる現代日本社会の特質、「厳しい現実の姿」を浮かび上がらせている。「男たちが日本で居場所をなくした」のは、実は現代日本社会の最近の変質にあるのではないかという論点を浮かび上がらせ、問題提起している。こういうところに本書の特徴が表れている。真面目な説得力のあるドキュメントとなっている。

 「日本を捨てた男たち」の叙述は、効率化を極め到達した日本社会の希薄な人間関係、人々の連合体の「貧困さ」を炙りだすに至っている。それゆえあるべき社会としてもっと人々のつながりのある、対抗的な連合体を幾層にも作り上げた社会へと変わる必要があることを提示しているようにも見える。(文責:児玉繁信)

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山田風太郎 『戦中派 不戦日記』を読む [読んだ本の感想]

 山田風太郎 『戦中派 不戦日記』 を読む

 山田風太郎『戦中派不戦日記』は、1945年1月から敗戦をはさんで12月までの1年間の日記である。
 1985年8月に講談社文庫として発行されている。著者・山田風太郎は1922年に生まれ、すでに2001年7月79歳で亡くなっている。

 7月にある読書会で読む機会があった。盆休みに読み直してみた。

山田風太郎『戦中派 不戦日記』001.jpg

 叙述には、「ある特徴」があるし、「おもしろさ」、「魅力」がある。

 第一の魅力は、著者が戦中と敗戦直後人びとの暮らしを記録しようと心がけていることにある。日記のおもな内容は、戦時下と敗戦直後の人びとの暮らしであり、その時々の日本人の考えの率直な記録である。

 読者であるわれわれにとっては、戦中・敗戦直後の暮らしの実態はどんなであったか、当時の日本人が何を考えたか、考えなかったか、を認識することは、その時代を評価するうえで、まず重要である。

 勤労奉仕に行ったのであろう、「今の工場ことごとく七時乃至は七時半に作業を開始するに、区役所のみが八時半に始むること許さるべきや。」  「…空襲するB29が巨大な鰹節に見えたこと。 …黄燐弾、踏んでも踏んでも消えない、靴に火がうつる。 空襲警報の闇中につくった握飯が舌も曲がるほど塩からかったこと。 …落ちたB29から油を盗んだ話、落下傘で落ちてきた飛行兵一人を、集まってきた民衆が鳶口でたたき殺したこと、もう一人は何と女の兵隊だったこと。 …米軍の小型機が銃撃する、白いものを身につけている者はどこかに行ってくれ、という叫び声が聞こえたこと」など
・・・・・・・描写が生々しい。あげていくとキリがない。

 叙述を読めば直ちに判明するが、著者は、相当まめな人で、日々身の回りに起きたこと、考えたことをそのまま率直に日記に記録している。新聞なども丁寧に読み、戦況など世の中の移り変わりを丹念に記録している。そのうえで、自分で考え判断しようと努めている。

 とともに、文学などを中心に時間を見つけては本を読んでいる、膨大な読書量。フランス文学など古典が多い。当時の多くの学生のように、文学といえば万葉、思想といえば忠孝思想でアレンジされた日本的カント倫理哲学ではなく、当時としては広範で調和のとれた教養の持ち主のようである。万葉やカント倫理哲学を決して読んでいないわけではないが、日本主義などの一方的な影響からは比較的自由である。

 著者は医学生であり、軍隊に入ってはいない。好きな本を自由に買い求めるだけの財力を持っており、当時としては比較的恵まれた地位にいた。その幸運を最大限に利用し、勤勉に読書し、記録している。

 著者が「民衆の記録」を大変尊重していることは、叙述を読んでみれば容易にわかる。
 「民衆の記録」をどうして著者がそんなに大切だと考えたのか? その理由は、明確にはわからない。
 小説家というものは、人びとの生きた暮らしを大切に思うものなのかと考えたりもする。たぶんそんなには外れていないだろう。

 前書きに「戦国時代の支配者の記録ばかりではなく、民衆の記録が残っていればどんなによかったろう」と書いていることからも、「民衆の記録」を尊重していることがわかる。著者は、のちに「忍者武芸帳」、「くのいち忍法」などの小説を書いたが、「戦国時代の民衆の記録」が残っておれば、自身の小説が「より豊かな面白いものになったろうに!」と残念に思ったのではなかろうか。

 いずれにせよ、「民衆の記録」を尊重し叙述していることが、『戦中派不戦日記』を面白いもの、興味深いものにしている。

 「民衆の記録」とともに、日記には、日々の事件に対する作者の見解のようなものもまとめられている。たぶん著者は、事件の起きた二、三日後に自分の考えをまとめて書いたのであろう。そのような意味では、日記は決してその日のうちに書かれたものばかりではない。

 また、日記は後にいくらか手が加えられている、がしかし、そのことで価値が減じられることにはなっていない。
 例えて言えば、当時著者は、文語調で書いたに違いない。出版するに当たり、文語の一部を文中に残しながら、現代文に統一している。その意味では手が加えられている。また、当時は旧漢字が多用されているはずだが、全体的に当用漢字中心の表現に直されている。日々書き連ねる日記は、多くの場合、文体はばらばらになりがちだが、全体として少しの違和感も残らないようにキチンと統一されている。
 このようなところを見ると、出版するに当たり、書きかえられたり書き加えられたりしているのは確かであろうが、著者は時々の記録や考えをそのまま残そうとしていており、その意味ではいわゆる「変容」、「変質」は感じられない。
 この面でも、著者を信頼できるように思う。

 第二の魅力、「腹を立てて書いている」ところにある。

 著者が、「最近(1985年当時)」見かける当時の回顧や体験談には、「民衆すべての体験であって特別異常なものではないが、意識的な嘘や法螺や口ぬぐいや回想には免れがたい変質の傾向が甚だしい」、「むしろ終戦直後のものの方が、腹を立てて書いているだけにかえって真実の息吹きを伝えているものが多い」と述べている。

 すなわち著者は当初、日記など公表するつもりはなかった。しかし初版の出た1985年当時、戦中・敗戦直後についての世間に出まわっていた回顧や体験談には、「意識的な嘘や法螺や口ぬぐいや回想には免れがたい変質の傾向が甚だしい」と感じた。その批判のためにも「不戦日記」の出版が必要だと著者は判断したのである。

 ここには、戦中・敗戦時の回顧や体験談に対する著者の明確な不満と批判がある。「戦中・敗戦は、決してそんなんではなかった!」
 現在の必要に応じて過去を変容させてはならない、と主張しているのだ。

 別の面からいうと、当時の暮らしのなかで「腹を立てて書く」ことが真実を伝えるととらえている。悲しみや怒り、喜びと悲哀とともに書いた文章にこそ、すなわち生きた生活を通じた認識や叙述に、真実を多く伝える場合があるという著者の考えが提示されている。
 そんなことは、小説家・文学者にとっては当たり前のことかもしれない。決して小説家・文学者にとどまらない「視点」だとは思うが、著者の考え、というより気持に同意する。

 したがって、「不戦日記」の叙述のなかに、著者の「怒り」を読み取ることが大切である。そして、その「怒り」は著者個人のものではなくて、「全国民的」なものであった。当時の戦中・敗戦を生きた人びと、当時の日本人の心に沿ったものだということがさらに重要ではないか。

 「不戦日記」を読んで私たちは、当時の日本人が何を考えていたかをあらためて知る。「意識的な嘘や法螺・口ぬぐい、変質の傾向が甚だしい回想」が氾濫する現代日本において、眼をくらませられることのないように。

 著者は、いわゆる左翼でもない、右翼でもない、当時の日本人の一人であり、「民衆すべての体験」を記録したいと書く小説家の卵である。当時の日本人の生活感覚と認識が叙述に残っている。もっとも、「当時の生きた日本人の暮らし、考えかた」を残すというのも決して簡単なことではない。それなりの見識、視点が必要だ。

 「銭湯の湯はだんだん垢で汚れてしまったこと、脱衣場でメリヤスの新しいシャツを盗まれたり、新しい下駄は盗まれた、風呂には汚いシャツと欠けた下駄で行くようになった」、 「強制立ち退きした後にめぼしいものをいただく、爆撃された家々のものをいただく」という叙述も当時の状況をよく伝えている。すなわち、ある種のリアリズムではなかろうかと思う。

 「意識的な嘘や法螺・口ぬぐい、変質の傾向が甚だしい回想」による歴史の書き換えから免れるには、このような当時の人びとの暮らしぶりと考えの認識から、出発しなければならない。

 「ムッソリーニ、ミラノの叛乱軍のため殺害されたりと。何たる惨憺たる最期ぞや。 …全イタリー民衆より神のごとく崇められたる英雄伝中の典型、…今…犬のごとく殺害される。ペタン、またフランス新政府に捕縛せらる…」。  ドイツ降伏、「独、米英には全面降伏せるも、ソ連にはなお抵抗せんと欲するごとし。…外相声明 日独伊三国同盟に帝国は責任を有せず。…。外相、ソ連に秋波を送る。…そもそもソ連がかかる秋波に乗るものなりしや?」

 「民衆から神のごとく崇められたる英雄・ムッソリーニ、今…犬のごとく殺害された」と書いている。著者も、ムッソリーニを英雄として崇めた記憶があるのだろう。
 また、ドイツ降伏した後、帝国政府がこれまで「赤魔」と呼んできたソ連に秋波を送り、日米戦争の調停を頼もうとしたことに批判的な疑問を呈している。

 当時の日本人のなかには、イタリーやドイツ、ソ連の情報をきちんと調べ、過去に帝国政府が主張してきた理窟とあわないことについて、疑問と批判を提示している人は決して多くはないだろうけれども、著者は限られた情報のなかではあるものの、自分で考え判断しようと努めているのがよくわかる。

 第三の特徴は、当時の日本人の「欠陥」からも著者は自由でないことである。広い視野を持っているものの著者も軍国青年の一人ではある。

 中学時代の同級生・田熊と京都駅で偶然会う(1945年6月4日)。「二人で沖縄戦について悲憤する。もはや本土が戦場になることは避けがたい。しかし最期の一兵まで、国民の一人まで死物狂いに戦ったらきっと勝つ、というのが二人の結論だった。」

 戦争もそして自身の死も避けられない状況に追い込まれ、自身の意思で戦争遂行を決意した青年」、戦争に参加遂行しなければならない現実と自己の運命を、一体のものとして認識・表示している。
 他方、著者は「当大戦の真因」を自問自答し、「地球に人口が増えすぎたこと…」などと書いている。
 もしその理屈が正しければ、人口の多い国は周りの国々を侵略し支配する権利を有することになる。たとえば、現在で言えば、人口の多いインドや中国は日本を侵略する権利を有するということになろう。このような単純明白な間違いにさえ気がつかない、あるいは批判できない程の、愚かな姿を見せる。当時の日本人の「欠陥」をそのまま映し出している。

 「きけ!わだつみのこえ」の青年たちにみられる特徴を同じく持ち合わせている。当時の青年たちのたどらざるを得なかった運命に同情するとともに、同時にそこには、当時の青年を含む日本人全体の特徴であるところの、「社会的問題に対する無知、愚かさ」が垣間見えることも、同時に認めなければならない。この著者だけにとどまらない、善意であり誠実であるけれども、世代としての「無知」、「国民的無知」がそこに確かに存在する。

 まずはこのような「欠陥」を冷静に見つめ、認めるのが大事である。擯斥して済ませてはならない。ましてや逆に、「ほめそやしたり」、「美しい日本」として描き出してはならない。

 「欠陥」は個人的なものではない、世代全体のものである、国民的なものであることを認めたうえで、したがって、どうしてこのような認識に世代全体が陥ったのかが、次に明らかにされなければならない。当事者意識こそが歴史評価に接近するうえで重要なことなのだ。
 現代日本において必要なことでもある。
 当書は、その材料を提供している。(文責:児玉 繁信)

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リリー・フランキー「東京タワー」 [読んだ本の感想]

リリー・フランキー「東京タワー

0)はじめに
 本も売れ、TVドラマも放映されている。世間の流行に後れてはいかんと思い、リリー・フランキーの『東京タワー』を読んでみた。最近TVでよく見かける下膨れの顔のリリー・フランキー。

1)リリーの才能のタイプ
 予想を裏切り、なかなか楽しく読んだ。読みやすい文章だ。そしてこれはいわゆる私小説であろう。小さい頃の思い出からこの小説は始まる。自身の体験したであろうエピソードの描写が魅力的だし、巧みだ。
 しかし、各章の始めに二ページほどをとって、抽象的な教訓を導き出したり、わざとあいまいに、ある場合は「象徴主義的」に書いている文章がくっつけられている。少し気取って、あるいは「文学ふうに」書こうとしていて、作意が前にできて、途端につまらなくなる。というより、この作家の表現力の欠如を暴露してしまう。これなどはまったく余計なことだ。この二ページは、各章に規則的に並べられているから、作者は意図してやっているのだろう。作者は何かひどい考え違いをしている。

 この「考え違い」と魅力ある本文を対比してみると、次のようなことが言える。作者は、フィクションを書けないタイプの作家であろうと思う。物語を自身で作ることが、よりできないタイプであろう。自身のこと、経験したことは生き生きと描写できるが、体験していないことを描こうとすると途端におもしろくなくなるタイプの才能。もっとも決して非難しているのではないし、非難されるべき特徴でもない。作家には二種類ある。モデルがいなければ書けない作家とモデルがいなくても書ける作家である。

 この作者は自分にあったこと、考えたことを、つとめてそのまま書こうとこころがけている時、おもしろさを発揮する。

2)「東京タワー」は二つに分裂している
 子供の頃の風景として書き始められ、後は母親の看病記録に変わってしまった。「東京タワー」は作品の前後で分裂している。前半の調子でどうして押しきらなかったのか、押しきればよかったのに、作品として分裂や破綻を避けられたであろうと思う。テーマも文章の調子も分裂してしまっている。作者は、途中から自身が何を書いているのか、わからなくなったではないか。

 初めのうちは、かつて暮した周りの人々、筑豊や小倉、別府の人々との関係に愛着を持つ主人公の心情がつづられている。その愛着の内容に魅力がある。人々の関係の再現に魅力がある。
 ところがオカンが病気になってからは、文体、文章までも変わってしまう。対象はオカン一人になってしまい、テーマがいつの間にか変質している。「オカンとの日々」は作者にとって大切なのだという思いから、対象が時代と人間関係を超えた「オカンひとり」になった。時間の流れが一挙にゆっくりとなり、日々起きる出来事をもらさず書き記すことが目的であるかのように叙述が変わってしまった。それまでの何か乾いたところのある、ある種のユーモアのある文章なのだが、その調子が消え失せてしまい、文章のリズムと面白みも失われた。
 「自身の思い」と「描写」とが折り合いをつけることができずに、「思い」のほうが大きくなって、すべてを占領してしまい、作品のテーマと性質まで変えてしまっている。残念だと思う。こういうところはまずいところだし、完成度が低いところでもある。

3)この小説はなにを言っているか
 母子家庭のみじめさを感じさせないように、一所懸命大切に庇護してくれるオカン、食事と衣服は、自分のものは節約しても無理して買ってくれる。自転車も買ってくれた、別府の高校へ行きたいと言った時も、ムサビ(武蔵野美術大学)へ行きたいと言った時も、無理して行かせてくれた。ムサビはオカンの財産をはたいてしまうことになった。オカンの優しさを感じていたものの、ただオカンに庇護されるだけの子供であり、学生であり、そのまま大人であった。そこから抜け出ることが大人になりかけた頃の目標だった。
 今振り返って、それにあらためて気づき、オカンとの関係を大切に思うのだ。
 どうして大切に思うのだろうか。作者はすでに庇護される必要はなくなったし、作者の現在には、オカンのような一所懸命大切に庇護してくれる人間関係は存在していないからだ。ここが肝心のところだ。ある意味、現代日本社会に対するリリーの静かな批判なのだ。

筑豊と東京の対比
 それから筑豊の田舎と東京を対比している。「貧乏だったが豊かだった」という。東京は豊かだけれど汚れているという。本当にそうであるかは別にして、筑豊の田舎がひとつの幻想として、美しく、子供時代が輝いていたように思えるのだ。「この町は豊かな町ではなかったけれど、ケチ臭い人のいない町だった。」

小倉の街の描写
 小倉のばあちゃんちで夏休みを過ごす。空に突き刺さる煙突。新幹線の停まる大きな駅。ジェットコースターのある遊園地。立ち並ぶデパート。ネオンの眩しい歓楽街。すし詰めの路面電車。………昼過ぎにはばあちゃんが市場に買い物に行くのについて行く。………揚げ物屋で鶉の玉子の串揚げや肉屋のソーセージを買ってもらって食べるのが楽しみだった。………
 ばあちゃんは五十円くれることが多かったので、小倉の駄菓子屋はかなりお坊ちゃまな買い物ができる。
 ベビーコーラに串刺しのカステラ。グッピーラムネにチロルチョコ。ゴム人形に指でネバネバやると煙の出る魔法の薬。………クジ屋のババア。「当たり」や「一等」が入っていない。………そんなイカサマはババアの駄菓子屋に限らず、たこ焼き屋のたこ焼きにはたこでなく「ちくわのぶつ切り」が入っていたが、もうこの町ではそんなことを指摘する者はいなかった。………

 こういう風景の描写は、何を描いているのか?この風景を大切に思っている作者の心情がよく読みとれる。安物の駄菓子屋の想い出は、「安っぽい」ことに作者の非難は向いていない。「クジ屋のババア」の狡さに非難は向いていない。それよりも、同じような貧しいなかで日々の暮らしを送った人々であったというふうに描かれている。作者は、そんな人たちとの関係に、愛着と懐かしさを感じている。
 タコ焼きにタコの代わりにちくわが入っていても、この町では誰も非難しない。タコがなけりゃチクワで済ます、誰でもそれぞれ生活の上で実際やってきていることから、それもしようがないと誰も認める。ある種の生活の智恵であるし、こんなことくらい、いくつもいくつも受け入れなければ、生きていけない。子供の頃はいやだったが、そんなことを思い出すと、「貧しくても豊かだった」と、作者は現在から見て、思うのである。
 「貧しくても豊かだった」とはどういう意味か。必ずしも、正しく適切な表現ではない。実際そうであったかどうかは別にして、作者は当時の生活、人間関係のなかに人間的なものを感じ、現在の作者の生活、もしくは現代日本の生活のなかに非人間的なものを見ている。現代日本の人間との対比、そして現代日本の風潮への作者の批判がある。ただその批判は、現実的な基盤を見いだすことはできていない。

ボタ山に自分も埋もれるのではないかという恐怖感
 ボタ山に自分も埋もれるのではないかという恐怖感。確かにその通りだろう。作者の少年は確かに、この田舎には自分の未来はないと思った。
 「下らない差別に、世間の狭い大人たち、毎日毎日二四時間が、ここで費やされていくことに焦りと恐怖を感じていた。イギリスやアメリカの音楽のなかには、こんなチマチマした価値観を否定しているんじゃないか、………」と感じた。
 こういう感情は地方出身者の多くが持つものだろう。
 現在の作者には、すでにこの時の「焦りと恐怖」はない。なぜならば、田舎を抜け出し、幸運なことに東京で生活を確立しているからだ。しかも、オトンのような田舎の人間には理解できない種類の仕事で暮している。
 この作者が、あれほどボタ山に埋もれてしまうのではないかと思った強烈な恐怖感も、今では「懐かしい想い出のひとつ」として振り返ることができる立場にいる。
 そのことであれほど嫌っていた田舎やくすんでみえた友人、大人たちが、すべて美しかったとまではいかないが、「ある愛すべきもの」に転化していることを、作者は発見する。現代の彼が喪失している濃密な人間関係がそこに存在していると思えるからだ。ここにリリーの書きたいことがある。
 もっといえば、現代の作者を取り囲む「希薄な人間関係」に批判的なのだ。しかし、このことには特に触れられていない。  誰もが貧しかったし、洗練されていなかったし、みっともないこともたくさんありまた欠点も持つ人たちだが、率直に自分の愛情を投げつける密度の濃い人間関係は確かに存在したし、愛着を持つと、作者は読者に白状しているのである。そのことは、希薄な人間関係しか形成しえない、あるいは人間関係を物の関係に置き換えてしまう現代日本の社会関係への批判が作者のなかで澎湃として広がっているようであるのだ。ただ、それを回復するにはどうしたらいのか、必ずしも明確ではない。批判はあいまいなまま、宙に浮いている。

 完成度が低いとか、テーマが分裂しているとかは、いずれ修復可能だろう。その上で続けて言えば、リリーの批判や大切に思っていることは、確かに魅力的だし、リリーの観察した描写一つ一つに同意するのだが、しかし描き出しているものは、閉じられた世界のことのようであり、現代とのかかわりが薄くて、現代生活に対する意識的な批判として成立していない。だから何か生命力に乏しいというのが、最終的な不満として残ってしまうのだ。(文責:児玉 繁信)


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加藤 廣 「信長の棺」を評す [読んだ本の感想]

 加藤 廣 「信長の棺」を評す

 評判が高いそうなので読んでみることにした。面白いところもいくつかあるが、やはりこれまでの歴史物の限界を破ってはおらず、それほど優れた作品ではない。失望が残った。

 まず先に、いくつかの優れた点をあげてみよう。
 その第一は、叙述力が巧みなので、読者はつい引きこまれて読みすすめてしまうことである。この点には工夫があって、『信長公記』作者たる太田牛一を主人公とし、牛一の心情を通じて描写するスタイルをとっていることが成功をもたらしており、読者は牛一と共に、同時代人となって「本能寺の変」の真犯人を突きとめる追体験をするのである。作者の意図は、生きた人間のやり取り、闘いを通じて歴史を描き出そうとすることであり、この点ではうまく書かれている。秀吉像の描写などよく描かれており感心した。
 第二は、最近、歴史の事実調べが急速に進んでいるようで、この歴史研究の最新資料と評価をベースにして構成しなおしているところがこの作品の成果の一つであろう。
 それは「本能寺の変」の真犯人が誰かと問うものであり、作者は秀吉が大きく関与したという結論に基づき歴史評価を描き直そうとしている。この点も興味深い。ただし描き出された歴史評価は、欠点や無理も多く、これまでの評価を抜け出ているとは言えず、欠点をそのままくりかえしている。作品の大きな欠点、つまらなさにもつながっている。

 作品の欠点の第一は、「本能寺の変」の真犯人にのみ作者の興味が向いていることである。「本能寺の変」の真犯人をあきらかにすれば歴史評価が変わるとでも思っているのだろうか。犯人が誰であろうと歴史評価のすべてがそのままそっくりひっくり変わるものではないことを、作者が理解していない。即ち、歴史物の持つべき根本的な要素がなんであるかの認識が決定的に欠けている。

 具体的に例をあげよう。
 加藤廣の叙述には、信長が果たした歴史的役割についての評価が明確化されていない。秀吉とて信長の変革の延長上に自身の支配体制を作りあげたが、その基本的な評価がなされていない。信長は楽市楽座などにより商品経済の勃興とその社会的要求をとらえ、それに見合う社会関係の創出し、そして利用し、それまでの役に立たなくなった古い社会関係の破壊を実行した。この基本的な歴史の流れについて何等触れていない。
 加藤廣は秀吉の力の源泉を生野銀山と特定し説明しているが、それはあまりにも部分的で一面的である。秀吉は、戦闘は動員できる兵力・火力によって決まると心得ており、そのための兵站、土木工事を専門的に行う「機械化師団」を備えたより専業的専門的な近代的軍団を、誰よりも先駆けて形成した。「穴掘り」技術のための投資や経営的組織の確立を同時にすすめた。食料弾薬の調達から土木工事資材の調達、諜報活動まで全面的に行う資本主義的、「経営的」組織を形成しはじめていた点で遥かに優れた軍団を形成していた。秀吉が古参の部下を待たなかったことは、石高で示される地主としての地位をそもそも政治的出発から持っていなかった。それゆえ堺の商人らとも関係を持ち、彼らをも儲けさせ、自身の支持基盤とした。政治的代表者をもたない商業資本は信長や秀吉と密接な関係を結び、支持者にもなった。
 応仁の乱から関ケ原までの時期に、日本の農業生産は約二倍となり、余剰生産物は市場を求めて商品経済のより一層の拡大を要求し、資本も集中、集積した。この経済的拡大に呼応した新しい社会層、社会関係の要求を汲み取り、また利用し、信長や秀吉は支配力を獲得した。新しい社会変化を読み取っていたのである。かれらは新しい支配層として登場してきたのであり、彼らもまた農民を弾圧したのも歴史的事実である。

 商品経済、資本主義経済の勃興とこれを利用する新しい組織、社会関係の確立にこそ、信長や秀吉の時代に対する先進的な意味と功績があったのであり、力の源泉であったのだ。これをまずきちんと評価し描かなくてはならない。
 しかし、われわれが発見するのは「歴史は謀略で動く」という間違った観念にとらわれている作者・加藤廣である。このような歴史観にとらわれている限り、いかなる歴史的資料の新発見があろうと正しい歴史評価にはたどりつくことは到底できない。いかに大胆な仮説を提示しても、意義は大きく殺がれる。龍頭蛇尾に終わる。これは根本的な欠点である。

 他の例もあげてみよう。
 太田牛一が信長を慕っている理由の設定である。牛一は信長の文書掛りであったから各地の武将から戦闘記録が送られて来ていたが、当時の日本には各地各様の暦があり、そのすべてが不正確でかつ一致しておらず、実際に用をなさなかった。信長は宣教師たちから当時のグレゴリオ暦が優れていることを知り、朝廷などの旧勢力の反対をも押しのけて強引に導入した。この信長の先進性に心服したとされている。そのように設定しながらも、牛一(および作者)は信長の先進性の深い意味を理解していないし、時代の変化を見とおしているわけではない。牛一が信長を慕う理由がやはり明確に提示されていないし、安易にすませている。作者・加藤廣がなぜこのようなことに興味を示さないのか、不思議でならない。
 私が読む限り、太田著『信長公記』は歴史評価をなすにはほとんど不充分な歴史書であり、多くの箇所で俗物的な彼の評価があふれており、それらをえり分けながら読みすすめなければ読めるものではない。だから主人公にすえた作者の設定には少々無理があるかもしれない。まあ、でも作者・加藤廣には克服可能な立場にある。

 それ以上に不可解なのは、秀吉の野望の根拠である。加藤廣は確かに秀吉像を見事によく描いている。喜怒哀楽が激しく、人を引きつける「魅惑的な」人物の様が生きた姿でよく描かれている。この点は当小説の優れたところではないかと思う。
 しかし、秀吉が信長を倒そうという考えが芽生えるに至った根拠として、朝廷を尊重する秀吉が、信長を批判し離反していったと設定している。
 しかもそれを根拠づけるために、秀吉はもともと丹波に追われた藤原道隆(藤原道長に追われた道長の兄)の子孫であるとの俗説を採用して説明している。このようなものを秀吉なる人物の説明、描写として取り上げるこのセンスは、ひどく間違ったものである。これだけで歴史を描き出す資格を失うようなものだ。アホらしくて読み続けることができなくなる。
 権力獲得後、出自に負い目のある秀吉は、自身が高貴な血筋の出自であるといううわさを意図的に流した。秀吉の得意な「諜報」戦である。ただ、当時の誰もが笑って信用しなかった。そんなうわさを加藤廣は取り上げる。

 「本能寺の変」の真犯人をつきとめる上で、秀吉と牛一の根本的な対立、それを歴史を動かした要因として表現することが可能であったはずだが、そしてそこに歴史物の本当のおもしろさがあるのだと筆者は思っているが、加藤廣はそのようにはしなかった。加藤廣の設定は、歴史を矮小化し歴史のダイナミズム把握を勝手に放棄してしまっている。これは根本的な、どうしようもない欠点である。

 信長が朝廷を軽んじたことを作者は、秀吉と一緒になって、太田牛一と一緒になって、清如上人と一緒になってこれを非難している。これなども本当にばかばかしい。信長は確かに朝廷を軽んじた。しかし軽んじたのは信長ばかりではない。秀吉も家康、あるいは、ほとんどの大名が軽んじた。軽んじただけではなく、自身の勢力拡大に利用した。そのような簡単な歴史的事実を見逃してしまうほど、加藤廣の目は曇っている。歴史を自分勝手な「モラル」で裁断するほど、ばかばかしいことはない。

 丹波者がもともと諜報や穴掘りが得意なのではない。諜報や穴掘りの社会的・軍事的意義を認め、そのための活動に資本を投資し、近代的効率的組織を形成し、古い役に立たない組織・制度を取っ払い新しく創造したからこそ、彼らが力を発揮したのである。丹波者という先祖のつながり(?)がそれをなしたのではない。

 結論は下記の通り。叙述力で読者をわくわくさせるものの、これまでの歴史物の限界を破ってはおらず、むしろひどいもの。(文責:児玉 繁信) 
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追記
 「秀吉の枷」が売れている。同じ話を秀吉の側から描いたもの。売れたものだから、ひとつのトリックで二つの小説を書いてしまう。「柳の下の二匹目のドジョウ」を狙った。
 しかし、結果は売れてしまった。「世の中なんて、甘いもの」と加藤廣が思ったか、思わなかったか。俗っぽい理解で「歴史」を再現する加藤なら、二匹目、三匹目のドジョウを狙うのであろう。


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小川洋子「博士の愛した数式」 を評す [読んだ本の感想]

小川洋子「博士の愛した数式」 を評す

 本書は、「認知症」問題を扱っているのだろうか?まずそのように思ったのだ。
 認知症は高齢化社会の現代日本にとって、緊喫の問題である。人道的・人間的に扱わなければならない。しかし、われわれの社会は本当に人道的・人間的に扱えるのか、という問いである。
 多くの高齢者が「周りの者に迷惑をかけないで死にたい」と「思っている」し、そのように発言している。現代日本は不安を抱えて老後を迎えなければならない社会なのだ。わたしたちの社会は認知症を、どのように受け入れていかなくてはならないのか。わたしたちの社会は、一人の人間として扱っていけるか、どのような社会であるべきか、である。介護は?その費用は?

 資本主義社会においては、主要な社会活動は資本の自己増殖サイクルのうえに成立している。資本を自己増殖させない社会活動(すなわち、率直に言って資本家を儲けさせない社会活動)は、そのままでは継続したりひろがったりすることは容易ではない。人道的・人間的に対処するとはまったく別の論理が、存在する。「人間としての尊厳」は、資本の自己増殖運動の論理の枠外にあり、ある場合はこれと相容れず、尊重されない事態が出来する。

 人間の尊厳の根拠を何にもとめたか?  さて作者・小川洋子は、どのように接近したか。まず「乱暴かつ安易に」も、「形象の設定」から「尊厳ある人間として扱え」と主張したのである。

 この小説の第一の特徴は、登場した博士の形象の特殊さ、突飛さにある。「数学という特別な才能」を持つ「博士」が設定される。博士の数学の才能は半端ではなく一流である。「奇をてらった」なのではないか?まずこう疑った。この点に限って言えば、そうではなかった。作者は「博士」なる人物を注意深くつくりあげているし、そのことに作者の主な努力は注がれている。

 読者は「博士」にある愛情を注ぐ。主人公「私」やルートと共に、あるいは導かれて。「博士」なる人物は、威厳のある人物、畏怖さえさせる才能を持つ人物。そのことで作者は、「認知症」におちいった人に対しても、「人間としての尊厳」を尊重し、人道的・人間的に接するように主張しているようである。このような設定にしなければ、「人間としての尊厳」は語れないものなのか?まずそのような疑問と軽い反発を覚える。

 「博士」の才能は、主人公の「私」だけが発見する。これまで家政婦協会から送り込まれた人たちは発見できなかったにもかかわれらず、主人公「私」は九人目にして初めて発見する。読者は当然、自身の感情を「私」のそれに重ねる。

 作品のほとんど終りのほうでは、設定は徐々に変化していく。博士の才能も衰えていく。博士の八〇分記憶能力が徐々に衰えて短くなり、博士の才能は徐々に破壊されていく。その様も小説では描写されている。しかし、「私」と「ルート」の博士に対する心情は少しも変化せず、一〇歳のルートが二二歳になり「博士」が亡くなるまで続く。「私」と「ルート」にとって、博士の人間としての尊厳は永遠に尊重されたままで終わる。博士と彼の「数学の才能」は消えても「博士の愛した数式」は「私」と「ルート」に残る、読者にも残る。博士と互いに交わした心情とともに残る。博士の才能は破壊され、博士自身も破壊していったにもかかわらず、「私」と「ルート」には、博士を尊敬し尊重した心情はこれからもずっと残る。これは著者・小川の描きたかったことなのだろう。
 私は作者のこの心情におおむね同意する。
 でも、疑問は残る。作者のこの心情は、このような特別な設定にしなければ語り得ないものなのか?と。

 博士は確かに興味深い人物である。作者の構想も苦心も工夫もこの一点にかかっている。すなわち博士をどのようにして魅力的な人物に描き出すか、である。
 これは成功しているだろうか?
 いくらか、成功している。なぜならば、「博士」の描写は小説のおもしろさを構成しているし、読者は興味深く読み進めることができる。確かに興味深い人物ではある。どんな人物で、どんな生活をしているのだろうか、われわれの興味はそそられる。描かれている数字や数学をはさんだエピソードは巧みに描かれている。作者がもっとも苦労したところであろう。
 ただ、わたしは数について作者が工夫を重ねた説明は、工夫の割には生きていないと思う。あらかじめオチが準備された完結した小話になってしまい、生きて発展するところがない。これは作者の才能の質、そして欠陥とも関係するのだと思うが、作者の作り出した形象やエピソードは、固定的で生きて変化していくところ、発展していくところがない。数学の小話もそれ自体は完結していて、説明されると面白いのだが、一瞬であって、広がりがない。現実生活との関係、発展がない。こういうふうな観念的なところ、理念から叙述をつくり出してしまって、それで済ませてしまうところは、この作家の良くないところだ。何か勘違いをしている。あるいは、この作家の才能の質を表現している。よくない、貧しい「質」である。

 いくつかの不満も残る。
 数学に特別の才能を持った人物を設定すれば、「尊厳ある人間」として描き出すのは、やや容易である、あるいは読者を「畏怖」させる。小川はあきらかにこの効果を狙っている。これは「安易なやり方」ではないのか?さて、そもそも「人間としての尊厳」は、果たして何から発生するのだろうか?このように問われたとき、この小説は力がないことを暴露してしまう。

 そのことは作者も無意識に感じていて、「博士」に人間的魅力を与えようとした描写を追加している。作者はどうやろうとしたか?
 博士も「ルート」も、阪神タイガースと江夏豊のファンであり、ファンとしての心の交流を通じて、かつまた博士の「ルートを含む子供への愛情」を示す事件を通じて、博士の人間的魅力を表現しようとした。
 これは成功しているか?  あまり成功していない。作者の力のなさを象徴的にあぶりだしている。博士の人間的魅力を表現しようとして持ち出すのが、阪神タイガースと江夏豊のファンだというエピソード。この作家は、人間的交流がどのようなものか、知らないのか?人として本当に交流した経験がないではないのか?世の中に野球ファンが多いことに乗じて、読者ってのは「こんなものだろう」と見定めて、叙述を観念的にひねり出しすませている。作者の観念のなかでのこさえ物で済ませている。この作家のダメなところだ。現実の観察が決定的に足りない。あるいは、作家としての才能に乏しい。

 小説の欠点は下記のところにも現われていると思う。

 まず、認知症、あるいは当小説のような事故や病気による脳の破壊、若年性認知症の問題は果たして小説に描かれているような「スマート」なものだろうか、という疑問である。もっとどん詰まりの、あるいは悲惨な家族の負担、困難をもたらすのが実情であろう。
 人は苦しむ、なぜこうかと苦しむ、自分だけが苦しまなければならないのかと苦しむ。しかし、同時に人は苦しめば苦しむほど、知性的になるのだ(花田清輝)。自身苦しみを、時代の苦しみとしてとらえ、この批判と克服を構想するのだ。そうして人類は「類的性質」を発揮するのだ。というふ風に、作者はとらえるべきであった。    「同時代の苦しみ」にことさら踏み込んでいないように見える。  その現われと言っていいかも知れないのだが、小説が記憶が消える博士=認知症患者に接する「私」から描かれている点である。確かに接する「私」の心情は描かれている。しかし、もっと興味深く、かつまた描くべきなのは博士の心情の描写ではなかろうか?
 博士の心情は、「私」や「ルート」との交流のなかで断片的に知ることはできる。しかし、本当のところこの博士本人は、どのような苦しみを持っていたのだろうか?そして何を思い日々行動し生活し、どのような喜びを持つのだろうか?この根本的な問題はまだ十分には描ききれていないと思う。 まあでも、これらはより小さな不満であって、作者を非難するまでには及ばない。

 「ルート」なる子供を登場させ、博士との関係、交流を描いているが、この「ルート」は、作者の観念的な「つくりもの」であろう。観察と描写が何よりも必要なところで、これをやらずごまかすため子供にした。「中性的な」男の子供にした。こんな子供はいない。女の作家・小川には「男の子供」に対する幻想がある。宮部みゆきなどもよくやる手だ。こういう逃げをやってはならない。
 子供向けの童話を描きたいという人がよくあるが、これは何か勘違いしていると思う。大人向けに描けない者が、子供向けに描けるはずはない。子供向けなら誤魔化してもいいと考えているからそんなことがいえるのだ。これと似ている。「ルート」は作者の分身である。自分の考えたこと、感じたことを、つくりものの男の子の気持として語らせてすましている。ここでも観察不足を露呈している。

 次にあげることなども作者の生きた描写が少ないことの一例である。「私」の一〇歳の息子に博士が名前をつけてくれる。「君はルートだよ。どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号、ルート」。これが博士の言葉として紹介される。また完全数28の説明もそうだ。どれも説明された時点で話がすでに完結している。  それぞれ形象が設定され、命が吹き込まれ、生きて動き出し描写が生きて発展するところがない。これも観察や描写から描くというより、先に理念から叙述するこの作者の傾向が影響しているのだろうと思う。最近の若手芸人の芸のように、5秒に一回笑わせるため、頭にオチをもってくるようなものだ。小説家としては致命的な欠点である。
 しかも先述のように作者の理念によって作られた人物やエピソードが、作者の閉じた認識によって作られており、現実から乖離してしまうのだ。それだから、描かれた世界がチャチなものにしかならないのだ。

 作者は博士と「私」、「ルート」間の人間的交流、心情を描き出したかったのだろう。それを作者は阪神タイガースと江夏豊を通じて描こうとする。これは本物か。あまり本物ではない。えらいこと水で薄まっている。
 この作者は、本当の人間的交流を持ったことがないのではないのか?阪神タイガースと江夏豊も作者の観念によるこさえ物ではないか?こんな描写を重ねるところは、作家としての根本的な欠陥である。

 上記の通りいろいろあるが、結論は次の通り。私は作者の描き出したかった心情におおむね同意する。しかし描き出されている世界が小さくチャチなことに不満を持つ。(文責:児玉 繁信) 


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バチェラー八重子『若きウタリに』を読む [読んだ本の感想]

バチェラー八重子『若きウタリに』を読む

バチェラー八重子

 コートをしまいこもうとしたら、岩波現代文庫、バチェラー八重子『若きウタリに』が出てきた。確か昨冬、買い求めた。「セメント樽の中の手紙」みたい。
 バチェラー八重子『若きウタリに』は一九三一年刊行されたもの。二〇〇三年十二月岩波現代文庫で復刊。
 そのなかのいくつかの歌を拾ってみる。

有珠湾に まれに訪ひ来る 雁の群 足もぬらさで 去るぞ悲しき愛でらるる 子より憎まるる 子は育つ などてウタリの 子は育たぬぞ
適度なる 野心家であれ ウタリの子等 欲の無い者 間抜けて見ゆる
死人さへ 名は生きて在る ウタリの子に 誰がつけし名ぞ 亡の子とは
黒けれど 侮りますな あの烏 自由に高く 飛びめぐるなり
石のごと 無言の中に 力あれ ふまるるほどに 放て光を
亡びゆき 一人となるも ウタリ子よ こころ落とさで 生きて戦へ
悪人が 父の残せる 家破壊し とく去りゆけと せまりたる日
砂原に 赤く咲きたる ハマナスの 花にも似たる ウタリが娘
オイナカムイ アイヌラックル よく聞かれよ ウタリの数は 少なくなれり
   ※「オイナカムイ アイヌラックル」:アイヌ信仰や神話にある天降つた神、人間の祖神として
     崇敬する神格、「神でありながら、吾々人間のやうだつた人 」

 『若きウタリに』ついて、一九三五年に中野重治が評を書き、本書にも載録されている。中野評「控え帳三」は、本書では『わが読書案内』(一九五五年)に収められたときのタイトル「『若きウタリ』について」とされている。

 八重子は、日本語で、そして短歌形式で書いた。彼女にとっては「異民族」の言語である日本語、「異民族」の文化形式である「短歌」で表現するしかなかった。強制されて、あるいは日本人側から言えば「恩恵」を受けて。当時はこのような形しか受け入れられなかった。中野によれば、異民族風のこの表現手段を突き破っているものが詩としてすぐれている、という。
 中野は留置所で、直前に読んだ八重子の歌を思いだし、「(八重子の中には)熱い鞭のようなものがあった」、あるいは彼女の声には、「抑えつけられたもの反逆の疼きが響いている」と評した。中野が当時の置かれていた状況から批判として立ち上がる彼の問題意識を、八重子の歌のなかに重ねて見出している。それが中野の評に緊張感をあたえ、適確なものにしている。『若きウタリに』のなかに「パルチザンの歌」の芽を、民族の「抵抗文学」の要素を見出した。

 編集者・村井紀は、この文庫の丁寧に解説を書いていて、多くを教えられるが、いくつか気になることもある。歌人・バチェラー八重子の「歌」が、中野に「パルチザンの歌」と定義されたことによって、その後「文学から消去」される一因になり、アイヌ歌人はすべからく「抵抗詩人」という言説の一端を形成したと、中野に対する非難めいたことを述べている。「消去した者」、「形成し排除した者」を批判するのが正当な批判であろうから、そもそも方向が間違っているだろう。不可思議なことを書くものだ。この点は奇妙かつ乱暴な論であり賛成できない。

追記
 八重子は、「幸運にして」、イギリス人宣教師バチェラー夫婦の養子になり、当時の高等教育を受けることができた。もちろん、日本人としての教育である。  また、バチェラー夫妻にともなって、イギリスを訪問したこともある。当時としては珍しい経験をした。英国の図書館で男女が一緒に調べものをする姿を目にし、彼女の「憧れ」を歌に詠んでいる。このような経験や教育を受ける機会を持ったアイヌの人は当時としてはきわめて「まれ」であったろう。
 しかし、それは別の面から言えば、体のいい「人買い」であった。バチェラー夫妻は八重子を引き取り、布教活動の手伝いをさせたのである。八重子の意思によるものではない。
 アイヌとして生まれた八重子は、アイヌ人として育てられはしなかった。その八重子がアイヌの人たちのことを思うのである。
 中野重治が指摘するとおり、短歌というきわめて日本的な文学形式をとって、八重子は表現している、当時の八重子には、日本語による短歌しか許されなかったといっていい。と同時に、八重子はすでに短歌という形でしか表現できなくなっていた。彼女の受けた教育と日本人的生活が、「もはやアイヌでない中間的な」八重子をつくりあげていた。そのことを八重子自身、よく知っていた。  写真にもある通り、日本髪を結っている。アイヌの女は断髪である。  
 このことに八重子は、何か贖罪であるかのような感情を持った。アイヌとして生まれながら自身がすでにアイヌでない悲しみ、アイヌの人たちからひとり離れて安定した生活を送ることへの批判、「罪」と感じるような感情、これらを終生持ち続けている。八重子の歌の底には、アイヌとして生まれながら、もはやアイヌとはいえない八重子の悲しみの心情が流れている。この「悲しみの心情」こそ、彼女のヒューマンな欲求、批判を生み出しているものだ。
 これらが彼女の歌を豊かな魅力あるものにしている。(文責:児玉 繁信) 


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